したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

ネット、メディア規制関連情報スレ15

334。・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2014/03/22(土) 13:10:08 ID:B5FqNmXI
★朝ドラ「ごちそうさん」で描かれた大阪大空襲・救援電車の真実
エキサイトレビュー 2014年3月7日 11時00分 (2014年3月8日 02時12分 更新)
ライター情報:近藤正高
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20140307/E1394123050482.html

NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」の今週火曜(3月4日)放送の第128回では、大阪大空襲のさなか、
ヒロイン・め以子(杏)たちが地下鉄の心斎橋駅構内に逃げこみ、さらにはホームに入ってきた電車に
乗ってより安全な梅田方面へ避難するという場面があった。そもそもめ以子が地下鉄駅に避難したのは、
夫で大阪市職員として地下鉄建設にかかわった悠太郎(東出昌大)から渡された手紙に「地下鉄に
逃げれば安全だ」と書かれていたからだ。

このエピソードは、実話にもとづくものである。1945年3月13日夜から翌日未明にかけての米軍による
大阪大空襲(第1次)の際、街が火に包まれるなか、大阪市営地下鉄の心斎橋駅に避難してきた人々を
救うべく、電車が梅田方面や天王寺方面へ運行されたというのだ。

もっとも、空襲下に地下鉄を走った救援電車について公式な記録は一切残っていない。というのも、
戦時中の地下鉄は軍事輸送に使われることも多く、その運行ダイヤや職員の勤労内容などは「機密扱い」
の対象であり、それら事業資料は戦争が終わると、アメリカをはじめ連合軍からの戦争責任の追及を
恐れてすべて処分されてしまったからだ。これ以降、救援電車の話はあくまで噂レベルで、人づてに
語られるにとどまっていた。

それがあらためて世間に注目されることになったのは1997年、「朝日新聞」に京都大学名誉教授の
村松繁(免疫学。当時64歳)が空襲下での自らの体験を投書、掲載(3月11日付「声」欄)された
ことがきっかけだった。

投書によれば、市街を周囲から中心へと渦巻き状に爆撃が続けられるなかで、退路を断たれた被災者の
多くは中心部に逃げざるをえず、村松が心斎橋にたどり着いたときには周囲は完全に火の海であったという。
そのとき地下鉄のシャッターが開き、村松たち被災者は駅員から「早く入りなさい」とホームに誘導され、
ほどなくしてホームに入ってきた電車に乗り無事に梅田へ避難することができたのだった。村松は投書を、
《あの大惨事に際して、当時の地下鉄関係者の冷静で適切な措置には、今もって感謝と敬服の念で
いっぱいである》と結んでいる。

この投書に触発され、大阪市交通局の職員で組織される大阪交通労働組合は、地下鉄を含む市営交通が
空襲で受けた影響について公営交通研究所に調査を依頼、経験者の証言や数少ない資料によって事実を
解明することにした。(以下略)




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板