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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第38部

512正樹★:2015/02/19(木) 00:24:09
 
 『新版-続・悪魔の飽食』
 (角川書店・角川文庫:森村誠一)
 -7頁〜11頁-
 序章-海を渡った細菌戦部隊〜ファシズム(独裁政治)に対して絶えざることでの疑惑と警戒を
 今に、なぜ731なのか。それは、ようやく戦争を知らない世代が、壮年期以下に達しつつある現在に、改めて戦争の正体と軍隊の本質を凝視することによって、平和と民主主義の脆(もろ)さを再確認するためである。
 平和と民主主義は、宙(ちゅう)に浮いたグライダーのように、維持するために何の努力も払わなければ、自然に降下する“自動的下降性向”を持っている。それに反して、ファシズムは放っておけば、上昇して勢いを得る。
 我々は、現在の平和と民主主義を得るために無量の血を流した。それはファシズムに対して絶えざることでの疑惑と警戒によって、かろうじて維持されるものである。
 平和と民主主義を失うことは容易(たやす)く、再び、それを得るためには無数の犠牲を積み重ね、長い暗黒に耐えなければならない。
 731の軌跡を追うことによって、かつての日本民族が辿(たど)ったことでの暗黒の深さを知り、民主主義を維持するための礎(いしずえ)の一石としたい。
 
 
 だが、抑止によって平和を保つことができない状況も存在する。それの第一は、報復攻撃による犠牲を恐れずに行動する主体である。自爆を試みるテロリストに向かって報復を予告しても意味がないように、どれほど犠牲を払っても目的を達成しようとする交戦主体を前にすれば、報復攻撃を予告しても効果は期待することができない。
 抑止戦略の実効性が少ないことでの、もう一つの状況は、小規模の軍事紛争に対して、各国が関与する意思の乏しい場合である。大規模な攻撃に対して反撃する準備はあっても、小規模の攻撃については対抗する意思が乏しければ、小規模な攻撃を加えた側は勝ち逃げに成功する。大規模な攻撃を抑止するだけでは、小規模の攻撃を抑えることはできないのである。
 ウクライナ紛争は、それの典型例だろう。今回の停戦合意が結ばれた背景には、欧米諸国がウクライナ政府への軍事支援を躊躇していると言う現実があった。仮に武器を供与してもウクライナ軍の劣勢を補うことができないのであれば、支援しても効果は期待することができない。そしてウクライナ軍だけではロシアを抑えることとができない場合は、NATO諸国はウクライナを見捨てるか、それともウクライナを飛び越えてNATO諸国が直接に軍事介入をするかと言う選択に直面する。そのように戦争のエスカレートをNATO諸国が恐れたからこそ、ロシア側に有利な停戦合意が生まれた。大規模な戦争に拡大することを恐れて、小規模な勢力拡大を放置したのである。
 
         ===朝日新聞2015年2月17日(火)夕刊===


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