したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

身の回りの電波

561今日の電波マニア:2006/09/11(月) 00:37:17
この帰国事業を否定するつもりは無いけどさ、たった一人の残留孤児から、73人もの日本語を話せない中国人。何しにきたの?

        
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060910k0000m040158000c.html
元中国残留婦人:血縁のない家族18人、定住認められ来日
元中国残留婦人の西田栄美子さん(76)=大阪府八尾市=の夫の連れ子だった中国人5人と家族計18人が9日、定住するために来日した。これまで日本人と血縁のない外国人の定住は認められなかったが、法務省が昨年、中国残留孤児・婦人が実子同様に育てた養子や継子に限り認める方針を打ち出し、来日が実現した。78年に帰国した西田さんはひ孫の代まで含め親族が91人おり、うち実子の家族ら73人は既に日本に定住。18人の来日で、28年ぶりに全員がそろった。

 関西国際空港で、親族ら約20人とともに出迎えた西田さんは「戦争と国家によって、家族を分断され続けた人生だった。今やっと、家族を取り戻した」と涙を流した。

 西田さんは終戦間際の45年4月、開拓団の一員として福岡県から旧満州(現中国東北部)に渡り、戦後、生き延びるため現地にとどまった。中国人の夫の連れ子7人を含む計13人の子どもを育て78年、念願の帰国を果たして夫や実子らを呼び寄せた。95年、夫の連れ子だった石長春さん(52)一家を呼び寄せようとしたが、血縁がないとして不許可とされた。入管への再三の事情説明も聞き入れられなかった。

 ところが、97年、長春さんら連れ子3人が家族を連れ、知人の孤児の家族にまぎれて相次いで偽装入国。西田さんは悩んだ末、00年、「血縁はなくても私の子です」と名乗り出て、在留特別許可を嘆願したが、長春さんら2家族7人は強制送還された。

 この日、再来日となる長春さんら7人を含む18人が空港到着口から出てくると、西田さんは泣きながら一人一人と抱き合った。親族らは就労可能な「定住者」の在留資格を得て大阪府内で仕事や通学をしており、18人も同様に生活する予定。

 中国残留孤児・婦人が育てた養子や継子をめぐっては、入国後に国外退去命令を受ける事例が全国で続出し、一部は訴訟に発展した。福岡高裁が05年3月、退去命令取り消しを命じる初判断を示し、法務省が方針を変更した。変更後、多数の中国人に一括して定住許可が出たのは初めて。【村元展也】


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板