[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第33部
654
:
正樹
◆6z10n91cnw
:2014/03/07(金) 00:21:36
1) 確かに日本語で(取り敢えず一つの言語で)自己主張出来るようにする事は大事と想いますが、英語教育の強化はこれに反していないと思っています。
そして、仮に生徒を英語で自己主張出来るまで育つなら、利益を逆流して、国語でも自己主張出来るように成るの可能性が高い。所謂一隻二鳥です。
2) ディベートの件については賛成出来ません。世界中白と黒程極端な問題は少数ですし、ディベートなら強制的に自分に馴染まないの主張も接触させます。馴染まないの主張も出来るだけ根拠等を付ける事、そして喋る事によって視野の広域さの増す、そして喋るの勇気を増やす(反するの主張もちゃんと出せるなら、自分の主張を出せない訳が無い)。そして、このスキルを学んだ後どう使うがのは人徳の問題です。
嘘を吐かないとは(基本的に)いい事ですが、吐けない成ら問題です。
3) >防衛省だって英語の読み書きがアレな人達が多い
確かに、時に広報から出した物を見ると、吹き出しをしたく成るし、毎年の白書すら怪しいな所が有りますね。
4) >子供に過度な英語教育を行う
えっと、小学3年で取り敢えず触れさせて、5年からやっと正式教科、二年かけてやっと中学で授業を英語で行ってもOK(酷い話、あの仕様を最低限解釈なら日本語では小学1年相当)、あと3年掛けてやっと英語で発表できるのレベル。
内容は検討できるとして、量だけ考えればこれで過度な英語教育ですが?
香港からの客人
2014/03/01 22:27
清谷様
#複数回投稿されていたら削除ください。
> 外国では一般に英語が下手でも一生懸命喋れば話を聞いてくれます。ところが何も話さない人は相手にされません。自己主張がないのは馬鹿である、あるいは無視しても宜しいという感じです。
おっしゃる通りです。欧米人と触れている者にとって、これは常識と思います。
しかし、言語とは文化そのものです。つまり、日本語教育を「日本の伝統を守る」視点で行うと、すなわち日本の文化=「自己主張しない」教育をすることにならないでしょうか?
その点、英語/英語文化と言うものは、自己主張をしやすい言語です。他人の論理を引用しやすく、他人の意見に突っ込みやすい。自己主張を学ぶ場としての、英語教育というのは、考えても良いかもしれないと、記事を拝読しつつ思いました。
つまり目的を以下の2つにする。
・読み書き重視:マニュアル/ドキュメントを英語素文ですらすら読めるようにする。
・自己主張教育:英語の演劇や、あるいはディベイト教育(後者には反対意見もあるでしょうが)。
実は私もディベイトは大嫌いですが、それを敢えてやるのが、英語文化の独特の「軽さ」です。世の中には正義が複数あって、論理的思考による議論で吟味して行くことで、議論を(自分の正義に)有利に進める技術を磨く、という考え方だと思います。欧米の多民族社会(=複数の「常識/正義」が共存する社会)を考えれば、この考えは相応に合理的です。
#同じ理由で、社会の単一性が高く、和をもって尊しとなす文化の日本では不合理なわけです。
ディベイト文化を日本語で学ぶと、百害あって一理無しでしょうが、「英語文化ではこうなんだよ」という感じであれば、良いのかもしれません。
などと、想像力が膨らむ記事でした。。失礼しました。
ドナルド
2014/03/01 23:26
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板