したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

ロシア・ウクライナ問題

2429日本の名無しさん:2025/01/28(火) 21:01:24 ID:YvAN5ehs0

➡️母はこう話してくれた。
彼女は父を病院に訪ねた。彼らには小さな子どもがいて、3歳だった。
しかし封鎖中の飢えの中、父は病院食を母に渡していた。
医師や看護師に秘密で。
母はそれを隠して家に持ち帰り、子どもに食べさせた。
その後、父は病院で気を失うようになり、医師たちは事情を察して母の訪問を止めた。

2430日本の名無しさん:2025/01/28(火) 21:01:39 ID:YvAN5ehs0

その後、子供は連れて行かれた。
餓死から救うために子供達を孤児院に集め、避難させる目的だった。
親に相談すらなかった。その子は孤児院で病気になり、亡くなった。
そして彼らには、彼がどこに埋葬されたのかすら、知らされなかった。
その後、資料館で働く私の知らない人々が、兄の記録を発見した。
それは確かに私の兄だった。
連れ去られた住所が一致していただけでなく、名前、姓、父称、生年も一致していた。
埋葬地も記載されていた。ピスカリョフスコエ墓地、具体的な区画まで・・。

2431日本の名無しさん:2025/01/28(火) 21:01:55 ID:YvAN5ehs0

➡️父は、子供が連れて行かれ、母が一人になったとき、松葉杖をつきながら家に戻った。
家に近づくと、担架で遺体が運び出されているのを見た。
そして母を見つけた。彼女が息をしているように見えた。
「彼女はまだ生きている!」と担架を担いだ人々に言ったが、
彼らは「どうせ途中で死ぬ、助からない」と答えた。
父は松葉杖で彼らを襲い、母を再び家に運び込むよう強制した。
父は母を看病して生き返らせた。
母はその後も生き延び、1999年まで生きた。父は1998年末に亡くなった。

2432日本の名無しさん:2025/01/28(火) 21:02:12 ID:YvAN5ehs0

➡️死者が出なかった家族は一つもなかった。
それでも驚くべきことに、誰も敵を憎んではいなかった。
正直、私には未だにこれを完全には理解できない。
母はこう言った。
「あの兵士たちを憎むなんて、どうしてできるの?
彼らは普通の人々よ。ただ戦場に駆り出されただけ」
私は子供の頃のこの言葉を覚えている。」
https://x.com/4mYeeFHhA6H1OnF/status/1883870687871533096?t=yXstoIPLxF7ePOdAqYh1Gg&s=19

2433日本の名無しさん:2025/01/29(水) 20:28:34 ID:YvAN5ehs0
ミユポワ🕊, [2025/01/29 14:17]
🗣プーチン大統領:
ゼレンスキーとの交渉の可能性について
🗣:誰とでも交渉はできるが、彼(ゼレンスキー)は不法であるため、何もサインすることはできない。
もし彼が交渉に参加したいのであれば、私は彼と交渉する人間を割り当てる。
願望があれば、どんな法的問題も解決できる。
しかし、今のところそのような願望が見当たらない。
しかし、私が思うに、彼の欧米のスポンサー、広く言えばパトロンからの資金が止まれば、
存在することができず、1カ月も持たないだろう。
たった1カ月、1カ月半か2カ月ですべてが終わる。
その意味で、ウクライナの主権はほとんどない。
西側のスポンサーが平和を望むなら、その方法は非常に簡単だ。
私もかつてバイデンにこのことについてシグナルを送ったことがある。
まずは望むことだ。
そうすれば、彼らは法的な問題を解決するために、あらゆる合法的な方法をすぐに見つけるだろう。
https://t.me/dimsmirnov175/89161


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板