[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
●日本人だけど、日本のここが嫌い●したらば1ヶ所目
481
:
トミー
◆jdW1WNy602
:2012/09/08(土) 03:47:59 ID:???
>>477
>アノミーでは不安でしょうがない、生理的な安定のための空想・妄想
>で地固めしてなんとか表面上の安定を保っているだけに過ぎない。
日本の悪徳さを直視してしまうと、個人ではどうしようもない現実に絶望して、
ストレスと悩みがただただ溜まりだけだから、
空想に妄想、娯楽ばかりに目を向けてしまうのは仕方ないよ。
人間はそんなに強くないから。
日本教について自分はほぼ不治の病な気がしてるけど、
もしそう悟った日本に残る者の救いの選択肢は、苦痛の緩和ケアくらいしかない。
歴史の中で人間は、現実にぶつけられない怒りを何とか吐露する為だったり、現実の苦しさを慰める為に、
人間関係を深めたり、曲を作ったり、歌を歌ったり、スポーツをしたり、ゲームをしたり、詩や文学を書いたり、
カメラや日記で記録に残したり、ダンスを踊ったり、劇を演じたり、絵画や漫画を描いたり、娯楽の場を作ったり、
アルコールを飲んだり、麻薬をしたり、カウンセラーに相談したり、宗教に救いを求めたり、色んな事をやってきた。
学校教育で従順な奴隷になるよう教育され、現実の社会でもそれを求められている。
改善しようと異論を言ったりすれば和を乱したということで恐怖の村八分。
それに対抗する精神的支柱も同胞も経済的余裕も解決への方法論や思考法も、
そういう事をひっくるめた力・能力を持たざる人が大多数だろう。
日本で生きる限り、誰もが精神病と自殺が隣り合わせだと思う。
そういう事情の中で個人を責めるのは非常に酷な事だよ。
精神的支柱・同胞・経済的余裕・解決への方法論や思考法を
教えたり与えたりすることが出来ないなら、更に苦しみを与えるだけだと思う。
標準的な日本人がこのスレで言われるような日本の本性を否定するのは
否定しないと自分の精神がやられる可能性が例え無意識でも
本能レベルで分かってるからだと思う。
>>478
自分もそう思ってるよ。
問題は何で日本人は大人になっても未熟なままなのか。
自ら進んで未熟なままでいるように見えるけど、
愚民化教育をしている時点で自ら進んで論は成り立たないんじゃないかな。
教育ほど人生において重要なものはない。
週刊ダイヤモンド
われわれは再び教育ある人間とは何であるか見直す必要に迫られている
http://diamond.jp/articles/-/15281
ドラッカーは、学校に対して、二つの要求を行なう。
第一に、肉体ではなく知識が中心の社会となったからには、知識の変化が急である。
繰り返し、知識の更新を図っていかなければ、急速に時代遅れとなる。
しかし、いかなる学校といえども、必要とされるすべての知識を与えることは不可能である。
そこで必要となるのが、“学習の方法”を教えることである。方法論、自己啓発、ハウツーを馬鹿にしてはならない。
近代合理主義は、デカルトの『方法序説』から始まった。
第二に、知識が中心の社会では、知識ある者がリーダーの役を務める。
ということは、知性と、価値観と、“道徳観”が要求されるということである。
今日、道徳教育は人気がない。ドラッカーによれば、これまで、あまりにしばしば、思考や、言論や、
反対を抑圧するために濫用され、権威への盲従を教えるために使われてきたせいだという。
つまり、道徳教育自体が、非道徳的だった。しかし、このままでは、若者は間違った価値観を植えつけられる。
人は、必ずなんらかの価値観を持つ。
高邁な価値観を持つかもしれなければ、低劣な価値観を持つかもしれない。
あるいは、少なくとも、無関心、無責任、無感動のいずれかにはなる。
知識社会における道徳教育については、論議も大いにあるはずである。
しかし、教育が道徳を伴い、かつ、それを重視すべきものでなければならないことだけは間違いない。
知識と知識労働者には責任が伴うからである。
「学校と教育が、今日きわめて大きな変化を前にしていることは、確かである。
知識社会がそれを要求している」(『新しい現実』)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板