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【原発】原発情報 避難所 21 【放射能】
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>>827
身投げホタルイカが浜に来るのは繁殖のためで
カロリーが高いすぎるのだと思う。
アニサキスが怖いので海に帰してたが。
縄文人は糸魚川の翡翠や
和田峠の黒曜石の分布から、
わりと遠くまで移動していたらしく
その移動の際の保存食だったらしい。
まず兵器として開発されて使用された。
中性子をぶつけると
2つの放射性物質に分裂するが
セシウム137とルビジウム95だったり
ヨウ素 131とイットリウム103だったりして
何になるかはがらがらポン。
しかも崩壊系列に従い放射線を出しながら崩壊を続ける。
武谷三男は原発慎重派の学者では一番大物だった。
しかし脱原発の住民運動に深入りすべきではなく、
あくまでも学術的な知識や見解を提供するに留めるべきという立場だった。
実は原子力資料情報室の初代代表は武谷三男なのだが、
無かったことにされている。
wikiから引用すると
急性の放射線障害といった確定的影響であれば、
ある程度大きな(閾線量を超える)線量被曝を受けなければその害は現れない。
ところが、ガンの発生および後の世代に現れる遺伝的影響といった現代でいうところの確率的影響については、
当時(1950年代中頃)においても、閾値が存在せず
かつ障害発生の確率がそれまでに受けた被曝線量の総和に比例している(すなわち、放射線被曝は微量でも有害)と考える説が
世界の専門学者らによって大体認められてきていた。
米国側などが主張した無害な量を意味した『許容量』の科学的根拠が失われていることを見抜いていた立教大学教授であった武谷は、
放射線防護のための新しい考え方として、
1957年に岩波新書『原水爆実験』において、
『許容量』とは安全を保証する自然科学的な概念ではなく、
放射線利用の利益・便益とそれに伴う被曝の有害さ・リスクを比較して決まる社会的な概念であって、
”がまん量”とでも呼ぶべきものであるという主旨の説を提唱した(武谷説)。
その後、武谷説は世界的に認められ、ICRPの国際勧告においても放射線防護体系という形で反映されている。
しかし日本においてはプルトニウムは飲めるとか、
放射能は健康に良いとか、
ニコニコしていれば放射能は来ないとかが罷り通った。
…どうしてこうなった…
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