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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第40部

736正樹★:2015/10/09(金) 00:52:28
 
 一段落して、私は群馬に向かった。上野村は想像以上に山また山の中にあった。消防団の人に会って、救助作業のお話をうかがった。現場へは行けなかったが武道峠から遺体捜索のヘリが飛ぶ尾根の向こうに墜落現場を想った。国立高崎病院に入院している慶子ちゃんの病室にも見舞った。
 上野村から帰って、私はたまっていた新聞各紙の切り抜きをした。それ以来、日航機事故関係の記事が目に飛び込み、それを切り抜いた。〝日航と航空行政〟〝遺族、慰霊〟〝刑事責任〟〝川上さん一家〟など十数項目に分類整理し、台紙に張ってファイルしてある。先日の事故機内写真の公表まで、数千記事になってしまって、これを見るにつけても、この事故がいかに重大で悲惨なものであったか、改めて思い知らされる。
 このような惨事が再び繰り返されるようなことは、絶対にあってはならない。この追悼文集は、故人を偲ぶとともに、その願いを強く込めてつくられた。
 川上英治さんは41年と9ヵ月、和子さんは39年と10ヵ月の、人生80年と言われるこの時代に、正に人生半ばにして、私たちの前から突然姿を消してしまいました。満7歳の誕生日をむかえた咲子ちゃんとともに。二人は共に北九州、八幡で職に就き、青春を過ごし、そして結ばれて出雲の地へ。民主的、革新的な運動の先頭に立って、社会のため、地域のために文字通り奮闘してきました。このことは、ご寄稿をいただいた皆様の、どの文面からも伺い知ることが出来ます。
 文集づくりの中で、私は皆様から寄せられた追悼文を、所定の原稿用紙に書き写し、そして編集をさせていただきました。鉛筆を運びながら、まぶたが熱くなり、時には涙をぬぐいながら書き綴りました。そして姿は見えなくなっても、二人はみんなの中にたくましく生きていると思えました。町内を歩いていると、町民の皆さんから、生前の和子さんの話、英治さんが元気だったら、と惜しむ声を聞かされます。また遠路おまいりに訪れて下さる方が今でもあります。


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