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●日本人だけど、日本のここが嫌い●したらば1ヶ所目

5067脱日本人:2014/04/19(土) 14:27:43 ID:ZwdxQ9M.
なるほど。本当の気持ちを言えないというのは辛いものだもんね。
谷沢永一著「山本七平の知恵」という本の第一章 新しい日本人論の確立 の中に
毎日が「踏み絵」という目次がある。
そこに日本人はお節介であるという指摘があるんだけど、
世間の風潮に同調することを良いことだと信仰してるから、
そこにハマらない人を間違いだと悪だと決め付けて
世間に当て嵌まるように導こうとしてるんだと思った。

『それほど他人の目が怖いのである。
日本人はものすごくお節介な民族であって、
「そうか、お前は戦争に負けると思っているか。うん、勝手に思っておけ」
とは絶対に言ってくれない。すぐ、殴りに来る。
その意味で個性とか個人の信念とかが公的に認可されない社会である。
「踏み絵」という言葉があるが、日本人は毎日踏み絵をしている。
それが怖い。
(中略)
だから私は、日本人というのをたった一言で言えといわれたら
「お節介」と言いたい。ほっといてほしいと思ったことが、
この歳までどれだけあったか。
(中略)
それが戦争中なら非国民、戦後は封建的、反動、
いまでいったら福祉国家に反対か、とか。
それを言葉の上でノーとは言えないような詰問を出してくる。
その意味では非常に生きにくい社会である。』


自分の気持ちを正直に伝える方法として、アサーション権という
人権を知ることが重要だと思う。

平木典子著の「よくわかるアサーション 自分の気持ちの伝え方」によると、
「アサーションは、自分も相手も大切にした自己表現やコミュニケーションのことです。
アサーションができている状態をアサーティブと言います。
アサーティブな表現とは、自分の気持ち、考え、信念などを正直に、
そして率直に、その場にふさわしい方法で表現することです。」
とある。
そしてアサーションは被差別者が人権を取り戻すための方法として、
取り入れられてきたと書いてる。
「人権に対する再認識の動きの中で、言動を抑圧され、
被差別者に甘んじてきた人々は、自分たちの言動の範囲が
拡大されていくのを感じました。
(中略)
そして、それまで許されなかった言動が許されたとき、
人権という観点から自分たちの言動を見直す必要性に迫られました。
それに応えたのが、人権尊重の理念に裏づけられたアサーション・トレーニングだったのです。」

つまり、自分の気持ちを正直に伝えたいのに伝えられないというのは、
自発的なら人権を放棄していることになるし、
対外的なら人権を侵害されてることになる。
この本読んでる途中だけど、
この本に書かれているようなことが実践できれば素晴らしいことだなと思った。
トレーニングというくらいだから、身につくまで時間はかかると思うけど
読むとすごく勉強になるよ。


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