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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第42部

725正樹★:2016/06/05(日) 01:04:04
 
 もしも、外道(げどう)中曽根康弘らの会話とされることでの、
 
     中曽根総理の別荘での盗聴情報によると、以下の通りである。
     首相官邸からの矢の催促の撃墜命令要請に対し、
    「私は、こんなことのために総理大臣になったわけじゃない」・・・・
    総理が、未曾有の都市部への墜落の大惨事を恐れて、許可する条件として
    言い出した。「国民に、撃墜を知られないようにできるのなら、許可しよう」
    「目撃者が出たら、どうしますか?」に対して、「何とかしろ」と総理。
    「殺せ、と言う意味ですか?」に対して、「私を、これ以上に人殺しにするつもりか」と
    怒鳴り、「何とかしろ、は何とかしろ、と言う意味だ」と怒鳴っていた。
 
の会話が本物ならば、上越新幹線の乗務員室の列車無線電話を使っての交信の傍受ではなかったのか!?
 
 外道(げどう)中曽根康弘は、17時11分に軽井沢駅を発(た)つ特急「あさま」号189系サロ189形式グリーン車に乗車したと思われ、丁度(ちょうど)日航123便ジャンボ機が羽田空港を離陸した18時12分20秒頃に、高崎駅で上越新幹線・(「ひかり」相当の)「あさひ」200系215形式グリーン車に乗り換え、日航123便ジャンボ機が墜落することでの約4分前の18時52分に大宮駅を入線し発車し、(名義上は東北新幹線を走行し)19時15分に上野駅に到着したのだから、
 
     200系215形式グリーン車の乗務員室の列車無線電話を使っての
    首相官邸との交信
 
ではなかったのか!?
 
>『日航機墜落事故・真実と真相-御巣鷹の悲劇から30年、正義を探し訪ねた遺族の軌跡』
>(文芸社:小田周二)443頁〜445頁
>(自衛隊)幹部には時間的な余裕は10分間しかなかった。彼らは政府要人への
>連絡を行なったが、方策や対処や、結論といった指示はなかったと思われる。
>なぜなら、現場サイドの緊迫したことでの詳しい事情を知らないので、
>指示を出せないからである。そこで自衛隊幕僚長らの緊急会議が行なわれ、
>この事態を葬り去ることができる可能性として、あの「日航機『もく星』号撃墜事件九」と
>「全日空機雫石衝突事故」が幹部の頭を過(よ)ぎったのである。
 
 
 自衛隊内の自民党スパイ共(ども)のみだけで、日航123便事故真相迷宮入りは不可能だろう。
 
 なぜならば、迷走飛行中の日航123便ジャンボ機を、富士山・山頂山腹(さんぷく)登山道から登山者らが、目撃し写真機(カメラ)での写真やビデオカメラでの映像を撮っているからである。
 
 大至急に、警察が富士山登山道に検問を敷き、写真や映像を没収しなければ、登山者らは続々と下山し帰路に就(つ)き、自宅周辺などで、「臨時速報に出でいる、この飛行機(日航123便ジャンボ機)を見たぞ!自衛隊の戦闘機が追尾していた!」と目撃談を添えての写真や映像を流布されては、真相迷宮入りは手遅れになるからである。
 
 日航123便ジャンボ機が、自衛隊・飛行物体との衝突後の首相官邸では、日頃から「2.悪い、本当の事実を報告せよ」「3.勇気を以って意見具申せよ」と指示している後藤田正晴が、外道(げどう)中曽根康弘への連絡を含めて、陣頭指揮を執(と)っていたのではないのか!?


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