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●日本人だけど、日本のここが嫌い●したらば1ヶ所目
4520
:
脱日本人
:2013/07/23(火) 13:57:34 ID:???
特攻の時代と特攻隊員の遺書を考える
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/tokkou/tokkou.htm
当時は国体護持が最終理念である。国体護持とは天皇を頂点した政治体制のことで、
そのためには国民の命は鴻毛のような軽さに扱われた。
当時は新聞や雑誌で日本と記述するとき、『大日本帝国』と呼ばせた。
英語では、Grand(Ggreat) Empire Japan か Ggreat(Grand) Imperial Japan と訓んだであろう。
天皇と天皇制の論評さえタブーとされ、軍部の悪口など完全に社会から締め出された。
何か云うと非国民とか 「赤(共産主義者)」と呼び、生活のあらゆる面から閉め出された。
新聞・雑誌は検閲の対象で 発禁処分も相次いだ。 マスコミ人や文筆家も反軍的思考の持ち主は活躍・活動の場さえ失った。
今でいう思想・信教の自由もなかった。 この信教の部分は 既存の仏教教団も大いに責められるべきだった。
発達段階にある少年や少女の心にこれら、天皇制や軍国主義的教育が注ぎ込まれた。 自由で何事にも闊達な心は
封じ込まれ、芸術など天真爛漫な心で花開く文化も大きく制扼を受けた。 すなわち、すり込み教育により
軍国少年・軍国少女のオンパレードだった。 北朝鮮の将軍様以上の存在が天皇であった。
軍艦にも奉安殿(室)があり、ご真影(天皇の写真)が納められ、担当士官が決められ、
その士官の命より単なる作ろうと思えば いくらでもプリントできた紙切れの写真が大切にされた。
大の大人がそれさえ不思議に思わない超神懸かり的社会であった。
2.−特攻の書籍・Webサイトの嘘(ウソ)
戦後多くの特攻に関する出版物に次のような切り口上が述べられている。
「国のために命を捧げた。かれらはわたしたちを守るべく自分の身をなげうってくれた人々である。」
そして、「日本を勝利にみちびくことを使命とした」 などである。
前半部分、現在の国民国家,主権在民の置き換えで語っている。すなわち、国=そこに住む私たちを守るとしている。
当時の兵士(国民を含む)が『国もしくは祖国』と言えば、それは「皇国(神国)=国体」と同義であり、それ以外のなにものでもなかった。
よって、特攻隊員の遺書に上層部の検閲があるという前提条件があるにせよ、 『国民を守るために敵艦に突入する』という
意味合いの遺書を一通も発見できなかったし見ていない。 よってこれは一つの虚構である。
後半、「日本を勝利にみちびくことを使命とした」も当然国体護持を使命とした。若しくは使命とさせられたがのが真の姿である。
よって彼らの遺書にみられる「皇国を守る」などは国民を守ることでなく「国体を守る」という意味以外の何ものでもない。
いわゆる、現在の価値観に置換して事象を語ってはならない。 当時の社会とその教育内容に踏み込まなかったら
皮相に過ぎる過ちを犯す。 ただ愚輩一人で彼らの遺書なるものを渉猟しただけであり、見落としもあるかもしれない。
当Webサイトを閲覧し 『国民を守るために敵艦に突入する』とした遺書を発見された方、ぜひご一報下さい。
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