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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第50部

340正樹★:2020/06/26(金) 03:03:25
 
西村修平
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E4%BF%AE%E5%B9%B3
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E4%BF%AE%E5%B9%B3
   西村 修平(にしむら しゅうへい、1950年(昭和25年) - )は、日本の政治活動家[2]。行動する保守運動の提唱者とされる[3]。本業はフリー。

略歴​[編集]

秋田県男鹿市出身。専修大学中退[1]。日中友好協会(正統本部)の派遣で文化大革命当時の中国を1ヵ月間旅行した[1]。大学中退後はアルバイトをしながら経理学校に通う[1]。

民間企業に経理担当として勤務する傍ら、酒井信彦の「中国によるチベット問題」を訴える活動に共鳴して活動家となる[1](この頃に転向したと思われる)。その後、国民新聞記者を経て[4]、政治活動家[2]として主権回復を目指す会代表、靖國會理事、英霊にこたえる会委員[5]を務める。維新政党・新風千葉県本部・元代表(既に除籍)。北朝鮮に拉致された日本人を救出する千葉の会元幹事。河野談話の白紙撤回を求める市民の会代表[6]。「村山談話の白紙撤回を求める市民の会」代表[7]を務める。

2011年東日本大震災による福島第一原発事故でいち早く東電に抗議、それ以降は明確に脱原発を掲げた[8]。2013年以降、街宣活動数は減少してはいるが、かつて行動をともにした在日特権を許さない市民の会会長の桜井誠ら他の行動保守の活動を強く批判している[9]。ニコニコ動画における討論会などにおいて、桜井誠の一千万円にのぼる寄付金の行方について突然明らかにするなど、関係者を驚かせた。桜井誠はこれに対して、西村修平がチーム関西によるトラブルをきっかけとして、お互いの活動方針がまったく異なることが明らかになったため関係が途絶したと主張している(「桜井誠 (活動家)#西村修平との関係」を参照)。


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