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安倍晋三研究スレッド 5

29。・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2017/04/07(金) 13:04:07 ID:vNtn.QX.
 1)佐伯啓思の議論:その1
佐伯啓思画像9 4月になると学校では新学期が始まる。来〔2018〕年以降,小中学校で道徳が教科化される。数年前に起きた大津での中学生のいじめ自殺問題を発端にしたようで,「礼儀」や「感謝」や「生命の尊さ」などを学習するようだ。これを聞いて,私はいささか居心地の悪い気分になる。
 引用)画像は,http://www.geocities.jp/hanashoubujp/2008sinsyuntaidan.html

 私は「道徳的なもの」を身に着けることが教育の基本だと思っているので,学校教育による道徳的なものへの関心はきわめて大事だと思っている。しかしまた,教科化によって週に1時間の「学習」だけではどうなるものでもない。むしろ,それで「生命の尊さを教えました」などとかたちだけ整える,ということになりかねない。
 補注)このとおりだと思う。「『道徳的なもの』を身に着けることが教育の基本だ」という点については,むろんそう思えるという感想をもつ。戦前・戦中までにおいて,いわれてきた(国民)道徳というのは,明治以来の日本式の学校教育のなかで作られ,強いられてきた独特の道徳「観」であった。

 敗戦を契機にして,この「道徳」という教科にまつわる悪い印象を払拭するために,この用語じたいを抹消する戦後教育の流れができていた。新憲法(大日本帝国憲法:明治憲法に代わって日本国憲法)が登場したが,当時における時代の流れのなかでは,敗戦をもたらしてもいた「大日本帝国における道徳関連教育思想」と「この実際のあり方」に対しては,否定的な評価が下されていた。

 佐伯啓思の指摘するように道徳は,学校教育そのもの(全体)のなかで教化されていくべき対象であって,1つの科目をもって教化する(教えこむ)方法に疑問を抱くというのは,たしかに妥当・有益な指摘・意見である。

 ということは,道徳という科目を別置し,独立させるという教育体系は,学校教育全体をこの道徳という教科をもって色づけ〔方向づけ〕したいと欲求する,国家支配体制側の価値観を明確に提示するものにならざるをえない。戦前・戦中における国家全体主義の教育体系は,民主主義の根本理念からはかけ離れていたし,しかもその中心には「天皇崇拝主義のための〈教育勅語〉」が居すわっていた。この点は否定するまでもない歴史上の事実であった。

 だから,教育勅語は敗戦後の国会において正式に否定された。ところが,いまどきの極右政権(安倍晋三の自民党内閣)は,公明党までもくわわっているこの与党体制なのであるが,教育勅語にはいいものもあったといいはりながら,これに近いかあるいは同等の教育観(道徳教科書)の必要性をもちだすようになり,実際に道徳という教科を新しく設置してこのなかで,「戦前・戦中に近い道徳教育」を強いるための欲望を剥き出しにした立場を,露骨に公表してきた。

出所)これが教育勅語を解説するためのひとつの画像であるが,
  こうした勅語の本質を隠蔽した字句しか出さない説明で
は,まともな説明にはならない。
http://kanousei88.com/the-book-of-virtue/

 このあたりの問題に佐伯啓思が言及していないわけではないが,きわめて微弱であり,なにゆえ,この程度にしか触れようとしないのか疑問である。佐伯啓思による議論であれば,まさに聞きたい焦点の問題点が,なぜか回避されており,結果的に無視されている。短い文章とはいえ,問題が問題だけに画竜点睛に欠くといわざるをえない。もう一歩踏みこんでいうと,佐伯はなぜ,この程度の「道徳問題に関する」議論で寸止め状態にしていたのか,いささかならず疑念をもたざるをえない。

〔佐伯啓思本文に戻る→〕  戦前の国家主義と結びついた過剰なまでの道徳主義の反動で,戦後は逆に,道徳を,前近代的で,あたかも封建社会の残影のようにみなす傾向があった。それは学校だけではなく,社会全体の風潮である。反道徳的であることが進歩的であるかのような空気が支配していた。その影響をもっとも強く受けたのが学校であり,子供たちである。

 そのうちに子供たちは学校で暴れだし,いじめが横行するにいたる。そこで,道徳教育の必要性が唱えられるようにもなるのだが,いかんせん,道徳教育の最大の問題は,道徳的な態度こそが教育の根幹であるにもかかわらず,それを教育することは至難の業だ,という点にある。
 補注)しかし,戦前・戦中のその道徳教育は,それはそれで,それなりに成果を挙げてきたのではないか? 皇国史観・天皇絶対主義,つまり日本神州観を核心とし,天皇崇拝を基盤とする日本人・日本民族としての道徳「観」が,学校教育全体を通貫する世界観・価値観として確立され堅持されていたはずである。しかし,敗戦という契機をもって,その大々的というか抜本的な見直し:反省をせざるをえなくなっていた。教育勅語はつぎのように完全に否定されていた。




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