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名古屋社会情報

311名古屋:2012/03/11(日) 22:40:46
ファティマの謎の太陽円盤 
7つの謎と奇跡 より


第1章 奇跡か集団催眠か?

太陽が落ちてくる。7万人の群衆が見守る中で起こった奇跡とは、いったいなんだったのか?

うららかな初夏の陽光をあびた美しい灌木地帯に羊たちの白い毛がきらめき、緑草は萌えて、太地が生命の息吹で脈動しているコバ・ダ・イリアの渓谷では、いまヨーロッパに荒れ狂っている第1次大戦の戦火の影響もなく、ミレーの田園画に似たのどかな風景が展開していた。  

30数頭の羊をつれてやって来た人影はわずかに3名。しかも幼い子供たちだ。白昼の日ざしのもとに仲よく遊んでいるこの子たちは、ルシア・ドス・サントス(10歳)という少女と、その従弟妹フランシスコ・マルト(6歳)、ジャシンタ・マルト(6歳)という付近の農家の幼児である。

ここはポルトガルの首都リスボンから約130キロ北東、大西洋岸のナザレとその真東のトマールを結ぶ直線の中間に位置する人口2500人の寒村ファティマのはずれである。コバ・ダ・イリアというのは6世紀頃にこの土地にいた聖女イリアの名をとった"イリアの窪地"という意味で、その名のとおり、周囲を山でかこまれた直径約500メートルの盆地だ。


子供たちはいつもここへ来るわけではない。その日の気分であちこちの谷間や丘を牧場ときめて、羊をつれて行く。だが1917年(大正6年)5月13日の日曜日は快晴で遠出するのに絶好の日和だった。なんとなく相談がまとまって、ルシア家の所有地であるこの渓谷を選んだのである。

しかしこのありふれた高原の牧草地帯が後年、劇的な不思議な事件の発生によって世界屈指のカトリック巡礼地になろうとは、子供たちはもちろん村人のだれも夢想だにしなかった。

ファティマ村の2家族

村から2.5キロもあるコバへ着いたのは昼頃だった。早速子供たちは持って来た弁当を開いて昼食をすませた。空は青く澄み渡り、微風にヒイラギの木々の梢が揺れる。羊の番といっても絶えず注視しているわけではない。なんといってもまだ幼い子供たちだ。じっとしていると退屈する。ルシアはロザリオの祈りを思いついて、他の2人に呼びかけた。

「お祈りをしようよ」

そこで3人はルシアの父アントニオが植えておいたオリーブの木のそばの草の上にひざまずいてロザリオを唱えた。

スペインやフランスと同様、ポルトガルもカトリック信仰の国であって、国民の90パーセントは熱心な信者である。いったいにヨーロッパは強大なキリスト教信仰の歴史を持つので、キリスト教の知識なくしてヨーロッパ文化を理解するのは困難だ。ましてポルトガルの名もない山村で発生した神秘的な事件の背景に、当時、我々の想像を超えた宗教的要素が存在したことは一応知っておく必要がある。特に日曜日になると素朴な村民たちは晴着に着替えて教会のミサに出席し、貧しいながらも清純な雰囲気をかもし出していた。

調査によると1930年のポルトガルでほ7歳から11歳までの子供で文字の読み書きのできない者が73パーセントもいるという状態であった。ましてそれよりも13年もさかのぼる1917年当時、学校へ行けなかったルシア、フランシスコ、ジャシンタの3名がほとんど文字の読めない子であったのは当然である。

こうした子供たちには口述による教育が両親により行われた。それも主としてカトリックの教義であり、7歳になると初聖体拝領のためのテストが教会で行われるが、これはすべて暗唱による試験である。当時のポルトガルで子供たちがカトリック教理を丸暗記するのは、戦前に日本の子供が教育勅語を暗記させられたのと同じほどに重要な義務であった。そして初聖体を受けることが実質的なカトリック信徒になることを意味し、それはすなわちカトリック教国のポルトガル人の仲間入りをすることになるのである。

聖体拝領のときは、キリストの肉をあらわすパンのかけらを入れる聖杯をかたどったコップ状の容器が信者に与えられる。上部に十字架をつけた蓋があり、台もついている。これを手にしたときの歓喜の情は、非キリスト教国の日本人には理解できないだろう(念のために言っておくが、筆者はクリスチャンではない。カトリックその他の宗教とは無関係である)。




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