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(っ´ω`c)チキチキAA製作所
2091
:
共用旅券&地下銀行@チキチキ
:2019/04/18(木) 21:21:28 ID:N0RDaIlc
渋沢栄一さんは、晩年の好々爺の印象が強いため、「温厚な紳士」と思われて
いるようですが、実はそれだけの方ではなく、若い頃には神道無念流と北辰一
刀流の剣術を学び、相当な腕前をお持ちであったようです。
しかも、かなりの「武闘派」で、一ツ橋家に仕えて京都に居た頃には、何かの
件の容疑者捕縛のために新選組を引き連れて相手の滞在先を訪れたり、徳川慶
喜公の弟君である徳川昭武公に随行してフランスを訪れた時には、フランス側
で付けた教育掛の、確かヴィレット中佐と西洋と日本の剣術の優劣に付いて論
争し「それじゃあ、実際に立ち会ってみようか!」とまでなったそうです。
その際には、身ごしらえをしている渋沢さんのところにヴィレット中佐?が来
て「考えてみるに、我々の任務は昭武公をお守りすることであって、私闘をす
ることではない」と語り、「そう言われてみれば、もっともだ」と、立ち合い
は取り止めにしたそうな。
こういう話は、自慢話めくためか、あまり外部ではしなかったようですが、家
族内では昔話として語っていたようで、四男の渋沢秀雄氏の記した渋沢栄一さ
んの伝記には「父から直接聞いた話」として出てきます。
まさに「一見、子猫の外見をした猛虎」といった類のお方で、多分、近来のお
札の肖像となった人物の中では板垣退助氏と並ぶ最強の方のお一人。これから
の「日本の顔」の一つとして、非常に相応しい人物なのかもしれません。
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