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「有事法制」&テロ 関連スレッド2
202
:
カマヤン
:2004/04/16(金) 07:25 ID:CLgo8mCA
〔資料3−4〕三谷秀史は、共同通信・朝日新聞と、佐賀県警記者クラブを通じ、かなり深い繋がりがある。
http://www.geocities.jp/jjrc_rugby/history.htm
1977年(昭和52年)夏、ラグビー大好き人間が佐賀で再会、県警記者クラブ(JJRC)が誕生した。
共同通信佐賀支局の山田史生(東大OB)は、警察庁から赴任した新しい県警警備課長と対面して驚いた。
学生時代に定期戦で、お互いフロントで対戦した【三谷秀史】(京大OB)だった。自然と話題はラグビーの
話となり、記者クラブと警察合同でチームを作ろうという話がまとまった。前の年に開かれた若楠国体の
ために、県総合運動場に芝のグラウンド二面が整備されており、環境も恵まれていた。
腰が軽いのが新聞記者の身上、動き出したら早かった。朝日新聞の菊池彰、久保田泉らが中心となり、
若手記者が狩り集められた。新人は有無を言わせず、中には事情はよくわからないまま、月会費1,000円を
払った記者もいた。チームの名前はJJRC、フルネームはシャレも入って「ジャパンジャーナリストラグビー
クラブ」と称したが、ホンネは「城内冗談ラグビークラブ」だった。ジャージー、ストッキングは緑と黒の
しま模様、パンツは白と決まった。監督には佐賀高時代に花園に出場した、かっての名スタンド山下哲夫、
主将に山田が就任した。「草野球」はともかく、「草ラグビー」なんていう言葉がなかった時期に、経験者
数人というラグビーチームが、アッという間にできあがってしまった。
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