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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第47部
770
:
正樹★
:2018/05/20(日) 02:29:41
古賀茂明
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%98%8E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%98%8E
古賀 茂明(こが しげあき、1955年(昭和30年)8月26日 - )は、日本の元通産(経産)官僚である。フォーラム4代表。古賀茂明政策ラボ代表。
来歴[編集]
長崎県佐世保市生まれ。その後東京に移り、麻布中学校・高等学校卒業[1]。高校の同期生に湯浅卓、大西洋がいる。東京大学教養学部文科1類を経て東京大学法学部に進学[2]。1980年(昭和55年)、東大法学部を卒業し、通商産業省(現経済産業省)に入省。[3]。同期入省に西山英彦、石黒憲彦(経済産業審議官)、立岡恒良(経済産業事務次官)が、1期上に民進党の江田憲司などがいる。
中央官僚時代のキャリア[編集]
外務省在プレトリア日本国総領事館領事などを経て、通産省や後継の経産省では大臣官房会計課法令審査委員、経済産業政策局経済産業政策課長を歴任する。 2005年(平成17年)に外局の中小企業庁部長、その後中小企業基盤整備機構出向となった。2007年(平成19年)には茨城県つくば市にある独立行政法人の産業技術総合研究所に異動。2008年(平成20年)、渡辺喜美行政改革担当相から内閣官房に設置された国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に任じられる。2009年(平成21年)12月、経済産業省の「経済産業省大臣官房付」に異動。2011年(平成23年)9月26日、依願退官。
退職後[編集]
2011年(平成23年)12月13日、大阪新市長橋下徹と大阪府新知事松井一郎は「府市統合本部」顧問の役職を設置し、堺屋太一らと共に古賀も招かれた。[4]。2014年東京都知事選挙に「脱原発」を主張する細川護熙のスタッフとして参加した[5]。
体制への批判[編集]
官僚や体制についての著書も執筆し、2011年の年間ベストセラー総合書籍ランキング(オリコン調べ、集計期間2010年12月 - 2011年11月)では、「官僚の責任」(2011年7月出版)が約40万部売れ19位に、「日本中枢の崩壊」(同年5月出版)が約39万部売れ26位にランクインしている[6]。古賀は後に当時のことを「僕のときは全然、前例がなくて、役所の中で実名でめちゃくちゃ告発を始めたときに、向こうはこいつと思って、いろいろ封じ込めようと思ったんでしょうけれど、僕が常に彼らの想定外のことをやり続けて、どんどん向こうが墓穴を掘ってたって感じでしたね。『日本中枢の崩壊』も事前に秘書課と広報室に出したんですよ、それで内容を検閲してくださいって言った。ところが2週間ぐらいじっと時間がたっても、何も文句を言ってこれない。」と語っている[7]。
「停電テロ」発言[編集]
2012年5月17日、古賀はテレビ朝日『モーニングバード』において大飯原発の再稼働を批判し、その中で「火力発電所でわざと事故を起こす、あるいは事故が起きたときにしばらく動かさないようにして、電力が大幅に足りないという状況を作り出してパニックをおこすことにより、原子力を再稼動させるしかないという、いわば停電テロという状態にもっていこうとしているとしか思えない」と陰謀論を展開した[8][9]が、関西電力は「当社として、そのような事を検討している事実は一切ありません。」と公式に発表した[9]。2012年5月29日、古賀は発言の主旨について「経産省と関電が去年の夏から今年の春にかけて、電力確保のためにほとんど何もやっていなかったのではないか、ということを言いたかった」と釈明した[10]。
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