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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第4部
436
:
正樹
◆6z10n91cnw
:2009/03/11(水) 20:21:25
チベット望郷50年
動乱後、インド亡命の長老「自由、取り戻す話し合いを」
「2,3年、インドで戦術を学んでチベットに戻り、中国軍と戦おうと思って
いた。こんなに長くなるとはね」。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が
インドに亡命する切っ掛けとなったチベット動乱から丁度50年。当時を知る
長老のグワン・テンバさん(81)が動乱を振り返った。
1959年3月10日。中国軍がラサに駐留して8年。中国軍がダライ・ラマを
観劇に招待したと言う情報が流れ、「中国軍に拘束される」と心配が一気に
広まったのだ。
19日夜に、中国軍がチベットの中心地ラサのノルブリンカ離宮へ銃撃を
始めた。多くの人たちが「ダライ・ラマが危ない」と身を投げ出し、犠牲に
なった。ダライ・ラマ本人は17日夜に、変装して離宮を脱出していた。それが
民衆に伝わったことは20日朝。行方を追う中国軍を阻もうと移動した人々の
流れに、テンバさんも加わった。4日間をインドに向かって歩くと、チベット側の
武器が備蓄された場所に着いた。武器を取ったが勝ち目はなく、敗走。そのまま
インドへ亡命した。
テンバさんは夏は道路工事現場に、冬はインド各地にセーターの行商に出て
金を貯めた。1966年に還俗し、亡命時に知り合ったドルマさん(72)と
結婚。チベット料理店を開いた。料理店の経営を人に譲った1995年頃に、
「チベット独立」の考えを捨てた。チベットから逃れて来た人に内部の様子を
詳しく聞く機会があった。中国の発展振りも知り、「チベット人社会に独立を
勝ち取る力はない」と実感した。
故郷に帰りたい気持ちは今も強い。「中国は我々の信仰や教育の機会を奪った。
気に掛かることは、そんな中で暮らす人々の苦労だ。自由を奪い返すには話し合い
しか方法はない。独立を叫ぶことでの若い世代はチベットの現実を見ていない」と
話した。
===朝日新聞2009年3月10日(火)夕刊===
兵糧攻めは人気がないねぇ。
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