したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

ウサマ・ビン・ラディン 掲示板

3ウサマ・ビン・ラディン 掲示板:2011/05/02(月) 15:19:14
冷戦と湾岸戦争が生んだ怪物 ビンラディン容疑者   日本経済新聞
ttp://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C93819587E3E3E2E3E68DE2E0E2E7E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;bm=96958A9C93819587E3E3E2E2858DE2E0E2E7E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

 ウサマ・ビンラディン容疑者は1957年、サウジアラビア最大のゼネコン・グループを率いる富豪一族に生まれた。アブドルアジズ王大学の経営学修士課程に学んだおとなしく平凡な若者を、前例を見ない国際テロリストに変えたのは冷戦下のアフガニスタン戦争とその後の湾岸戦争だった。

 一族はイエメン出身で、サウジの聖地にあるモスクの工事なども手がけた。旧ソ連軍が侵攻したアフガンで1980年ごろ、イスラムを守る戦いに参加すると決めたビンラディン容疑者は家族から熱烈な祝福を受けた。アフガンで同容疑者を支えたのは「米国の武器とサウジの資金だった」と自ら述べている。

 転機は91年の湾岸戦争。同容疑者はサウジに米軍駐留を認めたサウジ王室に幻滅。王室批判を強め、その後、国籍をはく奪された。スーダンに移った同容疑者は、イスラエルによるパレスチナ支配を非難し、イスラエルと米国を標的に活動する過激派としての側面を強めた。96年にはアフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンに「賓客」として招かれた。

 その名を一気に広めたのは98年にケニア、タンザニアで起きた米大使館同時爆破事件。「米国人を殺すことがイスラム教徒の義務」という過激な主張はパレスチナやイラク問題で反米感情を膨らませたイスラム過激派の心理に共鳴した。

 同容疑者は世界中にアルカイダのネットワークを拡大。3億ドルともいわれる資産をアフガンの麻薬取引などで膨らませたとみられている。

 93年の世界貿易センター爆破事件、96年のサウジアラビア・ダーランの米軍施設爆発事件、2000年にイエメンで起きた米駆逐艦爆破事件など多くのテロへの関与が疑われている。2メートル近い長身。古い友人というパキスタンのイスラム教育機関の関係者は「物静かな真のイスラム教徒で、彼に協力しなければという気にさせる」と評した。

(ドバイ支局)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板