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「法律や政策は、単なる決め事である。いつでも変えられる」第1部

207正樹 ◆6z10n91cnw:2008/06/03(火) 20:14:12
 
 日本、「世界7帝国の一つ」
 徳川将軍は「皇帝」、欧米の認識が分かる
 交易の窓口などを絞り、諸外国との交わりを極端に制限していたことでの
徳川政権下の日本。しかし当時の欧米列強の間では、ロシア、中国、トルコ、
神聖ローマ帝国などと並ぶことでの「世界の7帝国」の一つと認識されていた
らしいことが、東北大学の平川教授の研究で明らかになった。
 「帝国」と「王国」はどう違うのか。蘭学者・山村才助は『訂正増訳采覧異言』
(1803年)で、「威徳隆盛にして諸邦を臣服する大国」のことを「帝国」と
呼んでいる。つまり複数の王国を支配する国と言うわけだ。
 平川教授によると、16世紀以降に来日した宣教師らによって、戦国大名が
割拠し、分国を支配することでの日本の姿はヨーロッパに逐一に報告されていた。
徳川幕府が成立すると、それら「諸王」(大名)に君臨し、統括することでの
幕府の将軍を「皇帝」と見做し、皇帝が治める日本を「帝国」とする見方が
強まる。1785年に太平洋を探検したことでのフランスのラペルーズの航海記
にも日本が「帝国」と書かれている。
 当時に、列強の間では、「帝国」は「王国」より上の最上級の国家と見做された。
大黒屋光太夫も、ロシアでの体験として、「王国の民だと言っても誰も取り合って
くれないが、私の国は帝国だと言うと皆、上座を譲ってくれた」と語ったとされる。
 光太夫はロシア滞在中に、7回もエカテリーナ女帝に召し出されるなど、
非常な厚遇を受けた。「これまで、それの理由がよく分からなかったが、彼が
帝国の臣民と見做されたからだと考えれば納得が行く」と平川教授は語る。
 「日本が中国と並ぶことでの世界の帝国の一つと言う考え方は、ロシアから
帰国したことでの大黒屋光太夫や石巻の若宮丸漂流民などによって伝えられ、
19世紀には知識人の間にかなり広がっていた。漂流民が齎した異国情報が、
当時の人々の日本と言う国に対することでの自己認識の形成に大きな影響を
与えた可能性があるのでは」。
 菊池・宮城学院女子大学教授は「帝政ロシアが徳川日本を同等の帝国と認識
していたとの指摘は重要だ。これを機に、世界史の中での近代日本を巡る議論が
活発になることを期待したい」と話している。
 
            ===朝日新聞2008年6月3日(火)===
 
 何で、欧米側からでも、日本が帝国視されていたことを指摘する声が今まで
出なかったのだ。


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