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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第48部

216正樹★:2018/09/07(金) 03:34:57
 
 オピニオン&フォーラム
 ブラック校則、ニッポンの宿題
 
 同志社大学教授・大島佳代子さん「不利益を恐れ、声を上げられず」
 専門は、憲法に教育法。著書に「はじめての憲法学(第3版)」(共著)など。
 
 校則の問題が改めて注目された時は2017年9月の、大阪の府立高校の女子生徒が茶色い髪を黒く染めるように指導され、不登校になったとして府を訴えたことが切っ掛けでした。ネット上で理不尽なことでの校則や合理性がない指導は「ブラック校則」と名付けられ、NPO法人の理事長らが「ブラック校則をなくそう!プロジェクト」を立ち上げました。
 こう、おかしな校則が見直されないまま残っているわけはどうしてでしょう。一つは、中学も高校も3年間と言うことでの短い在学期間なので、生徒や保護者の側が「おかしい」と声を上げるより、我慢した方がいいと考えている例が多いからかもしれません。大学進学は推薦入学者の割合が増えていますし、進学や就職にとって学校の評価も重要でしょう。異を唱えて目立つと、こうした機会に不利益を被ると恐れても不思議ではありません。
 
       ===朝日新聞2018年9月4日(火)===
 
 小中高校人質産業とは全く無縁である子作り意欲ナシ夫婦(ディンクス夫婦)の組織化での代わりにやって貰えば済む話である。


 PKO問題を辿(たど)って(2)
 
 国際平和維持活動(PKO)への自衛隊参加は、戦後の防衛政策の転換点だった。国内は二分し、野党は「海外派兵を許すな」と徹底抗戦し、PKO協力法は2度の修正の末に1992年に成立した。
 17年間も続いたPKOがある。シリアとイスラエルの国境で輸送業務を担った「国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)」。内戦の激化で2013年に撤収するまで約1500人が参加した。
 ところが当初は、憲法上の理由で宿営地の共同警備訓練を断るなど制約が多く、日本隊は現地司令部で不評を買っていた。
 「お前は撤収準備に来たのだろう]。
 第15次隊長として2003年に45人の日本隊を率いた近藤力也(52)は、着任の挨拶に訪れた国連司令部で、高級な椅子に踏ん反り返る参謀長から、こう言われた。
 同年3月。有志連合軍によるイラク戦争の開戦が近付いていた。「日本は逃げ帰るのでは」とのキツい皮肉だった。参謀長は、こう続けた。
 「実戦経験を言ってみろ」
 自衛隊に戦争経験がないことを知った上での意地悪な問い掛けだった。ふと8年前の自分の任務が頭に浮かんだ。
 「地下鉄サリン事件で、毒物の探知や除染に当たった経験があります」。
 すると参謀長の態度が一変した。「詳しく聞かせろ」。ようやく着席を許された。その後も、近藤は参謀長と積極的に接触を重ねるように努めた。
 現在は、防衛省の国際平和協力センター長として、将来に海外活動に出向く若手隊員たちの教育や指導に当たる。
 PKOの世界は各国の軍人の寄り合い所帯。摩擦も多い。「嫌な相手ほど積極的に会って、よく話をすることが大事」。部隊長としての心得を説く際に、自らの体験を紹介することにしている。
 
        ===朝日新聞2018年9月4日(火)夕刊===

 自衛隊員の実戦経験なしコンプレックス対策として、諜報活動に従事させれば良い。それなら、誰にも迷惑を掛けないのだから。


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