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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第48部

608正樹★:2018/12/20(木) 04:47:13
 
マルコ・ルビオ
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%AA
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   マルコ・アントニオ・ルビオ(Marco Antonio Rubio、1971年5月28日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の政治家、フロリダ州弁護士。所属政党は共和党。両親はキューバからの移民で、宗教はカトリック。

生い立ち[編集]

1971年、フロリダ州マイアミで、父マリオ・ルビオ・レイナと母オリア・(旧姓ガルシア)ルビオの三男として生まれる。彼の兄と姉妹は兄にキューバ生まれのマリオ・ヴィクター、姉にバーバラ(1987年に逮捕された元麻薬密輸グループの一員でもあったオーランド・シシリアと1980年に結婚している)、妹にヴェロニカ(プエルトリコ出身の歌手・俳優のカルロス・ポンセと結婚)である。両親はフィデル・カストロがキューバ革命起こす以前の1956年5月18日に貧しい生活から抜け出し、豊かな生活を求めてキューバのハバナにあるアメリカ領事館に駆け込み、キューバから経済移民としてアメリカに移民したキューバ人であり、家庭やキューバ人社会ではスペイン語が母語のため、幼少時よりスペイン語に堪能だった。両親のキューバでの子供時代は貧しく、父親は学校を途中で辞めて仕事をしていた為、読み書きを学んでいなかった。その為アメリカに来た時、小学校教育を持つ、勤勉な人々は彼らの子供の施設、車と大学を持っている余裕があると思い、この国なら機会があると希望を持っていたと言う。両親は当初、英語が中々話せず苦労しながら子供を育て、1975年にアメリカ市民権を取得している[1]。母オリアは1961年に一時キューバに帰国しており、この時キューバは革命によりフィデル・カストロ政権による共産主義化に進んでいて、病んでいる母の父ペドロ・ヴィクター・ガルシアを説得してアメリカに連れて行く為である。母方の祖父ペドロ・ヴィクター・ガルシアは1956年にアメリカに移民するが、1959年にキューバに帰国し、1962年にビザなしでアメリカに入国したため、入国管理局によって拘留されている[2][3]。移民裁判官はペドロに強制送還を命じたが、最終的には彼がビザなしでアメリカに残れるように配慮した[2]。

両親と幼い兄と祖父ペドロ・ヴィクター・ガルシアはアメリカに来た当初は、低所得層向けの公営団地に引っ越して住み、夫婦共働きで工場で働いていたが、後に父マリオは小学校の学童擁護員やラスベガスのカジノでバーテンダー、母オリアは小さなマーケットでのレジ打ちやウェイトレスやホテルのメイドなどで働き、両親の仕事の関係で一時ネバダ州ラスベガスに移る。ルビオ家はカトリック教徒だが、ラスベガス在住時の8歳の時、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の教会にも出席し洗礼も受けた[4]が、1984年に家族全員、再びカトリックに戻っている[5][6] 。フロリダに戻ったルビオは南フロリダ高校に入学し、1989年に卒業。卒業後は1年間フットボール奨学金を利用して、ミズーリ州のターキオカレッジに通った後、フロリダ大学を卒業。更に1996年にマイアミ大学で法務博士の学位を取得した[7][8]。なおルビオはロースクール修了までに10万ドルの教育ローンを抱えており、2012年にようやく返済を終えたという[9]。


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