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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第4部
411
:
正樹
◆6z10n91cnw
:2009/03/09(月) 20:41:37
『完全図解!兵法のすべてがわかる!−ビジネスマン必読!』
(三笠書房:是本信義)
−24頁〜25頁−
兵法を学ぶ前と学んだ後の戦い方に歴然とした違いが生じたことでの良い
例がある。
平安時代末期の前九年の役(ぜんくねんのえき:1051年〜1062年)に
おいての源義家(みなもとのよしいえ)の戦い方である。
1051年に、陸奥の豪族・安倍頼時と安倍貞任の父子が叛乱(はんらん)を
起こした時に、鎮守府将軍として、それの討伐に向かったことでの源頼義と
源義家の父子は、安倍氏の頑強な抵抗に遭って何としても攻略することができず
早や9年が過ぎた。ある時に京に上(のぼ)った義家は、漢学者・大江匡房
(おおえのまさふさ)の「好漢惜しむらくは兵法を知らず」の言葉に啓発され、
匡房に弟子入りして「孫子の兵法」を学んだ。
陸奥に帰った義家は、早速『孫子』の“火攻の計”と“欠囲の計”を応用した。
安倍勢の立て籠もる柵(砦(とりで))の風上に薪(たきぎ)を積み上げて
火を点(つ)けて敵を燻(いぶ)り出し、そして風下にわざと逃げ道を空けて
おき、逃げ出した敵を追撃し、撃滅すると言う戦法である。
義家は、この「孫子の兵法」の応用で10ヵ所の柵を順次に攻略し、過去
9年間を手こずった戦いを僅(わず)か12日間で鎮定してしまった。
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