したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第50部

70正樹★:2020/05/06(水) 03:44:36
 
経歴[編集]

東京都目黒区駒場に生まれる。平田オリザは本名で、ラテン語のoryza(正確な発音は「オリューザ」に近い)が「稲」を意味することから、オリザの父・平田穂生によって「子どもが食いっぱぐれないように」との願いをこめてつけられた。目黒区立第一中学校1年生のときに学芸会の劇を初めて演出し、その時の主演は後のデーモン閣下であった。中学を卒業して都立駒場高校定時制に進学。高校2年、16歳のときに高校を休学(のち中退)し、自転車による世界一周旅行を決行。その後世界26か国を放浪し、1981年に旅行記『十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本』(晩聲社)として出版している。

大学入学資格検定試験を経て1982年国際基督教大学に入学。同年に処女作を執筆。翌年に劇団青年団を結成。1984年、国際教育基金の奨学金により韓国の延世大学に1年間公費留学する。1986年、国際基督教大学教養学部人文科学科卒業。その後すぐ父親が自宅を改装、借金をしてつくったこまばアゴラ劇場の劇場経営者になる。1994年、代表作『東京ノート』初演。同作品で翌年第39回岸田國士戯曲賞を受賞。同作は1999年の韓国公演以来、青年団により世界15カ国で海外公演されている。その後は1998年に『月の岬』で読売演劇大賞優秀演出家賞、2002年『上野動物園再々々襲撃』で同優秀作品賞、および日韓国民交流記念事業『その河をこえて、五月』で朝日舞台芸術賞グランプリ、2006年にモンブラン国際文化賞を受賞。2011年にフランスの芸術文化勲章シュヴァリエに叙される。2012年、平田オリザと青年団に焦点を当てた想田和弘監督による長編ドキュメンタリー映画『演劇1』『演劇2』が釜山国際映画祭でワールド・プレミアされ、日本でも劇場公開された。2019年、『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞を受賞[7][8]。

2012年に執筆した処女作となる小説『幕が上がる』は、2015年に踊る大捜査線シリーズで知られる本広克行監督により映画化された(2月28日公開)。これによって小説にも注目が集まり、平田の作家人生において初となる累計10万部のベストセラー(2015年2月現在)となった[9]。

学識者としての経歴[編集]
1999年、桜美林大学文学部総合文化学科助教授就任(2005年に同学科の総合文化学群への改組とともに教授)。
2006年、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授に就任(のちに客員教授)。
2007年、大阪創造都市市民会議発起人に就任。
2009年から2011年まで鳩山由紀夫内閣で内閣官房参与に就任[10]。鳩山の所信表明演説に際しては、発声指導をおこなっていた[11]。また、鳩山が主催する「リアル鳩カフェ」で、佐々木かをりとともにファシリテーターを任された[12]。第2回リアル鳩カフェでは官邸の庭で催された鉄板焼きの様子が大きく報道された。菅直人内閣では国際交流担当となり、対外的な発言が物議を醸した。
2010年、四国学院大学学長特別補佐・客員教授、リヨン高等師範学校客員教授に就任。
2011年、富士見市文化芸術アドバイザーを委嘱された[13][14]。
2013年、東京藝術大学社会連携センター客員教授[15]に就任。
2014年、東京藝術大学・アートイノベーションセンター特任教授、京都文教大学臨床心理学部客員教授[16][17]に就任。
2015年、城崎国際アートセンターの芸術監督に就任。併せて、豊岡市の文化政策担当参与を拝命[18]。
2016年、岡山県奈義町の教育・文化のまちづくり監に就任[19]。
2017年、宝塚市の市政アドバイザーに就任[20]。
2019年、西宮市の政策アドバイザーに就任[21]。
2021年、国際観光芸術専門職大学学長に就任予定[22]。

その他、東京大学教育学部講師、早稲田大学文学部講師などを歴任している。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板