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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第43部
504
:
正樹★
:2016/07/29(金) 01:06:46
JALの事故調査[編集]
航空事故調査委員会とは別に、JALも社内事故調査委員会を設置して、独自の事故調査を行っている。この報告書は2002年8月にまとめられたが、社内外ともに非公開とされた。同年8月26日に、同社の労働組合に対して行われた説明会において、その内容は「基本的には事故調の報告書と齟齬はない。」とされた[33]。
異論・異説[編集]
遺族や航空関係者(労働組合)などの間では、事故調査報告書の内容に納得せず、再調査を求める声も多い[5]。
技術的、工学的な指摘としては、事故原因は圧力隔壁の破壊ではなく、垂直尾翼の方向舵に発生したフラッターによるものではないかという異論もある[12]。
事故後[編集]
本事故が起きた昭和60年度には、国内線旅客は前年度の対前年度比9%増から一転して同2.1%減となり、各航空会社とも経営が悪化した[34]。これに対し新幹線旅客は、輸送人員で前年度の対前年度比1.5%増から飛躍的に増加し、同9.8%増となった[35]。
羽田 - 伊丹線往路「JAL123便(JL123)」という便名は、1985年(昭和60年)9月1日のダイヤ以降に欠番とされたが、後にこの便名と対となる復路「JAL122便(JL122)」も欠番扱いになった。
追悼施設[編集]
墜落現場である「御巣鷹の尾根」には事故の翌年、慰霊碑が建立され[44]、毎年8月12日には慰霊登山などが行われている。
「御巣鷹の尾根」は財団法人「慰霊の園」が地元の人々を雇用する作業委託で整備が進められたが、群馬県警察の遺体発見場所地図を元に建てられた多数の墓標・みかえり峠の碑・せせらぎを渡る橋・手すりなど、地元の人々・警察など当時の関係者・JAL職員などがボランティアの手作業で維持管理しているものも多数ある。
事故発生から30年以上が経ち、遺族の高齢化が進んでいることから、2006年8月より墜落現場付近を通る砂防ダム工事用道路が村道兼林道として一般開放され、墜落現場まで歩く距離が約2.2kmから約800mに短縮された[45]。
2016年7月23日午前10時ごろ、遺族の慰霊登山に向けて他の社員7人と登山道の整備などをしていたJALの50代の社員が滑落し、頭を強く打ち病院に搬送されたが死亡が確認された[46]。
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