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琉球王国

71NAME:2018/05/02(水) 00:11:41
 「なぜ、西古見なのか分からない」 住民の多くはこう口をそろえる。この疑問に、ある観光業者は、もともと加計呂麻(かけろま)島がクルーズ船の寄港候補地に入っていたこと、「Iターン」で都会からの移住が受け入れられていることを挙げた。その上でこう付け加えた。

 「本命は加計呂麻島ではないか。中国人観光客が西古見から加計呂麻島に入ってくる可能性は高い」 加計呂麻島は、奄美大島の南側に大島海峡をはさんで浮かぶ東西に細長い島だ。古仁屋港からフェリーで20分。複雑に入り組むリアス式海岸と透明度の高い海に囲まれ、白砂の浜辺やサンゴの石垣など、観光名所の一つだ。

同時に、奄美群島の中でも島全体が自然が作った要塞でもある。大島海峡の東シナ海側は、実久(さねく)海岸から対岸の西古見までは約2キロ、東端の安脚場(あんきゃば)から対岸までは約1キロと近く、大島海峡は、狭い出入り口に守られた内海となっている。水深が深く、東西両端で外海に接続していることから、日露戦争時、連合艦隊は薩川(さつかわ)湾に停泊して演習を重ねて出撃、バルチック艦隊と決戦したという。

 安脚場周辺には軍事施設の戦跡が多い。東郷平八郎元帥が日本海軍の演習指揮を執ったという碑が残るほか、●(=2004年新規追加人名漢字)之浦(のみのうら)には旧海軍特攻隊、第18震洋隊の格納壕跡がいくつもある。 本島側も、古仁屋高校には旧日本軍の司令部が置かれ、須手(すで)に旧海軍航空隊古仁屋基地跡、手安(てあん)に旧陸軍弾薬庫跡、阿鉄(あてつ)に旧陸軍海上挺進(ていしん)第29戦隊跡、久慈には旧海軍第44震洋隊格納壕跡-などが残り、大島海峡沿岸そのものが軍事基地で、日本防衛の重要な拠点だったことが分かる。

×   ×

 瀬戸内町議会の関係者は北海道の一部が中国資本に買い占められているという前例を挙げ、「大型クルーズ船が入ってくると、中国人観光客が増えるだけでなく、不動産を買う中国人が増える可能性がある。西古見も、加計呂麻島も危ない。チャイナタウンができるのも時間の問題だ」と危機感を強める。 実際に加計呂麻島が中国資本に狙われたことがある。 元地方議員によると、7、8年前、地元企業が、町有林を切り出してチップ工場を造るための土地を買おうとした。この事業に中国資本がかかわっていることが判明し、反対意見が出て計画は頓挫したというのだ。

対馬(長崎県)で海上自衛隊の施設周辺が韓国資本に買収された際、視察したという地方議員経験者は「地元の発展に資すればいいかもしれないが外資に買収されることの怖さも実感してほしい。安全保障上で重要な地域を蹂躙(じゅうりん)され、北海道や対馬で起きているように買収されてしまうと取り返しがつかなくなる。国家の危機につながることだ」と警告し、こう続けた。 「北海道や対馬のようにならないためにも、中国人観光客誘致の前に法整備を行い、外資による不動産買収を規制していく必要がある。まだ、買われていないからといっていると手遅れになる」

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 陸自部隊の誘致などに動いたという別の元地方議員によると、陸自の誘致と海自の拡充についてはほぼ同時並行で瀬戸内町に特別委員会を立ち上げ、町議全員が参加するかたちで走り出した。この元議員は「南西諸島海域の緊張や緊迫が続く尖閣諸島の問題などの流れもあって、奄美での防衛力強化につながったと思う」と自負している。 国防優先で戦略拠点になりうる地域に目を注ぐ防衛省と、訪日観光客数の目標を平成32(2020)年に4千万人と倍増させ、観光で地域を活気づけようとする国土交通省。政策的な乖離(かいり)もさることながら、両省で連絡調整は行われているのか。

 「安全保障面で見ると、防衛省と国交省がやっていることは逆だ。国が一つではない」(元議員) 瀬戸内町では将来の奄美を憂える声が渦巻いている。 奄美大島は今年、世界自然遺産に登録される見通しだが、その奄美で何が起ころうとしているのか。現状を報告する。(編集委員 宮本雅史、写真も)

72NAME:2018/05/12(土) 22:28:51
ネラーさん本当に知らなかったの? 元住民を傷付ける「普天間、人いなかった」発言
沖縄タイムス社
2018/05/12 07:08
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%83%8d%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%81%95%e3%82%93%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ab%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%ae%ef%bc%9f-%e5%85%83%e4%bd%8f%e6%b0%91%e3%82%92%e5%82%b7%e4%bb%98%e3%81%91%e3%82%8b%e3%80%8c%e6%99%ae%e5%a4%a9%e9%96%93%e3%80%81%e4%ba%ba%e3%81%84%e3%81%aa%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8d%e7%99%ba%e8%a8%80/ar-AAx8Ryz?ocid=iehp#page=2

◆イチから分かるニュース深掘り 普天間飛行場問題(上)

 米海兵隊トップのネラー司令官が2日の米国防総省での記者会見で「普天間飛行場の建設時(1945年)の写真を見ると、数キロ内に人は住んでいなかった。現在はフェンスまで都市地域が迫っている」と発言した。「危険になったから名護市辺野古の新基地建設を進める」という意図を持つとみられるが、明らかな誤解、デマだ。沖縄の施政権を米国が日本へ返還してから46年目の5月15日を前に、普天間飛行場問題を振り返る。(政経部・福元大輔)

◆村役場があり8800人生活

 -海兵隊のトップが『普天間飛行場は人の住んでいない所に造った』と言ったんだよね。何が誤解なの?

 「人の住んでいない所に造ったわけではないよ。普天間飛行場がある場所には戦前、当時の宜野湾村役場や宜野湾国民学校があり、南北に宜野湾並松(ジノーンナンマチ)と呼ばれた街道が走っていたんだ」

 -人は住んでいたの。

 「宜野湾市史によると、沖縄戦前年の1944年、当時の村内に22の字があり、人口は1万3635人だったんだ。飛行場はそのうちの14字にまたがる宜野湾村の中心地に建設され、その14字には8880人が生活していたよ」

 -どうして飛行場を造る必要があったのかな。

 「沖縄は航空機で本土を攻撃し、戻ってこれる距離にあり、米軍は出撃拠点として目を付けていたんだ。45年の沖縄戦で、沖縄本島に上陸した米軍は飛行場に適した宜野湾の土地を奪い、そこに2300メートルの滑走路2本と、爆弾を積むB29爆撃機の駐機場220カ所などを造る計画だったんだよ」

73NAME:2018/05/12(土) 22:40:47
◆住民は疎開や収容所にいた

 -いつできたの。

 「米軍の記録では45年6月17日に飛行場建設の任務を部隊に割り当てたんだ。日本軍の司令官が自決し、組織的戦闘が終結したとされるのは6月23日だよね。つまり人々を追い払い、戦争真っただ中に、飛行場を造り始めたことが分かるね」

 -戦争中にできたの?

 「8月23日までに約1800メートルの滑走路1本と、駐機場75カ所、誘導路などが使用可能だったんだ。戦争が終わった後も、さらに滑走路や周囲を拡張したよ」

 -住民はどうなったのかな。

 「その間、疎開したり、収容所に入れられたりしていたんだ。45年10月以降に少しずつ帰村を許されたけど、戻ってみると、自宅や畑はフェンスに囲まれていたよ。だから、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落を作り直すことを余儀なくされたんだ」

◆ふるさと追われた人の気持ち

 -ネラーさんは知らなかったのかな。

 「『人の住んでいない場所に飛行場ができた』という発言は、作家の百田尚樹さんなど、これまでもあったね。『何もないところに造ったのに周りに人が住んだ。危険だから名護市辺野古へ移設しようとしたら、反対する人がいる』と言いたいんだろうけど、実態とかけ離れているね」

 「元住民たちは『ネット情報をうのみにした幼稚な発言だ』『ふるさとを追われた人の気持ちを知らず、ばかにしている』と非難しているよ」

 -沖縄の他の米軍基地もそうなの。

 「県の資料によると、沖縄戦の前に旧日本軍が所有していた土地は540ヘクタールだったんだ。米軍が上陸後、沖縄の施政権を停止し、軍事占領した土地はその30倍に上る1万7400ヘクタール。52年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後、米軍統治下で住民の土地は強制接収され、72年に施政権が返還されるまでに沖縄の米軍基地の面積は約2万8600ヘクタールに膨らんだんだ。今は約1万8500ヘクタールに減ったけど、それでも全国の米軍専用施設面積の70・3%が沖縄に集中しているね」

 -沖縄には軍用地主が多いよね。

 「本土の米軍基地は国有地や旧日本軍跡地を利用したため、9割近くが国有地なんだ。それに対し、住民から強制的に土地を接収した沖縄では、国有地が3割ほどで、残りは民間や地方自治体の土地だよ。普天間飛行場の91%は民有地で、地主は約3400人。この数字を見ただけでも、人が住んでいなかった所に飛行場を造ったというのが間違っていることが分かるんじゃないかな」

74NAME:2022/01/28(金) 23:32:46
沖縄警察署破壊》生卵にロケット花火、壁には「しね」のラクガキも…暴徒と化した500人の少年たちが警察署を包囲 理由は「暴行”隠ぺい”疑惑」と「眼球破壊動画」「文春オンライン」特集班
2022/01/28 21:25
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8a%e6%b2%96%e7%b8%84%e8%ad%a6%e5%af%9f%e7%bd%b2%e7%a0%b4%e5%a3%8a%e3%80%8b%e7%94%9f%e5%8d%b5%e3%81%ab%e3%83%ad%e3%82%b1%e3%83%83%e3%83%88%e8%8a%b1%e7%81%ab%e3%80%81%e5%a3%81%e3%81%ab%e3%81%af%e3%80%8c%e3%81%97%e3%81%ad%e3%80%8d%e3%81%ae%e3%83%a9%e3%82%af%e3%82%ac%e3%82%ad%e3%82%82%e2%80%a6%e6%9a%b4%e5%be%92%e3%81%a8%e5%8c%96%e3%81%97%e3%81%9f500%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%b0%91%e5%b9%b4%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%8c%e8%ad%a6%e5%af%9f%e7%bd%b2%e3%82%92%e5%8c%85%e5%9b%b2-%e7%90%86%e7%94%b1%e3%81%af%e3%80%8c%e6%9a%b4%e8%a1%8c%e2%80%9d%e9%9a%a0%e3%81%ba%e3%81%84%e2%80%9d%e7%96%91%e6%83%91%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e7%9c%bc%e7%90%83%e7%a0%b4%e5%a3%8a%e5%8b%95%e7%94%bb%e3%80%8d/ar-AATeGhN

「最初は睨みあいだったのですが、どこからともなく生卵が投げられ、続いてロケット花火、爆竹、投石とどんどんエスカレートしていった。報道では『約300人が集まった』とされていますが、もっと集まっていたと思います。夜中にはテレビやSNSを見て、500人以上はいました。熱気が高まってくると、警察署の壁はスプレーで落書きされ、鉄パイプを振り回す者も現れて、窓ガラスも割れていました。若者たちは暴徒と化して、どんどんエスカレートしていきました」(近隣住民)

1月27日深夜、沖縄県の県警・沖縄署の前に多数の若者が集まり、警察署に投石をするなどの暴動事件がおきた。警察署周辺には、石や空き缶など多量のゴミが散乱し、正面玄関のガラスをはじめ、警察車両のフロントガラスも割られていた。また、署の壁には赤いスプレーで「しね」と落書きがされていた――。

暴動の発端は少年と警察官との「トラブル」

 暴動の発端は27日未明におきた、17歳の少年と警察官とのトラブルだった。地元紙社会部記者が語る。「県警によると27日の深夜1時ごろ、『複数の暴走行為がある』との通報をうけた警察官が市内路上をパトロールしていた際、バイクに乗った17歳少年と接触。少年はその際に眼球破壊と眼底骨折の重傷を負ったと県警は発表し、地元メディアも『警察と少年の接触事故が起きた』として報じました。

 報道後、少年の知人たちが『少年は警察官から警棒で殴られた』『失明するかもしれない』などとSNSに投稿。それを見た若者たちが『これはやりすぎだ』と警察署の周囲にどんどん集まったんです」 怪我をおった少年は自ら119番通報したという。少年の友人が撮影したとみられる動画には、救急隊員が介抱するなか、倒れた少年の目から多量の血がながれる様子が収められていた。 少年の知人によると、少年は暴走族ではなくコンビニにたむろしていた地元の高校生だったが、補導されるのを恐れ、逃げ出そうとしたところを警察官から警棒で暴行を受けたという。

75NAME:2022/01/28(金) 23:33:11
警察からの暴行? 接触事故? 食い違う証言

「救急車が駆けつけた際に仲間たちが動画を撮影すると、警官が『撮るな』と撮影を妨げ、スマホを地面に叩き付けたそうです。その時に警官から殴られた子もいて、その様子を収めた動画も残っている。

 警察が駆け付けた救急隊員に『事故だ』と話しているのを聞いた子どもたちが事件性を訴え、『警察の隠蔽だ』という内容をSNSに書き込みました。それが一晩で拡散されたんです。子どもたちは最初の報道が『接触事故』として扱われたのにも違和感を覚えているようです」(少年の知人の保護者)

 SNSを通じ、警察署に集まった若者は27日23時の段階で200人を超えていた。子どもに付き添われ、様子を伺いに行った前出の保護者が話す。 「ほとんどが10代の少年少女で、現場の熱気は異様なものでした。このままだと2次被害がでると思い、まずは警察官に対して『少年との間に何があったのか、集まった子どもたちに少しでいいから説明してほしい』と相談したのですが『捜査中だから』の一点張りでした。バリケードを閉めて、こちらの話に聞く耳をもたなかった。そんな警察の態度を見て若者たちもしびれを切らしたのか、私の後ろから卵がどんどん投げこまれていきました」 午前4時、暴徒と化していた若者たちは、ようやく沈静化してそれぞれの帰路についた。集まった若者の中には、未成年で翌日に学校を控えた中高生も多かったという。

「文春オンライン」が沖縄県警本部に取材を申し込んだところ「(沖縄警察)署に問い合わせてほしい」と回答。沖縄警察署からは回答は得られず、今も署の門は閉ざされ、市民が気軽に立ち寄ることができない状態だった。
 現在、沖縄署は少年と警官との接触がどのようなものであったかについては「調査中」としている。また、接触と高校生のけがの因果関係についても調べているという。

「文春オンライン」では、今回の件について、情報を募集しています。下記のメールアドレス、または「文春くん公式」ツイッターのDMまで情報をお寄せ下さい。
メールアドレス: sbdigital@bunshun.co.jp
文春くん公式ツイッター: https://twitter.com/bunshunho2386
(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))


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