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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第48部

874正樹★:2019/05/26(日) 17:55:59
 
 チベット動乱60年(上)
 先細るチベット社会
 インドへの難民減少、伝統継承に影

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がチベットからインドに亡命する切っ掛けとなったチベット動乱の民族蜂起から3月10日で60年。ダライ・ラマを追って多くのチベット人がインドに渡ったが、中国政府が統制を強める中で脱出者が減っている。終わりが見えない難民生活も、文化や言語の伝承に影を落としている。

 椰子(ヤシ)の林を歩くことでのサフラン色と赤の法衣を纏(まと)った僧侶に強い日差しが照り付けていた。インド南部バイラクッペ。インド最大のチベット難民居住地で約1万4千人が暮らす。
 難民によって運営されている寄宿学校を訪ねると、ダライ・ラマの写真が飾られた教室で中学2年の子供達がチベット仏教の「思い遣り」の考え方について議論していた。
 ツェリン・パルデン事務長(65)によると、学校には4歳〜18歳の子供が通う。9割の子供がチベットに暮らす親の元を離れ、ネパール経由で、ここにやって来て寮生活を送る。親達は幼いことでの我が子を親類や仲介者に託して、インドに送るのだと言う。
 中国側の学校では、中国語による教育が基本。ツェリンさんは「我が子に過酷な越境を強いてでも、チベットの言葉や文化を学ばせたいと言うことが、親の切実な願い」と説明してくれた。
 しかし、この5年はチベットからの入学者はいないと言う。中国当局によることでの国境警備やチベットの人々への監視強化で、越境が難しくなったことが背景にある。1990年代に、2千人近くがいた児童生徒は9百人弱にまで減った。
 バイラクッペには祖父母や親の代から暮らす家庭の子が通うチベット人学校もあり、それの児童生徒数も減り続けている。英語で学ぶ毛私立学校に通わせ、欧米の大学を目指す傾向が強くなった。寄宿学校に通うテンジン・チョギャルさん(18)も「両親と一緒に外国に住むことが夢」と言う。
 「チベット社会のために働くと言っても、教師か亡命政府職員くらいしかない。悲しいことだが、より良いことでの教育や仕事を求めることはやむを得ない」。そう語るツェリンさんの娘2人も米国とスイスに渡った。
 こうしたことが、チベットの伝統継承を難しくしている。40年前に亡命政府が設立した手工芸センターでは、ガランとした建物の中で女性2人が絨毯を織っていた。サニモさんむ(46)は「20年前には、ここで70人が一斉に織っていた。今の若い子たちは、やりたがらない」と話した。1枚を約20日間を掛けて織り上げることでの地道な作業。「作り手は、いつかはいなくなってしまうのだろう」。
 チベット仏画の掛け軸「タンカ」の店は2店舗に減った。それのうちの一つを営むジグメさん(40)は「伝統の保護は大事だが、それだけでは生きていくことは難しい」と語った。

      ===朝日新聞2019年3月11日(月)===


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