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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第1部

469正樹 ◆6z10n91cnw:2008/09/11(木) 22:43:12
 
 『何某』第3部
 
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  富嶽
   富嶽
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  宇垣一成
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    宇垣軍縮について
      加藤内閣において世論より軍縮の声が高まりを受け、陸軍省経理局長
     三井清一郎を委員長とする陸軍会計経理規定整理委員会を設けて宇垣
     軍縮を行った。
      具体的には21個師団のうち高田の第十三・豊橋の第十五・岡山の
     第十七・久留米の第十八の計4師団を廃止、これに伴い連隊区司令部
     16ヶ所も廃止となった。また陸軍病院5ヶ所・陸軍幼年学校2校も撤廃した。
      だが、実はこれにより浮いた金額を欧米に比べると旧式の装備であった
     陸軍の近代化に回したというのが実情である。主な近代化の内容として
     戦車連隊・高射砲連隊各1個、飛行連隊2個、台湾山砲連隊1個の新設、
     自動車学校・通信学校の開校、飛行機・戦車・軽機関銃・自動車牽引砲・
     野戦重砲の配備を行った。
      宇垣軍縮
      宇垣軍縮
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        第一次世界大戦後、世界的に軍縮が大勢となって海軍力の軍縮が
       主要国で協議されたが、陸軍でも極東における軍事的脅威が薄らいだ
       ことから議会の追及を受けて山梨半造陸軍大臣のもと、二度にわたり
       軍備の整理・縮小を実施した(山梨軍縮)が、これではまだ不足である
       とした政府・国民の不満と、1923年(大正12年)8月に発生した
       関東大震災の復興費用捻出のため、1925年(大正14年)5月に
       宇垣一成陸軍大臣の主導の下、第三次軍備整理が行なわれることとなった。
        陸軍は、三次にわたる軍備整理の結果、将兵約10万人(平時兵力の
       約3分の1)を削減した。ところが、師団の数は維持した(将官の
       ポストは減らさなかった)山梨軍縮とは違い、宇垣軍縮は4個師団を
       削減したため、将官の整理を行う結果となった。それは軍備縮小に
       名を借りた、思い切った陸軍の「体質改善」(近代化)を目指した
       ものであったが、一度に大量の将校の首を切ったことは、陸軍内部に
       深刻な衝撃を与え、派閥抗争の激化を招いた。このことが後に
       宇垣が組閣に失敗し、総理大臣になれなかった遠因にもなる。
        ちなみに山梨・宇垣軍縮による陸軍省予算の削減の効果は、
       軍縮実施前と比較して1割減程度にとどまった


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