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気になる事件、事故ニュースから

105在日閥殺人ネットワーク:2018/05/28(月) 13:14:26 ID:.GMDc4NQ
http://www.kinyobi.co.jp/news/?p=3180
2014年9月26日4:03PM 第25回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」佳作入選作
デカダンス ―それでも私は行く―(織田作之助の苦悩) 吉川さちこ

◆戦後すぐ、『ヒロポン』という夢のような薬が薬局で売られていた。これを飲めば
倦怠感がとれ、気分爽快、頭脳明晰。空腹感はなくなり自信増大、多幸感が得られ、
闘志増加、さらには体力増強、二日酔いや乗り物酔いにも効果があるという。
その名前の由来はギリシャ語のヒロポノス─労働を愛する─からきているという。

こんな「疲労をポンととる」がキャッチフレーズの『ヒロポン』は大日本製薬
(現・大日本住友製薬)によるメタンフェタミンの商品名。つまりは◆今でいう立派な
覚醒剤であった。「覚醒剤取締法」で規制されている薬物は、基本的には
・フェニルアミノプロパン(アンフェタミン)
・フェニルメチルアミノプロパン(メタンフェタミン)

の二種類に分類されるが、メタンフェタミンのほうが、アンフェタミンより強い興奮作用
があり、いわゆる現在、「シャブ」「エス」「スピード」「アイス」「メス」
「クリスタルメス」と呼ばれるものに相当する。

さて、◆この『ヒロポン』は太平洋戦争以前より製造されていたが、覚醒剤としての副作用
や中毒に関する認識はまだなく、主に 軍部を中心とした軍用薬品として、
特攻隊の青年達への抗不安剤、あるいは過酷な工場勤務の眠気覚ましとして
用いられていた。終戦後、軍が解散されると同時に大量のストックが市場へと流れ出す。

当時は新聞や雑誌で大きく宣伝されたうえ、敗戦後の混乱した退廃的な風潮とも相まって、
単なる医薬品というよりは、むしろ嗜好品として大流行する。◆そのうち錠剤より
効き目の強い注射薬が発売され、芸能人、作家たちのあいだで大量使用が始まった。…

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48659
現代ビジネス 2016.05.18 辻田 真佐憲

■知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史〜芸能界「薬物汚染」の源流は
こんなところにあった!

…欧米の動きを受けて、日本でも1940年代にメタンフェタミンやアンフェタミンが
次々に商品化された。メタンフェタミンでは、大日本製薬の「ヒロポン」、
参天堂製薬の「ホスピタン」、小野薬品工業の「ネオパンプロン」、富山化学工業の
「ネオアゴチン」。アンフェタミンでは、武田薬品工業の「ゼドリン」、

富山化学工業の「アゴチン」などがあげられる。1940年代に覚醒剤を製造した会社は
23社にのぼったという(佐藤哲彦ほか『麻薬とは何か』)。…
http://www.amazon.co.jp/gp/product/410603638X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=410603638X&linkCode=as2&tag=gendai_biz-22

このような覚醒剤は、1945年8月の敗戦により不要となり、市中に流出してしまった。
その結果、冒頭で引いたようにひとびとが「ヒロポン中毒」になったのである。
昼夜を問わず多忙な芸能人の間には、特に蔓延したといわれる。覚醒剤の有害性は
戦後になって広く認識されるに至り、1951年ようやく法律で規制された。…


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