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名古屋社会情報

1名古屋:2012/03/05(月) 04:53:48
気になる記事やニュースで語り合う

957名古屋:2012/04/10(火) 21:58:14
朝から晩まで韓流、韓流!ふざけんじゃない!
ここは日本国だ!
日本人で努力しても泣かず飛ばずの人はたくさんいる。整形同じ顔ばかりの出稼ぎ韓国人を売り出す必要なし!

958名古屋:2012/04/11(水) 16:30:04
リチャードコシミズめ!独立党、いや、詐欺党まで直接出向いてコテンパンに論破してやったのに、相変わらずインチキ陰謀論で稼いでやがる!恥を知れ!恥を!

リチャード・コシミズ「日本人よ!被爆して健康になれハオハオ!」


大地震が東北沖で発生、大津波が急襲し多くの人々の命を犠牲にした。
そこでガッツポーズをとっていたのは中国本土に住む大量のシナ人と、そして東京在住の非国民、輿水正であった。

そして間髪入れず福島の原発がやられ、日本全土を放射能の恐怖にさらした。
日本が嫌いなシナ人でさえ放射能ときくと、さすがに血色をかえた。しかし、そこでも両手をあげて
万歳している人間が1人だけいた。詐欺師リチャード・輿水である。

生まれて以来の親中であり、中国のサイドについて敵国日本を攻撃することに快楽を覚える正真正銘の非国民である輿水は、ブログにおいて発狂した声明を行った。完全に一線を越えたといっていいだろう。

「日本人め、もっと被爆しろへへへへへ。広島・長崎の再現だ、もっともっと放射線を浴びろハオハオアイヤ〜」

これが輿水の母国日本へ対するメッセージである。私は今までの輿水の売国発言に慣れていた為、大した驚きはなかったが、普通にこれを見聞きしたら当然の感覚として日本人なら誰しも輿水に天誅をくらわせたくなるであろう。気の短い人なら、もうすでに輿水の自宅を調べている最中かもしれない。

ワルノリした輿水は、「原爆を浴びると健康になる、それが証拠に原爆投下のおかげで爆死を免れた広島の人はみんな元気になった」などと言い出しその証拠として自分のセミナーにきた(架空の)1人の被爆者が存命であることを述べた。一人健康に生きている人がいるということは、原爆が害悪どころか健康促進剤としての効果を持つことの科学的裏づけだろ!みたか!ハオハオハオ、びびってませんが〜〜〜〜

輿水ははしゃいで口から泡をふいたまま踊りだす。もう完全に狂っているので、誰も意見はしない。同じくらい日本が嫌いで社会を逸脱したお仲間が冷ややかな笑顔をつくりながらブログの数を増やすだけである。

被爆が原因で癌や白血病などの大病に苦しみ、一生往来を闊歩することもできないまま亡くなった犠牲者、そしていまだに苦しみをかかえる生存者達。多くのドキュメンタリー映像やレポートによって記録されている凄惨な被害状況を目の当たりにしても輿水は「アウシュビッツと同じでどうせマスコミがでっちあげた偽者の被害者だ」と嘯く。避難所でいまだに暮らしのなりたたない同胞をみても、輿水の目には入らない。「逃げるから死ぬんだ、そのまま放射線くらっていれば健康になるのに」と、こうである。もう一度確認するなら、こいつは中国の大連からブログを発信しているシナ人ではない。日本が嫌いで日本を破壊したい日本人なのである。

一部には福島のラディエーション騒ぎに冷笑的な知識人がかなりいる。私のいうのは知識人であり、ネットで与太を吹くオッサンのことではない。彼ら知識人は、あまりに過剰に反応をして逃げまどう小市民にこういう。「むやみにパニックを起こさず科学的な知識を基に安全かそうでないかを冷静に計って対処しろ」と。しかしまかり間違っても「放射線は健康にいいからどんどん浴びろ」とはいわない。絶対にいわない。言ったなら、逮捕されるか、下手すると殺されているだろう。

輿水の日本破壊工作にストップがかからないのは、一重に権力が「統失者には前面スルー」を守っているからである。さもなくば、こいつの今までの発言は騒乱罪で楽々懲役をつけることができる。詐欺罪その他を付け加えるのであれば猶予なしに実刑くらうであろう。あいや〜〜〜

959名古屋:2012/04/11(水) 16:50:33
文明を蝕む者たち


これからこの世界で起きることを理解しておくために、以下の動画を見ておくことをお勧めしておく。
この一連の動画に示されていたことが、今後どう現実化していくか?
それに対して自分はどういう判断と行動を選ぶのか?
以下の動画はそのために必要なものの見方である。
もっともこの計画は最初からプランナー自身が自覚出来なかった致命的欠陥があって、
そのため最終的には頓挫し全く別の結末に置き換えられることになっている。
端的にはその致命的欠陥とは、支配する側支配される側双方において中立なる要素、すなわち技術の進歩速度が今後等比級数的に進むことに関係する。時間は彼らにももう残されていない。


THRIVE日本語

ttp://youtu.be/wRjoi5o7arc

ttp://youtu.be/S_tjcvKioBs

ttp://youtu.be/-Ls8O7jjK1A

ttp://youtu.be/yp0ZhgEYoBI

・ホピの予言
予言によれば、高い地位にいる人たちが倒され、倒した側の低い地位の者たちも同じように倒される時が来る。
その動きは強くなり、拡がり、やがて収集がつかなくなる。
こうした動きは我々の国でも起きる。
最後には、これが聖書版アルマゲドンのひきがねとなる。(ホピ版のそれにも関係する)
善と悪の決着をつける最後の戦いとなるのだ。

戦いは、ひとりの神か首長が始める。
予言者たちは「ひとつの言葉を使う」ホピの国、このオライビ村からその戦いが始まるのではないかと言う。
ここは宗教儀式や秩序のある新しい世界が始まる場所となり、また汚れた者への最後の審判が下る場所なのだ。
彼らは打ち首にされ、喋ることもなくなる。
もしこれが実現しなければ、人類、あるいは大自然によって壊滅的な災害が引き起こされることになる。
そして、新たな生命はひとりの女の子とひとりの男の子から始まる。
この予言はあまりに恐ろしいので、多くの者が聞こうとしないだろう。
ttp://hyla.jp/future.htm

960名古屋:2012/04/11(水) 16:56:17
改めて警鐘、ニューエイジ(チャネリング)にはご用心を! 

バシャール(典型的なソフト・ニューエイジ)の出版元は、たしか有名なメーソン系の会社だと鬼塚五十一氏が言っていたような。
ニューエイジの言う「アセンション」も胡散臭い話で、別にどうでもいい話だと思っています。
人によって魂のレベルや気付きのレベルが異なるということなど、メーソンの階層を臭わせます。
もし、アセンションが起こったところで因果応報、選別されるだけの話で、信じる人は何処の世界でも行けば良いと思いますよ。
今一度、ニューエイジの危険性について再認識されることをお勧めします。
(以下は、シスター・マリ・エメリー著『悪魔に愛された女』の巻末(239〜242ページ)の訳者解説からの引用です。)

 オカルト面からコメントすれば、精神世界、ニューエイジにはまっている人々も、本書から学ぶこと大であろう。
ニューエイジは、オカルト・イルミナティの再現と言っても過言ではない。
オウム事件はその典型的な例である。
彼らは星占い、生まれ変わり、自然食、密教、ヨガ、超能力開発、東洋医学、気功法、チャネリング、風水など、精神世界の「美味しい」知識を凝縮した思想で若者を入信させる一方、幹部連中は最新技術を駆使して「ハルマゲドン計画」を練り、それを実行に移そうとした。
百年、二百年のイルミナティのやり方を現代的に応用しようとしたわけだ。
 そこで、今のニューエイジは、当時の「善良なる精神論メーソン」に対比でき、その中核で「イルミナティ」にあたる、オウムその他のオカルトテロ集団を培養する役割をしているとも言えるのである。
ニューエイジを追求している人々は、自分はこの教団とは何の関係もないと思うかもしれないが、本当にそうなのかどうか、次のニューエイジ指導者たちの言葉を読んでいただきたい。
 フィンドホーンで霊的証明を受けた欧米ニューエイジ運動の指導者、デビッド・スパングラーは、その著『キリストの省察』(フィンドホーン・ブック)のなかで、ルシファー意識との合一が霊的覚醒には不可欠だ、と繰り返し説いている。
「ルシファーの真の性質は、善でも悪でもない。
彼は進化を通して活動する神の愛である」(41ページ)
「ルシファーが解放されるときに、人に内在するルシファー要素はもはや試験官ではなくなり、真の光の啓示者、光の天使、智恵の光になる」(43ページ)
「人間の完全性の時代、ニューエイジに入るときに、人は何らかの形でルシファー・イニシエーションと呼ばれる地点を通る。
ルシファーは、完全性という最後の賜物を我々に与えるために来る。
それを受ければ我々も自由になる。
それがルシファー・イニシエーションである」(44〜45ページ)
 ニューエイジの核心部分ルシファー秘伝にあることを、指導者自らが認めているのである。
このスパングラーという人物は、今や国連の「プラネタリー・イニシアティブ」代表の任にあたる。
日本のニューエイジの母と慕われているY・Aという人も、ルシエルを名乗る霊的存在から同様のことを啓示され、フィンドホーンの客となった。

961名古屋:2012/04/11(水) 16:57:21
ルシエルとは、サタンが堕落する前に天上で持っていた名前である(彼は、地獄の光を意味するルシファーよりも、この名を使うことを好むと言われている)。
それは、ルーシエル、ルキエル、ルキスとも呼ばれている。
 ニューエイジの母体組織とも言える、神智学の創設者ブラバッキーは、大作『秘密教理』のなかで度々、ルキスあるいはルシファーを礼賛する言葉を述べている。
彼女にとってルシファーキリスト教によって悪魔にされてしまった真の光の神であり、宇宙開闢のときに現れた最初の神で神であった(第1巻70ページ)。
ブラバッキーは一八七五年にこの協会を創設したが、そのとき幹部に名を連ねたのが何とアルバート・パイクだった。
実際、神智学協会の幹部は、全員メーソンだったことが明らかになっている。
 ブラバッキーの遺志を継いだのが、イギリスの神智学者のアリス・ベイリーだ。
彼女は「ルキス・トラスト」という組織を発足させ、そこから世界政府と世界宗教を実現するための計画を明らかにする、膨大なチャネリングの本を発行した。
この組織を日本語に訳せば「ルシファー企業合同」となる。
何とこの機関は、その後国連の下部組織に組み込まれている。
国連は、ルシファー秘伝の場になってしまうのだろうか。
 もう一人、欧米のニューエイジで偉大な思想家のように礼賛されている哲学者、マンリー・P・ホールがいるが、この人もルシファー秘伝主義者だ。
『フリーメーソンの失われた鍵』のなかで、彼はこう書いている。

「メーソンは、活ける力のダイナモの正しい使い方を知ってこそ、結社の奥義を知ったことになる。
そのときに、彼はルシファーの燃え盛るエネルギーを手にするのだ。
さらに高きへと踏み出す前に、彼はそのエネルギーを正しく使う能力を証明しなければならない」(48ページ)
 ここで言う「ルシファーの燃え盛るエネルギー」とは、ヨガで言うところのクンダリニー(蛇の火)である。
東洋でも、西洋でも、密教が教えるところは、この蛇の火を内に目覚めさせて霊的な光の光明を得るというものだ。
それは、オウム真理教の信者達が目指していたものである。
 ソフトニューエイジの生みの親、エドガー・ケーシーは、健康相談では優れた力を発展したが、その思想は、キリスト教の衣で覆った神智学だった。
彼も、クンダリーニを目覚めさせることをしきりに説いていた。
ケーシーの一番の財政支援者であったデーブ・カーンというユダヤ人富豪は、戦時中にロスチャイルドの右腕として働いた高位のメーソンだった。
彼は、メーソンの神殿からケーシーへの補助金が出ていたと自叙伝に記している。
ケーシー財団の建物は、一九五〇年代にフリーメーソンのバージニアビーチロッジが使っていた場所だ。
この団体がマンリー・ホールの団体と提携を結んでいるのも、まったく自然なことなのである。
 ケーシー信者たちがイルミナティの思想を受け入れていることは、アメリカで彼が張っているホームページや出版している本に、平気でイルミナティのシンボルを使っていることからも分かる。
このような動きは、先代にはなかったことだ。
今は昔とは異なり、キリスト教を装う必要がなくなったためであろう。
ケーシーを宣伝するアメリカのホームページには「事物の新秩序」の大きな文字とともに、目のついたピラミッド(1ドル札の裏に印刷されているイルミナティのシンボル)が使われている。
そして、「新世界秩序はキリストが治めるものなので恐れることはない、陰謀研究など愚かしい」とさえ書かれている。
これには本当に驚かされた。
イエズス・キリストが、反キリスト集団イルミナティの標語を使う、と彼らは本気で信じているのだろうか。
ケーシーの研究グループも、数年前に国連に所属した。
 このように、ニューエイジとメーソン、あるいはイルミナティは、密接にリンクしているのである。
しかも今や、イルミナティの計画は最終段階に入り、国連がその本拠地に変わりつつあるのだ。

962名古屋:2012/04/11(水) 17:27:40
人間は何を信じるのも 自由 


みなさまそれぞれに、何かを感じられたようで、ありがとうございます。
一言だけ、お伝えさして頂きたいと思いました。
皆様が、何を信じるのも、どんな考えでも、間違いはありません。
それは、皆様それぞれの考えであり、意見だからです。
「何かをしなきゃ」「こうしなきゃ」「こうしないといけない」こんなことはありません 。
御自分がしたいことを、思った事を、したいときに、思った時にされていいんです 。
選択の自由、自由意志、皆様はそれを許された方だからです。
宇宙の流れの中では、ほんの少しの寄り道。
すべては経験という修行です。
御自分がしたい時に、したいことを、これでいいんです。
誰かが正しい、間違っている、そんなことどちらでもいいんです。
御自分が信じたことを、信じたように、それでいいんです。
何を信じ、何を思い、何をするのもすべて自由です。
創造主、宇宙、地球、神々様は、ただただ、そんなあなたを見守っておられます。
ガイドさん、天子さん、見えても見えなくても、あなたの周りにぴったりと寄り添い ただただ見守られてます。
どんな選択をされても、どんな行動をされても、何もしなくても、そのすべてを見守って くれています。
感謝したい方が感謝して ありがとうと言いたいと思えばすればいい。
すべては、御自分の中にあります。
誰かを、何かを信じるも信じないも自由です。
誰かをしんじなさい、信じなきゃいけない、 何かをしなきゃいけない、 こんなことは、ありません。
御自分がどうしたいかが大事なんです。
信じたい人が信じ、したいことをする、それだけでいいんです。
どうしたいか、どうすればいいかは、御自分が知っています。
したくない、思えないことを無理にする必要はありません。
私がお伝えさして頂いたのは、私が教えて頂いた「道しるべ」であり、「ヒント」に過ぎませ ん。
皆様には、お一人お一人の「道しるべ」があり「ヒント」があります。
「世界に一つだけの花」あの歌詞そのものでいいんです。
誰かと比べる必要はないんです。
皆様お一人お一人が、違います、同じでなくていいのです。
すべての情報が「ヒント」「点」に過ぎない。
これは、視点を変えるだけで、見えない 見えなかったものが見えてきます、というヒントでしかありません。
それをどう見るか、見ないか、変わらないという選択もあります、それでいいんです。
「しなきゃ」「やらなきゃ」「思わなきゃ」これは違います。
御自分が、したいですか? やりたいですか? 思いたいですか? 信じたいですか? です。
その答えは、お一人お一人違うと思います。
違うのが当然とも言えます。
皆さんは、その自由を許されています。
創造主、宇宙、地球さん、神々様、天使さん、ガイドさん、ただただ見守っておられます 。
見えても見えなくても、思っても思わなくても、みなさんの自由です。
私を信用する必要もありません。
すべては、みなさんお一人お一人の「御自分」が知っているからです。
御自分の思ったように、やりたいときにやりたいように、やりたい事をする。
「今」を悔い無きよう、後悔されないよう、大事になされてください。
このことをお伝えさして頂ければと思います。
私が、お伝えさして頂けることは、これですべてお伝えさして頂きました。
お伝えさして頂いて、ありがとうございます。

963名古屋:2012/04/11(水) 18:42:35
ユダヤ・ジョーク


ユダヤの祭日の巻


ヒトラーが占星術師に自分の死ぬ日を尋ねた。
占い師は言った。
「ユダヤの祭りの日に死にます」
ユダヤの暦を見て、意外に祭日は少ないなとホッとするヒトラー。さっそく、そばにいた部下に命令した。
「祭日にはオレの護衛を100倍にしろ!」
占い師は言った。
「ご安心なさってはいけません。いつお亡くなりになっても、その日がユダヤの祭日になります」
 


はた迷惑な“妙薬”の巻


「先生、最近どうも耳が遠くなっちまって、自分の屁の音すら聞こえないんです」
「それじゃあ、この薬を2粒ずつ、1日に3回服用しなさい」
「これで耳が良くなりますか?」
「いやあ、耳には効かないが、屁の音が大きくなることは請け合いですよ」
 

つかの間の吉報の巻


ユダヤ人がナチスに圧迫されていた頃、ベルリンの街角で、2人の男が話していた。
「ところでコーンさん、2つばかりニュースがありますよ。1つは吉報、もう1つは凶報です。」
「吉報とは何ですかね?」
「ヒトラーが死んじまったんだとさ」
「そりぁあ、いい知らせだ。それで凶報とは?」
「その知らせが誤報だったんだ」
 

こぼれる涙の巻


旅説教師の説教を聞いて、すすり泣いているユダヤ人がいた。
あとで説教師がその男に聞いた。
「私の話は、そんなに感銘深いものでしたかな?」
「いえいえ、実は私のせがれが、どうしても旅説教師になるといってきかないのです。あなたの話を聞いていると、息子の将来が案じられて、思わず涙がこぼれましてね」
 

禁じられた予備行為の巻


汽車の中で、将校とユダヤ紳士が向かい合って座っていた。ユダヤ紳士がポケットから葉巻入れを取り出し、おもむろに1本抜き取り、マッチで火をつけようとしたところ、将校がやにわに立ち上がり、ユダヤ紳士のくわえている葉巻をもぎ取り、窓から放り捨てた。
ユダヤ紳士は怒って、詰問した。
「いったい、なんてことをなさるんです」
「きみ、ここは禁煙ですぞ」
「しかし、まだ火もつけていなかったじゃないですか」
「いや、予備行為をしてもいかん」
ユダヤ紳士は返す言葉もなく、2人とも黙って旅を続けた。しばらくして、将校が新聞を取り出して広げたところ、今度はユダヤ紳士が、新聞をひったくって窓から投げ捨てた。
将校は烈火のごとく怒った。
「きさま、本官に無礼をはたらくとは許さんゾ!」
ユダヤ紳士は少しも騒がずやり返した。
「ここで排泄行為は禁じられております」
「は? 本官はこんなとこで排泄行為などやりはせん!」
「予備行為だって禁止されてますよ」
 

親思いの不信心の巻


あるユダヤ人が友人とやり合っていた。
「オレ、キリスト教に改宗するよ」
「なんということをするんだ、死んだおとっつぁんが成仏できないで、墓石の下で寝返りするぞ」
「いや、その心配はないんだ。来週、オレの弟も改宗するんだ。そうしたら、おやじはまた寝返りして元どおりになるさ」

964名古屋:2012/04/11(水) 18:44:31
イスラエルが支持される
理由の巻


1967年の第三次中東戦争で徴兵されたユダヤ兵が、友人に言った。
「なんでもアラブ人たちは、俺たちを出身国へ追い返すまでは戦争をやめないと言ってるらしいぜ」
友人はうなずきながら言った。
「どうりで世界中の国が、イスラエルを支持するわけだ」
 

ありえない話の巻


イスラエルの首都で閣僚会議が開かれ、大蔵大臣がイスラエルの国際収支の大赤字を説明していた。
そのとき突然、通産大臣が動議を出した。
「アメリカ合衆国に宣戦布告してはどうでしょうか? 砲艦を一隻、ニューヨークに出動させ、砲撃させてみることです」
大蔵大臣は驚いて言った。
「そんなことをやったら、たちどころにアメリカ軍第6艦隊が派遣され、わが国の敗戦は目に見えております」
「それが狙いなのです。敗戦となれば、ドイツのように、マーシャルプランのような経済援助を享受でき、イスラエル経済の復興は望みのままになるでしょう」
今度は、国防大臣が当惑した顔で言った。
「お説は分かりますが……。しかし、万が一ですぞ、わが国が勝ってしまったら、どうするのですか?」
 

ぜいたくな不満の巻


聖地エルサレムを訪れたキリスト教徒の観光客が、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)の礼拝式を見物した後で、ユダヤ人に尋ねた。
「いかにもおごそかで結構でしたが、お祈りのとき、モーセの名前が出てくるたびに、信徒が不満げにブツブツ言っていたのはナゼでしょうか? モーセはユダヤ教の大預言者として尊敬されているはずでしょうに」
ユダヤ人は不満そうな顔をして答えた。
「いやいや、あの男の人気は最近地に落ちましてね。奴さんの案内のおかげで、我々ユダヤ人はオレンジの安い土地(パレスチナ)にはたどり着きましたけれど、本当は、ペルシャ湾近辺の石油の出る土地のほうが良かったんですよ」
 

ペーパー代の巻


ある男が公衆トイレに入った。そして用をたし終えて、さて紙を使おうとポケットに手を入れたところ、うっかり一枚の紙も持ち合わせずトイレに入ったことに気付いた。しまったと思ったが、隣で誰かが用をたしている気配がする。
そこで男はカベを叩きながら声をかけた。
「すみません。紙の持ち合わせはないでしょうか? あったら分けて欲しいのですが?」
すると隣から声がした。
「いやあー、私も一枚の紙もなくてね、困っていたところなんですよ」
男はガックリしたが、ふと一つの名案が頭に浮かんだ。そして、やおら財布を取り出して10ドル紙幣を1枚抜き取ると、隣に声をかけた。
「まことにすみませんが、10ドル札を持ってますので両替してもらえませんか?」
 

女よりも男が先につくられた
理由の巻


2人のラビ(ユダヤ教指導者)が議論をしていた。
「どうして神は最初にアダムをつくり、そして次に、女のイブをつくったのだろうか?」
「それは簡単なことだよ」と、もう1人のラビが言った。
「もし男が女の次につくられたとしたら、神は女の希望を聞かなければならなかったろう。そして女の希望を聞いていたら、何事もできなかっただろう」
 

軍法会議の巻


アメリカでは、兵士がポーカーゲームをやることを禁じているが、カトリックとプロテスタントとユダヤ教の信者である兵士が3人禁を犯したため、軍法会議にかけられた。
法廷でまず、カトリックの兵士が証言した。
「マリア様にかけても、ポーカーなどしたことがないと誓います」
次に、プロテスタントの兵士が言った。
「マルティン・ルターにかけて申し上げます。ポーカーなどやった覚えはありません」
最後に、ユダヤ人の兵士が起立して言った。
「ええと、裁判官様。あのぉ、私一人ではポーカーができるはずがありませんがぁ……」

965名古屋:2012/04/11(水) 18:50:22
魔女狩りと異端審問の歴史

■■第1章:“世界の片田舎”としてのヨーロッパ暗黒時代

●1490年代は、ヨーロッパ人にとって画期的な時期であった。イタリアン・ルネサンスが最高潮に達し、一方では、1492年以後、コロンブスなどがカリブ海の島々を発見し、新大陸への道が切り開かれたからである。
一般に、1492年から1520年代までは「大航海の時期」だといわれている。そして、この時期から輝かしいヨーロッパの時代が始まり、近代が開幕したといわれている。と同時に、この頃から世界は連動し、一体化し始めたといわれる。

●しかし残念ながら、これは誤りである。ヨーロッパは、長年(18世紀の半ばに至るまで)“世界の片田舎”の存在として、歴史の主要舞台に登場することができなかった。アメリカにいたっては、建国自体が18世紀の末である。ある種のロマンをもって語られがちなヨーロッパの中世と近世は、じつは戦争と飢餓と疫病に苦しめられ、オスマン・トルコという外部勢力の侵入におびえつづけていた時代であった。

●また、17世紀にはヨーロッパが一時衰退し、16〜17世紀はイスラム勢力が最高潮に達していた時代であった。まず第一に、オスマン・トルコが西アジア、ヨーロッパ、アフリカで領土を拡大し、栄えていたのであった。そして第二に、そのすぐ東では、シーア派のサファヴィー朝が今日のイラン領を中心に繁栄を誇っていたのであった。そして第三にムガール帝国が、今日のインド、パキスタン、バングラデッシュを支配し、更にアフガンにまたがって大いなる発展をしていたのであった。この3つのイスラムの大国が、東半球の中央部にあって栄えていたのである。

●ヨーロッパの17世紀というものは、ペスト大流行の世紀であり、農業生産が減少し、商業が不振に陥ってしまい、ヨーロッパ人にとってはみじめな時代であった。「われらをペストと飢餓と戦争から救いたまえ」という祈りの言葉は、17世紀の合言葉として、全ヨーロッパにこだましていたのである。だから、17世紀前後は、ヨーロッパの時代どころか、まさにヨーロッパの暗黒の時代であった。
学校でヨーロッパ中心史観で育った日本人の多くは、「でも、新大陸の発見から世界史は画期的な段階へ入った」とか、「これより世界の一体化が急速に進展した」と主張したいかもしれない。しかし、17世紀の新大陸は、人口がわずかに数百万人であった(当時の旧大陸の人口は約6億で、その100分の1にも達していない)。また衰退中のヨーロッパとのあいだに細々とした交通があったが、世界的にみればきわめて限定的なもので、17世紀には、ヨーロッパも新大陸も、世界の主要舞台から遠かったのである。

966名古屋:2012/04/11(水) 18:51:06

●17世紀後期から、長年続いたイスラム勢力が傾斜しはじめるが、イスラム勢力は急速には下降しなかったし、一方、次の18世紀にはいると、大清帝国が世界一の帝国となっていく。17世紀どころか、18世紀に入っても、ヨーロッパの時代はすぐには到来しなかった、と見るほうが正しいであろう。
1750年代に、当時のヨーロッパ第一の文化人とみなされていたヴォルテールは、
「地上に起こったことによって教訓を得ようとするならば、まず西洋があらゆるものをそれに負っており、かつすべての芸術の揺籃である東洋に目を向けなければならない」と記述している。
ヴォルテールは有名な中国文明崇拝者であり、当時のヨーロッパ最高の文化人であった。彼が著述したものは、すぐにヨーロッパ各国に翻訳され、各国の知識人が争って読んでいたのである。このことからも、1750年代は、まだまだ本格的なヨーロッパの時代でないことがうかがい知れるであろう。18世紀はフランス人にとって、“シナ・マニア”の世紀であり、18世紀末まで、フランス人は中国文明にコンプレックスを抱いていたのである。

●では、ヨーロッパの時代はいつから始まるのだろうか。確かにルネサンスと大航海は、世界の変化のきざしであり、ヨーロッパの歴史が新しい段階へ入ったことを意味するが、それが直ちに西洋の時代の始まりを意味するものではなかった。十字軍の遠征によって、文化の香り高いイスラム世界をかいま見、後の大航海期を経て広大な世界が存在することを知った当時のヨーロッパの人々の中に形成されていったのは、イスラム・東洋世界に対するはかり知れぬコンプレックスと、その裏返しとしての知的向上心であった。
11世紀末、イベリア半島(スペイン)のイスラムの都市トレドを占領したヨーロッパ人たちは、この地の図書館を通じ、貪欲にイスラムの学問を吸収し始めた。更には古代ギリシアのアリストテレスをはじめとする哲学、自然科学の遺産も、アラビア語からラテン語に翻訳され、逆輸入されるようになった。このようなイスラムからの学習を背景に花開いたのが、15世紀から16世紀にかけての「ルネサンス」であったのだ。

●このように、ヨーロッパは、長年“世界の片田舎”の存在として、歴史の主要舞台に登場することができなかった。西洋の時代が本格的に歴史の主要舞台に登場し始めたのは、18世紀末あたりからといえるのだ。
このような時代背景を頭に入れておけば、次の章から具体的に説明する「魔女狩り」という恐怖時代が、ヨーロッパにおいて約300年間も続いていたという、にわかに信じられない事実を認識するのに、多少困難ではなくなるだろう。

967名古屋:2012/04/11(水) 18:52:06
■■第2章:約300年間も吹き荒れた魔女狩りの狂気

●今からたった数百年前、ケプラーが惑星運動の法則を発見し、イタリアで華やかなルネサンスの文化が花開いていた時代、人間の理性がついに勝利をおさめたかに見えたその時代に、一方では誰もが「魔女」の実在を信じ、そして魔女だという嫌疑にかけられた男女が、次々と業火に焼かれていったのである。
それはキリスト教会にとっては神の力を示す場であり、また民衆にとっては不安の多い時代にあって、格好のうっぷんのはけ口となるショーであった。
このヨーロッパ中に狂気のごとく吹き荒れた「魔女狩り」の嵐は、1600年代を中心にして約300年間も続き、その中で命を落としていった男女は、30万とも300万ともいわれている。

●当時発行されたある魔女論には以下のように記され、その頃の様子を垣間見せてくれる。
「近くの国を見わたしただけでも、全ての国があの忌まわしい魔女の悲惨な害毒に感染しているのがわかります。ドイツでは魔女を焼く火刑柱を立てるのにほとんど忙殺されている有り様です。ロレーヌを旅する者は、魔女を縛り付ける刑架を幾千ともなく目にするでしょう。魔女の処刑が日常のこととなっている地域はたくさんあります。……どんな地方にも幾千幾万もの魔女が庭虫のように地上にはびこりつつあるのです。……私は全ての魔女をひと束に集めて、ただ一つの火で一度に全部を焼き殺せたらと思うのです」
(アンリ・ボゲ『魔女論』1602年)

●悪魔と結託し、あらゆる害をなすという魔女への恐怖は伝染病のごとく広がり、魔女には考えられ得る限りの残酷な行為がなされた。上の文書を見てもわかるように、魔女を焼く火の煙がのぼらない日はなく、また魔女が発見されない日もなかった。
だが、魔女として殺されていったほとんどの人々は、名もなく貧しい女たちであった。それを地位も名誉もある人々が魔女の汚名を着せ、そして憎悪をむき出しにしたまま、処刑してきたのだ。
(念のために書いておくが、魔女として殺された人間の中には男性も含まれていた。元来、魔女=ウィッチという言葉には男女の区別はない。これについては後述する)。

968名古屋:2012/04/11(水) 18:53:23
■■第3章:知識階級によって作りだされた“魔女”

●ヨーロッパを席巻した恐るべき魔女狩りの嵐。聖職者、官僚、政治家たちの理性を吹き飛ばし、何万もの無実の人々を焼き殺したこの集団的な狂気の原因はなんだったのだろうか。
その背景のひとつとして、社会不安をあげることができる。西ヨーロッパの中世末期から近世にかけて、人々はかつてない社会の変動を体験していた。そして、多くの異端運動が始まることによって教会の権威は揺らいでいき、またヨーロッパの人口の3割近くを失ったペストの流行、さらに、極度のインフレ、宗教改革運動と、打ち続く不幸に巻き込まれて、民衆の心理的不安と緊張は頂点に達していた。そして、その鬱積した不満と緊張のはけ口として選ばれたスケープゴートが“魔女”に他ならなかったのである。
魔女はその力によって嵐を呼ぶことができる。また男を性的に不能にし、畑の作物を枯らし、牛のミルクを出なくすることもできた。また赤ん坊を殺し、その肉を食らい、悪魔に生け賛として捧げる。つまり、あらゆるこの世の不幸がすべて魔女の責任に帰され、人々は本気で魔女を狩りだそうとしたのであった。

●だが、魔女狩りを扇動したのは無学な民衆ではなかった。こともあろうに一流の知識人、学識者がこぞって魔女の存在を信じ、そしてこの世の魔女を最後のひとりまで焼き尽くそうと熱情をたぎらせていたのである。魔術や妖術の存在への信仰は古今東西に見られる。しかし、ヨーロッパの知識人たちが信じた魔女のイメージはあまりにも特殊なものであった。それは、悪魔への服従、キリスト教の否定ということを前提にしているのだ。

●たとえば「魔女狩り」のマニュアルとして、絶対的な権威をもっていた『魔女の鉄槌』という文書には、明確に次のような定義が見られる。
「魔女は悪魔と契約を結び、その代償として悪魔の魔力を与えられ、超自然的なこと(嵐を呼びよせる、雨を降らせる、畑の作物を枯らす、呪いをかけるなど)ができる者」

●その定義のなかには女だけではなく、男も含まれていた。元来、魔女=ウィッチという言葉には男女の区別はないのだ(もっとも魔女として殺されたのは圧倒的に女性が多かったが)。だが、このテーゼは最初から明確なことだが、キリスト教の絶対性を前提にして成り立つもの。なぜなら、悪魔とはキリスト教の枠内における存在であり、それに従う魔女も、結局はキリスト教的な発想の産物でしかない。
当時、次々に出版された魔女論を見ると、魔女の行動や特徴の詳細がこれでもかといわんばかりに描写されているが、そのほとんどがキリスト教の儀式の一種のパロディのようなものである。つまり、魔女のイメージは当時の知識階級によって創造されたものなのである。

●もっとも、魔法を使う者、あるいはそう信じられた女たちは、ギリシアにもエジプトにも、またローマにも存在した。
ローマ時代にはすでに魔術を使って他人に害をなすことは禁じられていた。しかし、魔女はただ魔女であるという理由だけで、問答無用に処刑されることはなかったのである。この当時の魔女裁判は、宗教的な理由というよりも、単なる窃盗や殺人といった刑事事件として扱われていたのだ。中世ヨーロッパの魔女狩りの時代のように、組織的・狂信的に魔女が恐れられ、迫害されたことは一度としてなかったのである。魔女狩りが起きるまで、比較的平穏な魔女の時代は、1300年ごろまで続いていた。
例えば、9世紀、フランク王国のシャルル大帝は「魔女をむやみに焚き殺すことは殺人罪に相当する」と布告した。同じ頃フランスはリヨンの大司教アゴバールは、魔女の嫌疑を受けた人々をリンチより救ったという記録が残っている。また、1080年、教皇グレゴリウス7世は「暴風雨や災厄を魔女のせいだとするのは全く悪い習慣である」とデンマークのハーラル王に書き送っている。
更に初期の裁判例では、イングランドで飛行する魔女が目撃されて逮捕されたが、その後、無罪放免になっている。その理由は「だれにも迷惑をかけていないから。空を飛ぶこと自体は、法律では禁じられていない」というものであった。

●それが、1300年、つまり14世紀に入るや、魔女は即、死刑の有無をいわせぬ判決が下るようになる。魔女に対する厳しい批判は、16世紀の神学者ジョージ・ギフォードの次の言葉に集約されている。
「魔女は死刑にすべきである。殺人を犯したからではなく、悪魔と結託したがゆえに」
一体、いつからこのような変化が訪れたのだろうか。それを知るためには、「異端審問制度」の成立という魔女狩りの前史から語らねばならない。

969名古屋:2012/04/11(水) 18:54:37
■■第4章:「異端審問制度」による異端派迫害から「魔女狩り」への移行

●13世紀、全ヨーロッパはローマ教皇を君主とし、教皇庁を政府とする世界国家として統一されていた。カトリック教会はかつて西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマンの蛮族すらも教化し、教会の威光ははるか東方にまで及ぼうとしていたのだ。
しかし、広がりすぎた権力は常にその内部に腐敗を生むものである。聖職者の堕落は次第に目に余るものとなっていった。僧侶が愛人を持ち、霊の救済は売買され、ザンゲ室は連れ込み宿同然に、尼僧院は淫売宿になっていった。
こうした堕落に耐えられなくなって反抗ののろしをあげたのが、教会や聖職者に金銭を吸い上げられた豪商や、リベラルな思想を持つ貴族たちであった。教会大改革の火の手は、まず当時のヨーロッパにおいて最高の文化水準を誇る南フランスからあがった

●この頃、ユダヤ人が公職についたり、自由な集会がもてたのはヨーロッパでも南フランスのみであった。南仏ラングドッグ地方には改革派の人々が最も多く結集し、彼らは「カタリ派(別名アルビジョワ派)」と呼ばれた。
1198年に即位した教皇インノケンティウス3世は、この「カタリ派」の徹底的潰滅を命じた。カタリ派遺滅の命を受けたのが第4回十字軍に参加した騎士たちであったため、この討伐軍は「アルビジョワ十字軍」とよばれた。彼らは約40年にもわたって討伐を続け、南仏ラングドック地方の大勢の市民を殺した。カタリ派だけでなく南フランスの大半の人々も犠牲となり、アルビジョワ十字軍は老若男女の区別なく100万人もの一般市民を虐殺したのである。

●更にこの頃、ヨーロッパにはそれまでの形骸化した教会に対して、異議を唱える宗教集団が乱立していた。神秘主義的なカルトが活発な活動をし始めたのである。こうした動きに、カトリック教会も黙ってはいなかった。教皇は修道会を結成し、カトリック内部の改革・粛清を急ぐ一方で、外部の異端弾圧に全力を注ぎはじめたのである。(ローマ教会より見た場合、教会を否定するキリスト教諸派は全てが異端となる)。
1229年に即位した教皇グレゴリウス9世は、異端者を恒久的に撲滅しつづける組織の必要性を痛感し、1233年、異端派迫害のプロ組織「異端審問官」を制度化した。これは、異端の疑いのある人間を裁判にかけ、ときには軍事的な力をもって制圧するという強硬な制度である。
更に歴代教皇の中でも最も狂気じみていたヨハネス22世は、1318年、異端者と魔女を同一視し、全ての宗派の異端審問官に対して「いつでも、どこでも裁判を行ない、判決する権利を与える」と言明した。更にあるゆる魔女は異端者として処分し、財産を没収するよう命じた。

●異端審問官たちは、その食欲さと変質的な性的興奮とをもって、異端者、魔女、ユダヤ人、あるいは珍しい病気に冒された人々を不当に捕らえ、拷問を加え、焼き殺し、全財産を没収して私腹を肥やしていった。
ある異端審問官は、正統か異端か疑わしい者がいたときに、どのようにしたらいいのかという問いに、こう答えている。
「みんな殺せ! なぜなら、その判別はあの世で神がなしたもうからだ!」と。

このように、絶大な権力を誇る教皇の直接管轄にある異端審問組織には、拷問も含めてその目的のためとあらば、ほとんど全てのことが許された。それは、もはや殺戮活動とも呼べるほどの残虐な行為であった。

●ヨーロッパ中に整備された徹底的な異端審問の制度。それが魔女狩り時代の到来を招き寄せたのである。こうして、正統的なキリスト教を否定する者=異端者という連想から、いつしか異端的行為と魔女のイメージが重なり合うようになっていった。そして、魔女であることは最大の異端であり、救い難い罪と見なされるまでになる。
異端審問の対象は、意識的にカトリックに異を唱える宗教者から始まり、やがて本人にもまったく身に覚えのない“魔女”容疑者に移っていった。殺戮は無制限に行なわれ、暗黒の時代の幕が切って落とされたのである。

970名古屋:2012/04/11(水) 18:55:31
■■第5章:『魔女の鉄槌』の刊行が魔女狩りに拍車をかけた

●15世紀に入ると、魔女狩りは一気にその勢いを強める。その決定打になったのが『魔女の鉄槌』の刊行である。これは、ドミニコ会の異端審問官、ヤーコプ・シュプレンゲルとハインリヒ・インスティトリス(別名クレーマー)の2人が、時の教皇インノケンティウス8世の認可を得て、1485年に出版した魔女裁判のマニュアルである。
発刊されるとまたたく間にベストセラーになった(ドイツで16版、フランスで11版など)。この書は、「およそ人間が綴った本のなかで、これほどの苦痛を生みだしたものはない」といわれるほどの弊害をヨーロッパ全土に及ぼしたのである。
魔女の特徴から発見法、拷問の仕方にいたるまで、事細かに指示された膨大なこの書(ドイツ語版はペーパーバックで1000ページ近い分量もある)は、「魔女は生かしておいてはならない」という聖書の一節をよりどころに、徹底的な魔女攻撃を行なった、3部構成からなる書物である。

●第1部は、魔女が実在し、しかもそれが恐るべき異端であることの神学的論証。第2部は、魔女たちがどのように魔術を用いて、人々に危害を加えてくるかという内容。そして第3部には、魔女裁判の方法について書かれている。
その内容の中には、たとえば被告人はすべての衣服をはぎとられ、魔術の道具を隠していないかを徹底的に探られる。そして自白を求められ、被告人が自白しそうになければ、縄で縛って拷問にかける準備をせよ、というような具体的なものまでが含まれていた。
 
●この『魔女の鉄槌』が登場したことによって「魔女とは異端の中でも最も極悪であり、悪魔的な異端であるため、それを撲滅しなければならない」という、法的・神学的根拠が成立したのだった。
また、このころ処刑されたヨーロッパ中の魔女が、皆似たような自白を行なっているのは、ほとんどがこの書をよりどころにして魔女裁判が行なわれたという理由によるものである。だが、魔女たちの自白が似ているというこの事実が、逆にますます魔女に対する妄想を深めていき、恐怖の時代が300年もの長きにわたって続いていったことの原因の一端となったのは、実に皮肉なことである。
 
人々は戦慄したに違いない。どの魔女もサバトや空中飛行を認めているからには、やはり魔女は実在しているのだと……。当時の最新のメディアである印刷術によって、『魔女の鉄槌』自身がありもしない魔女への恐怖と、人々の妄想をますます広げていったのである。

971名古屋:2012/04/11(水) 18:56:28
■■第6章:単なる噂や密告、自白が証拠とされた魔女裁判

●カトリックの異端審問の延長として始まった魔女裁判であるが、しかし、その内容は文字どおり暗黒裁判であった。どのような残忍な拷問も、どのような非道な手続きも、魔女裁判では認められていた。
信じがたいことだが、誰それが魔女だという噂が立てば、それだけで当時は有力な証拠として扱われた。また審問官は熱心に密告を推奨した。魔女である可能性を持つ人間がいるのに、それを黙認していることはそれだけで、間接的な異端とされた。密告や証言は、たとえそれが幼児、子供のものでも採用された。イギリスのある魔女裁判では、6歳から9歳までの幼い子供たちの証言が、証拠として採用されていた。
こうして世間の噂、密告などによって逮捕された容疑者たちは、その後自白を迫られることになる。魔術を使った物的証拠をあげることはほとんどできないために、自白こそが魔女であることの最大の証拠として採用されたからである。

●例えば、16世紀半ばのスペインで、エルヴィラという女性が拷問にかけられたときの会話が記録として残っている。それによれば、
 
 
──エルヴィラは両腕を縛られ、締め付けられていた。響く悲鳴。
その中で尋問は続く。
 
「裁判官様、何を言ったらいいのか教えてください。……私がどんなことをしたのか、私には全く身に覚えがありません。分からないのです……」
 
「カトリックに背くことをしたであろう、おまえがしたことを詳しく言え」と裁判官。
 
「何を申し上げてよいのか……。ああ、許してください。そうです。いたしました。なんでもいたしました。ですから、縄を緩めてください……でないと、腕が折れてしまいます……お願い……」
 
 
こうしたことが、日常茶飯事に行なわれていたのだ。そして、魔女と決まった者は例外なく処刑された。『魔女の鉄槌』には、たとえ魔女が罪を認めて悔悟しても、処刑すべしと書かれている。しかもその多くは生きながらの火あぶりという、これ以上ないほどの残酷な扱いを受けたのであった。

●また、魔女狩り最盛期には、魔女の発見を商売にする「魔女発見業者」も登場した。悪名高いイギリスのマシュー・ホプキンズは、イギリスを中心に魔女を大量に告発し、魔女告発1件ごに4ポンドから26ポンドの金を得ていた。労働者の平均日当がわずか6ペンスの時代にだ。
このように恐怖と金銭的利益が相まって、魔女狩りの嵐はますます激しくなっていったのである。

972名古屋:2012/04/11(水) 18:57:38
■■第7章:悪夢に終止符を打ったアメリカの「セイラムの魔女裁判」

●魔女の忌まわしい歴史は、17世紀末になってようやくその幕を閉じようとしていた。人々の間に少しずつであったが、理性がよみがえり、魔女に対する妄想から脱却しようとしていたのである。しかし、嵐は過ぎ去ったわけではなく、暗黒の歴史の上でその最後の炎が燃え上がったのは、皮肉なことに自由の国アメリカにおいてであった。

●なお、魔女狩りはなにもカトリック教会の専売特許ではない。この章で述べる「セイラムの魔女裁判」事件は、プロテスタント側が無実な人々を迫害した事件である。
また、この事件で中心的な役割を果たした人物は、知事であり名士であったコットン・メイザーという男だが、彼はアメリカから選ばれた最初のロンドン王立学会会員でもあった。このような、近代的思考を持つ科学者として国際的に認められた人物が、アメリカ版の魔女狩りの牽引車であったのは、まことに皮肉というほかはない。

●1692年のある日、現在のマサチューセッツ州のセイラムで、9歳と11歳の2人の少女が神経症的な症状を示した。そのきっかけは実にたわいのない占い遊びだったという。 彼らの家で使われていた黒人奴隷の女性が、寝物語に聞かせたブードゥー教の占いや魔法の世界に魅了されていた子供たちは、コックリさんに似た占いを試したのである。
 
感受性の強い子供が占いゲームに深入りした場合、まれに精神が不安定になることは珍しくない。少女たちの目はそのうちに虚ろになり、奇妙な振る舞いをするようになった。驚いた娘の父サミュエル・パリスは、子供たちの異変は魔女の呪いのせいだと信じた。やがて、わずか9歳の少女の証言に基づいて魔女狩りが始められ、ヨーロッパと同じような残酷な尋問が展開されることとなったのである。
 
●知事であり名士であったコットン・メイザーの強力な後押しも受けて、魔女狩りは次々に展開される。共犯者を語らせるというヨーロッパ式のやり方も導入されたため、3人の被告から始まった魔女裁判は、わずか半年ほどの間に200名の容疑者を数えるまでになった。そして、そのうち30名が死刑を宣告された。19名が絞首刑となり、1名が圧死、2名が獄死した。逃げたのが1名で、妊娠のため死刑延期になって助かったのが2名。そして死刑宣告を受けたものの、後に自白して助かったのが5名だった。

●だが、セイラムの魔女裁判がヨーロッパのそれと大きく異なっていたのは、世論の側が横暴で理不尽な魔女裁判を大いに批判するようになったことだった。
メイザーの父親本人もこう言っている。
「ひとりの無実の者を殺すくらいなら、10人の魔女を取り逃がすほうがましだ」と。
ようやく、正気を取り戻した裁判官たちは自分たちの誤りを認めて、全ての判決を破棄した。
「われわれが不当に傷つけた人々に許しを乞い、二度とこのようなことを起こさないことを全世界に言明する」
これがアメリカの最後の、しかし最悪の魔女裁判であった。

●しかし、この「セイラムの魔女裁判」によって、世界からすぐさま魔女狩りが消えたわけではなかった。近代的な合理主義の台頭もあいまって徐々に魔女狩りの狂気は萎縮していったのだが、スペイン、スイス、イタリア、ポーランドなどでは、もう時代が19世紀に入ろうとしている時期まで魔女狩りが行なわれていたのであった……。
以下は、ヨーロッパ諸国の「最後の魔女裁判記録」である。
 
1717年 イギリス
1722年 スコットランド
1745年 フランス
1775年 ドイツ
1781年 スペイン
1782年 スイス
1791年 イタリア
1793年 ポーランド

こうして、30万人とも300万人ともいわれる魔女狩りの犠牲者が、やっとその数を増やすことがなくなったとき、教会の権威が失墜する時代がやってきたのであった。ちなみに、異端裁判所は1903年まで設立されていた。

973名古屋:2012/04/11(水) 19:00:14
ナチスとバチカン

〜 教皇ピウス12世の沈黙 〜

■■第1章:はじめに

●1933年、ヒトラーが政権を取ったとき、意外にも国際的に高い評価が下されていた。
 
「ドイツ政府元首ヒトラーが共産主義ならびに虚無主義とあくまで戦う決意の人であることを認め、喜びにたえない」
(ローマ教皇ピウス11世)
 
「ヒトラーの成功はボルシェビズムに対する防衛の強化である」
(イギリス『デイリー・メール』)
 
「結局、ヒトラーの善意は保証できる」
(アメリカ『ニューヨーク・タイムズ』)
 

アメリカの雑誌『タイム』は、
1923年に創刊したアメリカの週刊誌であり、
世界初の「ニュース雑誌」としても知られている。

この雑誌が毎年決定する「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の
 第12回目の受賞者はヒトラーだった(1938年)。
 
●こうした評価の裏には、当然理由があった。ヒトラー政権の誕生を国際的にも認知し、陰から後押ししたのがバチカンであり、またヒトラー政権は、米英仏の世界体制の中で、反共主義でソ連を敵とすることが期待されていたからだ。

974名古屋:2012/04/11(水) 19:01:34
■■第2章:教皇ピウス12世

●キリスト教会は「ユダヤ人がイエス・キリストを殺害した」として、「神殺し」の汚名をユダヤ人に着せてきた。そしてキリスト教誕生以来、ユダヤ人はキリスト教徒からの激しい迫害にさらされてきた。
中世ヨーロッパでのゲットー(ユダヤ人集団隔離居住区)、異端審問、強制改宗など過去のユダヤ人迫害の元となった反ユダヤ感情は、カトリック教会などキリスト教会によるところが大きいとされる。そしてそれは、大量の犠牲者を出したナチス・ドイツのホロコーストに対して、バチカンが積極的な反対行動を取らず、当時の教皇ピウス12世が「ホロコーストに目をつぶった」ことへの反発というかたちで尾を引いている。

●元検事総長代理で正統派ラビ(ユダヤ教指導者)のナフム・ラコーバー師は「ただ『するな』それを言うだけでよかった。それだけで数十万、恐らく数百万のユダヤ人が死を免れただろう」と、ピウス12世の責任を追及する。
このピウス12世の対応によりホロコーストの犠牲者が増えたと多くのユダヤ人は考えている。
 

ホロコーストを黙殺したとして
非難されている教皇ピウス12世

「ヒトラーの教皇」とまで言われている
 
●つい最近、バチカンは、カトリック教会がナチスドイツによるホロコーストからユダヤ人を救えなかったことを遺憾とする文書を発表した。
「われわれは忘れない、ホロコーストへの反省」と題された文書は、過去の反ユダヤ主義に対する謝罪を含んでいたものの、当時のローマ教皇ピウス12世を擁護した部分もあり、イスラエルのユダヤ教徒指導者からは反発の声が上がった。

975名古屋:2012/04/11(水) 19:04:50
■■第3章:ナチスとバチカンの間に結ばれた「政教条約」

●全世界に10億人という信者を持つローマ・カトリックの総本山バチカン──。
バチカンとヒトラーが結びついた要因は複数ある。
まず1つは、ともにキリスト教世界が抱き続けた反ユダヤ主義を共有していたという点が挙げられる。ヒトラーが唱えた反ユダヤ主義というものは、ナチスの専売特許ではないし、突然ヨーロッパに吹き荒れたものでもない。反ユダヤ主義はキリスト教界が作り出した2000年来の西欧文明のシンボルであった。
 
 
キリスト教社会において、
ユダヤ人は「イエスを殺害した民族」
という偏見から、抑圧対象とされた。

「ゲットー」は16世紀にベネチアに初めて設置
されたもので、ローマ教皇パウルス4世がユダヤ人
にゲットーへの居住を強制すると、またたくまに世界
各地へ広まり、その後、約300年間も存続した。

各地の「ゲットー」には2つ以上の門を設けることが禁止
され、高い塀で囲まれ、門の扉は外から閉ざされたうえ、
施錠され、鍵はキリスト教徒門衛が保管していた。

ゲットー内ではシナゴーグ(ユダヤ教会堂)や学校が設置され、
ユダヤ人の高い教育水準と宗教文化が保たれることになったが、
ユダヤ人に対する差別政策は完全に制度化してしまったのである。

 
イギリスが誇る天才劇作家
ウィリアム・シェークスピア
(1564〜1616年)

『ヴェニスの商人』は1597年頃に書かれた戯曲である。
シェイクスピアの作品のなかでは「喜劇」のカテゴリーに
入っているが、驚くほどユダヤ人を差別している表現が多く、
「反ユダヤ感情」を煽る内容になっている。しかし当時の
芝居ではこういうユダヤ人の扱いは自然だった。
──追加情報──
 
キリスト教徒によって、ゲットーの中で隔離生活を送り、
ユダヤ人を示す「赤い帽子」をかぶる金貸し業者の
シャイロック(映画『ヴェニスの商人』)
 
●先にも触れたが、一般にキリスト教会はユダヤ人に対し、「キリストを裏切り、永遠に国家を持てずにさまようように罰せられた民族の運命に、宗教的理由からいっても同情するのは筋違いだ」とし、バチカンもプロテスタントも反ユダヤ的であった。
キリスト教という宗教的な厚い土壌があったからこそ、ヒトラーの反ユダヤ主義は、枯れ野に火を放ったように爆発的に広がり、根づいていったのである。
 
 
●しかし、カトリック教会(バチカン)は最初からナチスを支持していたわけではなかった。当時、両者はお互い一定の距離を保ちながら牽制しあっていたのも事実である。
1918年から1932年までの間、ヒトラーが政権を取るまで、カトリック政党の「ドイツ中央党」は、全ての内閣で重きをなしていた。当時のドイツのカトリック教徒は人口の約3分の1を占めており、ドイツの司教たちは、信者たちに「ドイツ中央党」を選ぶようにすすめ、ドイツ・カトリック司教団の司教たちは党の役職についていた。
まだこの頃は、弱小であった「ナチ党」ではあるが、「ドイツ中央党」のライバルにあたるので、この時のドイツ・カトリック司教団は、ナチ党員にはカトリック教会の秘蹟を授けてはならないと決定するなど、反ナチス的であったのだ。

976名古屋:2012/04/11(水) 19:05:24

●しかし、1931年にローマで出された回勅『クワドラジェシモ・アンノ』で説かれた職能団体の有機体国家思想がドイツに大きな影響を与えていた。このナチスばりの国家論に感銘を受けたのはカトリック教徒で、1932年6月に首相になったフランツ・フォン・パーペンだった。
これを機にカトリックとナチズムは接近し始め、1933年1月にヒトラーが首相になった背景には、このパーペンの助けがあったとされる。そして2ヶ月後の3月に、バチカンの教皇ピウス11世は枢機卿会議で、ヒトラー政権を認める見解を表明。同じ日に、ドイツのカトック政党「ドイツ中央党」は、悪名高い「授権法法案」に賛成し、ワイマール憲法は無力化。そして数日後、ドイツ・カトリック司教団は、それまでナチスのメンバーになることをカトリック教徒に禁じていた指示を撤回したのであった。
 

フランツ・フォン・パーペン

カトリック政党の「ドイツ中央党」の党首で、
1932年6月にドイツ首相となる。1933年1月に
ヒトラー内閣を成立させ、副首相に就任した。
 
●こうして、カトリック教徒という最大の支持層を獲得したナチスは、労働組合禁止(5月)、社会民主党の活動禁止(6月)、ナチスを除く全政党の解散(6月)、新政党禁止令(7月)と驚くべきスピードで独裁を完成させる。
更にこの年の7月20日、ナチスとバチカンの間に歴史的な「政教条約(コンコルダート)」が結ばれた。これにより、ナチスは国内のカトリック教徒を弾圧しないことを保証し、カトリック教会側は、聖職者と宗教を政治と分離することに同意。そしてバチカンは、ナチス政権をドイツのために祝福するとともに、聖職者たちにナチス政権に忠誠を誓うことを命じたのである。
ヒトラーにとってバチカンとの間で「政教条約」を結ぶことは、国際的にもナチスの評価を高める政治的な大成功となったのである。
 
●条約成立2日後の7月22日、ヒトラーはナチ党宛の書簡において、次のように述べている。
「バチカンが新しいドイツ(ナチ体制)と条約を結ぶということは、カトリック教会による国家社会主義国家(ナチ政権)の承認を意味する。この条約によって、ナチズムが反宗教的であるという主張がまさに偽りであることが全世界の前に明らかになったのである。」

977名古屋:2012/04/11(水) 19:11:19
■■第4章:第二次世界大戦の勃発とソ連侵攻

●このように、ヒトラー政権の誕生を国際的にも認知し、陰から後押ししたのはバチカンであった。
バチカンは、国際社会の中でナチ政権を公認した最初の国家となった。

●しかし、ヒトラーはバチカンとの間で結ばれた「政教条約」をいい加減にしか守らなかった。
1936年のベルリン・オリンピックの年になると、カトリック教会の青年運動・労働運動を禁止してしまったのである。更に党のイデオロギー面での責任者アルフレート・ローゼンベルクの指揮のもとに、本格的なカトリック教徒狩りが始まった。
 

アルフレート・ローゼンベルク

彼は初期の頃からヒトラーの傍らにあって
思想的影響を与え、側近として重きをなした
 
●このナチスの動きに対して教皇ピウス11世は、1937年に2つの重大な回勅を相次いで出した。
1つは『ディヴィニ・レデムプトリス』(天主たる贖い主)で、これは無神論共産主義に対する有罪宣告である。そしてもう1つが、『ミット・ブレンダー・ゾルゲ』(身を焼かれる憂いをもって)である。
後者は、ドイツにおけるカトリック教会の悲惨な状況を述べ、ナチスを“新興異教”として非難するものであった。とくに人種・民族・国家の神聖化は最もひどい異端への退行であるとし、さらにゲルマン民族主義的、ドイツ風キリスト教の信仰表象はすべてが野蛮な邪説であると断定したのである。
 
ナチスドイツはこの回勅に対し、弾圧を強めて応じた。回勅を印刷したドイツ国内の印刷所は没収され、聖職者および修道士はつぎつぎに裁判にかけられ、高位の聖職者は強制収容所に投げこまれたのである。
 
 
●しかし、ヒトラーとバチカンの対立は、第二次世界大戦が始まるとともに中断された。
1941年6月、ナチス・ドイツがソ連に侵攻すると、教皇ピウス12世はこれを全面的に支持はしないものの「キリスト教文化の基盤をまもる高潔で勇気ある行為」と論評した。(バチカンの教皇は1939年3月にピウス11世から12世に代わっていた)。
ドイツのカトリック教会ではこの侵略を「ヨーロッパ十字軍」として支持するものまで現われたのであった。
 

1941年6月に始まったヒトラーのソ連侵攻作戦

教皇ピウス12世はこれを全面的に支持はしないものの
「キリスト教文化の基盤をまもる高潔で勇気ある行為」と論評した
 
●ところで、エバ・ブラウン(自殺直前にヒトラーと結婚)は、1942年冬に書いた日記に、次のような興味深い記述を残している。この日記の内容から、ヒトラーやナチ幹部たちがバチカンの問題について、それぞれ個人的にどのように考えていたかが分かる。
簡単に紹介しておきたい。
 
「あの人(ヒトラー)は、あのときはまさに烈火のごとく怒った。
あれはローゼンベルク(1941年に東方占領地域相)相手にカトリック教会の問題について話していたときだった。ローゼンベルクが『カトリック教会の聖職者たちを牢獄に送り、ローマ教皇を幽閉すべきではないでしょうか?』と進言したとたん、あの人は『おまえは教皇の座を狙っているのか』と言って、突然怒りだした。何の前触れもなかった。本当に激しかった。
『おまえのような男が東方地域を担当するから、経済が悪化するのだ。おまえは敗戦から何を学んだのだ』と叱りつけた。
ローゼンベルクは青ざめていた。一言も発しなかった。
あの人の怒りはおさまらなかった。
『ゲーリングはバチカンヘの爆撃を言い出し、おまえは教皇の逮捕を言い出す。なんとも役に立たない連中ばかりそろっている!』とののしった。
ローゼンベルクが『総統…』と言って口をはさもうとすると、あの人は『いま必要なことは教会を排撃することではなく、争わずして従わせることだ。今後、教会の問題はヒムラー(SS長官)に任せる。聖職者を監視下におき、必要とあらば監禁する。あるいは利用する』と言った。あの人の怒りは、本当に激しい怒りだった。」 (エバ・ブラウンの日記/1942年冬)
 
●また、ヒトラーはソ連とボルシェビズムをひどく嫌っており、死の直前まで次のように述べていたという。
「イギリスはドイツを攻撃しドイツの破滅をはかっている。自分はボルシェビズムの最後の防衛壁である。もし自分がいなかったら、誰がボルシェビズムの脅威を防ぎ、ヨーロッパの文化を守ることができるか。イギリスは必ず後悔するだろう。」

※ ヒトラーは「ロシア革命」を「ユダヤ・ボルシェビキ」による革命だとみなしていた。

978名古屋:2012/04/11(水) 19:13:27
■■第5章:バチカンでは「反共主義」が反ナチス・反ファシズムより優先された

●キリスト教を公然と迫害し、宗教を抹殺しようとする共産主義──。
この共産主義との闘い(反共主義)。これが反ユダヤ主義に次いでバチカンとヒトラーが結びついた第2の要因である。
バチカンでは反共主義が、反ナチス・反ファシズムより優先されたのである。
 
 
教皇ピウス12世
 
●もっともバチカンがナチスに近づいたのは、ナチス支配地域下のカトリック聖職者がユダヤ人と同じ運命にみまわれるのを憂慮したからだ、という弁解も成り立つ。バチカン自体が破壊される恐れも十分にあった。しかし権謀術数の府の最高の権威者ということを考えれば、教皇は“ナチス新興異教”よりも、ボルシェビキ無神論共産主義のほうが遥かに危険で有罪だとみなしていたにちがいない。
 
 
ソ連のヨシフ・スターリン

※ ローマ教皇が最後までヨーロッパ最大の
危険とみていたのは、“ナチス新興異教”よりも
ソ連の「無神論共産主義」だったと思われる
 
●このことに関して、教会史に詳しいK・V・アーレティンは、著書『カトリシズム・教皇と近代世界』の中で次のように語っている。
「教皇はナチスのユダヤ人迫害に抗議しても意味がなかったし、むしろそれによってドイツのカトリック教徒をさらに苦しい立場に追いやると考えていた。外交官出身の教皇は、そのような抗議によって教皇庁の中立性が失われることも恐れていた。保守的な教皇ピウス11世が、最後までヨーロッパ最大の危険とみていたのはソ連の共産主義であり、外交交渉による西欧での和平の確立によって東欧が共産主義化しないようにできると考えていた。したがって彼はナチス・ドイツとの外交関係が断絶されないように全力を尽くしたのである。」



●もちろん、第二次世界大戦中、カトリック教徒全員がナチスに無批判だったわけではなかった。ユダヤ人を救助したカトリック聖職者は多くいた。彼らの必死の救助活動のおかげで助かったユダヤ人はいっぱいいる。
が、しかしバチカンの上級幹部は公然とナチスを非難することはなかったのである。
『ユダヤ教民族史』の筆者S・エティンガーは「カトリック教会と大虐殺」について次のように語っている。
「指導者の一部を含み、諸国の修道院において、カトリック聖職者は相当数の人々がユダヤ人を救助した。一般的にいってこの分野におけるナチスの政策に抵抗した人々は、カトリック教会の下級聖職者に集中しており、救助活動は個人的であった。これと対照的に上級聖職者は沈黙を守り、このレベルにおいてユダヤ人全体のために介入しようという試みはほとんどなされなかった。教皇庁の態度はよく知らされている。すなわちこの時期を通じてユダヤ人壊滅に対して、教皇庁は何の反応も示さなかった。」



●ちなみにヒトラーは、ナチス・ドイツ軍によるソ侵攻作戦のことを、「バルバロッサ作戦」と名付けていた。
第3回十字軍を率いた神聖ローマ皇帝バルバロッサ(フリードリヒ1世)の姿に、ヒトラーは共産主義という「異教徒」に対する自分の姿を重ねあわせていたのであろうか。

979名古屋:2012/04/11(水) 19:47:41
在日韓国人+キリスト教会=反日左翼の拠点


日本のキリスト教会は反日組織に汚染されている


・日本キリスト教協議会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日外国人の人権委員会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国基督総会全国青年協議会(全協)新宿区西早稲田2-3-18
・平和を実現するキリスト者ネット 新宿区西早稲田2-3-18
・キリスト者女性のネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・女たちの戦争と平和資料館 新宿区西早稲田2-3-18
・戦時性暴力問題連絡協議会 新宿区西早稲田2-3-18
・キリスト教アジア資料センター 新宿区西早稲田2-3-18
・難民・移住労働者問題キリスト教連絡会<難キ連> 新宿区西早稲田2-3-18
・石原やめろネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・歴史歪曲を許さない!アジア連帯緊急集会事務局 新宿区西早稲田2-3-18
・国際協力NGOセンター(JANIC) 新宿区西早稲田2-3-18
・日本キリスト教海外医療協力会(JOCS) 新宿区西早稲田2-3-18
・アジアキリスト教教育基金 新宿区西早稲田2-3-18
・財団法人日本クリスチャンアカデミー 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国人問題研究所 新宿区西早稲田2-3-18
・在日本大韓基督教会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国基督総会全国青年協議会(全協)   新宿区西早稲田2-3-18
・外登法問題と取り組む全国キリスト教連     新宿区西早稲田2-3-18
・外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク(代表:田中 宏) 新宿区西早稲田2-3-18
・宗教法人日本バプテスト同盟             新宿区西早稲田2-3-18
・株式会社アバコクリエイティブスタジオ      新宿区西早稲田2-3-18
・移住労働者と連帯する全国ネットワーク     新宿区西早稲田2-3-18


日本キリスト教協議会(NCC)のHPより

第38総会期 新役員でスタート
投稿日時: 2012-04-04 13:26:56

NCC 第38総会期が新役員を迎えてスタートしました。
3月26日(月)27日(火)の2日間、日本聖公会アンデレ教会(東京都港区)で総会が開かれました。今総会期では、役員が全員入れ替わり、新しい顔ぶれでのスタートとなりました。新役員は以下のとおりです。

議長:小橋孝一(日本基督教団常議員、新島教会牧師)、
副議長:吉高叶(日本バプテスト連盟栗ヶ沢バプテスト教会牧師)、渡部信(日本聖書協会) 
書記:有住航(日本YMCA同盟)、平岡仁子(日本福音ルーテル教会)
総幹事:網中彰子(日本基督教団牧師)

第38総会期のテーマは「共に歩み続ける、イエスキリストに従って(マルコ1:17)」。
活動方針は、聖書の御言葉を基盤として、これまでの活動を継続発展させるものです。
1)世界のエキュメニカル運動の中で、世界教会協議会(WCC)アジアキリスト教協議会(CCA)との連携を引き続き強める。
2)国内においては教会間の一致と対話と協力を推進し、活動を行っていく。具体的に取り組む課題として、平和と憲法9条、東アジアの和解と平和、人権、信教の自由、核のない世界への取り組み、東日本大震災の震災対策、が挙げられる。

役員の中には韓国系と思われる名前もチラホラ。サイトのメニューの中には同和問題についてのリンクもある。活動方針を読んでみると、キリスト教は単なる隠れ蓑で、実質は反日左翼の圧力団体であることが把握できる。憲法9条などの思想活動の方が東日本大震災の震災対策より優先されているのが失笑を誘う。

980名古屋:2012/04/11(水) 19:48:28
東京では桜が満開の季節だが、この土日に花見に出かけた人も少なくはないだろう。桜並木に咲き誇る桜は日本独特の美しさであり、まさに日本人の繊細な感性を象徴しているように思える。満開の桜は美しいが、それとは別に日本には一年中咲いている醜い花がある。それは反日左翼という名の花であり、花というよりは日本に寄生している毒茸といった方が適切なのかもしれない。

キリスト教でもカトリックはローマ法王庁の管轄下にあり、勝手に牧師になったり、政治活動をメインにすることは難しい。しかし、日本に普及しているその他のキリスト教については、基本的にフリーダムであり、はっきりいうと大分在日朝鮮人に汚染されていて、慈善活動や修身ではなく反日的な政治活動がメインになっているものもある。今回紹介した団体もその一つであり、名前にはキリスト教という言葉が付いてはいるものの、中味は憲法9条教、在日韓国人の人権教だったりするわけである。

在日韓国人の牧師が幼い日本人少女をレイプしたりした事件もあったが、基本的に韓国人が宗教に絡むとカルト化する傾向が強いようで、世界の二大カルトは朝鮮カルトの統一教会と創価学会であり、統一教会は教祖自体が韓国人だが、創価学会は元が日本の仏教系の宗教団体だったにもかかわらず、朝鮮系の池田大作が入り込んで乗っ取り、朝鮮カルト化した経緯がある。日本のその他キリスト教も規模は違うが、劣化版の分鮮明や池田大作がウヨウヨと入り込んでいることは想像に難くなく、キリスト教という言葉に騙されず、この手の団体と接触を持った時には注意して対応していただきたい。

キリスト教とかクリスチャンとか聞くと、一般の日本人はコロリと騙されやすいが、自分に言わせると「だからどうした」という言葉しか出てこない。まあ、正直、日本人がキリスト教に改宗して役に立つことと言えば、白人を安心させ、コミュニケーションが取りやすくなることくらいだろう。そういうことが仕事上、生活上で必要ならば、改宗することもやぶさかではないのかもしれない。その場合でも朝鮮人に汚染された日本のプロテスタントのキリスト教は避けるべきで、カトリックなどの方がより安全だろう。キリスト教とは本質的には関係ないのに、統一教会の正式名称も「世界基督教統一神霊協会」であり、日本でのカトリック以外のキリスト教の宗教団体は、結構な確率で統一教会系に当る可能性が否定出来ないからである。

981名古屋:2012/04/11(水) 20:01:39
政府広報でデマ拡散
 2012/04/11 09:34

インターネット上で政府広報と言うやつを見ることができるのですが、そこで消費税について面白いことと言うか、はっきり言って「悪質なプロパガンダ」や「デマ」としか思えないことが書いてあったので、今日はそれを取り上げてみたいと思います。

政府広報は内閣府がやっているようです。

小島慶子と言うタレント?が野田首相にインタビューしている形式のものです。

政府広報オンライン「対談:社会保障と税の一体改革について」
 ↓↓↓ 以下・引用 ↓↓↓

小島:それでも、ここ数年は東日本大震災の復興を優先して、せめてそれが多少は落ち着いてから増税を議論すれば良いのに、とも感じます。なぜ《今》なのですか。


野田: 震災対策は、最大かつ最重要な課題です。今般も第3次補正予算で、本格的な復興の予算を作りました。これからも集中的に復興期間5年、10年という構えで取り組んでいきますが、「復興が貫徹するまで、社会保障改革の安定財源確保をしない」となると、いくら何でも先送りし過ぎになります。もちろん、経済への影響を緩和すべく、状況をよく見ながら、慎重に判断するつもりです。

これから高齢化が進んで、特に団塊の世代の方が、ここ数年の間に65歳以上になる。人口を世代別で見ると、団塊の世代ってものすごく分厚いじゃないですか。今までは「支える側」だった人が、「支えられる側」にどんどん入っていく。そんな中で、社会保障を支える安定した財源を《今》すぐ具体的に検討していかないと、大変厳しい状況になってしまいます。

欧州の財政危機も、対岸の火事ではありません。これまでは一部のユーロゾーンの国々だけだったものが、いろんな所に伝播し始めました。特にわが国は、向こう10年間で段々と赤字を減らしながら基礎的財政収支を黒字化するという「財政運営戦略」もあります。これは、きちんと守っていかないといけない。「日本は、中長期的に財政規律を守ることを言葉だけでなく行動で示すまじめな国なんだ。借金の山を減らしながら、併せて社会保障の整備を計画的に進めているんだ」ということを《今》内外に示して国際的信用を保つのは、とても大事です。


小島:「こんなに借金の多い国には、もうお金貸せません」とか言われないように?


野田:そういう危機感を持たなければならないと思います。


小島:東日本大震災は大変な出来事でした。でも、たしかにそれ以前から、借金問題は震災問題と同様に、国家にとって深刻な問題ではありましたよね。今まで先送りが出来てしまっていただけに、もう少し後でも良いんじゃない?と思いがちですけど、実はそうではないと。


野田:はい。ただ、ものすごい不景気の時に国民に負担をお願いするわけにはいきませんので、法案を作る際には、どういう状況の中で実施をしていくか、これはよく慎重な判断を要します。

ただし、一般的には増税をすると景気に水を差すと言われますが、得られた税収を社会保障の分野に充てることにより、成長につなげて経済の好循環に導くという観点もあります。例えば、今は介護のサービスやスタッフが足りないとか、潜在的な需要がたくさんあるんですね。そこに、増税で集めたお金を投ずることで、需要を発掘できますから。それに社会保障が今後もしっかり続くという安心が得られれば、将来への不安がなくなり、皆さん、消費にもっとお金を回すようになると思うんです。

982名古屋:2012/04/11(水) 20:05:31
小島:では、数ある税金の種類の中で、なぜ《消費税》なのですか。社会格差が広がる中、格差の上の方にいる人達からたくさん吸い上げて、それを、チャンスに恵まれなかったり、とても弱い立場に追い込まれている人たちに回すようにするのが先なのではないでしょうか。皆が負担する消費税より、「お金がたくさん有る人からまず取る」タイプの税目もあるのでは?

野田:どなたにも、社会保障は必要になります。人生の前半の段階では子どもを持つ若い方への子育て支援、また、人生老いていく時には、年金、医療、介護が必要になってまいります。だから、特定の誰かではなく世代を越えてオール・ジャパンで、公平感がある税金で《お互いに支え合う》んです。今回の震災では、支え合う強い絆が生まれましたが、社会保障もまさにそうで、保険料と税金等で、世代を越えた支え合い制度を構築するんです。

それに、日本の基幹税3つ(法人税、所得税、消費税)の中で、一番景気の動向に左右されないのが、消費税だと思います。社会保障が、景気に左右されて支えられないという状況になってはいけませんから。

また、他の税金についても見直さなければならないと思います。小島さんが指摘された格差の是正をしていくために、所得税で言うと、所得の再分配機能をどうするかという観点からの改正も、今ある程度やっていかなければいけないと思います。「消費税を含む、税制の抜本改革」というのは、消費税だけではなく《他の改革もやる》ということです。

 ↑↑↑ 引用・以上 ↑↑↑

まあ、突っ込みどころ満載の滅茶苦茶な発言だらけで、あきれ果てます。

ぜんぶ突っ込むのは無理なので、私が突っ込みきれない部分は他の方におまかせするとして、目立ったところだけ・・・

野田ブタの発言をチェックしてみましょう。

『「復興が貫徹するまで、社会保障改革の安定財源確保をしない」となると、いくら何でも先送りし過ぎになります。』

『社会保障を支える安定した財源を《今》すぐ具体的に検討していかないと、大変厳しい状況になってしまいます。』

他の税ではなく消費税増税の理由として『日本の基幹税3つ(法人税、所得税、消費税)の中で、一番景気の動向に左右されないのが、消費税だと思います。社会保障が、景気に左右されて支えられないという状況になってはいけませんから。』

などと言っていますが、まず復興と社会保障改革とは別の話で、同時並行でやれば良いだけです。消費税増税が復興の障害になるとわかっているから、こういうごまかし発言をするのでしょう。

復興は復興で、普通に建設国債を発行したり、足りなければ通貨を発行して国債を日銀が買い上げてそれを財源にしてやれば良いだけです。実質的に「国の借金」を増やさずに復興予算を作ることは簡単です。

また、社会保障の財源を消費税にすると言うのは間違っています。あらゆる税収の中から消費税ぶんだけ切り離して、そこだけ見て「安定した財源」と言うのは、局所的な見方が好きな(それしかできない)新自由主義系統の人に多い発想ではないかと思います。

983名古屋:2012/04/11(水) 20:06:28

彼らは近視眼的、ミクロ的な発想を好みます。

デフレで不景気な時に消費税増税して、税収全体が減ってしまってはまったく意味ありません。消費税の部分だけ切り離して考える発想そのものが間違っています。

社会保障の財源は、社会保険料と税収から支払われるもので、それらのトータルを増やすと言うのでなければ社会保障費の増加に追いつきません。

消費税の税収を社会保障費の財源に当てると言うことは、社会保障費が伸びて行く限り消費税を増税し続けなければならなくなります。

しかし、それには限界があるでしょう。

どう考えても経済成長によって税収を増やして行くのが持続可能な選択肢だと思います。なら、現時点での消費税増税は経済成長を阻害するわけですから、なおさらやめるべきです。

それから、あいかわらず「国の借金」の話で滅茶苦茶なことを言っています。

野田ブタ:欧州の財政危機も、対岸の火事ではありません。(中略)借金の山を減らしながら、併せて社会保障の整備を計画的に進めているんだ」ということを《今》内外に示して国際的信用を保つのは、とても大事です。

小島:「こんなに借金の多い国には、もうお金貸せません」とか言われないように?

野田:そういう危機感を持たなければならないと思います。

誰がどこに借金しているのか、わけのわからないような発言をわざとしているのでしょうか?まあ、このインタビューしている女性(小島)は一般人代表なのでしょう。もしくは、何もわかっていないから都合良く利用されているだけなのかもしれません。

こんなに借金の多い国にはもうお金貸せません・・・などと言ってますが、みなさんはおわかりでしょうが、日本と言う国は外国に多額の金を貸しまくっているものすごい債権国です。

いわゆる「国の借金」、国債にしても、ほとんど国内の金融機関が買っている、つまり日本政府は国内でお金を借りているにすぎません。

それだって、金融機関のほうもデフレで誰もお金を借りてくれないし投資先が無いから国債をありがたく買っているわけで、この状況で投げ売りとか、もうお金を貸しません(国債を買いません)などとなるはずがありません。

そういうことも無視して、国際的な信用をなくすと大変なことになるんだみたいなウソをふりまくのは悪質です。

それから、格差社会が喧伝される現状で、どうして格差拡大を促進するような消費税増税なのかと言う話では、上で書いたように「景気に左右されない安定財源だから」と言っていますが、これは金を集める側の都合にすぎない話で、こんなのは消費税である理由にはならなりませんが、新自由主義とも親和性のある発想だと思います。

984名古屋:2012/04/11(水) 20:07:26
ようするに、消費税の税率が高ければ、景気が悪かろうが安定した税収が見込めるわけですから、政府は景気対策などと言うようなことをやらずにすむと言う発想につながるものでしょう。

これは、政府は余計なことをせずに市場に任せれば良いと言う新自由主義者の発想ともよくマッチします。無責任な政府で良くて、政府は経済問題に対して責任を取らなくてすみます。統治する側には好都合な論理でしょう。

さらに、消費税が「良い」理由として、野田ブタ君は以下のようなことも言っています。

野田:どなたにも、社会保障は必要になります。人生の前半の段階では子どもを持つ若い方への子育て支援、また、人生老いていく時には、年金、医療、介護が必要になってまいります。だから、特定の誰かではなく世代を越えてオール・ジャパンで、公平感がある税金で《お互いに支え合う》んです。今回の震災では、支え合う強い絆が生まれましたが、社会保障もまさにそうで、保険料と税金等で、世代を越えた支え合い制度を構築するんです。

これは、ほぼ新自由主義者の好きな「自己責任論」です。しかし、社会保障制度を自己責任でやるのは不可能です。

日頃から不平等はあたりまえで、むしろ変に平等化すべきでないと言っている新自由主義者は、税金に関してだけは「平等」を持ち出します。

簡単なことですが、税金の額や税率をを平等にすれば、所得再分配の機能がはたらきませんから、世の中全体では不平等な方向へ向きます。

ミクロ的に一部分だけ平等を持ち出して、実は全体でみると不平等を促進すると言うのは、なかなかしたたかだと思います。

もちろん、私とて完全に平等が良いなどとは思っていません。

世の中、平等であるよりも公平(フェアー)であることが大切なのです。

従って、税金についても、平等にではなく、稼ぐ能力に応じて負担する「公平さ」が大切なのです。

儲かってもいない赤字の企業や、ぎりぎりで生活している低所得者層からまで無理矢理税金を取ると言うのは「公平(フェアー)」ではありません。

そうやって経済を圧迫して企業の倒産や失業者を増やし、自殺者を増やすような殺人政策だとしか思えません。

野田政権のやろうとしていること、と言うか、デフレを放置してきたここ20年ほどの日本の政治と言うのは、はっきり言って文化大革命みたいなものです。

デフレで所得再分配もせず格差拡大を放置し、企業の倒産や失業者の増大を促進したことにより、自殺者が3万人以上と言うのをずっと続けています。

最近聞いた話ですが、この自殺者の統計と言うのは、警察の発表らしいですが、現実には、家族などが自殺したと思われたくないために、隠すことが多く、実際の数字よりもかなり低くなっているとのことです。

と言うことは、もっと莫大な数の人々が、経済政策の失敗により死に追いやられたと言うことになります。

構造改革とか、財政規律がどうのとか、自己責任とか、消費税とか、緊縮財政とかコンクリートから人へ・・・などなどにより、大量の自国民を死に追いやったと言う点で、はっきり言って中国の文化大革命を笑うことはできなくなりました。

そして、今、野田ブタ首相と民主党政府は、新自由主義的な自己責任論と所得再分配否定にもとづいた、そしてマクロ経済を無視してかえって財政を悪化させるような消費税増税に向かって驀進中です。

それに多くのマスコミも荷担しています。

マスコミも民主党政府も日本を滅ぼそうとしているとしか思えません。

985名古屋:2012/04/11(水) 20:13:51
日本はただちに核武装すべき  

原発事故の影響で放射線への恐怖が広がっています。
現実問題として、福島の事故くらいでの放射線で日本中がパニックになるのなら、直ちにやらねばならないことがあると思います。

放射能がそんなに怖いなら、日本は直ちに核武装しなければなりません。

日本には数発の原爆を落とせば滅ぼすことが可能と言われていますが、今回のがれきの騒ぎを見る限りでは、ごく小さい核ミサイル1発で十分日本を「国家として麻痺させる」ことが可能のように思われます。

従って、ただちに日本は核武装して、核の抑止力を持つ必要があります。

核戦争を防ぐ方法は、現在のところ、残念なことに、一つしかありません。抑止力です。

これとて完璧かどうかわかりませんが、他に方法が無い以上は、日本も核武装する以外にはありません。放射能が怖いなら、なおさらそれ以外の選択肢は無いでしょう。

反原発派の山本太郎君あたりの人たちは、原発の再稼働を阻止して喜んでいる暇があったら、核武装の主張をすべきです。

核攻撃を受けたならば、原発事故どころの騒ぎではありません。

なのに、最近では、広島・長崎の被爆と、福島の事故を同列に並べてごっちゃにして議論するような者たちもわいて出てきています。

日本はアメリカの核の傘の下にあるから大丈夫などと言う「冷戦体制下」の頭の人はもう減りつつあるでしょう。

そもそも、アメリカにとっても日本が真の同盟国であると言うなら、日本に核武装をすすめるのが本当と言うものです。

そうではなく、日米同盟の形態も現状のままで、核武装もさせないとなれば、アメリカの何らかの意図を疑いたくなるのもしょうがないでしょう。

依存症の独り言氏は、こんなことを言っていますが・・・
売国変態左翼と同列に並ぶ愚は絶対に犯したくありません

私が一部の反米保守を批判するのは、中国(中共)の脅威や韓国の妄動とも言える世界的反日活動より米国批判に重きを置くからです。
この点において、反米保守の一部は売国変態左翼と見事にリンクしています。
自称「保守」の城内実がよい例です。
城内は、共産同(ブント)の元大幹部で、今も親中反米の立場を崩さない森田実とズブズブです。

これは明らかにわら人形論法です。

最近まったく存在感の無い城内氏のことはとりあえず置くとしまして・・・

依存症氏とは違ってアメリカも批判する私らのような保守派の人間が「中国(中共)の脅威や韓国の妄動とも言える世界的反日活動より米国批判に重きを置く」と言うことはありません。

城内氏だってたぶん違うでしょう。これは依存症氏の勝手な主観にすぎないと思います。実際には、中国の脅威には敏感に危機を感じています。

ただ、本当の保守派ならば、国家の独立が最優先の課題と思うはずです。

アメリカが日本を守ってくれるとか、そういうことで喜んだり感謝したりと言うのは、やっぱり頭の中がお花畑です。

アメリカに頼らずに日本人みずからが国を守れるようにすべく努力するのが、保守派と言うものでしょう。アメリカに守ってもらっている現状のままで良いと言うなら、変態左翼に毛が生えた程度のものでしょう。

さらに言えば、同盟国であろうが、日本の独立を邪魔したり、内政に干渉したりするようであれば、中国と同じように警戒しなければなりません。

アメリカに多く依存しているぶん、日本はいろんな圧力を受けやすく、余計に危険なのです。アメリカ人は日本人と違ってお人好しではありません。

そんなこともわからない依存症氏は、やはり頭の中が55年体制か、もしくは、いまだに冷戦構造のままなのでしょう。

ちょっとはこの本を読んで勉強すべきです。

自滅するアメリカ帝国―日本よ、独立せよ (文春新書)
伊藤 貫


とても良い本なので、おすすめです。

アメリカの要人で、いわゆる知日派と言われている人たちが本当はどういう考えを持っているか、よくわかります。

中国人は信用しないが、アメリカ人なら信用すると言うのは、頭の中がお花畑人間のやることです。その点、依存症氏は、変態左翼と同列に並んでいると言わざるをえません。

986名古屋:2012/04/11(水) 20:19:47
インドネシア
M8、4とM8、2?
立て続けに地震て…
被害が少なくありますように。

987名古屋:2012/04/11(水) 20:42:42
ルーズヴェルトが20世紀をダメにした


●グルー駐日大使が行なった日本暴発の陰謀
  一方、対アジア対策を見ると、ジョン・ピアポント・モルガンの甥ジョゼフ・グルーの駐日大使任命が発令された。これは合衆国を攻撃するよう日本を誘導する企てである。グルーはたちまち自分で「日本の友人」との評判を取った。日本人が軍備を促進する上で彼は極めて貴重な助けとなったし、スタンダード・オイルは石油を日本に文字どおり注ぎ込んだ。ライト・エアロノーティカル社はじめ諸航空機メーカーが工場を建設し、無制限にエンジンと翼を供給した。またアメリカの軍需品が途切れることなく日本に流れ込んだ。廃墟となったニューヨーク市の六番街高架鉄道を含めて、まるでアメリカ市場のスクラップ(屑鉄)が日本へと船積みされたし、合衆国は日本が戦争のために必要とするものは何でも気前よく供給した。日本は自らの首を絞めるロープをふんだんに与えられつつあったのだ。
  軍備が整ったにもかかわらず、日本はまだ合衆国を攻撃するだけの十分な勇気を奮い立たせられないでいた。陰謀家たちはいらいらしていた。彼らは、議会が公式に宣戦布告することを余儀なくされるような合衆国への攻撃を引き起こすべく工作していた。太平洋艦隊司令長官リチャードソン提督が、ある日、上院調査委員会で次の証言をしている。ルーズヴェルト大統領が1940年10月8日のホワイトハウス昼食会で、「日本人は早晩誤りを犯し、われわれは戦争に入ることになろう」と希望的観測を述べた、と。
  その直後、リチャードソン提督は太平洋艦隊を分割してパール・ハーバーに碇泊させることを再度主張したが、これは日本への激しい敵意をかきたてる方策を講じるためにルーズヴェルトが表明した意図からも、同提督の主張にはいずれにしてもその勧告と反する処置が取られていただろう。
  リチャードソン提督が太平洋艦隊の自衛準備を執拗に促すと、彼は部署を解かれてキンメル提督と交替させられた。海軍はルーズヴェルトによりこうして戦争準備を故意に阻止されたのである。
  ルーズヴェルトは、彼の主人たちの要求で、軍艦と海戦で遊ぶという幼年時代の憧れの途をなおも辿っていた。間接的に彼は太平洋艦隊の指揮を取ったのである。日本軍にパール・ハーバー碇泊中の艦隊を攻撃さすべく誘導するために、ルーズヴェルトは考え得るあらゆることをした。隘路状態になっていて、おそらく攻撃されれば防衛不可能なパール・ハーバー港内に艦艇を配置し、受信されるいかなる危険警報、攻撃警報もすべて無視するよう命じられた。

988名古屋:2012/04/11(水) 20:43:15
  その間、ロックフェラー・ソヴィエト枢軸に支配されてロックフェラーから資金を受けている太平洋協会では、日本の共産党すなわちリヒアルト・ゾルゲ一味にせっせとスパイを送りこんだ。その目的は、日本軍閥をそそのかして元来の日本側の計画であったソヴィエトの攻撃ではなく、相手を合衆国に向けてパール・ハーバーを攻撃させることであった。
  アルジャー・ヒスや、さらにハル・ウェア共産党細胞の仲間であるアメリカ国務省のロックフェラーグループ、共産党の工作員たちは、国法を冒してゾルゲ・スパイ一味の仕事をも補足した。
  実際に、日本人は「合衆国艦隊をパール・ハーバーで叩きつぶせ。そうすれば緒戦から戦争は勝利を得る」と彼らに言われたのである。一方、攻撃したくてむずむずしていた日本人は、外交分野でも「ハル・ノート」やABCD包囲網で怒りに火をつけられた。

●王朝と帝国は期待し、日本は駆り立てられて起こったパール・ハーバー攻撃
  日本人をそそのかして合衆国を攻撃させようとの入念な計画は西欧外交界では常識であったが、それを言うことはこれまでは「道徳」違反だと考えられてきた。しかしウィンストン・チャーチル内閣の生産大臣オリヴァ・リッテントン海軍大佐が1944年7月20日議会で次のように述べた。
  「日本は駆り立てられてパール・ハーバーでアメリカを攻撃した。アメリカが参戦を余儀なくされたというのは、歴史上のお笑いごとである」
  これこそ、1944年10月8日付「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」誌に載ったキャスリーン・マックラフリンによるエレノア・ルーズヴェルトのインタヴューで、例によって機知よりも口先のうまいエレノアが、パール・ハーバーについて次のように述べた言葉の真意なのである。
  「12月7日は、わたしたちにとっては、ちょうど別のD−デイ(訳註*対独総反撃行動開始予定日)のようなものだった。わたしたちはラジオに群がり、さらに詳報を待った――しかしそれは、この日が国全般に与えたショックとはまるきり違っていた。わたしたちは永い間なにかこの種のことを期待していたのです」
  彼女の述べたことは、実は非常に意味深長であった。D‐デイというものは予め最高司令部にはわかっている。このD−デイがルーズヴェルトと側近たちにわかっていたことは疑いない。ルーズヴェルトのデスクには、すでに攻撃の何時間も前に、日本側からワシントンの使節団宛に送られてきた「東の雨風」と呼ばれる暗号電報の解読文が置かれており、これには、日本は次の日にパール・ハーバーを攻撃するつもりであると述べられていた。しかし彼はわざと国家とその防衛者たちを裏切り、彼らになんら警告しなかった。反対に、彼らは外部の危険信号を無視するよう指示されていた。全歴史上、いかなる国にしろ、その最高責任者によるこれ以上の反逆行為が存在したためしはない。
  そうだとすれば、王朝とそのお先棒フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領は、日本の攻撃を誘い早めておいて、わざと軍隊から警告を撤回し、彼らが自衛するのを妨げた、ということになる。なぜなのか。8年もの長い間、陰謀者たちは攻撃を希求し待ち続けた。彼らは効果性を危うくするようなことはこれまでも決してやらなかった。陰謀家のモットーは、「石油は血よりも濃い」であったに違いない。
  もちろん、流されたのは彼ら自身の血ではない。2千5百人の兵の血とアメリカ国民が支弁した戦艦一艦隊で、その価格は彼らにとっては安いものだった。それらの人の生命は、彼らにとっては何でもない。まして国民が彼らに故意に陥れられた危険は、国家の枠を離れた隠れ場に身をひそめる悪党たちにとっては、例の如く、まず知ったことではなかった。
  陰謀者たちは、自分たちの反逆を隠す努力はあまりしなかった。このことは、ロックフェラーの親戚でもあり、代理人でもある二人の人物間の書簡によって明らかにされている。その一人は、ロックフェラーの親戚ウィニフレッドの夫で、彼らの宣伝機関、海外政策協会の運営面の代理人たるブルックス・エメニーであり、もう一人は下院外務委員会の共和党委員に名を連ねた下院議員フランシス・ボルトン夫人である。エメニーヘの書簡でボルトン夫人は、自分が彼やロックフェラー家のボスたちに「教導」されていることを自ら認めた。そして彼女も仲間も12月7日のパール・ハーバー攻撃を待ち受け「祝賀した」と述べている。

989名古屋:2012/04/11(水) 20:48:32
霊は実在する、しかし


●地獄は魂の不健康状態の反映
  では霊的に不健康な者はどうなるのか。その大半は実はその中間境での調整期間中に、本人の気づかないうちに、霊眼でも見えない霊によって、さまざまな霊波によって癒やされている。一種の心霊治療を受けているのであるが、もちろんそうした外部からの力によって地上時代の罪までが消されるものではない。
  自分が犯した罪は自分で償わねばならないのが霊界の鉄則である。霊界にかぎらない。地上でも同じことであるが、償いの機会がもてないうちに他界することが多いので、罪障の消滅は大体において霊界において行なわれることになる。
  ここで、分かりやすい例としてアルコールか麻薬の中毒患者の場合を考えてみよう。
  その種の患者は自分が正常な健康状態でないこと、その原因がアルコールなり麻薬であることは知っている。そして治療師によってそのことを諭されて、それで立ち直る人がいる。が、途中の禁断症状が耐え切れなくて、また逆戻りする人もいる。
  これと同じことが、罪に汚された魂にも言える。霊界通信によると、罰を与えるのは悪魔でもなく神でもない。神の使いでもない。罪そのものの中に罰が蔵されており、それが良心の呵責となって自覚されるのだという。
  それは禁断症状にも似ていよう。それに耐えかねた者が、虚栄心をはじめとするもろもろの煩悩に負けて、自己弁解を積み重ねていく。

●因果律と親和力の法則
  宇宙の根本的摂理が2つある。その1つが因果律、つまり原因には必ずそれ相当の結果が生じ、その結果が新たな原因となって次の結果を生んでいくというもので、逆の見方をすれば、結果には必ずそれ相当の原因があるということで、偶然そうなったということはありえないということになる。
  またそれは寸分の狂いもなく自動的に作用し、いかかる信仰、いかなる儀式によっても干渉することはできないことを、高級霊が異口同音に語っている。自分が蒔いたタネは自分が刈り取るというもので、それは数学的正確さをもって作動する。いかに弁解しても良心の呵責が消えないのは因果律が絶対だからである。
  もう一つは親和力の法則、つまり“類は類をもって集まる”という法則である。地上でもある程度はその傾向を認めることができるが、けっして絶対ではないし、そう速やかでもない。これは物的五感によって営まれている地上特有の環境条件のせいである。言ってみれば鈍重でまどろっこしいのである。

990名古屋:2012/04/11(水) 20:49:07
  ここから相対性、対立性、両極性といった側面が生まれる。寒と熱、美と魂、清と濁、強と弱、男性と女性、こうした対照的なものが同居しているのが地上界の特徴で、そこから地上ならではの貴重な体験が得られる。
  “再生”つまりもう一度地上へ生まれてくることができるのも、その地上ならではの体験を求めさせるための神の配慮である。
  さて死後の世界においては親和力の働きが即効的となる。似た者同士が集まり異質の者は反撥し合う。かくして美しい界層はますます美しくなり、醜い界層はますます醜くなっていく。そして邪心に満ちた者ばかりが集まってその邪心をむき出しにし合いながら生活している。そこを地獄という。
  西洋にも東洋にも昔からいわゆる“地獄図絵”というのが伝えられているが、あれは人間が恐怖心を混じえて大ゲサに描いたもので、いかにも悪魔が憎しみに燃えて残虐のかぎりを尽くしているかの印象を与えるが、地獄といっても所詮は人間の魂の醜さと弱さの反映にすぎない。

991名古屋:2012/04/11(水) 20:51:19
「いいこと」が次々起こる心の魔法


●「思い」を設定すれば、宇宙が味方につく
  揺るぎない信念に至る唯一の道は、自分の心の声に耳を傾けることである。見えざる世界を信じられるようになると、内なる能力が開花して、望むものは何でも引き寄せられるようになる。
  ただし、引き寄せると言っても、それはもともと自分の一部なのである。だが、エゴは自分が孤立した特別な存在だと思わせたがるので、こうした考え方を受け入れるのに抵抗がある人もいるだろう。
  どんなに論理的な頭の持ち主でも、水を見て、それが水素と酸素が2対1の比率で合わさったものだと実感するのは不可能だ。水は流動する液体であり、見た目にはとても気体と関係があるようには思われない。分析してみて、はじめてその構成元素が水素と酸素だとわかる。
  自分がすべてのものに同時に存在するという考えも、これと同じことなのだ。
  自分の意識の中に見えざる何かがあって、それがすべてのものに同時に存在しているなどということは、ふつうに暮らしている限り、とても信じる気にはなれないだろう。けれども量子力学で生命の源を探っていくと、それが粒子ではなく波であり、すべての物質が同じような波でできていることがわかってくる。
  この一見「非論理的」な事実を受け入れたとき、あなたは宇宙にあまねく広がるエネルギーの存在を信じられるようになる。
  あなたは本質的に信頼されるべき存在であり、あらゆる場所に存在している生命力なのだ。この考えを心から信じることができれば、自分の人生に欠けていると感じているものも、創り出せるはずだ。結局、創造という作業は、そもそも自分の一部であるエネルギーをそばに引き寄せる技術ということなのだ。
  これはちょうど、無限の長さを持った糸の先に「求めているもの」があり、それは目には見えないけれど自分とつながっているようなものである。その糸をたぐり寄せて、願望や思い、夢を実現させられるかどうかは、自分を信じられるか否かにかかっている。
  これまで歴史に現われた聖人、指導者、導師、僧侶なども、同じようなアドバイスをしている。この永遠不変の哲学観念は、太古の昔から現在に至るまで、全人類を1つに結び付けるものである。
  この観念は、2つのことを示している。1つは、生きとし生けるものの内と外に、神が等しく存在しているということ。そして私達が今住んでいる世界とは別に、時間や空間の影響を受けないもう1つの世界があって、私達がその世界の住人でもあるということである。
  神があらゆる場所に存在するということは、神があなたの内にあるというだけでなく、あなた自身が神の分身だとも言える。またこのことは、あなたが自分の中に見出せる神以外には、神は存在しないということを意味している。
  こうした事実を感得するもっとも身近な方法は、祈りを利用することだ。「自分の中にも神が存在することを信じて祈る」という儀式を通じて、自分が望むことを実現できるようになるのだ。
  だが、そのためにはまず祈りに対する古い認識を改め、祈りという行為やその中身を、内なる視点から新たにとらえ直す必要がある。

992名古屋:2012/04/11(水) 20:51:53
●“見返り根性”を捨てると「幸運の歯車」が回る
  私達は神のことを「天にある巨大な自動販売機」のように考え、祈りを対価にして願いをかなえてくれる存在だと思っている節がある。つまり、祈りというコインを入れてレバーをひねれば、神が何かを与えてくれるだろうと期待するのだ。
  だから、私達は神という名の自販機を崇拝するのである。私達は神を讃え、自分達がいかに崇敬しているかを示すことで、見返りを求めるのだ。
  こうした発想の前提になっているのは、神が私達の外にあり、私達が求めているものや必要としているものも、また外にあるという考えである。
  このような祈りは、むしろ神の存在感を薄めてしまう慣習だと言える。神を自販機扱いして祈りを捧げるのは、神が自分と別個の存在だという意識をますます強固にしてしまうのだ。
  私はむしろ、祈りの本質が神との交わりにあると考えたい。こうした見地に立つと、祈りを捧げることは、神が私達の呼吸のように身近な存在だと認識するための行為となる。つまり、祈りは神との一体感を体験するためにあるのだ。それは、内的な力の存在を実感する行為に他ならないのだ。
  したがって、本当の祈りとは、神に何かを期待するのではなく、自分自身が変わることなのである。そして私達は、祈りによって「神から切り離されている」という感覚を和らげることができる。
  幸福が外からやってくると考えるのは、自分が不完全であることを認めているのと同じだ。これは他力本願につながり、自分には見えざる神性が宿っていると信じることをあきらめてしまうことにもなる。
  ここで私が述べている祈りとは、何かを乞うことではない。私が真の祈りと呼んでいるものは、神の意志が自分を通じて現実化するのを求めることなのだ。
  私にとって祈りは個人的な嘆願ではなく、崇高な使命や喜びのため、人類全体の幸福のために存在する。このようなレペルの祈りは、大いなるエネルギーとの一体感から生まれるものである。

993名古屋:2012/04/11(水) 20:55:14
癒す力の科学


●因縁の法則――善も悪もない
  仏教では、すべては因縁の法則で動き、どんな修行した人にも悪人にも平等にはたらく法則としています。因縁とは、ある原因にもとづいて結果が生まれるということです。そして私たちの行為や思いも原因になり、私たちの運が変化してゆくのです。私たちのやったこと、行為、思いなどは業(ごう)という一種の宇宙に預けた貯金通帳のようなものに記載され、これにもとづいて結果がきまってゆくのです。その結果、長い目でみて善因善果というようなことが起こるのです。
  しかし世の中は善因善果のように動いていないではないか、たとえば地下鉄サリン事件で亡くなった人はどんな悪いことをしたのだ、といった意見がすぐ出されます。
  実は、本当は善も悪もないのです。雨が降らない時の水は人々にとって大切で、いわば善ですが、洪水の時の水は悪です。大金待ちにとっては、1万円失うことはなんでもないことで、不幸でもありませんが、貧乏人にとって1万円は大変な額です。
  このように、善とか悪とかいう基準は人間が勝手に価値を決めたもので、客観的な基準はないのです。だいたい、苦しい結果をうむような原因は悪とし、楽しい結果を生む原因は善としています。しかしこれとて主観的なものです。本人があまり感情的にならないように修行している人にとっては、楽しいも苦しいもないのですから、結果は悪でも善でもありません。

●無意志の意志
  有名な山岡鉄舟は、大変な暴飲暴食をし、最後は胃ガンになり非常に苦しまれたようです。しかしこれも修行と考え、「お医者さん、いかん(胃癌)、いかん(胃癌)というけれど、いかん(胃癌)なかにも、よいとこもあり」などと戯歌をよんでいます。したがって、悪いことをすれば悪いことが返るというのは、だいたい他人に嫌なことは自分にも嫌なことだ、という法則にもとづいたことで、それがだいたい当たるから悪因悪果というのです。
  しかし、この“原因結果の法則”は、別に神や仏、超人が考えてやっていることではなく、自然界、宇宙がこのように動いているという絶対的な法則なのです。これを「無意志の意志」などとよんでいます。
  つまり、神がいて、「この人は善いことをしたから幸せにしてやろう」などと思ってやられていることではないのです。このため、悪いことをしなくても、事件に巻き添えをくう人も出てくるのです。悪の前倒しといってもよいでしょう。また、別に善いことをしなくても宝くじに当たったり、偶然高い地位についたりする人もでてきます。これは善の前倒しと言えるでしょう。

●宇宙の貯金通帳
  しかし、原因以上に幸運になれば必ずその報いを受けます。努力しなければ、将来思いもよらない不幸にみまわれることもおこるのです。この辺を間違えて、因縁の法則が神の褒美とか罰などと考えると、例えば原爆にあった人はどんな悪いことをしたのか、といった話になります。この辺のことを、達磨大師はつぎのように言っています。
  「ひとは思わぬ幸運にあうと有頂天になるが、これはいままで貯めた貯金を使ったようなものだ。したがって、すぐによいことをして貯金を増やさなくてはいけない。また、突然の不幸に見舞われた人はがっくりくるかもしれないが、これは今までの借金を返したようなもので、その時は苦しいが将来は幸運に恵まれるものだ」
  これは、今まで貯めた貯金のことを言っていますが、悪いことをしないのに受けた不幸は宇宙の貯金通帳に大金を預けたようなものですから、将来もっと利息がついてよいことがくると考えればよいのです。

994名古屋:2012/04/11(水) 20:58:20
私は霊界を見て来た


●霊界の学者と牧師の話
  その2人の霊はいずれも、この世にあったときはかなり高名な人物で、人々にもよく知られていた。1人は有徳の牧師とされ、1人は勇敢な将軍とされていた人物だった。
  牧師は霊界でもこの世にあったときと同じように熱心に説教をし、霊たちに有徳の生活というものを説いていた。彼はいつも自分の説教をつぎの言葉で始めるのであった。
  「汝ら罪深き霊たちよ。わが説ける神の教えを信じ、神の示せる生を送るべし。さらば汝ら、神の許しにより救われん!」
  彼は続いてつぎのような説教を行なうのだった。
  今、この霊界に来ている霊たちは、もともと人間として生まれたにもかかわらず、世間にいた時に熱心に神の教えを聞かず、また、それにしたがった生活も送らなかった。だから、人間であった時に彼らは、その人間として生まれながら持っている罪のけがれを清めることを怠った。そのため、いまこの霊界へ入れられ、天国には入れなかったのだ。だが、悔い改めるには遅すぎるということはない。神は慈悲深いから今からでも許して下さる。それには私が霊界で説く神の教えにしたがって霊界で有徳の生活をせよ。そうすれば汝らも天国に入ることができるであろう。私は、このことを説くために特に神によって、この霊界に派遣された者なのだ……。
  だが、霊界には彼の教えを熱心に聞くものはほとんどなかった。彼は、このことを嘆き、同時に霊たちをつぎのようにおどかしていた。
  「汝ら、わが説ける神の教えを聞くに耳なき者なり。汝ら改めざる限りその罰を受けん」
  彼は、そして罰の内容を示した。それは、やがて霊界にもノアの大洪水が起き、悔い改めない者たちを全て霊界から放逐し命を奪うだろう。また、とくに罪深い者たちはその洪水の前に天空から墜ちて来る大きな岩の下敷きになって亡ぶだろうというものだった。

995名古屋:2012/04/11(水) 20:58:54
  また彼は山岳の近くにある霊の団体で説教し、人々が彼の説教に従おうとしない時には、その山岳をやがて彼の祈りの力で崩し、霊たちを亡ぼすとか、海や河の近くの団体のときには同じように彼の祈りの力で水をあふれさせて霊たちに罰を与えるともいって霊たちをおどかした。そして、彼は実際にも霊界の太陽に向かって霊流の力を彼に貸し与え、山岳をくずしたり水をあふれさせたりして神の教えに従わぬ霊たちに罰を与えることを祈っていたのである。
  もう一人の将軍はこの世にあった時には、とくにその戦術に秀でていたことで知られていた者だった。彼は霊たちと会うごとに、ある空気の波のようなものを相手の霊の心に向かって放つことが癖であった。この波のようなものは、想念の交通のときに霊たちが使う想念伝達の手段と同じものだったが、少し違うのは、この波が一般の霊たちの想念伝達のときの感じとはどこか異なるものがあることであった。私も実際に、この将軍の霊と会って話(想念の交通)をしたことがあるが、やはり奇妙なユガミのような感触がどこかにあるのをつねに感じた。
  彼ら2人は霊界では、霊たちには軽んぜられ冷笑の対象にしかならなかった。それが彼らに不満不平を起こさせ彼らをいよいよ愚行に走らせていた。
  では私は、この2人の人物のことについてもう少し詳しく述べてみよう。
  人間の死後において霊として残存するのはもっとも根本的なもの、つまりその人間の本当の性格としての霊的な心、霊的な人格だ。霊界においては、そのため霊的な人格の高い低いとか、本当の意味の霊性の高低とかいうことだけしか霊の人格(霊格)をきめる基準にはならない。なぜなら霊たちは、その霊の本然の姿にかえって霊としての永遠の生を送っているからだ。
  そこで、人間であったときの記憶も本当の霊的な深部、心の奥底に刻まれたものしか残らないのが普通なのである。この2人の場合は少し特異な例といえる。牧師の場合は、教会の牧師としての彼の立場が人間界にあったときには人々に権威として通用したため、人々は彼の説教も聞いたのだろう。彼は、人々に尊敬された記憶が霊界に入っても残っていた。それは彼が人間界にいたとき、人々からの尊敬を受けることを異常に喜び、それが彼の霊の深部にまで達するほどだったからに違いない。だからこそ霊界に入ってもその記憶が残っていたのだ。彼は人々が自分の説教を聞くのは説教の価値そのものが高いためと錯覚したのだが、実際には彼が人々から尊敬されることを異常に喜んだものに過ぎない。彼はこの錯覚に気づかず、霊界においても説教を続けたわけだが、霊的に真正なものしか価値を持ちえない霊界では、霊たちには一種の奇人としてしか受け取られなかった。
  将軍のほうは、長年の戦場の策略が習い性となり彼の霊の記憶にまで達していたのである。彼は戦場の策略、つまり敵をダマす習性が霊界においても出たのだが、これもまた、あまりに外面的なことで霊界においてはすぐ霊たちに見破られ、彼もまた奇人としての扱いしか受けなかった。
  精霊においてすら、人間界でもっていた姿を次第に捨ててその本来の姿にかえっていく。ましてや霊界において、このような外面的なことが価値も持つはずはない。
  私は、このほかにも歴史上に著名な人物――それらは世にある時はいずれも有徳の人とか知識がすぐれた者とか高く評価された人たちだった――が、その本来の霊にかえったとき霊的な知性、理性においても全くとるに足らない霊になっていて、霊界で軽んぜられている例を幾度も見聞きした。彼らは人間界にいたときに外面的な知識とかに捕われて霊的な窓を聞くことをしなかった者であった。
  こういう人たちより「心直ぐなる人」のほうが、霊界でははるかに悟り、知性、理性にすぐれた霊として上位の世界に行くことになるわけだ。

996名古屋:2012/04/11(水) 21:00:55
シンクロニシティ

●シンクロニシティの隠された意味を知るためには
  私がシンクロニシティを日記の形式で記録し始めたのは1993年のことだった。記録した内容は大きなもの、小さなものといろいろだが、4年を経過した現在改めて計算してみると、月平均で8回もの「意味のある偶然」が起きていることがわかった。月8回ということは、1年間に直せば100回近くになる。きちんと記録をつけていなければ、この大部分を忘れてしまったはずだ。まったく予測していない瞬間に起きるシンクロニシティを記録し集めていくと、これだけの数になるのである。
  日記をあらためて見た私は、正直なところかなり驚かされた。一つひとつの現象の内容をつぶさに見ていくと、たしかに不思議なものばかりだ。不思議ではあるが、特にメッセージ性を強く含んだものばかりではない。これはおそらく、微視的な観点から見ているからだろう。ところが、前後に起きたことを考え合わせると、その現象の意味がはっきりと浮かび上がってくるのだ。
  さらには、シンクロニシティの間にも明らかな関連性が見て取れる。いってみれば、それぞれの現象は細胞のようなもので、それがいくつか集まることによって真のメッセージの意味が明らかになるような気がするのである。シンクロニシティのメカニズムを解く鍵は、ここにあるのかもしれない。一つひとつの現象は、パズルのピースのようなものなのだ。
  テレビの画面に近づいて表面をよく見ると、無数の光の点があるのがわかる。点の明暗や濃淡が微妙に変化することによって、画面の一部分が構成される。画素と呼ばれるこうした点が何千何万と集まって、はじめて意味のある画面ができあがるのだ。しかも画面は、少し離れたところから見ないと何なのかわからない。
  シンクロニシティと人生の関係は、この画素と画面の関係に似ている。意味のある偶然一つひとつが集まってできた人生という画面を、遠くから見てはじめて、その真の意味が明らかになるのである。
  人間の一生には、必ずテーマがある。それに気づこうと気づくまいと、テーマは歴然として存在するのだ。一生におけるテーマが何であるのか。そのヒントを与えるのがシンクロシティという現象なのである。全体像を見ることによって、一つひとつの現象の意味が明らかになるともいえよう。
  これを可能にするのが、日記をつけることだ。日記をつけておけば、短期から中長期にいたるまでの流れを把握することができるので、ある時点における自分の状態とシンクロニシティの関係を探ることもできる。また、文章を読み返すことによって事実のみを思い出すことができる。自分がこの世に存在する、という奇跡を理解し、感謝するための客観性を得ることができるのだ。人生を広い視野から考えれば、それまでの考え方が一変することもあるだろう。価値判断の基準となるのは、自分自身が記録した文章だ。これ以上信頼できるものはない。
  シンクロニシティ日記をつけるのは、あなた自身の“運命の本”を書くことにほかならない。現象によって示された真意を汲み取ることによって、人生という航路を進むにあたっての指針を得ることができるのだ。そして何より大切なのは、日記を通じて自分と自然、自分と創造主の関係を確認することだ。人間はまぎれもなく自然界の一部であり、その自然界を創り上げた創造主とも直接つながっているのである。
  シンクロニシティは、深層心理や無意識を通じて日常に示される奇跡といってもいいだろう。形のない深層心理や無意識が、はっきりとした形で働きかけてくる現象ともいえるかもしれない。一人ひとりの人間は、それぞれが自然界や創造主と深いつながりを持っているからである。われわれは祈りの言葉で神に語りかけるが、神や自然が無意識を通じてわれわれに話しかけてきたとき、それがシンクロニシティという現象になる。
  シンクロニシティによって示されたメッセージを正確に読み取ることは、天啓の導きとより高い目的意識を得ることにつながるだろう。一生を広い視野から考えられるようになった人は、他人を微視的な基準で判断することもなくなる。なぜならば、他の人々も自分と同じように自然の一部であり、それぞれの人生に大きなテーマが隠されていることを実感するからだ。
  こう考えると、神と人間を直接つなげるものがシンクロニシティであるということがいえる。宗教家はそれを神の介在という。また科学者は既存の概念で説明しきれない部分と呼ぶだろう。シンクロニシティを理解することは、われわれが何であるのかを理解することに通じるのだ。自分がどこにいて、どの方向に進むべきなのか――その理由が自然界全体をスケールとして示される現象ということができるだろう。

997名古屋:2012/04/11(水) 21:02:52
魂をめぐる物語


●信頼すること
  「創造主に、自分がほしいと思うものを与えてくれるよう、お願いしなさい……」両親は娘に言いました。「創造主は、必ずそれにこたえてくれるから」
  彼らは、娘がまだ赤ちゃんのころから、そう言いつづけていました。そしていまや、娘は7歳になっていました。
  「私、創造主にお願いしたの」ある朝、娘は言いました。
  「何をお願いしたの?」両親は尋ねました。
  「私の誕生日に、雪を降らせてくださいって」
  そう言って彼女は、クスクスと笑いました。両親は「これは困った」という表情で見つめ合いました。娘の誕生日は7月で、彼らは砂漠に住んでいました。砂漠の7月は、言うまでもなく、寒くはありません。
  2週間後、誕生日に友だちがたくさんやってきて、楽しい時間を過ごし、帰っていきましたが、雪は降りませんでした。しかし、少女はちっとも悲しそうではありませんでした。
  「創造主がこたえてくれなくて、がっかりした?」両親は彼女に、やさしく尋ねました。
  「彼はこたえてくれたわ……」彼女は言いました。「彼は言ったの。そんなことはできないって」
  ある人たちは、創造主を宇宙と呼び、それがどのように機能するかを知っている、と考えています。この少女の両親のようにです。そして、2人同様、いつも落胆しています。
  「人生とは、どうしてこうも、うまくいかないものなのだろう?」彼らがとても得意とする自分への問いかけです。
  「宇宙は私に、何でこんなことをしてくるの?………」彼らは言います。「こんなの不公平じゃない!」
  そのような人たちと、先ほどの少女の違いは、「信頼」にあります。彼女は、宇宙からのあらゆるこたえに満足しています。でも、彼らは違います。彼らは、宇宙とはかくあるべきだという、勝手な考えをもっています。そして、その考えから外れたことが起こると、心を乱します。

●宇宙は心強いパートナー
  インドの伝説のなかで、インドラは天を治める神です。ある日、彼は地を訪ねることに決めました。そして彼は地を訪れたのですが、いつになっても天に戻りませんでした。ほかの神々は心配になり、使者たちを地に送り、彼を捜させました。
  やがて、使者の一人が彼を見つけました。インドラは豚になっていました。
  「インドラ!」その使者は叫びました。「戻ってきてください! 天がバラバラになってしまいます!」
  「戻る?」インドラは驚いて言いました。「そんなこと、できるわけないじゃないか! 私には、面倒を見なくちゃならない雌豚と子豚たちがいるんだから」
  インドラは、自分が誰なのかを忘れていました。その使者は、どうにかして、彼にそれを思い出させなくてはなりませんでした。
  あなたにとって、宇宙は心強いパートナーです。それは、あなた自身にとっていちばん大切なことをあなたが思い出すように、親身になって手助けしてくれます。そのことを信じることが「信頼」です。
  あなたは、自分にとって何が最善であるかを知っている、と考えているかもしれません。でも、宇宙は、あなたが知らないことも知っています。インドラは、自分を豚だと言い張りました。あなたは自分を何だと言い張るのでしょうか?
  宇宙は、あなたに、恐れることや怒ること、悲しむことなどを指南したりは決してしません。それは、インドラを捜しにきた天からの使者のように、常にあなたを、可能な最高の生き方ができるように導こうとしています。「信頼」とは、それを知っていることなのです。

998名古屋:2012/04/11(水) 21:05:10
霊魂の旅


●見えない世界が急激に変化している
  この世はあの世の移し世(映し世)だと言われている。ということは、この世がこれほど急激に変化をしているのだから、あの世(幽界)もすさまじいスピードで変化をしているはずである。
  今まで死後の世界を論じたものはたくさんあるが、つねに動いているものとして捉えたものはない。死後の世界・幽界は、美しく明るいところから暗い地獄界まで変わりない姿で描かれてきた。
  五大宗教が生まれ、五大文明が生まれ、人類は徐々に進歩していったが、科学万能の現代に至ってだんだんあの世(幽界)が変化し始め、現在は幽界の変化の動きが猛烈となって、この影響をわれわれは気づかないうちに受け始めたのである。
  そしてさらに、幽界の動きがこの世の動きよりもすごいスピードで変化し始めたのである。このことを話す前に、一つだけ知っておいてもらいたいことがある。自然のなかに人が生活し、いろいろのものを開発して文明が生まれる。この世は物質の世界である。この物質界に比べて、見えない死後の世界・幽界は物質になりきらない半分だけの物質(これを半物質、または霊物質という)の世界である。霊魂も幽体もオーラなども半物質である。
  わたしたちは、時としてこの半物質を見ることがある。幽霊現象がそれである。幽霊は幽体であって半物質である。この幽体の波長と人の波長が合ったとき、その人は幽霊の姿を見ることができる。
  人には肉体の下に半物質の幽体(霊成型=ひながた)があるように、動物にも植物にも山にも川にも自然にも宇宙にもあらゆるものに、半分物質である幽体(霊成型)がある。つまり、すべてのものは元の形(=霊成型)があり、たとえば、山の幽体がこの世に出てきて山になり、川が干上がってなくなり半物質だけになり幽界に帰り、地上から姿を消したりする。
  地上のすべての物質はいつまでも同じ状態ではない。いのちのあるものはやがて死に、生命がないと思われている鉄などの物質もやがては溶けてしまう。すべてのものは時間の経過のなかでどんどん消滅し、また生まれ変化しているのである。
  さて、今日幽界の動きがこの世の動きよりすごいスピードで変化を始めたと言ったが、それはあの世・幽界がこの世のなかにすごいスピードで現われてくる大変な時代なのである。もう少しくわしく言えば、幽界にあるすべての半物質がわれわれの目に触れる物質に変化をしながら現われてくるということである。

●近い将来、この世とあの世(幽界)が一つになる
  半物質であるあの世(幽界)がこの世のなかに物質となって現われてくる恐ろしいときが、今いよいよ迫りつつあると先に述べたが、この現象がはっきりとした形で始まり出してから20数年経っている。この頃からまず異常気象が多くなり、天候を初めとする自然に変化が見られ出した。
  いろいろ注意して見てみると、社会的にも大きな変化が見られ出している。原因不明の病気、少年から幼年へと移っていく犯罪の若年化、すべてに対する価値観の変化などあらゆるものが、異常ともいえる急変化のなかに揺れはじめたのである。現代人はいろいろの見方をするが、これはあの世(幽界)がこの世と一つになるために、物質化し始めた前兆なのである。われわれの研究によれば、あの世(幽界)から移し世であるこの世に伝わってくる変化は、約40年と推察される。
  あの世(幽界)の半物質がこの世に向かって物質化し始めたため、あの世の相当暗い部分から明るい部分にかけて、想像を絶するすさまじい熱と冷気の大嵐が吹き荒れ、死後の世界にいるすべての霊魂は、その影響を受け大混乱の様相を呈しているのだ。
  われわれがこの幽界のすべてが物質となろうとしている大変化を見るとすれば、それは山は裂け、海は空から降る想像を絶した大天変地異の身の毛もよだつ光景を見ることになるだろう。
  しかし、それは半物質界である幽界が物質になってゆくために必要な光景なのである。こうして幽界が物質となってこの世に現れるとき、この世はすさまじい光景を呈しながらあの世(幽界)と、完全に一つになるのである。
  人類の滅亡を説く者、暗い未来への大予言などなど、巷(ちまた)にその声は広がっているが、それは人類の滅亡でもなければすべての終わりでもなく、用意されたプログラムの新しいページに進む一つの大きな節目なのである。

999名古屋:2012/04/11(水) 21:11:12
成功をつかむ驚異の七大法則


●想念がすべてを逆転する
  賢明なる読者は、これまでの私の説明で、おぽろげながらもわれわれの住む物質の世界が架空の現象の世界にすぎない、ということがおわかりいただけたと思う。そこで新たに疑問がひとつ生じてくる。それは――この世が単なる現象の世界であり、運命の原型がすべて四次元の実在の世界にあるとしたら、われわれ人間はあくまでも受け身であり、四次元から投影される運命(不幸)は100%甘受しなければならず、したがって人間の運命は絶対に変えられないことになってしまうではないか――ということである。
  たしかに理屈の上ではそういうことになるかも知れないが、実際には、われわれの運命は、われわれの自由意志によって100%変えることができるのだ。というのは、四次元の実在の世界とは、いうなれば心の世界であり、ゆえに肉体は無理でも心だけは自由に出入りすることができるからだ。したがって、心の法則を利用して四次元の運命の原型を変えてしまえば、そこで三次元に映し出される運命もガラリと変わってしまうのである。
  このことについては、心の力のエキスパートでもある谷口雅春氏も、次のようにズバリ述べられている。(「生命の実相」日本教文社)

  「この『念の世界』でできあがるという事件は、すでに永劫の昔からできあがっていて、もうちょっとも変えることができないものであるかといいますと、決してそうではないのであります。『念の世界』でできあがる事件も、宇宙に満ちているいろいろの生物の心の働きの組み合わせにしたがって、時々刻々作られてゆくのであります。大きなあらすじの事件は、多くの『念』の働きを成立要素としてこまかい事件よりも早く、いわばむしろ、多数の『念』の多数決で決まってゆくのでありますが、それとて『進行中』のものであって、できあがってしまったものではありませんから、ある事件を起こしている『念の要素』の変化によって、またその事件は変わってゆくのであります。ここにわれわれの運命を支配しうる自由があるのであります」

  要するに、こういうことである。たとえばあなたがどこかの映画館に入ったとする。そこでは大変悲しい映像が映し出されていた。あまりの悲しさに、あなたはしだいに憂うつになり、そこで今度はあなたは、明るく楽しい映像を観たいと思った。その場合、スクリーンをどのように変えようと、そこに映し出される映像はけっして変わるものではない。映像を変えるためには、まず映写室に行くことだ。そして映写機のフィルムを、暗く悲しいものから明るく楽しいものに取り換えてしまうことだ。そうすればあとは自動的にスクリーンの絵は暗から明に変わることは自明の理である。
  これとまったく同じ理屈で、三次元の運命を変えるには、いま言ったように想念法を駆使して四次元の運命のパターンを変えてしまえばよいのだ。
  アメリカのニューソートの宗教家でトーマス・トロワードという人は、「四次元の宇宙は、人間の念願や希望など強くイメージされたものを受け取り、それを具体化して三次元の現象の世界へ具現する力をもっている」と述べている。これは取りも直さず、想念によって運命の原型が変わる、ということであり、事実この心の力をうまく活用するならば、あなたの人生はあなたの思い通りに展開することもけっして夢ではないのである。
  その心の力の具体的な活用法について、ここで簡単に紹介しておこう。
  たとえば、あなたが今なにかの商売をはじめたとして、その商売を将来はぜひとも繁盛させたいと思っていたとする。その場合、あなたは、まずはじめに「この商売は絶対に繁盛する! 必ず繁盛させてみせる!」と毎日自分で自分にいい聞かせ、それを信念にまで高めていくことが肝要だ。そして、実際に商売が大繁盛しているかのごとく、いかにも元気に振る舞って毎日を過ごしていくのである。
  そのためには、たとえ商売が低迷していたとしても、けっして落胆することなく、つねに商売繁盛の状態を装って「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」を心の中で繰り返し唱えていくことだ。そのあなたの装いがやがて宇宙に感応し、四次元の運命の原型を新たにつくり変え、いずれあなたの事業は軌道に乗ることになるのである。むろん、そうなるためには、この想念とともに、現実的な努力も必要なことはあらためていうまでもないだろう。

1000名古屋:2012/04/11(水) 21:12:34
生きがいの創造


●想念と気
  昔から「丑の時(刻)参り」といって、夜中の2時ごろ、人々が寝しずまったときに、お宮などに参って、憎いと思う人のわら人形を作るか絵図を描いて、それを樹などに釘づけにして、眼なら眼、鼻なら鼻を、向こうの人間だと思ってうち込む。そうすると、それが、相手に応える。これは非常にいけないことだが、昔はよくやったものである。
  どうしてそれがきくか。わら人形や絵図をたたいたり切ったりしたところで何の影響もないではないかという人もあるが、それは「気」というもの、想念というもの、その気から出る波というもの、エネルギー、気から出る一種の電気、その働きを知らない人のいうことである。憎いと思って打ちこむその気は、強い電気の波となって、ほんとうに相手に伝わっていくから、相手はその影響を受けるのである。その人が病気になるとか、原因のわからない故障が起きるとかいうことがあるのである。
  しかしこれは「人を呪わば穴二つ」といって、自分も墓場にいかなければならない。人を殺そうと思えば、まず自分の穴を掘っておけと昔からいうのである。
  とにかく人の想念は怖ろしいものであって、実際は知らず知らずにこの想念というものが世の中を乱しており、よくしており、いろいろと根本的な影響を与えているものであるということを知らなければならない。
  お互いの家庭においても、家庭の人々の想念というものが浄らかであり、親しみぶかく、真実があれば、なんとなしにそこには輝きがあり、愉快があり、幸福がある。
  それに比して想念というものに憎しみがあり、嫌味があり、不親切であれば、そういう気持ちが、しじゅう波となって流れ出ており、その波と波とが衝突して向こうの体にぶつかる。それがなんとなしに感じるもので、このなんとなしに感じるのが怖ろしいのである。だから、世の中をよくしようと思えば、想念を浄らかにしなければならない。
  気がはいる、ということを俗にいうが、これは事実である。
  おなじ食物でも、心をこめた料理はなんとなしに食べたくなる。ところがけんかしながら、あるいは、いやいや料理した食物はまずい。料理人でも最後は腕の冴えではない。そのときの気持ちである。
  人間の気持ちというものはすべてへ流れ込むものである。すべてに作用するものである。確実にものを動かすものは気持ちであり、気である。刀には打つ人の気がこもる。よい気がこもっているならば、天地のよい気を吸い込む。人間でも類をもって集まる。「同気相もとめる」といって、同じような者がなんとはなしに集まってくるものである。
  犬でも猫でもそうである。馬は気の合う同士は、顔を合わせてなつかしそうにする。俗に「うまが合う」というが、馬というものは、仲がよかったらそばへきて顔を突き合わしている。うまが合わないと、尻でどっちも蹴り合いをしている。
  物はすべて霊気によって造られ、霊気を受けて性(さが)をなしている。人間同士の間においても、たがいに霊流は通じているので、甲の心は乙の心、乙の心は丙の心となるのが自然のなりゆきである。
  自分の代わりに他人がしていることがある。他人の代わりに、その霊流に感じて、知らずしらず、自分が行為にあらわしている場合もあるものである。だから、ひとりが嬉しければ、その周囲はみな嬉しく、ひとりが悲しければ、その周囲もみな悲しいということになる。
  昔から同気相求むとか、類をもって集まるとかいって、心に毒気をいだけば必ず邪気がこれに応じてきたり、心が清明で誠であれば、かならず神気がここにあつまるのは理の当然である。
  心中に邪念を生じれば、その頭上に一種の黒気が立ちあらわれ、邪気はこれを望んで自然にそこに引きつけられるのであり、心中に喜悦の情があれば、その身辺に一種の光輝があり、陽気善霊は自然にそこに集まって来るのである。
  鬼を出そうと仏を生もうと、それはその人の心の持ち方一つであって、本来この世にきまった敵というものもなければ、また味方というものもなく、自分の心一つで敵も味方もつくりだしているのである。あいつは憎いとしじゅう思っておれば、その心は、相手が意識するとしないとにかかわらず通じずにはおらないので、ますます両人の間に溝ができ、いわゆる仇敵の間柄となってゆくのである。
  心の働きというものは、このように恐るべきものであるから、われわれはあくまでも心をおだやかに愉快に持って、二六時中、周囲の人々へ美しいはなやかな電波のオーケストラを放送して、人生をより幸福にし合うように努めなければならないのである。




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