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名古屋社会情報

556名古屋:2012/03/19(月) 16:46:58
それにしても、山本を米国フリーメーソン加盟に誘導した人物がいるはずだ。それは誰なのか。浮上するのは松平恒雄なる人物である。
  松平恒雄は、駐米大使、駐英大使を歴任、その後、宮内大臣に就任している。渡部悌治先生によれば、松平は、戦前からフリーメーソン人脈として有名だった。山本五十六が米国勤務中に、松平恒雄が駐米大使であったとすれば、ピタリと状況が符合する。
  松平恒雄は、その姓からして一目瞭然、徳川時代の旧大名の末裔である。皇室にも近い、こうした立場の上流日本人が、どのようにしてフリーメーソンにからめ取られたのだろう。以下、阿川弘之の著作から引用する。

  山本が松平恒雄を識ったのも、彼の在米武官時代であった。松平は駐米大使で、大正15年の12月大正天皇が崩御になり、英国留学中の秩父宮親王がアメリカ経由で帰国する時、宮を大使館に迎えた。

  この記述によれば、山本と松平の接点は、大正15年から昭和3年まで、2回目の駐米武官時代のようにも受け取れる。旧会津藩主の一族、松平恒雄は、駐米大使時代にフリーメーソンに入ったのか、それともそのときすでにメーソンであったのか。それは全くわからない。
  恒雄の他にも、越前松平家系の中に、フリーメーソン色濃厚な人物がもう一人いる。戦前、フリーメーソンに正式に加入していた人物、参議院議員、日向輝武……。彼は、「自らフリーメーソンであることを人前に誇示し、議会や公式の場でも、公然とチョッキの脚下に取り付けた六芒のユダヤ・フリーメイソンのマークをひけらかしていた」(『攘夷の流れ』55頁)。また、「新渡戸稲造や吉野作造らがユダヤ・フリーメイソンであったことなども知られていたことであり……」(同書58頁)。
  大正期に入ると、フリーメーソンの影響は様々なかたちを取って、日本の上流指導知識階級の中に急速に浸透し始めたようだ。この奔流の中に松平恒雄が呑み込まれ、欧米との縁が深い、海軍の山本五十六も取り込まれたという成り行きは十分に考えられる。

★ひとくちコメント ―― 山本五十六は真珠湾攻撃を自らの職を賭して主張し、司令長官として実行の指揮をとった最大の“戦犯”でありながら、いまなおアメリカからは何の非難も受けず、国内では英雄扱いをされていることの謎がこれで解けると思います。
  同じように、戦後日本の首相を務めた鳩山一郎がフリーメーソンであったこともよく知られています。その孫である鳩山由紀夫前首相はどうなのでしょうか。「自由・平等・友愛」というフリーメーソンの旗印の中から「友愛」という言葉をとって政治信条にしていた人物ですから、状況的に見れば「私はフリーメーソンですよ」と宣言しているということでしょう。小沢一郎も日本のフリーメーソンの代表格です。今もなお、俗に言う“上の方”は世界支配勢力にしっかり組み込まれているということを知っておきたいと思います。




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