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身の回りの電波

246憂坊:2004/05/29(土) 00:06
>244 「お笑いアカ日」新聞読者様

日本の仏教は、すでに仏教としての域を越えているという指摘は、常にあります。
日本の宗教的体質じたいが、「信仰」を根付かせるには難しい土壌で、594年の聖徳太子による「仏教興隆の詔」あたりから
国家仏教として日本に登場しますが、しばらくは皇族・公家の葬儀や災害時の祈祷を主たる活動としています。
本格的に庶民の中にまで仏教が浸透したのは、時代を経て江戸中期ごろの檀家制度完成あたりからです。
これには「民間の葬儀」も含まれ、皮肉なことですが「葬式仏教」になることで仏教は日本に浸透したのです。
現在でもなお、葬儀の方法には仏教とは関係ない日本古来の方式が多く用いられています。
仏教的なものというのは①引導を渡す ②火葬にする の実はこの二点だけで、お経は本来生きているあいだに
聞くものですので葬儀とは関わりがありません。
いわば、日本の古来宗教に迎合する形で仏教は変貌してしまったわけで、これに明治・大正・昭和を経て
根付いた資本主義の波が拍車をかけ、ビジネス化してしまっているのが現在の状況です。
ことに問題なのは堕落した生活態度や同門でのいがみあいなどだけではなく、
水子供養(優生保護法によって大量に発生した堕胎者の受け皿となった)
に代表される、人の負い目につけこんだ霊感商法まがいの「負のビジネス」
に傾倒している人が多いということです。「水子供養」で検索をかけるとわかりますが、
この制度の問題点を指摘するサイトといろんな寺院の「広告」が混在しています。
これが、>>240で書いた「世間知らず」な部分であると私は考えております。
今はそれでお金を儲けて、いかにも隆盛しているかに見えますが、こういった「負の遺産」を残すことは、
のちのち自分たちの首をしめることになると、一人でも多くの僧侶が気づいてくれることを願うばかりです。


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