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【原発】原発情報 避難所 18 【放射能】

276名無しさん:2017/08/03(木) 01:25:19 ID:tBgNWbSs0
連載 /「幌延」めぐる歴史をたどる ? ? 公害企業の誘致に失敗して…
http://fc2node0314blog.blog.fc2.com/blog-entry-67.html

81年2月には「泊の次は幌延に原発を」と、北海道電力に立地調査を依頼。
一方で、漁業団体から拒否され外洋をさまよう原子力船「むつ」の母港誘致も検討する。
やがて誘致の矛先が変わる。
81年夏、科技庁などに陳情した幌延町の一行は、中川長官から放射性廃棄物施設の立地話を持ちかけられたのだ。

連載/「幌延」めぐる歴史をたどる(2) ? “宝石プラン”に飛びついた町長
http://fc2node0314blog.blog.fc2.com/blog-entry-68.html

1982年2月25日、『毎日新聞』が北海道内での低レベル放射性廃棄物の陸上保管計画をスクープした。
2日後には、幌延町の浜里地区が最有力候補地になっていることが判明。
幌延町内のある商店主が駆けつけた。「町の中で自分なりに反対運
動をしたい」と張り切っていたが、ひと月ほど後、「残念だが物を言えなくなった」とトーンダウン。
周囲から不買運動をほのめかされ、沈黙を守らざるを得なくなる。

連載/「幌延」めぐる歴史をたどる?〜下川鉱山で地層処分の基礎試験
http://fc2node0314blog.blog.fc2.com/blog-entry-69.html

1980年代初めに“核のゴミ”問題に直面したのは、幌延町だけではなかった。
幌延から南東に120㎞ほどの林業が盛んな下川町。
筆者が生まれ育ったこの町で、動燃(現原子力機構)による、高レベル放射性廃棄物の地層処分に向けた基礎試験が行なわれた。

連載/「幌延」めぐる歴史をたどる ?〜知事交代を機に「低レベル」計画が後退
http://fc2node0314blog.blog.fc2.com/blog-entry-71.html

1982年の「原子力の日」(10月26日)記念講演会。
中川一郎科学技術庁長官(故人)は、低レベル放射性廃棄物施設の誘致に乗りだした幌延町を、
建設予定地として絞り込んだと明らかにした。
同年暮れの幌延町長選でも誘致推進派が勝利。
このまま計画の実現に弾みがつくかと思われた。

しかし翌83年1月9日、火付け役だった中川氏が札幌市内のホテルで自殺…
地元の誘致運動は大きな支えを失う。

中川一郎の野郎…こんなことやってたのか…自民はろくなのがいない…




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