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東日本大震災

17NONAME:2011/03/21(月) 19:10:38
地震が発生しても、客には最敬礼する日本人に驚き=中国
2011年3月17日 14時38分  http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20110317/Searchina_20110317064.html

静岡県東部で15日夜に発生した震度6弱の地震は、11日の東北関東大震災の地震とは異なるプレートで発生した地震だったが、政府の地震調査委員会は「東北関東大震災の影響で発生した可能性は否定できない」という見解をまとめた。

震源地から遠くない名古屋で15日の地震を体験した中国メディア新民晩報の記者が、日本人の地震に対する冷静な対応を目撃し、驚いたという。

長野から3時間列車に乗って、新民晩報記者たちは15日午後8時すぎに名古屋に到着した。名古屋の人びとは11日の東北関東大震災に対しては落ち着きを見せていたという。

15日午後10時30分ごろ、記者たちが夕食を食べていたときに静岡県を震源とする地震が発生。名古屋では震度3を記録し、記者たちも非常に驚いたと語るが、さらに驚いたのは「飲食店では誰ひとり混乱した行動をとる者がいなかったことだ」と述べた。

地震があっても、飲食店の女性店員は店を後にする客に向かって頭を下げていたことについて、「女性は深々とおじぎをしていた。これまでにも日本人の地震に対する冷静さは話に聞いていたが、これほどまで冷静なのかと思った」という。(編集担当:畠山栄)

18NONAME:2011/03/21(月) 19:12:40
韓国メディアによる「日本沈没」報道に韓国人「下劣」と批判
2011年3月18日 07時00分  http://www.excite.co.jp/News/world_g/20110318/Postseven_15369.html

3月11日に発生した東北関東大震災について、お隣の韓国でも関心は非常に高い。中央日報は社説で、<もっとも近い国であるわれわれが真っ先に駆けつけなければいけない。友人として、韓民族の隣人愛を示そう>(3月11日付)と支援を訴える一方で、<ネットを通じて韓国の若者が日本の苦痛を楽しむかのような態度を見せないか>(同)と心配する記事を載せた。

しかし、韓国の人々は、むしろ過熱する自国メディアの報道に不満を抱いているようだ。

多くの韓国メディアは、巨大地震の発生で日本列島が海の中に沈没するストーリーの映画『日本沈没』に言及し、<日本沈没><映画が現実化するとは>などと大々的に報道した。

これが視聴者のひんしゅくを買い、「この見出しは何だ。下劣な扇情記事だ」「韓国人として恥ずかしい」との批判があふれた。

また、SBSテレビが被災地の様子を効果音付きで伝えたことも「不謹慎だ」と視聴者の怒りを買った。

さらに韓国MBCテレビのキャスターは、地震によって「新韓流ブームが萎縮する可能性がある」と発言。これにはネット上に「日本人が亡くなっているときに韓流ブームについて報じるべきではない」「隣国で大災害が起きているのに自分のメシの種の心配か」との大ブーイングが殺到した。

※女性セブン2011年3月31日・4月7日号

19NONAME:2011/03/21(月) 19:17:49
http://blog.livedoor.jp/sleepy_melon/archives/51647387.html
共同通信 
日本政府は(国際社会の)信頼を失いつつある

東日本大震災による福島第1原発事故で、対応が後手に回り続ける日本政府に国際社会の不信感が急速に高まっている。放射線被害への懸念から世界中の関心が「福島」に集中する中、東京電力任せの姿勢や放射線量情報の乏しさから「日本政府は(国際社会の)信頼を失いつつある」(米CNNテレビ)との厳しい指摘も出てきた。「時間の掛かる合意形成システムが、事態の悪化が急で機能していない」。米政府当局者は16日付のニューヨーク・タイムズ紙に日本の政策決定の遅さが危機拡大を許す原因となっているとの考えを示した。CNNテレビは、日本政府が私企業の東京電力に情報を全面依拠していると問題視した。(ワシントン、東京共同)

共同通信
欧州連合「原発事故への日本の対応 信じられないほど場当たり的」

【ブリュッセル共同】欧州連合(EU)のエッティンガー欧州委員は16日、福島第1原発事故への日本の対応について「信じられないほど場当たり的」と厳しく批判、「原発は制御不能」との認識を示した。エッティンガー氏は政府と東電の連携がうまくいっていないと指摘。放水車使用や上空からの水投下で冷却することを検討した対応に強い疑問を示し「もはや技術的能力の問題だ」と述べた。

20NONAME:2011/03/21(月) 19:43:35
中国人研修生助け、自らは津波に 中国で感動広がる2011年3月18日10時3分
http://www.asahi.com/international/update/0318/TKY201103180109.html?ref=goo

【北京=吉岡桂子】東日本大震災の発生直後、中国・大連から宮城県女川町へ働きに来ていた研修生20人に「津波が来るぞ」と警告し、高台の神社に避難させたあと、自らは津波にのまれた――。ある日本人男性の自己犠牲が中国メディアで報じられ、静かな感動を呼んでいる。

国営新華社通信が18日までに伝えたところによると、その男性は、女川町にある水産加工会社、「佐藤水産」専務の「佐藤充」さんだという。同社は、生ウニを東京・築地市場などに出荷しており、中国人研修生たちは加工や出荷に携わってきた。

地震発生時、津波の知識を持たず宿舎近くに逃れた研修生たちを、佐藤さんは「もっと高いところへ」と神社へ誘導した。そして再び宿舎に戻ったところを津波が襲った。

ある研修生は「彼が津波にのまれていくのを見た」と、新華社の取材に対し嗚咽(おえつ)しながら語った。大雪となった震災当日の晩、佐藤さんの兄にあたる社長は、研修生の寝泊まり先を探して奔走、知人の家を見つけてくれた。研修生たちは「現地の人々の助けがなければ今の私はない」などと話しているという。

記事を「感動」というタイトルで掲載した北京の新聞、新京報には「愛には国境はない」などとコメントが寄せられているという。中国のインターネットサイトには、以前からの厳しい対日感情を反映して、東日本大震災で「日本に天罰が下った」などというコメントがみられる一方で、佐藤さんのような日本人の振る舞いに敬意を表す人々も増えている。

21NONAME:2011/03/21(月) 22:56:50
東日本大震災:中国人研修生112人、涙の帰国…岩手
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/archive/news/2011/03/21/20110321k0000e040003000c.html

岩手県沿岸部の水産加工場で働いて被災し、避難所で生活していた中国人研修生の女性112人が20日、帰国の途についた。恐怖にさらされたうえ、現金やパスポートを失った研修生たち。受け入れ団体は「水産業は全滅。研修制度は事実上終わり」と肩を落としているが、研修生たちは「落ち着いたらまたここで働きたい」と涙で別れを惜しんだ。

同県山田町の水産加工場「川秀」で働いていた王双研さん(24)は11日、日本人や中国人の同僚約20人とワカメの袋詰め作業をしている時に激震に襲われた。日本人社員の誘導で外に出ると、地面にひび割れが走っていた。

「早く逃げろ。津波が来た」という男性の叫び声を聞き、高台の神社に逃げた。参道の階段を駆け上がったところで、「ゴーッ」という響きとともに波が足元まで迫り、車が何台も水面に浮かんでいるのが見えた。

避難先では、1日におにぎり1個だけの生活が続いたが、一緒に逃げた日本人の工場長が自分の分まで分けてくれた。「いい人ばかりで助けられた」と再来日を願っている。【金子淳、錦織祐一】

22NONAME:2011/03/22(火) 10:26:32
とにかく応援します。
できることやりましょう。

23NONAME:2011/03/22(火) 10:50:09
停電対応を自画自賛 枝野氏「政治主導で改善」 東日本大震災
産経新聞 3月22日(火)7時57分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110322-00000108-san-pol

東日本大震災をめぐり、枝野幸男官房長官が18日の政府と与野党の震災対策合同会議で、計画停電への対応を自画自賛するなど、政府・民主党の認識が実態とは大きくかけ離れていることが21日、産経新聞が入手した合同会議や実務者会合の議事録で明らかになった。一方、民主党の岡田克也幹事長からは緊張感の欠如ともとれる発言も出ている。

◆議事録で明らかに

枝野氏は地震発生後、緊急災害対策、原発事故、計画停電などに関する政府の対策本部の調整役となったものの、対応の遅れが批判された。

会議出席者が作成した議事録によると、18日の合同会議で、社民党の阿部知子政審会長は計画停電について「『無計画停電だ』。街がガラガラで小さな商売が成り立たない」と見直しを求めた。これに対して、枝野氏は「当初の計画通りだったら大混乱だったが、東京電力、経済産業省に任せず政治主導でやってよくなった」と反論した。

◆中身より時間

また、岡田氏は18日の合同会議で、19日から毎日開くことになった実務者会合について会合ごとにテーマを絞ることを提案した。「最初の20分は原発、後の40分は物資輸送ということで…」などと、会議の中身よりも1時間で終えることにこだわった。

実際、岡田氏は19日の実務者会合で原発の問題で議論が行われている最中、「時間もないので物資輸送の件に移りましょう」と発言。さらに開始からちょうど1時間後に終了宣言し、会合を打ち切った。

岡田氏は21日、福島県双葉町の住民が集団避難しているさいたまスーパーアリーナ(さいたま市)を視察。帰京後、国会内の幹事長室に戻った際、周囲に「アリーナには人もモノもあり〜な」と冗談を飛ばしていたという。

24NONAME:2011/03/22(火) 10:54:01
政府側が消防隊員を「処分」と恫喝 石原知事が首相に抗議
2011/03/22 00:48更新  http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/498220/

東京都の石原慎太郎知事は21日、首相官邸を訪ね、菅直人首相に対し、東京電力福島第1原子力発電所への東京消防庁の放水作業をめぐり、政府側から消防隊員に恫喝(どうかつ)まがいの発言があったと強く抗議した。会談後の石原氏の説明によると、政府側の人物から放水準備作業中の隊員に対して「言う通りやらないと処分する」との発言があった。

石原氏は、首相に「みんな命がけで行い、許容以上の放射能を浴びた。そういう事情も知らずに、離れたところにいる指揮官か誰か知らないが、そんなばかなことを言うのがいたら戦(いくさ)にならない。絶対そんなこと言わさないでくれ」と注文、首相は「大変申し訳ない」と陳謝した。

石原氏は記者団に「処分するという言葉が出て、隊員は皆、愕然(がくぜん)とした。(現場の)指揮官は、それが一番不本意だったと言っていた」と述べた。真相は不明だが、都関係者によると、「処分」と発言したのは海江田万里経済産業相だという。

また、長時間の放水で、放水車が一部故障し、以後の作業ができなくなったことも明らかにした。

これに関し、枝野幸男官房長官は21日夕の記者会見で「菅直人首相は、事実関係を把握し、善処が必要ならば政府として対応する、と(石原知事に)言った」と説明した。

一方、首相は、その後開かれた政府の緊急災害対策本部と原子力災害対策本部の合同会議であいさつし、「知事に私から改めてお礼を申し上げた」と述べた。また、「消防は国直属の機関ではなく、自治体や消防職員のボランティア精神で応援に駆け付けてくれた。命をかけて日本や国民を救うために努力されたことが、少しずついい方向に進む大きな力になっている」と称賛。ただ、知事からの抗議には触れなかった。

25NONAME:2011/03/22(火) 10:59:15
「言葉にできない」石原都知事、消防隊員に謝辞
2011/03/21 21:42  http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/498205/

福島第1原発事故で放水活動を行って帰京した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が21日、東京都渋谷区の消防学校で行われた。石原慎太郎知事は参加した115人を前に感極まり、何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べた。

「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」。隊員からの活動報告を受けた石原知事は、涙を隠さず、深々と礼をした。

石原知事は、被曝(ひばく)覚悟の活動を「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」と称賛。さらに、「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、日本人はまだまだ捨てたもんじゃないということを示してくれた。これをふまえて、これにすがって、この国を立て直さなければいかん」と声を震わせた。

活動報告会に参加した隊員の一人は「あの強気の知事が涙を流して礼を言ってくれた。上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。だから現場に行けるんだ」と話した。

26NONAME:2011/03/22(火) 11:14:08
隊員守った防護服公開 東京消防庁、都知事に報告
2011/03/21 20:27  http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/498157/

東京電力福島第1原発への放水作業にあたった東京消防庁の緊急消防援助隊第1陣が21日、都内で石原慎太郎知事に活動報告、作業で使ったものと同じ防護服や線量計などを報道陣に公開した。

活動報告では総隊長を務めた佐藤康雄警防部長が「作戦を遂行、無事帰庁しました」と述べると、知事は「生命を賭して頑張ってくれたおかげで何とか大惨事になる可能性が軽減され、国民もひと息つくことができた」とねぎらった。

この日公開されたのは、原発敷地内で車両の外に出て、重さ100キロのホースを延伸させた隊員が着用していたのと同じ白い防護服。隊員は防護服の上に重さ約10キロの防火服を重ね着し、ヘルメットや防毒マスクもしたという。

27NONAME:2011/03/22(火) 11:16:16
被曝覚悟の350メートル 妻は「日本の救世主に…」
2011/03/20 01:29 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/497840/

見えない「敵」との戦いだった。福島第1原発事故で19日未明の放水活動を行った東京消防庁ハイパーレスキューの第1陣が19日夜に帰京。同庁で会見した。廃虚と化した原発内で被曝(ひばく)しながら、ホースを手作業で広げる決死の作業。隊長らは「無事にミッションは達成した」と胸を張る一方、「隊員の家族には心配をかけた」と涙で言葉を詰まらせた。

ハイパーレスキューの冨岡豊彦総括隊長(47)が、福島第1原発に最初に足を踏み入れたのは18日午後5時ごろ。特殊災害対策車でどのように安全にミッションをこなせるかを探るのが目的だった。

当初の東京電力側からの情報では、水をくみ上げる海側までは車で近づけるはずだったが、原発内はがれきで埋まり、進入はすぐに阻まれた。

「ホースを手で広げるしかない」。午後7時半から始まった作戦会議。がれきを避け、海から放水車までホースを延ばすには被曝の危険が増す車外で作業を行うしかないという結論に達するまで4時間かかった。

海水を1分間に約3トン送り出すホースは太くて重い。ホースの重さは50メートルで約100キロ。それをロープで引っ張り4人がかりで運ぶ。敷設は約350メートルで、足場は悪く、危険な作業だった。作戦の決行は高山幸夫総括隊長(54)ら約40人の隊員に委ねられた。

「危険度を熟知する隊員の恐怖心は計り知れないが、拒否する者はいなかった」(東京消防庁の佐藤康雄警防部長)。だが、防護服の着用に普段の3倍以上の時間がかかるなど、緊張の色を隠せなかった。

約20人が車外に出ての作業。車外作業者には、放射線量を測る隊員から危険度を知らせる声がかかった。「常にそばでバックアップしてくれる仲間がいたからこそ達成できた」と高山隊長。作業は約15分で完了し、屈折放水塔車は白煙を上げる3号機に向け、19日午前0時半、放水を開始。20分で約60トンを放水した。

家族には心配をかけたという思いがある。高山隊長は任務に出る前、「必ず帰ってくるから安心しろ」と妻にメールを送った。妻からは「信じて待ってます」と短い返信があった。佐藤部長は妻に福島行きを伝えると、「日本の救世主になってください」と一言書かれたメールが送られてきたという。

会見で、冨岡隊長は「国民の期待をある程度達成できた。充実感がある」と語る一方、作戦に従事した隊員について「家族には本当に申し訳ない。おわびを申し上げたい」と涙ぐんだ。

冨岡隊長は「家に帰ったら家族と酒を飲みながら反省会をしたい」と笑い、佐藤部長は「恐怖心を克服し任務に当たってくれたことに敬服の念を抱いている」と隊員らをねぎらった。

28NONAME:2011/03/22(火) 11:26:33
日本外相「韓国は本当の友人」
中央日報日本語版 3月21日(月)15時40分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110321-00000015-cnippou-kr

松本剛明日本外相が19日、韓国政府に謝意を伝えた。

松本外相は19日、京都で開かれた韓日外相会談で、「李明博(イ・ミョンバク)大統領が海外出張中にもかかわらず菅直人首相に電話で慰労の言葉を伝え、大使館の弔問所にまで足を運ばれたことに感謝している」とし「日本の国民は韓国を苦しい時に助けてくれる本当の友人だと感じている」と述べた。

これに対し金星煥(キム・ソンファン)外交通商部長官は「日本政府と国民に哀悼と慰労の意を表す」とし「韓国政府は日本国民が安定を取り戻せるように救護と支援努力を惜しまない」と答えた。続いて行われた韓日中外相会談でも犠牲者のために1分間の黙とうをささげるなど哀悼の雰囲気が続いた。

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↑ おいおいおい 外相のリップサービスはいらねえんだよ 韓国人は長年日本を裏切ってきた。
それを無しにして話は進まない。
民主党はな。中韓から金もらってる売国政権だからそんな風にいいたいんだろう。 今回の震災で韓国人はな。心から気遣ってくれたんだ。 それを
政治に利用すんな民主党。 汚い。

29NONAME:2011/03/23(水) 01:27:34
キース・リチャーズ、日の丸ハチマキ姿のTシャツを販売、収益すべてを被災者支援に
http://www.cinematoday.jp/page/N0031203

東日本大震災の翌日には日本を心配してオフィシャルfacebookからお見舞いの言葉を発していたローリング・ストーンズだったが、今度はメンバーのキース・リチャーズが自身のオフィシャルサイトKeithRichards.comでオリジナルのTシャツを製作し販売、収益のすべてを日本の被災者支援に寄付すると公表した。

このTシャツのキースの写真は、1990年のスティール・ホイールズのワールドツアーで日本向けに撮られたもので、日の丸のハチマキをしたキースがギターを弾いている姿が大きくプリントされており、袖には「JAPAN RELIFE 2011」の文字が入っている、今回のチャリティーのためだけに製作された限定品だ。

キースはオフィシャルサイトのメッセージにHelp Japanとタイトルを立て、「何十年もの間、日本はロックンロールの最も情熱的なサポーターだった。今、彼らはわれわれの援助を必要としているんだ」と世界に日本の助けを呼びかけた。そして「僕らの兄弟、姉妹がこの困難な時期を一刻も早く切り抜けられるよう手伝ってほしい」とトップページで訴えかけている。

30NONAME:2011/03/24(木) 21:20:04
作業員2人ベータ線熱傷の可能性、福島原発
産経新聞 3月24日(木)17時5分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110324-00000592-san-soci

東京電力は24日、東日本大震災で被災した福島第1原子力発電所で作業をしていた協力企業の従業員3人が173〜180ミリシーベルトの被曝(ひばく)をしたと発表した。このうち2人は足の皮膚に放射性物質(放射能)が付着したとみられ、福島市内の病院に搬送された。2人は放射線によるやけどである「ベータ線熱傷」の可能性も否定できないという。

東電によると、3人は午前10時ごろから、3号機の1階から地下1階にかけてケーブルを敷設する作業を行っていた。病院に運ばれた2人は現場にたまっていた水に足をつけていた。

東電は2人が放射線による皮膚損傷を負ったことを受け、1〜4号機の地下での電源復旧作業などを一時中止した。3号機以外でも水がたまっている地下での作業は中止するべきだと判断した。

31NONAME:2011/03/25(金) 22:20:53
【地震】石原都知事、首相官邸の対応を「話にならない」と一蹴
RBB TODAY 3月23日(水)9時15分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110323-00000006-rbb-sci

また石原氏は、先日節電啓発担当大臣に就任した蓮舫氏が、同氏に挨拶に訪れた際のエピソードを披露。首都圏の節電に関して石原氏は、1970年代のオイルショック時に、電力の利用を規制した政令を告示し直し、ペナルティを設けて節電を強制するよう提案したが、「(蓮舫氏は)はぁという反応で、政令がなんたるかも知らなかったようだ」と批判的な口調で述べた。

さらに震災に際して首相官邸からの命令系統が混乱しており「話にならない」と一蹴。阿久津幸彦首相補佐官から電話で、警察の放水車を現地へ派遣するよう依頼を受けた際のエピソードとして、石原氏は「そんなものはもう送ったじゃないかと言ったらモゴモゴ言って切っちゃった」と話した。また菅総理から、「消防隊が現地で尻込みして動かない」と言われた石原氏が消防総監に問い合わせたところ、消防隊は現地に出向いたものの、迎えが現れず2時間待った末に引き返したのだという。また官邸が放水作業を行う消防隊に対して、放水活動を中止すれば処分すると通達した件に関して、石原氏が菅総理に直接抗議したところ、申し訳ないと謝罪を受けたという。

また石原氏は、地震発生に際して、津波による被害を「天罰だ」と言ったとされる件に関して質問を受けると、「この問題は、メディアの悪い兆候で、全体のコンテキストをとらえずに、一部を拡大して人を中傷するというのはフェアではない。ただこういう事態で天罰という、被災者の骨身にしみる言葉を言ったのは申し訳なかった」と述べた。

32NONAME:2011/03/26(土) 13:33:11
<東日本大震災>台湾で義援金47億円集まる
毎日新聞 3月25日(金)10時12分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110325-00000017-mai-int

 【台北・大谷麻由美】東日本大震災の被災者を支援する台湾テレビのチャリティー番組で、25日までに計13億353万台湾ドル(約35億6700万円)の義援金が集まった。17、18日の生放送終了後も義援金の申し込みが相次いだため。23日には海運大手「長栄集団」の張栄発総裁が個人名義で10億円を寄付。台湾内政部(内務省)によると、台湾の政府・民間団体に寄せられた義援金総額は約17億台湾ドル(約47億円)になった。

 99年9月に2400人以上が死亡した「台湾大地震」では、21カ国から駆けつけた救助隊の中で日本が最多の計145人を派遣。日本からの義援金も約12億台湾ドル(約33億円)と各国別で最多だったことから「今回は恩返し」という声が上がっている。

33NONAME:2011/03/26(土) 14:02:14
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20110325-00000056-jnn-soci
御料牧場から被災者へ、両陛下の意向
TBS系(JNN) 3月25日(金)19時46分配信

栃木県にある宮内庁の御料牧場。25日午後、1台の車が食料品を満載して出発しました。向かった先は、福島県からの被災者たちが身を寄せている県内の避難所です。

荷台から下ろされたのは卵1千個、サツマイモ100キロ。豚肉の水煮やレバーペーストの缶詰250缶。トリの燻製もあります。これらは、すべて御料牧場で生産された食料品です。

「両陛下のお考えもあって、大変お困りの被災者のみなさんに少しでもお分けできれば」(宮内庁 櫻井保 御料牧場長)

普段は皇族方のお食事、それに園遊会や晩餐会などといった宮内庁の行事に出される食材で、一般に流通するものではありません。しかし今回、被災者の身を案じる天皇・皇后両陛下の意向を受け、宮内庁から被災者に届けられたのです。

「国民のことを考えてくださって、本当にありがたく思います」(福島県からの避難者)

こちらの避難所では93人の被災者たちが避難生活を続けていますが、宮内庁によると、御料牧場で生産された食料品が提供されたのは極めて稀だということです。(25日16:58).最終更新:3月25日(金)22時14分

34NONAME:2011/03/26(土) 15:57:57
東日本大震災 津波憎い 入学目前、孫さらわれ 気仙沼
毎日新聞 3月25日(金)21時47分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110325-00000052-maip-soci

行方不明になっている孫の緑ちゃんの写真を見て涙ぐむ大崎喜久夫さん=宮城県気仙沼市の大島で、喜屋武真之介撮影

水色のランドセルを背負って、4月からの小学校を楽しみにしていた。あどけない笑顔がまぶたを離れない。宮城県気仙沼市・大島の大崎喜久夫さん(67)とツタヨさん(60)は、たった一人の孫娘、緑ちゃん(6)を目の前で津波にさらわれた。生後2カ月から親に代わって育ててきた緑ちゃん。小学校で友だちをいっぱいつくると言っていた孫が、突然消えてしまった。「もっと早く避難していれば」。2人は島を襲った津波を恨み、自分たちを責めた。【喜屋武真之介】

【特集・東日本大震災】最新記事、サポート情報など

大崎さん夫婦は04年に、現在福島県に住む長女(33)から緑ちゃんを託された。長女は家庭の事情で大島を離れなければならず、長男と次男を亡くしていた大崎夫妻は、緑ちゃんを実の子のようにかわいがった。

「親ばかかもしれないが、活発で、みんなから愛されるかわいい子だった」。保育所で覚えた歌や踊りを家に帰るとさっそく披露した。

入学に備え、夫婦は緑ちゃんに、欲しがっていた水色のランドセルをプレゼントした。緑ちゃんはとても気に入り、自慢げに背負ってみせた。勉強机も発注したが、その机が届く前に地震が来た。

強烈な揺れの直後、夫婦は津波を考え、保育所にいた緑ちゃんを車で連れて帰った。自宅は大島の中央付近で、東西の海岸からは数百メートルほど離れている。高台に逃げようとも思ったが、大崎さんは「おそらくここまでは来ない」と考え、家の前に止めた車にツタヨさんと緑ちゃんを乗せて待たせ、倒れた仏壇の花瓶や位牌(いはい)を直していた。「判断が甘かった」と大崎さんは悔やむ。

津波は東西両岸から一気に押し寄せてきた。大崎さんはとっさに家を出て高台に走って逃げたが、ツタヨさんと緑ちゃんは車ごと津波にのまれた。いったん波が引き、2人は車から逃げ出したが、すぐに次の波が押し寄せ、別々の木にしがみついた。気が付くと緑ちゃんの姿はなく、間もなくツタヨさんものみ込まれた。「濁流のなかで上も下も分からず、潮の味と油のにおいでいっぱいだった。これが地獄だと思った」。ツタヨさんは偶然、建物の屋根に足がつき助かった。

夫婦はずぶぬれになりながら声をからして緑ちゃんの名を呼び、必死に捜したが、見つからない。避難所や親戚の家に身を寄せながら、今も家の近くや海岸で孫の姿を捜し続けている。

「朝、目を覚ますと、いるはずの緑がいない。それがつらい」と大崎さんは声を詰まらせる。ランドセルも鍵盤ハーモニカも筆箱も、みんな流された。「なぜあの時、すぐに逃げなかったのか」と何度思ったことか。ツタヨさんは「何もいらない。緑に帰ってきてほしい」と繰り返した。

長女は1、2年後には大島に帰り、4人で暮らす予定だったという。地震後、安否を心配する手紙が届き、緑ちゃんが行方不明になっていることを伝えた。ショックを受けたのか、長女からの返事はまだない。

35NONAME:2011/03/26(土) 16:22:49
<東日本大震災>妹宿したお母さんは津波にのまれた 宮城
毎日新聞 3月26日(土)11時49分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110326-00000041-mai-soci

来月、妹が生まれるはずだった。宮城県東松島市の市立大曲小4年、高橋さつきさん(10)は、避難所に変わった小学校で「お父さんだけでも元気でいて」と祈り続けている。母奈美子さん(30)が昨年のクリスマスイブに寿作さん(30)と再婚し、さつきさんは初めての妹との暮らしを心待ちにしていた。妹は自分と同じ平仮名の「ほのか」になるはずだった。しかし、お母さんと一緒にあの津波にのまれた。

地震の数時間前、お母さんとお父さんが学校に来て「赤ちゃんの服を買ってくるから、お迎えちょっと待っててね」と出かけていったのが最後だった。「あの時、引き留めておけば……」。22日、遺体安置所で泥まみれのお母さんと対面した。とても信じられなかった。お父さんは依然安否不明だ。

お母さんとお菓子を作るのが好きだった。夢はパティシエ。両親のいない避難所暮らしはつらい。それでも「新しい友だちができた。お母さんは亡くなっちゃったけど、大人になるまで元気で頑張る」。精いっぱいの明るさを振りまく。

避難所で一緒に暮らす祖母、熱海恵美子さん(55)は「母親を埋葬した日に思い切り泣いて、それから、さつきは涙を見せない」と話した。【山田泰蔵】

36NONAME:2011/03/26(土) 23:17:35
核燃料の破損、進行か…汚染水から放射性物質
読売新聞 3月26日(土)20時37分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110326-00000698-yom-sci

東京電力福島第一原子力発電所の放水口付近で採取した海水から、高濃度の放射性ヨウ素131が検出された問題で、東電や経済産業省原子力安全・保安院、専門家は26日、汚染水が原子炉につながる配管などから海に放出されたという見方を強めた。

汚染水からは、燃料が核分裂した際に生成する多種類の放射性物質が検出され、燃料破損が進んでいる可能性を示している。大気中の放射線量に大きな変化はなく、浮遊する放射性物質が降下して海に溶け込んだことが原因とは考えにくい。

この海水は福島第一原発1〜4号機の放水口から南へ約330メートルの場所で採取された。検出された放射性ヨウ素131の濃度は1ミリ・リットル当たり50ベクレルで、原子炉等規制法で定める濃度基準の約1250倍だった。

海水が高濃度の放射性物質で汚染された原因について、原発周辺で大気中の放射線量が急増した事実はなく、浮遊している放射性物質を落とす雨も降っていないことから、東電は26日の記者会見で「原子炉につながる配管から汚染水が流れ出した可能性がある」と説明した。 .最終更新:3月26日(土)22時51分

37NONAME:2011/03/30(水) 09:36:02
韓国、竹島不法占拠を強化へ 「震災支援とは別」日本の教科書検定へ対抗
産経新聞 3月30日(水)8時52分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110330-00000507-san-pol

 わが国固有の領土にもかかわらず、韓国が不法占拠を続けている竹島(韓国名・独島)について、日本で竹島を明記した学習指導要領に基づく中学教科書の検定結果が発表されるのに合わせ、韓国側が竹島に設置したヘリポートの大規模改修や海洋基地の建設など、「独島領土管理事業」を進める方針を発表することが29日、分かった。

 韓国側は「日本の領有権記述への断固たる対応措置」と位置づけており、東日本大震災への対応に日本政府が追われる中、韓国による竹島の不法占拠がさらに強化されることになる。

 韓国が推進する「独島領土管理事業」は、日本が初めて竹島問題を明記した中学校学習指導要領解説書を公表した2008年7月、韓国側が対抗措置として実施を決めた28事業。竹島の東島に韓国が1981年に設置したヘリポートの大規模改修や総合海洋科学基地の建設などが中心で、予算問題などで開始が一部遅れている。

 日本では30日、竹島問題を明記した中学校学習指導要領解説書に基づく教科書検定結果が発表される予定。東日本大震災を受け、韓国ではこれまでに約600億ウォン(約45億円)の救援金が集まるなど親日ムードが高まっていたが、教科書検定発表を前に金星煥・外交通商相が「支援運動と教科書問題は別。独島問題についてはふさわしい対応をする」と明言。対抗措置をとる方針を示していた。

 大規模改修されるヘリポートは、これまでの2.5倍に相当する重量25トンの軍用輸送ヘリが離着陸可能で、24時間運用が可能になる。すでに関連予算(約9億ウォン)が計上されている。日本の教科書検定結果発表に合わせて着工を発表する方針という。

 また、竹島の北西1キロ地点に、周辺の海流や海水温度などを観測するための「独島総合海洋科学基地」の建設を促進。同基地は今月2日に入札公告が行われ、来月13日に入札、5月に着工とのスケジュールが公表されていたが、「実効支配強化のため」として前倒しされる見通し。このほか、竹島の東島と西島を結ぶ防波堤も着工する計画で、大規模なインフラ整備が竹島で進められることになる。

38NONAME:2011/03/31(木) 14:52:13
【韓国ブログ】「今、仙台の避難所です」韓国人留学生の発言が話題に
【社会ニュース】 2011/03/19(土) 14:28  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0319&f=national_0319_099.shtml

韓国のインターネット上で、仙台市の避難所で過ごしているという韓国人留学生の書き込みが大きな話題を集めている。留学生は15日、コミュニティーサイトの掲示板に「今、日本の仙台市です」というタイトルで、地震発生当時の様子や避難所での生活、多くの在日外国人が帰国の道を選んでいるにもかかわらず、自分は仙台にとどまることを決めた理由などについて書き込んだ。

「4年前に留学で仙台に来て今年卒業し、3月22日には出国する予定だったが、このようなことになってしまった。死んで生き返ったような感じだ。11日は一生忘れられない日になった」と語る。地震当日については、「完全にパニック状態になり近くの避難所に退避した。しばらくすると、小学校の体育館には数百人が集まり、足の踏み場もないほどだった」と述べる。

避難所に集まってきた人たちはおもにお年寄りや年配者だったそうで、留学生は「力仕事は自分にさせてください」と自ら頼み、以来、発電機を回したり、毛布を分配したり、手洗い用の水をくんで運んだり、ストーブに燃料を入れて火をつけるといった作業を、現地の人たちと一緒に行ったという。留学生は「互いに助け合ううちに、年齢とは関係なく新しいつながりができ、心強くなった」と語る。

留学生は「自分が韓国人だと話すとみんな驚き、むしろ心配してくれた」とし、「正直、自分は良いやつでもないし『ボランティアをしてもここを離れればお別れだろう』と思っていたのだが、昨日、対策本部の方が私のために閉鎖された仙台空港以外の方法で、韓国に行くための交通手段などを教えてくれた。この感動を上手く文章で伝えられないが、昨日は10年ぶりに涙があふれた」と語る。

この出来事から留学生は考えが変わったそうで、「映画のように沈没したとしても、ここで死んでもいいと決心した。韓国のネットユーザーたちから見たらオーバーだと思うかもしれないが、4年の間に出会った知人や友人を残して自分だけ韓国には行けない。自分ができることをすべてやってから、韓国に戻りたい。みんなも心の中で力になってください」と書き込んだ。

現在、留学生の書き込みは大きな反響を呼び、「仙台の韓国人留学生」のエピソードとしてニュース記事にも取り上げられている。

韓国人ブロガーの「その男」(ハンドルネーム)さんは、留学生の書き込みを読みながら胸が熱くなったそうで、「人というのは、こうやって温かい情で結ばれているんだと感じた」、「必ず元気な姿で堂々と帰国してほしい。応援しています」とブログにつづった。(編集担当:新川悠)

39NONAME:2011/03/31(木) 15:12:35
韓国から日本への義援金減少、教科書問題も影響か
2011/03/31 09:32 KST  http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/03/31/0200000000AJP20110331000900882.HTML

【ソウル31日聯合ニュース】日本で東日本大震災が発生してから約1週間にわたり増え続けていた被災地への義援金が、21日以降は著しく減少したことが分かった。

28日までの募金額が19億5000万ウォン(約1億4600万円)に上る国際非政府組織(NGO)ワールドビジョンの場合、15日から1日平均2億ウォンを超える募金が寄せられ、21日までの合計は16億3000万ウォンに達した。しかし、22日は6800万ウォンと1日当たりの募金額が減り始め、23日は3700万ウォン、24日は1700万ウォン、25日は2200万ウォンにとどまった。

支援団体のうち最多となる213億4000万ウォンの募金が集まった大韓赤十字社も、1日当たりの募金額が15〜17日は1日当たり25億〜34億ウォンだったが、21日以降は10億ウォン台後半に減少した。社会福祉共同募金会などほかの支援団体も状況は似ている。

募金額が減ったのは、震災被災者に対する関心が時間とともに薄れている上、日本政府が独島領有権を主張する内容を盛り込んだ歴史教科書を採択するとのニュースが伝わったためとみられる。

大韓赤十字社関係者は、義援金の受け付け開始から最初の1週間と比較すると、個人の寄付件数は大幅に減少し、今週に入ってからは日本に巨額を支援することに抗議する電話も寄せられていると話している。

40NONAME:2011/03/31(木) 15:14:42
「日本を助けよう」韓国で日本への募金活動が活発化―韓国
2011/03/16(水) 10:23  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0316&f=national_0316_036.shtml

11日に発生した東北関東大震災を受け、日本の災害復旧や被災者の救援活動を支援するための募金活動が、韓国の民間レベルでも大きく広がっている。韓国の複数のメディアが報じている。

韓国共同募金会は13日、同会からの1次緊急救護支援金として、日本へ約6億ウォン(約4278万円)の支援を行った。寄せられた募金の全額を日本共同募金会と被害地域に送り、現地の復旧を支援する。

また、同会は、14日からは個人を対象とした募金を本格的に開始。2日間で4万8千761件、総額2億3977万ウォン(約1710万円)の募金が集まったと16日、明らかにした。

一方、韓国の公営放送KBSは大韓赤十字社と15日、大地震の被災者を支援するための募金活動をソウルKBS本社と全国のKBS局で行った。この様子は生中継で放送され、募金総額は48億ウォン(約3億円)となっている。

このほかにも、各メディアやポータルサイト上でもさまざまな募金活動が行われており、街頭では記録的な行列を作った募金も見られた。日本の地震被災者に対する韓国民の善意は、広がりを見せていると伝えている。(編集担当:李信恵・山口幸治)

41NONAME:2011/03/31(木) 15:18:43
元従軍慰安婦も日本国民に配慮、16年ぶりに水曜集会を中止―韓国
2011/03/15(火) 11:38  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0315&f=politics_0315_006.shtml

韓国の元従軍慰安婦らで構成される韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は16日、駐韓日本大使館前で開かれる予定だった「水曜集会」を、日本の東北地震被害者への黙とうと追悼の席にすることを明らかにした。1992年に始まったこの集会の中止は、1995年の日本の阪神大震災以来16年ぶりとなる。

挺対協は日本軍の慰安婦問題を解決するために結成された韓国の団体。「水曜集会」は、日本軍従軍慰安婦被害者らが毎週水曜日にソウル市内の日本大使館前で行っている集会。

韓国メディアは、植民地支配の日本の蛮行を批判し、被害補償などを要求してきた市民団体も、地震で苦しむ日本の人々と痛みを共にしていると報じている。

同団体のユン・ミヒャン代表は14日、「日本政府は慰安婦被害者問題に不誠実に対応しているが、日本国民が何万人も被害にあった状況で、スローガンを叫ぶことは礼儀に反する。今度の水曜日にも人々は集まるが、可能な限り多くの命が存続することを祈り、黙とうをして終了する」と述べている。

またほかにも、独島守護隊、太平洋戦争被害者補償推進協議会、アジアの平和と歴史教育連帯など韓国内の18の市民団体も14日に「国境や民族を超えて、この惨事を東アジアの痛みとして認識し、すべてが立ち上がらなくてはならないときだと共同声明を発表した。歴史問題と関連した韓国の市民団体も「日本のすべての方々がこの巨大な惨事を乗り越えて立ち上がるのに役立つため努力する」と明らかにした。(編集担当:李信恵・山口幸治)

42NONAME:2011/03/31(木) 15:43:17
〈世界から被災地へ〉韓国募金支援 史上最高15億円超に2011年3月30日11時17分
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103300141.html

韓国赤十字社は、東日本大震災への募金額が27日夜までに約213億4千万ウォン(約15億7千万円)となり、海外の災害支援としては史上最高額を更新したと発表した。すでに約800万ドル(約6億5千万円)を日本赤十字社などに送った。

これまでの最高は2005年にハリケーン、カトリーナが米南部を襲った際の約193億ウォンだったという。

韓国では官民あげて日本支援にあたっており、支援額が増え続けている。有力紙、東亜日報はタイトルに日本語でも「がんばれ、日本!」と記したキャンペーンを展開。寄付活動に加わった著名人や企業・団体を紹介する一方、赤十字などを通じた寄付を呼びかける。沈揆先(シム・ギュソン)・編集局長は「隣国の不幸を黙って見ていられないと始めた。ひらがなの題字は、若い人たちの、日本語でも呼びかけようという意見を採り入れた」と話す。

テレビ局もKBSやYTNなどは画面の隅に、募金用の電話番号を表示。電話をかければ、一定額が通話料金に加算される仕組みで、KBSの場合、これまでに約72万通話(約14億5千万ウォン)が集まったという。

一方、韓国外交通商省は全職員から月給の0.4%を一律天引き。24日に金星煥(キム・ソンファン)・外交通商相が韓国赤十字社に約2400万ウォンを届けた。(ソウル=箱田哲也)

43NONAME:2011/03/31(木) 16:34:04
礼儀正しい被災者に感銘=東北に派遣の米救援隊員
時事通信 3月30日(水)18時8分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110330-00000136-jij-int

【ロサンゼルス時事】東日本大震災で、米国救援隊の一員として東北地方に派遣された日系4世の消防士アツシ・ウエハラさん(42)が29日、ロサンゼルス市内で救援活動についての報告会に出席、災難のさなかでも礼儀正しい被災者の姿に感銘を受けたと語った。

ウエハラさんは地震翌日の3月12日、ロサンゼルス郡消防局の同僚73人と共に青森県の米軍三沢基地に到着後、1週間にわたって岩手県大船渡、釜石両市で活動。被害の甚大さを目の当たりにし、両親ゆかりの広島に行った経験から「原爆投下後の広島を連想した」というほど驚いた。

そんな中で「倒壊したカラオケ店のそばにいた女性オーナーが、『何もありませんが』と言って煎餅を差し出してくれた」ことに最も強い印象を受けたという。

ウエハラさんは「ベストを尽くし6遺体を見つけたが、生存者は一人も発見できなかった」と肩を落とす。「将来また東北を訪れ、復興した姿を見たい」というのが願いだ。

44NONAME:2011/03/31(木) 18:53:53
日本の原発「政府や官僚、電力会社が作り上げた安全神話」―英紙
サーチナ 3月30日(水)10時38分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110330-00000022-scn-int

東日本大震災で損傷した東京電力福島第一原子力発電所では29日、タービン建屋地下坑道で、高い放射線量が測定され、汚染水の排水作業が難航している。事故は、想定を超えた津波の被害が原因とされるが、安全設計の問題点や非常時の想定の甘さに批判の声も上がっている。

英国でもこのニュースは報じられている。英インディペンデント紙は、原発の危機で難問を抱えた政府と混乱を招いた東京電力との関係が、緊迫し始めていると指摘。この混乱で、約16万人もの外国人が東京から出国し、放射性物質の影響を受けた地域からの食物を禁輸するなどの影響がでており、原子力産業の将来について世界的な議論を巻き起こしていると報じている。

また同紙は、安全基準を損なうほど、日本政府が東電と密接な関係だったと非難されているとし、官僚や政治家が定年後、東電で有利な地位に就くことが慣習化されており、東電への批判は弱められていたとの見方を示している。また、公務員や研究者、電力会社社員らが互いを批判することを避け、責任を回避する危険な合意を作ったと報じている。

英フィナンシャル・タイムズ紙は、東京電力の株価は29日、福島第一原子力発電所の事故を受けて国有化が推測され、売り注文が集まったと報じた。25年間で最悪の核危機から生じている国民の怒りと責任要求は、政府が公益事業を肩代わりするという推測をあおったと述べている。また、玄葉光一郎国家戦略担当相は29日、国有化も選択肢の一つであると示唆したと報じた。(編集担当:田島波留・山口幸治)

45NONAME:2011/03/31(木) 19:32:26
杉良太郎、車両12台で宮城へ 大規模炊き出し&物資配布で被災地支援
オリコン 3月31日(木)10時39分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110330-00000325-oric-ent

俳優で歌手の杉良太郎(66)が、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市雄勝町で炊き出しおよび物資支援を行うことが31日、わかった。夫人で演歌歌手の伍代夏子(49)や事務所のスタッフら総勢24名で、あす4月1日早朝に都内を出発し被災地へ向かう。

自らも阪神・淡路大震災(1995年)で被災し、同震災や新潟県中越地震(2004年)で精力的な被災地救援活動を行ってきた“杉様”が、今度は宮城支援に立ち上がった。

宮城県・村井嘉浩知事と面識のあった杉は24日、被災者や支援者を見舞うため直接電話し、知事代理の三浦秀一副知事と会談。甚大な被害状況を聞いた杉は「支援物資が届きにくい地域に足を運び、支援の手を差し伸べたい」と温かい食べ物の提供と物資等の支援を約束した。

今回、杉が支援活動を行う雄勝町は、宮城県内でも特に津波による被害が大きかった町の一つ。同町の家屋約1600戸のうち8割が全壊。今でも電気、ガス、水道、電話回線などのライフラインは全滅状態で、14ヶ所の避難所に1803名が避難しているといわれる。

変わり果てた同町に“温もり”を届けるべく、車両12台(20トントラック2台、タンクローリー車1台、冷蔵・冷凍車2台、車7台)に水2トン、男女下着類4000枚、歯みがきセット1万セット、入れ歯洗浄剤500個、クレベリン業務用セット2000セット、だるまストーブ21台、石油ストーブ8台、灯油・ガソリンなど、大量の救援物資を搭載する。

現地では、カレーライス5000食、豚汁5000食、野菜サラダ3000食を被災者に提供予定。デビュー前の下積み時代、カレー店に住み込みで2年間働いていたという杉自身がカレーライスを味付けし、夫人の伍代が豚汁をふるまう。支援が遅れている同町で炊き出しが行われるのは初めてとなる。

杉ら一行は、車中に寝泊りしながら現地に3日間滞在予定。避難所をできるだけ細かく廻って、炊き出しと救援物資を届けたいとしている。

46NONAME:2011/04/03(日) 22:27:31
津波、宮古で高さ37メートル到達 国内最大級
東大地震研の調査で判明 2011/4/3 21:19  http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E2E1E2E1E08DE2E1E2E6E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

東日本大震災で津波被害を受けた岩手県宮古市の田老地区で、陸地の斜面をさかのぼって到達した津波の高さ(遡上高)が37.9メートルにまで達していたことが3日、東大地震研究所の都司嘉宣准教授(地震学)の現地調査で分かった。

津波の遡上高の国内観測史上最大は、1896年の明治三陸地震で同県大船渡市で確認された38.2メートルとされる。都司准教授は「(今回は)明治三陸に匹敵するか、場所によっては上回るのではないか」と話している。

都司准教授は、田老地区にある小堀内漁港周辺の漂流物などを調査。海岸線から約200メートル離れた山の斜面にまで、海水に押し流された材木が到達していたことが分かった。材木があった地点を基に高さを計測したところ、37.9メートルと判明。その手前には、消防車や船も打ち上げられていた。

付近では、さらに高い位置まで海水が上がったとみられる形跡があり、詳しい調査を継続する。〔共同〕

47NONAME:2011/04/03(日) 22:58:33
台湾の救援隊、2日待たされ到着 日本、中国側に配慮か2011年3月14日20時48分
http://www.asahi.com/international/update/0314/TKY201103140399.html

【台北=村上太輝夫】台湾の救援隊が14日、羽田空港に到着した。11日の地震発生直後にすでに隊員派遣の用意を表明しながら、丸二日も待機を強いられた。台湾側は「中国要因でしょう」(外交関係者)と受け止めている。

日本側はいったん受け入れると返答したが、その後「現場が混乱している」として待つよう要請した。だが、その間に各国から救援隊が入り、台湾メディアから「なぜ入れないのか」と疑問が出始めていた。日本政府は1972年に台湾と断交、「台湾は中国の一部」とする中国の立場に配慮しており、台湾隊受け入れをためらったとみられる。

13日に中国の救援隊が現地入りし、同日夜にやっと台湾隊受け入れが決まった。

48NONAME:2011/04/03(日) 22:59:39
台湾が救援隊を派遣、待機していた隊員28人が日本に向け出発
2011/03/14(月) 15:47  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_175.shtml

台湾の中央通信社(中央社)によると、東日本大震災の救援活動にあたるため、台湾の捜索救助隊28人が日本側の同意を得て、14日午前に台北市内の松山空港から東京・羽田空港に向けて出発した。

  松山空港で救援隊の出発にさいし隊旗を授与した楊進添・外交部長は、「このたびの日本の震災は、地震と津波、加えて放射能漏れという人類史上かつてない自然複合災害といえる」と述べ、隊員を激励するとともに、自身の安全にも注意するようにと述べた。

  日本政府は当初、震災のため陸海の交通が遮断されており、各国の救援隊に必要な後方支援を行えないとしていた。このため、台北市国際捜索救助隊や消防署の特殊捜索救助隊などから組織される台湾の救援隊は13日晩に連絡を受けるまでずっと待機していたという。

  日本交流協会台北事務所の今井正代表(大使に相当)は、台湾政府から提供された義援金、防寒具や食糧などの救援物資、特捜隊の派遣に対し、日本政府を代表して感謝を述べた。

  台湾からはこのほか民間組織の救援隊35人が自発的に出発し、13日午後に成田空港に到着している。地震発生後、台湾出身の学生2人と連絡がとれていないという。(編集担当:阪本佳代)

49NONAME:2011/04/03(日) 23:00:50
100人を超す台湾ネットユーザーが掌に「日本の平安を祈ります」
2011/03/14(月) 13:39  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_129.shtml

未曾有の被害となった東北地方太平洋沖地震。世界各国から援助の申し出が相次いでいるが、民間レベルでの「はげまし」の声・行動も続々とインターネット上にはアップされている。今回紹介する動画もそのひとつ。台湾のFacebookユーザーを中心に広まった、日本への応援メッセージ活動である。

  掌(てのひら)や、爪、腕、または紙などに、日本語で「日本の平安を祈ります」と書き、ネット上にアップするというものだ。

  それら写真をひとつの作品にまとめた「台湾如何看待日本311(台湾は日本国民に捧げます)」というタイトルの動画には、150人以上のユーザーから寄せられた応援メッセージが確認できる。手だけではなく、足にメッセージを書くユーザーもおり、「日本の平安を祈ります」の他には「加油!(がんばれ)」などのメッセージも数多く寄せられている。

  台湾は当初、880万元(約2500万円)を支援する予定であったが、さらに1億元(約2億7600万円)の支援を決定。さらに救助隊・医療隊を派遣する予定である。

  参照元:YoutubeSasson5789(情報提供:ロケットニュース24)

50NONAME:2011/04/03(日) 23:03:56
「日本人は犬、助けるな」発言の議員補佐が解任=台湾
2011/03/14(月) 11:32  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_088.shtml

台湾の黄昭順・立法院委員は14日までに同委員事務室の趙志勲主任を解任したと発表した。趙元主任は、日本の東北・関東地方で11日に発生した大震災と尖閣諸島の問題を絡め、インターネットで「助ける必要はない」、「日本人は犬だ」などと表明し、非難が集中していた。立法院委員は台湾の「議会議員」に相当する。委員の事務所主任は「議員補佐」の役職。中国新聞社が報じた。

  趙元主任は12日、インターネットで「なぜ、日本人を助ける必要があるのか。釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)をまず考えるべきだ」との意見を表明した。「軍を釣魚島に出動させるチャンス」とのコメントが寄せられると、さらに「東京を攻めて、数千万人を殺してやりたい」、「訂正。殺すのは日本の犬どもだった」などと書き込んだ。

  同書き込に対して、非難の書き込みが殺到した。趙元主任の上司にあたる黄委員に対しても「選挙の時に、1票を使って制裁を」などの批判が寄せられた。

  黄委員は趙元主任の解任を発表し、取材に対しては「心が痛む。社会各界の皆さんにお詫びする。日本の被災者の皆さんにお詫びする」などと、謝罪の言葉をひたすら繰り返したという。(編集担当:如月隼人)

51NONAME:2011/04/03(日) 23:07:06
「天災の人道支援に偏った民族主義を持ち込むな」―中国メディア
2011/03/14(月) 12:11  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_107.shtml

東日本大震災の救助支援活動のために、中国の国際救助隊15名が13日に羽田空港に到着した。華声在線には偏った民族主義的観点から日本での災害を喜ぶようなネットユーザーの存在を批判すると共に「人類の安全と進歩のために、日本に支援をしよう」と呼びかける文章が掲載された。

  文章ではまず、日本は「記録上最強の地震」によって史上最大の災害に遭遇しており、中国を含めた全世界が救援のために行動を起こしていると説明。一方で、中国国内のニュースサイトのユーザーコメントには「他人の不幸を笑う」ような発言が見受けられることを指摘。「新旧の遺恨によって民族主義が激化していることは理解できるが、それとは天災や人道とは関係ない」として、そのような意見が出ていることに対して不快感を示した。

  そして、2008年に発生した四川大地震の時に日本政府が5億3000万円とサウジアラビアに次ぐ多額の義援金を送ったこと、日本のコンビニエンスストアではいたるところで四川大地震向けの募金箱が設置されていたこと、パナソニックやソニーなどの大企業が相次いで寄付を行ったことなどなど、全部合わせると12億元以上の資金援助を受けていたことや、外国の救援隊としては真っ先に31名の国際救援隊を派遣してくれたことを紹介。「これらはいずれも民族の感情を超越した人道主義を表している」とした。

  また、GDPが日本を抜いたとしても、一人当たりの収入や福利厚生制度では「目下わが国は遠く足元にも及ばない」と述べるとともに「人、という観点から、日本人の考え方は学ぶに値するものだ」との意見を示した。そして「災難と安全、進歩と発展、幸福と尊厳は人類にとって永遠のテーマ。これらを理解するのに狭隘(きょうあい)かつ冷淡、さらには自分勝手な態度は要らない。必要なのは学ぶことと助け合うことだ」とまとめた。(編集担当:柳川俊之)


日本の大震災:中国で見舞いと「がんばれ!」の声が圧倒的多数
2011/03/12(土) 00:44  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0312&f=national_0312_014.shtml

中国の各メディアは11日午後に東北地方太平洋沖で発生した地震の情報を次々に報じた。インターネットでは多くのコメントが寄せられたが、被災者を気づかい、災害を乗り越えることを希望する意見表明が大部分だ。「四川大地震の時に、日本は救援の手を差し伸べてくれた」などの書き込みも見られる。

  “愛国的論調”で知られ、反日感情が強い読者に人気がある環球網のコメント欄でも、日本で発生した大規模震災を気づかう書き込みがほとんどだ。「被災地の日本人民のために、祈っています」、「日本、がんばれ。災害には打ち勝つことはできる」、「天災の前には、団結と助け合いが王道だ」、「日本はがんばるはずだ。日本人はこんなことで泣かない」「四川大地震の際に、日本は救援の手を差し伸べてくれた。災害に際して、(日本を嫌う)民族的情緒をいだくべきではない」などの書き込みが圧倒的に多い。

  環球網は、中国のインターネット・ユーザーは理性を見せたと評価した。環球網の記事に対するコメントでは、少数ではあるが「ごめんなさい。私は理性的になれない」などとして、日本の災害に同情できないとの書き込みもある。ただし、露骨な口調で反日感情を披露する書き込みはほとんどない。一部の日本の災害を喜ぶような意見には、手厳しい叱責が寄せられている。(編集担当:如月隼人)

52NONAME:2011/04/03(日) 23:09:14
「天災の人道支援に偏った民族主義を持ち込むな」―中国メディア
2011/03/14(月) 12:11  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_107.shtml

東日本大震災の救助支援活動のために、中国の国際救助隊15名が13日に羽田空港に到着した。華声在線には偏った民族主義的観点から日本での災害を喜ぶようなネットユーザーの存在を批判すると共に「人類の安全と進歩のために、日本に支援をしよう」と呼びかける文章が掲載された。

  文章ではまず、日本は「記録上最強の地震」によって史上最大の災害に遭遇しており、中国を含めた全世界が救援のために行動を起こしていると説明。一方で、中国国内のニュースサイトのユーザーコメントには「他人の不幸を笑う」ような発言が見受けられることを指摘。「新旧の遺恨によって民族主義が激化していることは理解できるが、それとは天災や人道とは関係ない」として、そのような意見が出ていることに対して不快感を示した。

  そして、2008年に発生した四川大地震の時に日本政府が5億3000万円とサウジアラビアに次ぐ多額の義援金を送ったこと、日本のコンビニエンスストアではいたるところで四川大地震向けの募金箱が設置されていたこと、パナソニックやソニーなどの大企業が相次いで寄付を行ったことなどなど、全部合わせると12億元以上の資金援助を受けていたことや、外国の救援隊としては真っ先に31名の国際救援隊を派遣してくれたことを紹介。「これらはいずれも民族の感情を超越した人道主義を表している」とした。

  また、GDPが日本を抜いたとしても、一人当たりの収入や福利厚生制度では「目下わが国は遠く足元にも及ばない」と述べるとともに「人、という観点から、日本人の考え方は学ぶに値するものだ」との意見を示した。そして「災難と安全、進歩と発展、幸福と尊厳は人類にとって永遠のテーマ。これらを理解するのに狭隘(きょうあい)かつ冷淡、さらには自分勝手な態度は要らない。必要なのは学ぶことと助け合うことだ」とまとめた。(編集担当:柳川俊之)


日本の大震災:中国で見舞いと「がんばれ!」の声が圧倒的多数
2011/03/12(土) 00:44  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0312&f=national_0312_014.shtml

中国の各メディアは11日午後に東北地方太平洋沖で発生した地震の情報を次々に報じた。インターネットでは多くのコメントが寄せられたが、被災者を気づかい、災害を乗り越えることを希望する意見表明が大部分だ。「四川大地震の時に、日本は救援の手を差し伸べてくれた」などの書き込みも見られる。

  “愛国的論調”で知られ、反日感情が強い読者に人気がある環球網のコメント欄でも、日本で発生した大規模震災を気づかう書き込みがほとんどだ。「被災地の日本人民のために、祈っています」、「日本、がんばれ。災害には打ち勝つことはできる」、「天災の前には、団結と助け合いが王道だ」、「日本はがんばるはずだ。日本人はこんなことで泣かない」「四川大地震の際に、日本は救援の手を差し伸べてくれた。災害に際して、(日本を嫌う)民族的情緒をいだくべきではない」などの書き込みが圧倒的に多い。

  環球網は、中国のインターネット・ユーザーは理性を見せたと評価した。環球網の記事に対するコメントでは、少数ではあるが「ごめんなさい。私は理性的になれない」などとして、日本の災害に同情できないとの書き込みもある。ただし、露骨な口調で反日感情を披露する書き込みはほとんどない。一部の日本の災害を喜ぶような意見には、手厳しい叱責が寄せられている。(編集担当:如月隼人)

53NONAME:2011/04/03(日) 23:10:13
日本救援隊の黙祷写真に、感謝と感動の書き込み多数
2008/05/19(月) 18:37  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0519&f=national_0519_031.shtml

新華社は17日付で、日本の救援隊が掘り出した遺体に黙祷を捧げる写真を配信。同写真はさまざまな掲示板などでも転載され、日本の支援に感謝する書き込みが相次いでいる。

  写真では床に安置された遺体に向かい、居合わせた隊員全員が厳粛な面持ちで黙祷を捧げている。掲示板サイトの泡泡倶楽部では、写真に対して「愛の心に国境はない」、「ありがとう」などの書き込みがほとんどだ。

  また、「私は日本が本当に大嫌い。しかし日本人の職業精神と職業道徳には感服した」との意見もある。

  中国メディアの金羊網によると、各掲示板には、黙祷を捧げる隊員の態度を「虚偽」などとする書き込みも一部にはあるが、大部分は今回の震災での日本の支援に敬意を示し、「日本に対する印象が変わった」との意見も多い。

  これまで中国のインターネットの掲示板では、反日やキャスターが中国に敵対的な発言をした米CNN、大株主がダライ・ラマ14世に寄付したとの噂が流れた仏カルフールなどの問題に絡んで、排他的な愛国主義を唱える書き込みが目立ったが、国際的な支援が続々と紹介されたことを機に雰囲気が変化した。

  日本の救助隊に絡んでは「中国人民は狭隘(きょうあい)な民族主義を乗り越えよう」、「皆が、皮膚の色、人種、性別など関係なく、この星の上に住んでいる地球人だ」との書き込みもあるという。

  写真は倒壊した建物に残された隙間に残された人を捜索する日本の救助隊。中国新聞社が19日付で配信。(編集担当:如月隼人)

54NONAME:2011/04/03(日) 23:11:31
四川地震で在日中国人が追悼集会「日本、ありがとう」
2008/05/19(月) 16:42  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0519&f=national_0519_027.shtml

18日付中国新聞社電によると、在日華僑と留学生らは同日夜、東京都内の新宿公園で、12日に発生した四川大地震の犠牲者追悼の集会を行った。

  集会参加者は胸に白い花をつけ、ローソクで地震発生の5.12の文字を作った。また、中国語での「親族よ、天国で楽しく」、「被災地区の人民は奮闘する」などの他、日本語で「日本、ありがとう」と書かれた横断幕を掲げた。

  写真は中国新聞社が中国内外に向けて配信したもの。(編集担当:如月隼人)

55NONAME:2011/04/06(水) 10:53:34
チャリティ・アルバム「ソングス・フォー・ジャパン」世界18カ国でチャート1位に2011年03月31日
http://www.jiji.com/jc/f_brand?p=fwd20110331-2793497-7028247&rel=e

メキシコの首都メキシコ市(Mexico City)にオープンした歌手マドンナ(Madonna)とニューエボリューション・ベンチャーズ(New Evolution Ventures)が共同経営するフィットネスクラブ・チェーン「ハード・キャンディー(Hard Candy)」の第一号店のオープニングに登場したマドンナ(2010年11月29日撮影)。

 【3月31日 MODE PRESS】東日本大震災の被災者支援のため、世界のトップアーティストが楽曲を提供したチャリティ・アルバム「ソングス・フォー・ジャパン(Songs For Japan)」が世界18カ国のiTunes Storeでチャートで1位に輝いた。

 レコード会社の枠を越えて作られた同アルバムには、U2、マドンナ(Madonna)、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)、ケイティ・ペリー(Katy Perry)など計38組のアーティストが参加。25日に発売され、これまでに日本をはじめ、アメリカ、ドイツ、フランス、スイス、オーストラリアなど全18カ国で1位を獲得している。

 価格は日本では1500円、アメリカでは9.9ドル(約820円)など。アルバムの売上は日本赤十字社に寄付され、被災者支援や被災地の復興支援などにあてられる。

 なお、当初は音楽配信限定での発売を予定していたが、あまりにも好評のため4月上旬にも2枚組みのCDで発売されるという。

(c)Bang Showbiz/MODE PRESS

56NONAME:2011/04/06(水) 13:59:00
花見自粛しないで 復興支援に東北の地酒を 岩手の蔵元
2011年4月6日11時49分 http://www.asahi.com/national/update/0406/TKY201104060134.html

自粛は無用。東北の地酒を飲んで、被災地に元気を――。岩手県二戸市の酒造会社「南部美人」など3社が、動画投稿サイト「ユーチューブ」を使って東北の地酒をPRしている。

 「被災地岩手から『お花見』のお願い」と題し、ユーチューブに投稿したのは同社専務で5代目蔵元の久慈浩介さん(38)。東日本大震災で工場の煙突が壊れたり、蔵の壁が崩れたりする被害が出たが、製造ラインは無事で、一日も休まず酒造りを続けている。

 例年なら歓送迎会や花見のため出荷量が増える時期だが、震災の影響で3月の出荷量は4割減った。岩手県酒造協同組合によると、県内の23カ所の酒蔵のうち沿岸部の3カ所は全壊。ほかにも停電の影響などで現在も生産ラインが止まっているところがあり、南部杜氏(とうじ)で知られる地元の酒造業界の被害は深刻だ。

 南部美人は出荷先の半分を県外が占める。「被災地を気遣っての自粛の気持ちはありがたいが、このままでは経済的な二次被害を受けてしまう。被災地以外の方は普通に生活し、経済活動をすることが中長期的に被災地の支援につながる」と久慈さん。

 2日の投稿以来、ユーチューブでの再生回数は26万回を超えた。久慈さんは「東北の酒はどれも高い技術で造られ、おいしい。日本酒には人を元気にする力がある。東北の地酒を飲んで、みなぎった活力を被災地に送って欲しい」と話している。(京谷奈帆子)

57NONAME:2011/04/09(土) 19:49:33
【仏国ブログ】ジェーン・バーキン来日「日本の被災者の姿に感動」
【社会ニュース】 2011/04/08(金) 10:47   http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0408&f=national_0408_072.shtml

  女優・歌手のジェーン・バーキンさんが6日、フランスから来日し、渋谷のクラブクアトロにて震災復興支援コンサートを開催したり、募金箱を手に街頭に自ら立ち、義援金の募金を呼びかけた。

  同日昼には東京日仏学院で記者会見が行われた。仏ルポワン紙は、バーキンさんの訪日とともに、記者会見での発言を伝えている。

  バーキンさんは「地震、津波、原発事故と大災害に見舞われたにもかかわらず、混乱を起こすことなく助けあって生活している日本人の姿には、フランスだけでなく世界中が教わることが多く、感動しています」「皆さんを愛していると伝えに来ました」と訪日の趣旨を語った。

  また「日本からはこれまでに、多くのことを与えてもらっており、復興支援のための無料コンサートは、できることの中でも最低限のことだと思った」とコンサート開催についての気持ちを明かした。

  バーキンさんは、震災発生後、日本大使公邸で東日本大震災および津波の犠牲者を追悼するための記帳をいち早く行い、自分にできることをやる心づもりがあると語っていた。また、フランスにいることがつらくなり、訪日の意志を固めたという。

  フランスでは、原発事故発生後すぐに放射能漏れへの懸念が高まり、在日フランス人向けに避難勧告を出しており、帰国したフランス人も多い。フランス国内では、日本での放射能汚染は危険だという認識も広がったいる。

  このため、家族や友人はバーキンさんの訪日を反対したという。娘で女優であるシャルロット・ゲンスブールさんからは「靴下は3足重ね履き、マスクも着用。すしを食べるのは禁止、また水も飲まないように言われた」と語る。
  
  しかし、東京では現地の日本人と同様、落ち着いて普通に過ごしていると述べ、フランスで伝えられている日本のイメージと実際の日本国内の様子との間にギャップがある様子を伝えている。

  記事には「私たちの気持ちを、日本に行って伝えてきてくれたことに感謝している」といった読者からのの謝意や、日本の復興を願うといったコメントが寄せられている。(編集担当:山下千名美・山口幸治)

58NONAME:2011/04/12(火) 12:54:27
ありがとう!台湾救援隊が被災地入りー二度と許されない日本政府の非礼
2011/03/16/Wed  http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1451.html

台湾が九九年、九・二一大地震に見舞われた際、中国は各国に対し、「義捐金は中国を通せ」と要求し、あるいはロシア救援隊の領空通過を拒否するなど、さまざまな妨害を行ったが、それと対照的に日本は、救援隊を真っ先に派遣し、被災地で懸命の作業に当たった。これによって台湾では、中国を「同胞」とする国共両党の虚構宣伝はすっ飛び、逆に日本が信頼し、頼りになる国だと認識されたのだった。

当時日本隊の隊長を務めた人から直接聞いた話だが、任務を終えて帰国の飛行機に乗り込もうと隊員たちが空港ロビーに入ったときのこと。これを見た群衆は一瞬静まり返ったそうだ。ところがそこへ誰かが「ヒーロー」と叫んだ。すると広大なロビー全体が感謝の拍手に包まれたという。

〇九年、台風八号で大被害を被った時、国民党政権は各国の支援や救援隊派遣を当初断った。それは過剰な対中宥和政策をとる同政権の中国への配慮だったとされる。中国は自国より先に日米などが救援に乗り出すことを恐れていたのは確かである。あの国にとって台湾人の親日米・反中感情は「中国統一」(台湾併呑)の最大障害だからだ。

さて日本で三月十一日午後、東日本大地震が発生した。台湾政府はそれから一時間も経たないうちに日本政府に対し、義捐金、医療物資の提供、そして救援隊、医療隊の派遣を申し出た。

ところが救援隊の派遣に関して日本側は、最初は受け入れると回答したものの、その後「被災地は極めて混乱しており、詳細な検討後、改めて通知する」と「婉曲に断ってきた」(台湾外交部プレスリリース)という。

ただ十二日にディーゼル発電機やストーブなどそれぞれ五百台以上、防寒服など千人分、ビスケットなどの食品は緊急救援物資として正式に要請している。

「モノ」なら受け取ってやるということか。だが日本政府は台湾以外の国の「ヒト」(救援隊)は受け入れているのである。

つまり日本政府は「1972年に台湾と断交、『台湾は中国の一部』とする中国の立場に配慮しており、台湾隊受け入れをためらったとみられる」(朝日新聞)。台湾側も「『中国要因でしょう』(外交関係者)と受け止めている」(同)そうだ。

それにしても、確かに政府は台湾の大統領、首相、外相、国防相の来日は拒否する方針だが、救援隊を、しかもこの緊急時のなかで拒否するというのは尋常ではなく、おそらく中国から大きな圧力が加えられたのではないだろうか。

王式的なあの国は日本国民が台湾に親しみを抱くことを恐れている。なぜなら良好で強い日台関係もまた「中国統一」の大障害だからだ。

ところで政府は国民の生命より中国の方が大切なのだろうか。こうした常識外れの行為に出るのは、親中勢力の一大特徴でもある。

さて中国の救援隊が日本入りした十三日の夜になり、政府は一転して台湾隊の受け入れを決定した。

この不自然さはいったい何のためなのか。台湾より先に中国に花を持たせるため、台湾の受け入れ表明をわざわざ遅らせたのだろうか。それとも中国の側から「台湾隊も入れていい」との許しが出たからだろうか。

だがこれほどの非礼を受けながらも台湾隊二十八名は、十四日朝に台北を飛び立ち、東京へ。そして十五日午前三時に被災地仙台へ到着。韓国、フランス、ロシアのチームと合流した。

台湾では現在、大勢の人々が日本の災害状況を、まるで我が事であるかのように見守っており、「日本を助けよう」との声が澎湃と起こっている。「九・二一大地震では日本に助けられたから」と、当時の被災者たちが救援募金を開始したとの報道もある。

このような国から、そしてこのような国の人々の思いを担い、日本人の生命を守るために今、あの危険極まりない被災地に入っているのが台湾の救援隊なのである。

この兄弟国の勇者たちを歓迎し、感謝するため、私は「万歳」を叫びたい気持ちだ。 日本政府の台湾に対する傲慢な忘恩、背信行為は今後二度と許されてはならない!

59NONAME:2011/04/12(火) 13:34:35
被災地で台湾救援隊に「帰れ!」と毒突いた中国救援隊
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1470.html

李登輝元総統が四月三日、救援隊メンバーを食事に招いた際に明らかにしたところによると、台湾隊は十六日夜に行われた各国隊との会合の場で、中国隊から制服に付けていた台湾国旗を指さされ、「これは(中国の)台湾地区の標識だ」と侮辱された。

さらに中国隊は台湾隊がやってきたと聞いただけで、「帰れ!ここに来る必要はない」と罵ったのだという。

60NONAME:2011/04/15(金) 23:46:59
大震災の津波、宮古で38・9m…明治三陸上回る
読売新聞 4月15日(金)12時2分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110415-00000389-yom-sci

 東日本大震災の津波が、岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島で38・9メートルの高さまで達していたことが、東京海洋大学の岡安章夫教授の調査で分かった。

 岸から400メートル離れた同半島の姉吉漁港近くの山の斜面で、津波によって木が倒れていることを発見した。

 斜面を駆け上がった津波の遡上(そじょう)高として、明治三陸地震(1896年)の記録を初めて抜いた。明治三陸地震では、同県大船渡市の綾里(りょうり)地区の38・2メートルが最大記録。東日本大震災では、宮古市田老(たろう)地区の小堀内漁港近くでも37・9メートルの遡上高が確認されている。 .最終更新:4月15日(金)13時26分

61NONAME:2011/04/16(土) 23:09:52
仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激
読売新聞 4月16日(土)17時45分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000585-yom-soci

仙台空港近くの海岸に木で作られた「ARIGATO(ありがとう)」の文字(米空軍提供)

【ワシントン=山田哲朗】東日本大震災で水没した仙台空港の復旧を支援した米空軍第353特殊部隊のロバート・トス司令が15日、沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、被災者が海岸にマツの木で「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表してくれたと明らかにした。

トス司令が3日に上空から見た文字は、長さ6〜9メートルほどの木を並べたものだったという。同部隊は自衛隊と共に滑走路のがれき撤去や臨時の航空管制などにあたり、輸送機で水や食料も運搬した。

司令は支援を振り返って、「驚いたのは、自分たちも被災しながら日夜復旧に努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に言いたい」と話した。 .

62NONAME:2011/04/16(土) 23:11:13
「ARIGATO」文字に感動=機上から発見―復旧支援の米軍指揮官
時事通信 4月16日(土)9時22分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000026-jij-int

 【ワシントン時事】東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた仙台空港の復旧作業に携わった米軍嘉手納基地(沖縄県)の特殊部隊指揮官、ロバート・トス空軍大佐が15日、ワシントンと電話回線を通じて記者会見した。空港近くの浜辺に、米軍の支援に感謝する「ARIGATO」(アリガトウ)という木を組み合わせた文字を機上から発見した際、「苦境の真っただ中にありながらも、感謝の気持ちを示す日本人に心を打たれた」と語った。
 地震発生当時、韓国で演習中だったトス大佐は、戦地の前線への兵力投入を得意とする353特殊部隊を率いて仙台に移動。「戦地や災害派遣経験のある自分にとっても、被害規模は想像を絶するものだった」と感じ、「滑走路のがれきの除去には数週間はかかる」と覚悟した。
 しかし、自衛隊との連携で震災から5日後には滑走路のうち約1500メートルを確保し、援助物資の空輸を開始。「悲劇に直面しながらも秩序を保ち懸命に復旧作業に取り組む日本人の姿に感銘を受けた」と述べるとともに、「震災支援を通じて日米同盟はより強固になり、深まる」と力を込めた。

63NONAME:2011/04/17(日) 09:41:27
仮設住宅用「合板不足」に業界反発 政府の「批判かわし」の声も
2011.4.17 06:34 (1/3ページ) http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110417/biz11041706380001-n1.htm
建設が進む仙台市内の仮設住宅=8日、仙台市太白区
 東日本震災の復興に向けて6万戸の仮設住宅建設が急務になったことを受け、建設資材の不足問題が浮上している。とりわけ、合板は国内の約3割弱のシェアを持っていた東北沿岸の大型工場が被災したこともあり、供給力不足を懸念した政府は緊急輸入にも言及し始めた。ただ、合板業界は品不足には否定的だ。両者の行き違いはどうして起きたのか。

 「いったい、どうして輸入拡大なんていう話になるのか。われわれは被災分を差し引いても、国産合板は十分なボリュームがあるはずなのに…」

 東北沿岸で津波被害にあったある合板メーカー幹部は、5日に大畠章宏国土交通相が示した合板などの輸入拡大方針に疑問を呈し、「自分たちが迷惑をかけているようで悔しい」とつぶやいた。

64NONAME:2011/04/17(日) 21:30:57
<東日本大震災>クリントン米長官、揺るぎない支援約束
毎日新聞 4月17日(日)20時39分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110417-00000068-mai-pol

共同記者会見で記者の質問に答えるクリントン米国務長官=東京都港区の飯倉公館で2011年4月17日午後2時8分、三浦博之撮影

 菅直人首相は17日午後、来日したクリントン米国務長官と、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故を巡り、首相官邸で約35分間会談した。菅首相が「米国の同盟による支援を永久に忘れない」と謝意を伝えたのに対し、クリントン氏は「日本は必ず回復を遂げ、何十年間も経済的な、グローバルな活躍をすると確信している」と述べ、復旧・復興を官民あげて全面支援する方針を強調。両氏は福島第1原発事故の収束に向けて緊密に連携することを確認した。

 会談で、菅首相は福島原発事故について「米国と緊密に協力して対処していく。事故から得られた教訓を国際社会と共有して、役立てていく責務がある」と述べ、クリントン氏も「日米間で緊密に連絡を取り合っていきたい」と応じた。

 クリントン氏はこれに先立ち、松本剛明外相と東京都内で約35分間会談した。松本氏は、東電が同日発表した原発事故収束へ向けた工程表を米国の専門家が分析するよう依頼。会談後の共同会見で、クリントン氏は同事故について「多次元の、前代未聞の規模の危機」との認識を示し、工程表の分析に協力する考えを表明した。

 また両外相は、復旧・復興に向け、両国政府と企業・シンクタンク・非政府組織(NGO)などによる官民のパートナーシップを進めることで一致した。クリントン氏は、共同会見で「日本国民の強さを見て感銘を受けている。我々は改めて、揺るぎない支援を約束したい」と語りかけた。

 共同会見には、日本経団連の米倉弘昌会長と米国商業会議所のドナヒュー会頭も同席し、日米の官民協力を前面に押し出した。

 一方、両外相は日米安全保障協議委員会(2プラス2)について6月下旬で調整している菅首相の訪米前のできるだけ早い時期に開くことで一致した。

 クリントン氏は17日午後、専用機で羽田空港に到着。菅首相、松本氏との会談のほか、天皇、皇后両陛下とも会見し、同日夕、帰国の途についた。【西岡省二】 .最終更新:4月17日(日)20時54分

65NONAME:2011/04/19(火) 11:48:34
日本ユニセフの募金者から「これじゃユ偽フだ」との批判殺到
2011.04.04 16:00  http://www.news-postseven.com/archives/20110404_16633.html

東日本大震災では善意の募金が世界中から多数寄せられた。だが、募金を巡るトラブルも発生した。そのひとつが日本ユニセフ協会(日ユニ)を巡るものだ。問題の発端は、日ユニが震災発生3日後(3月14日)にHP上で「1億円の緊急支援」を告知したことにある。その告知には、以下の「但し書き」があった。

〈必要な資金を上回るご協力をいただいた場合、ユニセフが実施する他国・地域での紛争・自然災害などによる緊急・復興支援に活用させていただくことがあります〉

 募金が被災者に渡らないと気づいた募金者から、次のような声が上がるのは当然だった。

「俺の募金はアフリカに行ってしまうのか」「これでは“ユ偽フ”じゃないか」

 批判が殺到した日ユニは、24日にHP上で「東日本大震災の募金は、通常の募金とは別の口座で管理しています」と掲載し、「全額を被災者に渡す」と釈明した。

 方針転換の理由を日ユニ広報室はこう説明する。

「ユニセフ(国連児童基金)は開発途上国の子供たちへの支援を目的としており、日本への支援は1964年で終了しました。しかし、震災後にユニセフが日本支援を決めたので、募金の全額をお渡しできるようになった」

 当初から「大震災支援」を謳いながら、被災者に募金を渡すことを表明したのは10日後だったのである。

 世界の子供たちへの支援が悪いわけではない。それが日ユニの目的である以上、日本の子供たちが対象とならないことにも問題はない。だが、被災者に届かないのであれば、「東日本大震災の緊急募金」などやるべきではない。10日間にわたって、被災者支援を口実に募金を掻き集めていたと見られても仕方ないだろう。

※週刊ポスト2011年4月15日号

66NONAME:2011/04/19(火) 12:05:55
日本ユニセフ 職員36人で粗利益は27億円、法人税はナシ
2011.04.05 07:00  http://www.news-postseven.com/archives/20110405_16645.html

東日本大震災の募金を呼びかけた日本ユニセフ協会(日ユニ)は、同単体のHPで〈必要な資金を上回るご協力をいただいた場合、ユニセフが実施する他国・地域での紛争・自然災害などによる緊急・復興支援に活用させていただくことがあります〉と3月14日に発表した。

 だが、これに対し、「俺の募金はアフリカに行ってしまうのか」などの批判がネット上で多数書き込まれ、その後同団体は募金は東日本大震災の被災者に充てられると発表した。
 
 そもそも日ユニとはどんな団体なのか。「国連ユニセフの活動を支援することを目的とした財団法人」であり、ユニセフ本部直轄の駐日代表部は別に存在する。「ユニセフ」という名称を含むことから、ユニセフの「日本支部」と思われがちだが、国連機関ではない。しかし、多くの国民や篤志家、そして日ユニに寄託するボランティア団体でさえも「国連組織」と誤解し、日ユニもそれを周知させていない点に、今回の騒動の根がある。

 国連の冠を掲げて募金を集める日ユニは「超金満団体」でもある。

 日ユニはユニセフと協力協定を結んでいるが、協定には「集めた募金の最大25%までが運営経費として認められる」とある。

 2009年度の収支計算書によると、事業活動収入は約190億円。うち90%以上が募金収入だ。支出はユニセフ本部への拠出金が約163億円(業務分担金約11億円を含む)。つまり、約27億円が日ユニの“粗利益”である。公益法人と認められているため、法人税はかからない。

 では、その大金を何に使っているのか。内訳は募金活動事業費(約14億5000万円)、啓発宣伝事業費(約5億円)、管理費(約3億円)など。職員わずか36名の団体が募金を右から左に動かすだけで、30億円近い活動費を使うことには違和感もある。職員の給与は「地方公務員並み」(日ユニ広報室)というから人件費だけでは数億円だろう。

 金満経営が槍玉に挙がったこともある。日ユニが2001年に東京・高輪に地上5階、地下1階、延べ床面積1100坪の本部ビル(ユニセフハウス)を建設した時、25億円の建設費用は日ユニの活動余剰金が充てられたが、「その金で何人の子供たちを助けられるのか」と批判が巻き起こった。

※週刊ポスト2011年4月15日号

67NONAME:2011/04/19(火) 13:03:53
野田聖子氏とアグネス・チャンをつなぐ日本ユニセフ人脈
2011.04.07 07:00  http://www.news-postseven.com/archives/20110407_16830.html

東日本大震災の募金をめぐり、ネット上を中心に多数取り上げられた日本ユニセフ協会(日ユニ)は政界と密接な関係を持つ。

もともと、日ユニの活動を主導したのは、橋本龍太郎・元首相の母、橋本正氏(日ユニ元専務理事)だった。

「正さんが“募金がなかなか集まらない”と龍太郎氏に訴えたことがきっかけで、龍太郎氏は『ユニセフ議連』を設立した。日ユニに賛同する企業から献金を集めていたため、日ユニは“橋龍利権”と呼ばれた」(政界関係者)

だが、龍太郎氏と正氏をよく知る元秘書に聞くと「それは違う」と反論する。

「正さんが専務理事の時代は、日ユニの活動は慎ましいものだった。しかし、東郷(良尚・副会長)さんが入ってきてからビジネス化した。東郷さんが運転手付きの車を使っているのを知った龍太郎先生は、生前に“母がやりたかった活動と全然違うものになってしまった”と、一度ならず嘆いていた」

現在の議連会長は谷垣禎一・自民党総裁で、公明党の坂口力氏、民主党の小宮山洋子氏ら与野党の政治家が幹部に名を連ねる。前出の政界関係者がいう。

「政治家がユニセフ議連に参加するメリットは、まずはイメージアップ。また、日ユニには多くの大企業や新聞社が協賛しているから、票やカネを持つ企業との接点にもなる。

近年は特に野田聖子・元消費者相との関係が深い。野田氏が会長を務めるNPO法人の理事を東郷氏やアグネス・チャンが務めている。かつて岐阜県庁の裏金問題(2006年)で、一部が日ユニの献金に流れていたことが判明したが、これも岐阜県政に強い影響力を持つ野田氏とのつながりがあるのではないかと囁かれた」

裏金の件は推測の域を出ないが、野田氏のライフワークである「児童ポルノ規制」でアグネスが広告塔を務めることも、日ユニ人脈の深い関係をうかがわせる。

※週刊ポスト2011年4月15日号

68NONAME:2011/04/19(火) 20:38:24
アグネスの行動はいつも偽善行動だろ、ソマリア快適旅行か いつもだぜあれは
女性自身あたりが持ち上げたがる 野田聖子は白人の卵 騒動か 笑わせてもらった、この大震災で
孤児がたくさん出て金銭的にもだが精神的にもトラウマかかえてるって震災孤児
でも面倒みればいいのによ。日本ユニセフ ネットで騒動にならなかったら
知らん振りしてんだろうぜ。

69NONAME:2011/04/20(水) 13:36:46
アグネスの霊感商法トラブルは「反アグネス派の陰謀」!?
http://news.livedoor.com/article/detail/4989891/

アグネス・チャン(55)が、自身の事務所が運営している商品販売サイト「Chan's」の一部商品について、早稲田大学名誉教授の大槻義彦氏から「霊感商法同然」「薬事法に抵触する恐れもある」と指摘を受けた。

 指摘を受けたのは「さまざまな病気を予防する効果がある」とうたった健康食品『五色霊芝』と、風水の効果で運気が上昇するという『パワーストーン』。パワーストーンは3,780円、五色霊芝は1カ月分が約2万円で売られており、アグネスが顔写真入りで商品の利用を勧めていた。

 アグネスは自身のブログで「霊感商法は大嫌いです。絶対にやりたくないです。薬事法抵触の事も全く知らなかった」「私は有害なオカルトは反対。クリスチャンなので、オカルト関連の活動など全くしていません」と弁明。さらに「アグネスから皆様へ」と題したエントリで「お騒がせしている事を心からおわび申し上げます」と全面的に謝罪した。

 だが、大槻教授は「『誤解を与えた』などということは大嘘。霊感商法は彼女が確信してやってきたこと」と再び批判し、ネット上でも「霊感商法が嫌いとかは問題じゃなく、実際に自分がやってことが批判されてるんだろ」「クリスチャンだからってのは関係ない」などと厳しい声が挙がっている。

 この一連の騒動をスポーツ紙が一面で報じたが、アグネスの夫で所属事務所の代表でもある金子力氏が、同紙の取材に対し「児童ポルノ法改正に反対している人たちに、大槻教授が乗せられてしまったのでは」などと発言したことから、再び騒動に火が点いた。

 アグネスといえば、日本ユニセフ協会の大使として児童ポルノ根絶に尽力しているが、実際に被害者のいない二次元の児童ポルノ表現にまで規制を広げようと法改正を主張し、規制反対派から批判を受けている。

 規制反対派によるアグネス潰しの陰謀とでも言いたげな金子氏の発言に、ネット上では「何でもかんでもロリコンのせいにするな!」「誰が炊きつけたとか関係なく、自分が悪い事したんだから謝罪すべきなのに」などと、以前にも増してアグネス側への批判が集中。

 実際、アグネスを快く思っていない人物が大槻教授に"タレコミ"をしたようだが、だからといって霊感商法まがいの行為が許される理由にはならない。

 ネット上ではアグネスに対する批判が高まる一方となっているが、大槻教授は自身のブログで、一部の反アグネス派の過激な発言にも警鐘を鳴らした。

「私どもの批判に対して、様々な意見がWEB上を飛び交っている。それだけ反響が大きかったと言えるのだが、その中で見逃せない文章が多数見られる。それは、アグネス批判をするあまり、民族差別・女性差別的な言葉である。この成熟した社会だからこそ、この種の霊感商法批判も自由にできるのだが、それを逆用して差別的言動をするのは許せない」

 一部の心無いネットユーザーが、アグネスに対して「中国へ帰れ」中国人が日本人に指図するな」などと本題と離れた勝手な発言をしており、それを憂いているようだ。

 霊感商法にしても表現規制にしても、どちらもヒステリックになりがちな問題だけに、無用な差別発言を生まないような冷静な態度が求められる。アグネスの今回の騒動は十分にイメージダウンとなったが、ネット上の過激な発言を一般人が目にすれば、規制反対派の人格が疑われる。もどかしさのあまり感情に任せて相手を傷付けても、何の解決にもならないということを忘れるべきではないだろう。
(文=ローリングクレイドル)

70NONAME:2011/04/21(木) 04:00:37
氷室京介、初の全曲BOΦWYライブ開催 復興支援で23年ぶり楽曲披露 http://www.oricon.co.jp/news/music/86737/full/

 ロック歌手・氷室京介が東日本大震災の被災者支援のため、全曲BOΦWYの楽曲で構成するチャリティーライブを東京ドームで行うことが17日、わかった。1988年のバンド解散以降、全てBOΦWYの楽曲でライブを行うのは今回が初めて。23年間歌うことのなかった楽曲も披露する予定となっており、収益の全額を復興義援金として寄付する。

 当初、氷室の50歳のアニバーサリー公演を予定していたが、震災が起こったため公演内容を変更。復興支援ライブ『KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME “We Are Down But Never Give Up!!”』として6月11日に開催することが決定した。一世を風靡し、未だ多くの支持を得ているBOΦWYの楽曲を、ボーカルの氷室が今歌うことで多くの人のエネルギーになれば、と企画された。東京ドームでの公演は電力消費の問題などもあるが、可能な限り節電に配慮し、最小限の電力と機材で行う。

 ソロ23年、バンド時代6年の約30年の氷室のキャリアの中で、岩手県、宮城県、福島県は幾度となく全国ツアーやライブイベントで訪れた、縁の深い地のひとつ。今年1月にも盛岡、仙台、郡山にツアーで訪れたばかりとあって、被災地の映像を見て愕然としたという。

 氷室は「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時 微力ではあるけれど俺なりに 過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したいと思います We are down but never give up!」とコメントを寄せている。

 BOΦWYは氷室(Vo)、布袋寅泰(G)、高橋まこと(Dr)、松井常松(B)によるロックバンド。1981年に結成し、翌年アルバム『moral』でメジャーデビュー。アルバム『BOΦWY』(1985年)から次第に確固たるバンドのサウンドを打ち出し、代表作は「Marionette」「B・BLUE」「わがままジュリエット」など。1988年、ファンに惜しまれながら東京ドーム公演を最後に解散した。

71NONAME:2011/04/21(木) 04:19:00
韓国の義捐金 20%を被災地に、70%を“独島守護活動”に
2011.04.20 07:00  http://www.news-postseven.com/archives/20110420_17938.html

近年の韓流ブームやアイドルグループの日本進出により、犬猿の仲といわれた日韓のわだかまりはすっかり解消されたかのようだ。

 そして東日本大震災の発生後、世界の主要国と同様に、韓国もいち早く日本支援に動いてくれた。震災翌日の12日には救助隊を派遣し、韓国の赤十字社には1日1億円以上の寄付が集まった。韓国ではARSという電話での募金システムが普及しており、1回の電話で2000ウォン(約150円)の募金をしようと多くの人々が日本のために受話器をとったという。

 ソウル・衿川区の職員たちも当初は、被災した日本人を思いやってくれる善意の人たちだった。衿川区は人口60万人で、日本人も63人が在住している。約1000人の区職員たちはお金を出し合い、1200万ウォン(約920万円)もの浄財が集まった。

 本来ならばそのまま何事もなく日本に全額送金されたことだろう。しかし、3月末、日韓双方が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題が、日本の中学教科書の検定結果が明らかになったことで再び注目を集める事態になってしまった。

 衿川区の広報課長、シン・ジョンイル氏が語る。

「独島を自国領土と捏造した内容をすべての中学校教科書に採択するような敵対的な態度を見せる日本に義捐金を送る必要などないという意見が多数出てきたため、3月31日と4月1日の2日間、職員を対象に『日本の地震被害支援募金の使用方法について』のアンケートを実施しました。330人から回答が集まり、『主旨通りに使う』が20%、『独島の守護活動を支援する』が70%、その他が10%という結果になりました」

 衿川区長チャ・ソンス氏は4月5日、アンケート結果を尊重して、募金のうち20%を日本へ送り、70%を独島守護活動団体に、10%をなぜか戦争性被害者(元従軍慰安婦)の団体に寄付することを発表した。

※週刊ポスト2011年4月29日号

72NONAME:2011/04/21(木) 04:31:00
陸自ヘリ隊員「米軍は独自判断OK。ウチは上の判断が絶対」
2011.04.20 07:00  http://www.news-postseven.com/archives/20110420_17883.html

米軍の活躍が“割り増し報道”される一方、10万人が動員された自衛隊の活動は、ともすれば見過ごされてはいまいか。震災発生から約30日間、救援物資の運搬や不明者捜索で被災地を飛び回った関東地方の陸上自衛隊ヘリ部隊の隊員が、その実情を明かした。

 * * *
 私の任務は急患、怪我人、住民の救出と搬送。それから、孤立地域へ食料や水を運ぶことでした。初動に関しては、自衛隊は満点をつけて良いぐらいの出来だったと思います。 問題がなかったわけではありません。たとえば、司令部から下りてくる情報の正確性です。着陸予定の学校名の漢字の読み方が間違っていたりしたため、数機のヘリが上空で待機せざるを得ませんでした。
 
 災害派遣のヘリは、1人でも多くの被災者を乗せることが最優先なので、機体が重くならないように、燃料の搭載を少なくします。効率的に離着陸ができなかったのは残念でした。
 
 それ以上に悔しい思いをしたのは救援物資の運搬です。一部の報道で「米軍はどんどん物資を投下しているのに、自衛隊はやっていない」と批判されました。意見が分かれるところかもしれませんが、米軍の場合は各機が独自に判断して行動できるのに対して、自衛隊は司令部の判断が絶対です。
 
 実際には、米軍の投下した場所は孤立集落ではなかったり、すでに食料や水が届けられていたりしたケースも多かった。特に物資が限られていた初動時には、やみくもな投下が正しいわけではなかったと思います。
 
 米軍ヘリは着陸の判断も自由にできる。彼らは瓦礫で埋め尽くされているところであっても、隊員がパラシュートで降下し、瓦礫を除去してヘリを着陸させる。一方、自衛隊は救援される側と連絡を取り、安全を確保してから着陸しなくてはならない。われわれも米軍と同様の降下、着陸技術は持っていますが、それをできないのは歯痒く、米軍を羨ましくも感じました。

※週刊ポスト2011年4月29日号

73NONAME:2011/04/21(木) 04:31:58
米放射能等対処専門部隊「CBIRF」 福島へは行っていない
2011.04.18 16:00  http://www.news-postseven.com/archives/20110418_17827.html

日本を襲った大災害に、米国から約2万人の“トモダチ”が、113機の航空機、艦船12隻を引き連れて駆けつけた。こうした支援は親米メディアの間で大絶賛され、「日米同盟の重要性が再認識された」と盛り上がっている。

颯爽と登場したのが、海兵隊の放射能等対処専門部隊「CBIRF」(シーバーフ)だった。同部隊は4月上旬に約150名が来日、9日には横田基地での訓練を報道陣に公開した。その模様は新聞やテレビで「核戦争を想定した訓練を積んだ特殊部隊」と報じられたため、“原発事故を収束させる救世主”のような印象を抱いた国民も多かったのではないか。

ところが違うのである。初動対応部隊を率いるクルスマン大尉は、「日本政府から要請があれば直ちに出動する」といった後に、「我々が行なうのは人命救助だ」と釘を刺した。

クルスマン大尉の説明通り、同部隊の任務は原発の事故処理ではなく、放射能の除染や治療。したがって、福島第一原発の20km圏内から住民が退避する際、自衛隊が行なった作業と変わらないのである。そもそも、米国防総省は最初から米軍に原発半径50海里(約93km)区域への立ち入りを禁じているため、CBIRFは「福島には行かない」のだ。

防衛省幹部が複雑な表情で語る。

「CBIRFの派遣は米政府からの強い要請で、日本が受け入れた形。活動する予定もないのに訓練風景を公開したのも解せない。福島で防護服を着て事故処理に協力している陸自部隊が頼りないような印象さえ持たれてしまった」

※週刊ポスト2011年4月29日号

74NONAME:2011/04/21(木) 14:44:39
自衛隊員 被災者に暖かい食事配り自分は冷えたレトルト飲む
2011.04.21 07:00  http://www.news-postseven.com/archives/20110421_18110.html

「人員10万6250名、航空機497機、艦船49隻が活動中」。23万人の全自衛官の半数近くが、来る日も来る日も被災地に投入されている(※4月12日時点)。かつての災害時には「自衛隊外し」すらあったことを思えば隔世の感があるが、それでもその活動が詳しく報じられることは少ない。彼らは今どんな思いで救助・支援活動をしているのか。震災直後から各地の派遣部隊に同行取材した、フォトジャーナリストの菊池雅之氏が被災地の自衛隊員の素顔をレポートする。
 
 * * *
 生き延びた被災者への支援も自衛隊の重要な任務だ。各所で風呂を開設したり炊き出しを行なったりといった活動をしている。
 
 宮城県石巻市で捜索活動を実施している第44普通科連隊を取材した翌日、航空自衛隊の給養小隊が石巻市の沖合に浮かぶ網地島へ給食支援を行なうというので同行させてもらった。網地島は、地震発生直後より定期船がすべて運休しており、孤立している島の一つだ。

 支援に使用するのは空自の双発ヘリコプターCH-47JA。同機は航空自衛隊の松島基地に待機していた。この松島基地も津波によって甚大な被害を受けた。隊員も1名亡くなっている。日本が誇る最新鋭戦闘機F-2Bは、18機すべてが津波に流された。

 この日、私を案内してくれたのは、航空自衛隊のアクロバットチーム「ブルーインパルス」の編隊長、安田勉3佐だった。ブルーインパルスも松島基地所属だ。しかし、たまたま震災翌日に九州新幹線開業式典でデモフライトが予定されていたため、最寄りの芦屋基地で待機しており、被災を免れたのだった。

 ヘリコプターは松島基地を離陸してから15分程度で網地島に到着した。機体後部のキャビンドアが開かれると、隊員たちは炊きたてのご飯や調理道具を降ろした。

 保温容器に入れられた炊きたてのお米が島の女性たちの手でおにぎりになっていく。隊員も一緒に握る。みな笑顔で冗談も飛び出る。被災地でこうした笑顔を見たのは久しぶりだ。安田3佐が言う。

「今回の目的は炊き出しですが、ただお腹を満たすだけでなく、心も満たすことを目的にしています」

 パイプ椅子に事務机という殺風景な青空食堂での実に質素な食事ではあったが、みな大きな口でおにぎりを頬張る。

「すいません、おにぎりもう1個もらえますか」と恥ずかしそうに申し出るお爺さんに、「どうぞ、どうぞ、何個でも食べてください。なんなら全部(笑)」と冗談を言う隊員。私も前日までの遺体捜索の取材で笑顔を忘れていたが、この時は自然に頬が緩んだ。

 現地へと派遣された自衛官たち自身は、「天幕」と呼ばれる濃緑色のテントで生活を送っている。ストーブはあるが、朝晩の寒さはまだまだ厳しい。温かい食事はすべて被災者たちに配るため、隊員たちは冷えた缶詰などを食べている。

 現地で、変わった食べ方をする隊員を見た。レトルトカレーを温めずに封を切り、まるでジュースのように直接飲み込む。それに続けて、レトルトのご飯を口の中に放り込んでいた。その様子をじっと見ていた私に気づいた隊員が笑いながら言う。

「馴れれば、これはこれで美味しいですよ」

 もちろん、風呂も被災者が優先だ。隊員たちは3日に1回入れればいい方だが、「被災者の苦労に比べれば……」と屈託がない。

 朝になれば、再び隊員たちは遺体捜索や各種支援活動へと出かける。毎日、何体もの遺体に対峙する隊員たちの身体的精神的苦労は並大抵のものではないだろう。それでも、「誰かがやらなければ」と歯を食いしばり、被災者には笑顔で接する自衛隊員たちが、今日も東北各地での任務を続けている。

※SAPIO2011年5月4日・11日号

75NONAME:2011/04/21(木) 15:52:02
救出任務の自衛官 親族が行方不明でも避難所掲示板を素通り
2011.03.22 16:00  http://www.news-postseven.com/archives/20110322_15643.html

被災地の最前線で、まさに体を張って救助にあたっているのが、自衛隊員たちだ。政府は3月16日、制度発足後初めて、予備自衛官らの招集を決定した。

予備自衛官は、平時は民間で働き、招集があれば駐屯地警備などの後方支援を行なう。退職した自衛官で構成され、有事の際には常備自衛官と同じ任務にあたる即応予備自衛官もいる。

「私は普段は建設業をしています。会社員から農家まで、即応予備自衛官の職業はさまざま。訓練出頭もあり、正社員として採用してくれる事業者が少ないため、失業状態の者もいて、仲間うちでは『即応貧乏』などと軽口も叩きます。しかし、士気は高く、誇りもある」

こういって、30代の即応予備自衛官・Dさんは胸を張った。

「中隊から所在確認と出頭の意思の確認があったので、“ぜひ出させてほしい”とお願いしました。自分たちは国の危機のために存在しているわけだし、日頃の訓練もそのために行なってきたわけです。仕事はクビになるかもしれませんが、覚悟はしています」(Dさん)

彼を駆り立てるのは、1日3時間程度の休憩しか取らずに救出と復興作業に当たっている現場の自衛官たちの姿だ。岩手県・釜石市内で被災した主婦のEさん(50歳)は、そんな自衛官に救出されたひとり。

「被災地であの迷彩服、ヘルメット姿を見たとき、“助かった”と感じました。被災者にとって、自衛隊の姿は頼もしいもの。統制がとれ、テキパキとした姿は本当に素晴らしいです」

地元で救出活動を行なうある隊員は、親族が行方不明にもかかわらず、避難所の掲示板を素通りしたという。被災者たちに不安を与えないようにするためだ。

※週刊ポスト2011年4月1日号

76NONAME:2011/04/21(木) 17:24:48
昔からの日本人の自己犠牲の精神を体現してる 日本人 ここにありだよ。
いつも思うが被災者の方々の災害時での冷静さと忍耐と団結心 見事だよな。
これでリーダー連中、民主党の連中が有能なら 世界に対しての風評被害
がここまでならなかったのにな、返す返すも民主はまったくの期待はずれだった。
まったくを何十回 くっつけてもタリネエくらい アホだったよ あいつらはよ。

77NONAME:2011/04/22(金) 22:48:48
「社長もここに住んでみろ」謝罪に避難者怒声
読売新聞 4月22日(金)20時59分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000938-yom-soci

 「いつ戻れるのか」「社長もここに住んでみろ」。

 福島県内の避難所を謝罪のために訪れた東京電力の清水正孝社長は22日、避難者から厳しい言葉を浴びせられた。避難所の訪問は、福島第一原発の事故後、初めて。清水社長は終始うつむき、目を伏せたままだった。

 同県富岡町と川内村の両役場が置かれ、約2000人が生活する「ビッグパレットふくしま」(郡山市)。清水社長が「一日も早く古里へ戻れるよう全力を尽くしたい」と述べると、遠藤勝也・富岡町長は「住民は避難生活に疲れ、気力も体力もなくしている」と窮状を語り、遠藤雄幸・川内村長も「住む人の将来や運命、地域の有り様まで変わってしまった。長期化すれば地域が崩壊する」と訴えた。 .最終更新:4月22日(金)20時59分

78NONAME:2011/04/23(土) 23:00:49
全部で5千万円以上?避難所で現金配る2人組
読売新聞 4月23日(土)20時44分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110423-00000651-yom-soci

 東日本大震災で被災した宮城県石巻市の避難所に「西日本有志の会」「西日本小売業協会」などと名乗る男性2人組が現れ、避難住民に直接現金を配ったことが23日、わかった。

 市が同日、災害対策本部会議で明らかにした。

 市によると、2人組は21、22の両日、市内の避難所計6か所で3万円ずつ茶封筒に入れた現金を避難住民に配ったほか、市牡鹿総合支所で、職員に3万円の茶封筒約170通、計約500万円を渡していった。総額は5000万円以上とみられる。避難所の職員が「やめてください」と言って断っても配り続け、その後立ち去ったという。

 話を聞きつけたほかの被災者からは「不公平だ」と訴える電話が市に寄せられており、市は「志はありがたいが、被災者に公平に配れる義援金として送ってほしい」と呼びかけている。 .最終更新:4月23日(土)20時44分

79NONAME:2011/04/24(日) 23:25:03
東日本大震災:いま、あなたの宝物は何ですか? http://mainichi.jp/select/jiken/graph/takaramono/17.html

80NONAME:2011/05/02(月) 13:10:32
http://plaza.rakuten.co.jp/kayocodj002/diary/201104220001

あるお寺での事。 その時、そのお寺では葬儀が行われており…
ただ、参列者の雰囲気がちょっと異様で。
どう違うか…その場でしか感じることのない、参列者の重くやりきれないと言った思いが痛いほど伝わる雰囲気なのです。

その理由は後から分かることになるのですが…

この日、このお寺で行われた葬儀は午前も午後も、“自ら命を絶った方”の葬儀。
あの津波で、命が助かったにも関わらず…生かされた命に関わらず…
生きていくことに絶望を感じ死を選んだ方々。

実は今、気仙沼では自ら命を絶つ人が後を絶ちません。毎日のように、自分で人生を終わらせてしまった方の葬儀があるそう。
悲痛な表情でそう語るお寺の奥様。
その避難所は、命からがら逃げてきた方達の避難所にもなっているんです。

助かって良かったと身を寄せ合う方達の、襖を挟んですぐ脇で執り行われるその葬儀…。
正直やりきれない…と。

住む家を奪われ、
家族を奪われ、
仕事を奪われ…
生きていく希望さえ奪われてしまった。なぜ自分だけ助かってしまったんだろうって…、

そんな事、せっかく助かった方に思わせないで下さい。
長期的な復興計画ももちろん大事。
でも今の今、明日も生きようと思わせる支援が必要なのでは?

いつ、どうやって入ってくるか分からないまとまったお金より、今、手に握りしめられる千円札の方がもしかしたら大きいのかも…
助かってよかったと全員が思える支援、未来像を描ける政策を。

正直、私、復興計画のプロジェクトって、震災の二日後くらいから、救援救助の対策室と同時に裏で走り出してるものだと思ってました。
救助がめどが立ったらすぐに切り替われるように。

でも日本は違っていましたね。
この間の復興計画の会議に有識者が集まったと言うシーンを見て「ホントに今からかい!」って思った人は多いはず。
遅くないですか?
もっとスピードを上げて!

それに復興プロジェクトは東京じゃなくて現地でやればいいじゃない!
せめて現地に近い仙台市内や盛岡、福島市で!現地を観てもない人にあーでもないこうでもないって言われたくないですし…

ちょっと無知なくせに感情的になってしまいましたが、
きっと、私が言いたいことは明日の11:00〜のFMの番組で社長が吠えてくれるはず。

せっかく生かされた命。私たちは何があっても生きましょうね。

81NONAME:2011/05/05(木) 00:23:37
菅首相の「謝意」各国の新聞に掲載 100億義援金の台湾除いた理由
2011/4/12 20:24  http://www.j-cast.com/2011/04/12092867.html

東日本大震災で、日本に対する海外からの支援に対して菅直人首相からの「謝意」が、海外主要紙に掲載された。英語やフランス語、中国語など5つの言語に訳されている。

日本向けに多額の義援金を集めた台湾の新聞は入っていなかったが、「別の形」で感謝を表した。だがそこには、中国への配慮も見え隠れする。

「義援金の金額で広告掲載決めたわけではない」
震災から1か月の2011年4月11日、各国の主要紙には菅首相のメッセージ広告が掲載された。外務省によると、国際英字紙「インターナショナル・ヘラルドトリビューン」をはじめ米紙ウォールストリートジャーナル、英紙フィナンシャル・タイムズ、韓国の朝鮮日報、中国共産党機関紙の人民日報など7紙。有料広告の扱いだが、その後シンガポールやベトナム、ミャンマーから「無料でも掲載したい」との申し出があったという。

いずれも「絆に感謝します(Thank you for the Kizuna.)と英文のタイトルが付けられ、各国の言語で謝意が続く。地震と津波で甚大な損害を被った地域で「海外の皆さんの助けが私たちを勇気づけてくれました」と感謝。日本に来て災害援助活動に携わった人々にも「一杯のスープが、一杯の毛布が、冷えた心と体を温めてくれました」と称え、「私は復興へ全力を尽くしてまいります」と決意を示して締めくくっている。最後は首相直筆の署名が入り、その下には「まさかの友は真の友」と添えられた。

外務省に聞くと、広告を載せた7紙を選ぶにあたっては「その国の規模や、近隣地域の影響を考えた」という。「広告効果」を最大限高めることをねらったのだろうか。

中国や韓国といった東アジアの主要紙が選ばれるなか、台湾の新聞は「対象外」となった。日本と台湾は、1972年の日中国交正常化以降、正式な外交関係をもたない。それでも今回の震災で、台湾による日本支援の動きは活発だ。台湾の「駐日大使館」の機能を果たしている「台北駐日経済文化代表処」によると、4月8日までに台湾の民間団体が集めた日本への義援金の合計は約101億1000万円に上っている。12日までには130億円に達したとの報道もある。各国の義援金を見ると、3月末の時点で赤十字を中心に米国は約90億円、韓国は約16億円、中国は約3億4000万円との話もある。どこまで正確な数字かは微妙だが、これを見る限りでは台湾の義援金の額がいかに大きいかが分かる。このことを外務省にぶつけてみたが、「義援金の金額で(首相メッセージの)広告を掲載する新聞を決めたわけではありません」とそっけなかった。

(続く)

82NONAME:2011/05/05(木) 00:24:12
中国大使館のサイトでは支援内容を具体的に挙げる
だが台湾では、別の形で菅首相からの謝意が届けられたようだ。日本政府の窓口機関として台北に設置されている「交流協会」は4月11日、現地で記者会見を開き、今井正代表が「台湾の皆さまから温かい支援を得て、私たち日本人は団結して、復興に向け全力を尽くします」と述べた。

さらに台湾政府が運営する「中央放送局」によると、菅首相の「絆」のメッセージが、今井代表から台湾政府トップの馬英九総統に送られたという。同じ内容が交流協会のウェブサイトでも配信されている。内容は海外紙に掲載した広告とほぼ同じだが、よく見ると、

「台湾からは、地震発生直後から、28名からなる救援隊の派遣、総量約400トンの支援物資の提供、多額の義捐金の申し出などのご支援、また数多くの方々から励ましのメッセージをいただきました。台湾の皆様から示されたこのような心と心の絆に深く感謝申し上げます」
と、台湾に向けた「特別メッセージ」のような内容が入っていた。

首相の新聞広告を見ると、英語版には特定の国を挙げて感謝を示した記述はなく、中国の人民日報に載った広告も同様に、中国だけにあてた記述はない。

実はこのメッセージは、一部の国の在外公館ウェブサイトでも閲覧できる。駐米日本大使館のサイトを見ると、ページ上部に「米国の皆さまのご協力とご支援に感謝します」と掲げられているが、「絆」メッセージの中身には米国の具体的な支援内容は見当たらない。

ところが在中国大使館のページは違った。「中国には、地震発生直後の3月13日に救援チームを派遣していただいた」「3000万人民元相当の物資、ガソリンやデイーゼルオイル1万トンずつを緊急援助として被災地にお送りくださった」と支援内容を具体的に挙げ、胡錦涛国家主席が天皇陛下に、地震の犠牲者に対する哀悼の意を表すメッセージを送ったことにも触れた。

中国との関係を考えて、感謝のコメントにも「特別の配慮」を見せたのかもしれない。

83NONAME:2011/05/14(土) 23:31:49
別荘、自宅提供します 那須で申し出90件
2011年3月28日 http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2011032802100004.html

避暑地で別荘が多い栃木県那須町で、福島第一原発事故に伴い福島県からきた避難者に、別荘や自宅の一部を提供しようという申し出が相次いでいる。提供者らは「大変な思いをしている被災者を一世帯でも助けられれば」と話している。

 申し出は、約二百六十人が身を寄せる同町内の避難所と、道の駅「那須高原友愛の森」にある県避難者総合相談窓口の掲示板に手書きで張り出されている。無料のケースが多く、乳幼児や妊婦を優先したものや外国人を対象としたものも。避難者は提供者と個別に連絡を取り合う。

 町役場に先週末までに寄せられた貸し出し申し出は約九十件で、このうち十九件の入居が決まった。

 那須町湯本の主婦(63)は町役場を通じ、自宅敷地内の木造平屋の別棟の無償提供を申し出た。十九日から、ここに入居している福島県いわき市の女性会社員(41)は一〜四歳の子ども三人と身を寄せた。

 女性の自宅は原発から二十〜三十キロの屋内退避の対象圏内。停電や断水に加え、食料やガソリンの販売もなくなり、避難してきたという。女性は「小さい子どもと一緒なので原発事故の影響は不安だった。ここは風呂もトイレもあり、本当に助かる」と話す。別棟を提供した主婦は「避難所生活は小さい子には大変。少しでも役立ちたかった」と話した。

84NONAME:2011/05/21(土) 22:42:44
「災難の中で得た友情は大切で貴重」 温首相、中国人実習生救助に謝意
2011.5.21 19:22  http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110521/dst11052119240017-n1.htm

中国人実習生を避難させた後に津波の犠牲となった佐藤充さんに謝意を表明する中国の温家宝首相=21日午後、宮城県名取市
 中国の温家宝首相は21日、宮城県女川町で中国人実習生20人を避難させた後、津波に巻き込まれて犠牲となった水産加工会社「佐藤水産」専務、佐藤充さん(55)について「国籍にかかわらずに救助した。そうした行為を高く評価している」と述べ、謝意を表明した。視察先の名取市で記者団に話した。

 「救出劇」は中国や香港などで大きく報道されており、温首相も注視していたことを明らかにした。「災難の中で得た友情はとても大切で貴重。中日関係のさらなる改善を願う」と話した。

 震災の日、佐藤さんは工場の寮にいた中国人実習生を近くの高台に逃がした。その後、佐藤さんは行方不明となり、遺体で見つかった。女川町には十数の水産加工会社に計約160人の中国人がいたが、全員無事だった。

85NONAME:2011/05/21(土) 22:44:31
「また日本に」「ありがとう」「元気で」帰国の中国実習生、涙の別れ
2011.3.17 20:45  http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031720500116-n1.htm

帰国のため出発する中国人実習生との別れを惜しむ伊藤あつ子さん(左)=17日、宮城県気仙沼市
 宮城県気仙沼市役所前では17日、水産加工場で働いていた約50人の中国人女性たちが帰国するため、バスで新潟市の中国領事館に向け出発した。「ありがとう」「元気でね」。同じ工場で働いていた地元の人々と涙の別れをした。

 地元業者によると、気仙沼市には外国人研修・技能実習制度を利用した中国人200〜300人が滞在していた。津波で工場が壊れて稼働できず、多くが帰国することになった。

 マグロ加工場に勤務した遼寧省出身の李怡さん(28)は「落ち着いたらまた日本に来たい」と涙。避難所でも一緒に過ごした同僚の伊藤あつ子さん(59)と抱き合った。

 バスの窓際で泣いている李さんを見て「泣かないの。頑張るのよー」と叫びながら大きく手を振った伊藤さんの頬にも、涙が流れていた。

86NONAME:2011/06/15(水) 13:39:59
米「タイム」が指摘 日本の支援は途上国以下!
日本の救援体制は開発途上国以下――。
22日、米誌「タイム」(電子版)がこんな批判的な記事を掲載した。 http://m555.karada-navi.net/?eid=746

「官僚機構が救援を遅らせているのか?」というテーマで、「日本よりはるかにインフラ整備が遅れている開発途上国でさえ、災害発生から4日もたてば援助物資が被災民の手に届く。だが東北では10万人の自衛隊が救援活動を行っているにもかかわらず、援助物資が届くのに恐ろしいほど時間がかかっている」と指摘した。

同誌は日本の入り組んだ官僚機構に問題があり、規制好きな国民性が“合法的な壁”として立ちふさがっているとして、以下の実話を挙げている。
日本の船会社が湾岸地域に救援に向かうコンテナ船をヘリの着陸用に提供すると申し出たが、政府は船会社に正式な資格がないことからこの提案を断った。

来日した外国人医師団が患者の診察を申し出ても、日本の医師免許がないという理由で門前払い。医師らは医療行為ともいえない最小限の援助活動をするしかなかった。
政府は地震から6日後の17日になって外国人医師の医療行為を認める方針を打ち出したが、遅きに失したといわざるを得ない。

また、海外から高齢の被災者のために薬品が寄付されたが、日本の行政当局が承認していないという理由で現地に届けることができなかった。

輸送業者は許認可特権を持つ官僚ににらまれるのを恐れて表立っては口にしないが、不満タラタラで物資を運ぶ許可を待っている。
寄付された物資は地震と津波の数時間後には東京に届いたのに、いまも倉庫に眠っているというからバカげた話だ。

もちろん、政治家がその気になれば、こうした規制を取っ払うことができる。
官僚機構と政治の怠慢が被災者を見殺しにした といえそうだ。

87NONAME:2011/06/15(水) 13:40:43
米「タイム」が指摘 日本の支援は途上国以下
【政治・経済】2011年3月24日 掲載 http://gendai.net/articles/view/syakai/129570

来日した外国人医師は診療できず…
 日本の救援体制は開発途上国以下――。22日、米誌「タイム」(電子版)がこんな批判的な記事を掲載した。
「官僚機構が救援を遅らせているのか?」というテーマで、「日本よりはるかにインフラ整備が遅れている開発途上国でさえ、災害発生から4日もたてば援助物資が被災民の手に届く。だが東北では10万人の自衛隊が救援活動を行っているにもかかわらず、援助物資が届くのに恐ろしいほど時間がかかっている」と指摘した。
 同誌は日本の入り組んだ官僚機構に問題があり、規制好きな国民性が“合法的な壁”として立ちふさがっているとして、以下の実話を挙げている。
 日本の船会社が湾岸地域に救援に向かうコンテナ船をヘリの着陸用に提供すると申し出たが、政府は船会社に正式な資格がないことからこの提案を断った。
 来日した外国人医師団が患者の診察を申し出ても、日本の医師免許がないという理由で門前払い。医師らは医療行為ともいえない最小限の援助活動をするしかなかった。政府は地震から6日後の17日になって外国人医師の医療行為を認める方針を打ち出したが、遅きに失したといわざるを得ない。
 また、海外から高齢の被災者のために薬品が寄付されたが、日本の行政当局が承認していないという理由で現地に届けることができなかった。
 輸送業者は許認可特権を持つ官僚ににらまれるのを恐れて表立っては口にしないが、不満タラタラで物資を運ぶ許可を待っている。寄付された物資は地震と津波の数時間後には東京に届いたのに、いまも倉庫に眠っているというからバカげた話だ。
 もちろん、政治家がその気になれば、こうした規制を取っ払うことができる。官僚機構と政治の怠慢が被災者を見殺しにしたといえそうだ。

88NONAME:2011/06/17(金) 07:06:38
仙谷氏 被災地訪問で「ひなびた温泉用意しろ」指示との証言
2011.06.14 16:00 http://www.news-postseven.com/archives/20110614_23026.html

本誌は前号で、仙谷由人・官房副長官が「被災地視察」と称して長野県栄村を訪れた際、前日に被災地を素通りして近くの温泉宿に泊まり、同級生の内閣参与や元部下の知事らと温泉に浸かって宴会に興じていたことを報じた(関連記事参照)。もちろん税金で、である。

 未曽有の大災害を前に、被災者に尻を向けて遊び呆ける「棄民政治」そのもので、経緯を知った地元政界から怒りの声が上がった。

 現内閣で農水副大臣を務める篠原孝・代議士が、5月末に仙谷氏に宛てて厳重抗議する書簡を送っていたのである。そこには、こんな内容が書かれていた。

●仙谷氏が知事に「記者をゾロゾロ引き連れて栄村に行ってやるから、ひなびた温泉を用意しておけ」と指示したと聞いている。

●長野県連幹事長が同行する予定だったが、物見遊山には付き合えないと拒否。

●視察前日には閣僚からも「仙谷を長野駅で出迎え、記者団の前で『物見遊山には付き合えない』といってやれ」といわれた。

●避難所を通り越して温泉宿に泊まり、知事と一杯やるとは不謹慎極まりない。

 ――至極もっともな怒りである。被災者、国民の「世論」はまさにこの通りだろう。篠原氏は書簡について、「お答えできない」としたが、“大副長官”にはっきり物をいった勇気は大したものである。裏を返せば、仙谷氏の党内求心力など幻影にすぎないということだ。

 また、仙谷氏1は複数のダミー政治団体で政治資金を集め、そのカネで自分の息子の家賃を負担していたことが問題になった。 同じことをもし小沢一郎氏がしたら、マスコミから「議員辞職が当然だ」と袋叩きにあう“重罪”である。

 そういえば「自衛隊は暴力装置」なんて舌禍もあった。口が軽いのもこの人の特徴である。

※週刊ポスト2011年6月24日号

89NONAME:2011/06/24(金) 00:02:17
元従軍慰安婦も日本国民に配慮、16年ぶりに水曜集会を中止―韓国
2011/03/15(火) 11:38  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0315&f=politics_0315_006.shtml

韓国の元従軍慰安婦らで構成される韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は16日、駐韓日本大使館前で開かれる予定だった「水曜集会」を、日本の東北地震被害者への黙とうと追悼の席にすることを明らかにした。1992年に始まったこの集会の中止は、1995年の日本の阪神大震災以来16年ぶりとなる。

挺対協は日本軍の慰安婦問題を解決するために結成された韓国の団体。「水曜集会」は、日本軍従軍慰安婦被害者らが毎週水曜日にソウル市内の日本大使館前で行っている集会。

韓国メディアは、植民地支配の日本の蛮行を批判し、被害補償などを要求してきた市民団体も、地震で苦しむ日本の人々と痛みを共にしていると報じている。

同団体のユン・ミヒャン代表は14日、「日本政府は慰安婦被害者問題に不誠実に対応しているが、日本国民が何万人も被害にあった状況で、スローガンを叫ぶことは礼儀に反する。今度の水曜日にも人々は集まるが、可能な限り多くの命が存続することを祈り、黙とうをして終了する」と述べている。

またほかにも、独島守護隊、太平洋戦争被害者補償推進協議会、アジアの平和と歴史教育連帯など韓国内の18の市民団体も14日に「国境や民族を超えて、この惨事を東アジアの痛みとして認識し、すべてが立ち上がらなくてはならないときだと共同声明を発表した。歴史問題と関連した韓国の市民団体も「日本のすべての方々がこの巨大な惨事を乗り越えて立ち上がるのに役立つため努力する」と明らかにした。(編集担当:李信恵・山口幸治)

90NONAME:2011/07/02(土) 22:59:35
東日本大震災:答え出ない「てんでんこ」…自主防災と矛盾
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110703k0000m040026000c.html

 国道45号を挟んで、海岸から山手にかけて民家が建ち並ぶ岩手県釜石市嬉石(うれいし)地区。寝たきりの高齢者を助けようとした男性8人が津波にのまれ、その高齢者を含む4人が死亡・行方不明となった。「津波てんでんこ」の教訓を知っていながら救助に向かった生還者は「『てんでんこ』はやっぱりできない。ならばどうすれば良かったのか」と自問を続けている。【黒田阿紗子】

91NONAME:2011/07/13(水) 05:46:19
米赤十字が99億円の義援金「日本人は忍耐で立ち向かう」
2011.3.30 10:09  http://sankei.jp.msn.com/world/news/110330/amr11033010100003-n1.htm

 米国赤十字社のボニー・マッケルビーンハンター理事長は29日、東日本大震災を受けた義援金が総額で1億2千万ドル(約98億9千万円)超に上り、近く5千万ドルを日本赤十字社に送ると明らかにした。藤崎一郎駐米大使との会談に先立ち、ワシントンの在米日本大使館で記者団に語った。

 義援金は震災直後から集まり始め、既に1千万ドルが日本赤十字社に渡っている。総額の大部分が日本赤十字社に送られるが、一部は国連機関や日本に滞在する米国民の避難費用に回るという。

 理事長は「日本人は忍耐力や自己犠牲の精神でこの困難に立ち向かうだろう。あなた方は独りぼっちでないと伝えたい」と述べ、全面支援を約束した。(共同)

米を上回る 台湾の義援金100億円突破 親日ぶり示す
2011.4.1 22:05  http://sankei.jp.msn.com/world/news/110401/chn11040122060003-n1.htm

 台湾外交部(外務省)は1日、東日本大震災の被災者への義援金が官民合わせて37億3833万台湾元(約106億9千万円)に上ったと発表した。うち9割以上が民間からという。

 米国赤十字社が3月29日に発表した義援金1億2千万ドル(約98億9千万円)超を上回っており、人口が10分の1以下の台湾で米国以上の義援金が集まったことは、その親日ぶりを示している。

 台湾では3月18日に馬英九総統らが参加したチャリティーイベントで、日本円換算で20億円以上の義援金が集まったほか、台湾の運輸大手、長栄グループの張栄発総裁が23日、個人で10億円の義援金を日本赤十字社を通じて拠出すると発表した。(共同)

義援金は200億円 「お返し」の意味も、訪米中の台湾新聞局長
2011.7.12 12:53  http://sankei.jp.msn.com/world/news/110712/chn11071212550000-n1.htm

 訪米中の楊永明・台湾行政院新聞局長(46)=閣僚=は11日、ニューヨーク市内で共同通信と会見し、東日本大震災の被災者に対する台湾の義援金が約200億円に達したことを明らかにするとともに、馬英九政権(国民党)が「対日特別パートナーシップ」路線を重視していると述べた。

 楊局長によると、支援額は「世界一」で、1999年の台湾中部大地震で日本がいち早く支援をしたことに対する「お返し」の意味もあるという。

 局長はまた、原発廃止が台湾の目標であるとしながらも、電力の約20%を供給している3カ所の原発が2025年までに稼働を中止するため、建設中の第4原発を稼働させて補うことが必要との考えを示し、安全性の確保を強調した。(共同)

92NONAME:2011/08/02(火) 11:34:57
東日本大震災:「顔が水より冷たく…」 被災児童が日記
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/archive/news/2011/04/25/20110425k0000e040028000c.html?inb=yt

◇3月11日
 卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。お父さんのことが不安でした。車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。

93NONAME:2011/08/08(月) 16:13:43
平泉はがれきで送り火…「しっかり供養する」
読売新聞 8月8日(月)14時33分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110808-00000612-yom-soci

 「平泉の文化遺産」が世界遺産に登録された岩手県平泉町で16日夜、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた同県と宮城県の沿岸計14市町村から集めたがれきを「平泉大文字送り火」で燃やし、犠牲者を供養する。

 6日には、町立平泉中学の生徒や有志ら約100人が同町北東部の駒形山(430メートル)中腹まで登り、約3200本のまきを組んで64基の火床を作り、住宅廃材などのがれきを入れて準備した。

 平泉大文字送り火は1965年、中尊寺金色堂の新覆堂(おおいどう)の完成記念と太平洋戦争の戦没者慰霊のために始まり、今年で47回目。中尊寺近くにある毛越寺(もうつうじ)の檀家(だんか)が「震災犠牲者の慰霊のため、今年はがれきを使ったら」と提案し、平泉観光協会関係者らが7月中旬、がれきの使用を正式に決めた。同協会関係者ら3人が同月下旬、岩手県陸前高田市や釜石市、宮城県気仙沼市、南三陸町など両県の計14市町村を回り、がれきとなった住宅建材や漁具などを回収した。津波で伯母を亡くし、6日、駒形山に登った平泉中の2年生(14)は「沿岸の住民が復興に前向きになれるよう、真剣に火床を作りました」と、額に汗を浮かべながら話した。

 送り火は16日午後8時に点火。京都で行われる「京都五山送り火」では、陸前高田市の松で作ったまきの使用が断念されたが、平泉観光協会の小野寺邦夫会長は「こちらではがれきを使用してしっかり供養し、被災した沿岸市町村と平泉の絆を深めたい」と話している。 .最終更新:8月8日(月)14時33分

94NONAME:2011/08/17(水) 00:22:32
地震直後、4割がすぐ避難せず=家族探し逃げ遅れ―6割弱が車使用・政府調査
時事通信 8月16日(火)22時24分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110816-00000106-jij-soci

 東日本大震災で津波被害を受けた岩手、宮城、福島3県の被災者870人を対象にした内閣府などの面接調査で、地震の発生直後に42%の人が帰宅や家族を探すために直ちに避難せず、11%の人が何らかの行動の最中に津波が迫ってきて避難する「切迫避難」だったことが、16日分かった。
 国は、混乱や渋滞を避けるため、徒歩による避難を呼び掛けてきたが、車を使った人も57%に達し、このうち34%が渋滞に巻き込まれた。報告を受けた中央防災会議専門調査会の河田恵昭座長(関西大教授)は、「車を使う人が多かった事実を受け止め、何らかのルール作りが必要」との認識を示した。
 面接調査は、3県の仮設住宅や避難所で実施された。調査結果によると、地震直後に避難した人は57%。残る1%は、高台などにいて、避難の必要がなかった。直後に避難した人のうち、津波に巻き込まれた人は5%だったのに、切迫避難では49%の人が津波に流されたり、体がぬれたりした。

95NONAME:2011/08/17(水) 00:29:47
家族を捜して逃げず 震災直後の避難「わずか57%」政府面接調査
産経新聞 8月16日(火)22時31分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110816-00000559-san-soci

 政府が岩手、宮城、福島3県で避難している東日本大震災の被災者870人を対象に実施した面接調査で、震災の発生直後に避難した人は57%にとどまり、42%の人は家族を捜したり自宅に戻ったりして、すぐに避難していなかったことが16日、分かった。大津波警報を見聞きしなかったと回答した人も58%に上った。内閣府は「家族を捜すといった行動が迅速な避難行動を妨げる要因になっている」と強調。津波警報を確実に伝達する必要があるとして、震災発生時の避難対策の見直しを検討する。

 調査は内閣府と消防庁、気象庁が7月、3県の沿岸地域にある仮設住宅や避難所で実施。16日の中央防災会議専門調査会で示した。

 調査によると、地震直後に避難した人のうち、津波に巻き込まれたのは5%にとどまったが、津波が来るまで避難しなかった人は49%が流されたり、体がぬれるなどしていた。

 すぐに避難しなかった人に理由を尋ねると、自宅に戻った(22%)▽家族を捜した(21%)▽過去の地震でも津波が来なかった(11%)−などの回答が上位。津波警報を見聞きした人の約8割が「避難しようと思った」と答えており、確実な警報伝達の必要性が浮き彫りになった。

96NONAME:2011/08/17(水) 00:38:35
「被災松燃やしてあげたかった」護摩木、大文字の火床へ
産経新聞 8月16日(火)22時6分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110816-00000557-san-soci

 岩手県陸前高田市の被災松使用をめぐって二転三転し16日、本番を迎えた京都の「五山送り火」。2度にわたる被災松の使用中止の批判や抗議の影響が続く中で行われた伝統の宗教行事だが、保存会関係者や東日本大震災の被災地の出身者は「被災松を燃やしてあげたかった」「残念な思いを引きずりそう」と複雑な思いをのぞかせながら送り火を見届けた。

 「陸前高田の人たちのためにも立派に火をつけ、気持ちを込めて送りたい」。大文字保存会の松原公太郎理事長は東山如意ケ嶽(にょいがたけ)の「大」の字の中央部分にくべられた護摩(ごま)木を前にこう話した。

 「大文字」では陸前高田市の被災者の祈りの言葉が書き写された護摩木を75カ所の火床すべてに添えた。「涙が出る思い。被災松を燃やしてあげたかったとも思うが、これからどうするかが一番大事。被災者の方の気持ちを大切にしたい」と松原理事長。近日中にも厄除けなどの御利益があるとされる送り火の消し炭を持って陸前高田市を訪れたいとも語り、炎に向かって静かに手を合わせた。

 被災者や市民も思いは複雑だ。岩手県山田町から京都市内の親類宅に避難している木下一郎さん(80)は「どこかに残念な気持ちを引きずってしまう。市や保存会にしっかり対応してもらいたかった」。同市北区の主婦(67)は「もっと対応を考えるべきだったと思う。市は今後、被災地支援をさらに積極的に行い信頼を取り戻してほしい」。一方、宮城県石巻市で被災した介護職員、鈴木孝悦さん(31)は「メッセージが書き込まれた京都産の護摩木などが燃やされたことだけは救いを感じた」と話した。

 五山送り火で被災松の受け入れは異例だったが、鎮魂の在り方を見直すきっかけともなった。来年以降の受け入れについて、市は「今は考える余裕がない」と話すにとどめたが、京都五山送り火連合会の田中博至会長は「今回はよかれと思ったことが裏目に出たが、あくまで霊を見送る行事。今後もいろんな所から護摩木などを燃やす話が出たら、その都度状況を判断し、私個人としては使って差し上げたい」と静かに話した。

98NONAME:2011/08/30(火) 21:19:58
ペットは家族 震災で命の尊さ浮き彫り 坂本龍一
2011.7.23 07:00 (1/3ページ) http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110723/ent11072307000000-n1.htm

 18、19日、ぼくは東日本大震災以降、初めて被災地に行ってきました。
 ぼくが主宰する森林保全団体のモア・トゥリーズが、岩手県住田町にある被災者向けの木造仮設住宅約100棟の建設を支援しているため、その視察が目的です。

 ここでの様子はまた別の機会に書きますが、特徴の1つはペットが飼えるようになっていることです。
 ぼくも子供のころネコと暮らしていたのでわかりますが、飼っている人にとってペットは家族だと思います。家族と離れて生活しなくてはいけないという理不尽に、ぼくは耐えられるかどうかわからない。だから視察の時、仮設住宅のなかでイヌと過ごしている被災者の方を見たときは、ほっとしました。

 ただ、東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内に設定された警戒区域内では、ペットや家畜が取り残されたと聞いています。なぜ同じ命なのに、人間と動物で優劣をつけるのか分からない。人間の傲慢としか思えません。

 家畜に関しても本来は同じように扱うべきだが、彼らは震災前も後も「資源」として扱われています。逆に人間が「資源」として扱われたら、あなたはどう思うだろうか。

 震災では、動物に対する考え方や問題が浮き彫りになったと思います。
 そもそも、これまで日本はペットを簡単に「処理」してきました。保健所(動物愛護センター)では、イヌやネコが年間20万匹以上も殺処分されています。

99NONAME:2011/09/05(月) 11:46:51
<東日本大震災>被災3県 入院機能2066床喪失
2011/09/05 02:31:00 配信  http://www.t-com.ne.jp/article/social/20110905k0000m040122000c.html?topnews=001

東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の3県(原発事故の警戒区域を除く)の病院で、計2066床の入院機能が失われていることが毎日新聞のまとめで分かった。震災から間もなく半年を迎えるが、大きな痛手を負った地域医療の回復への道のりは遠く、医師流出への対策も難題となっている。

 3県の病院について、震災前と8月末時点で受け入れ可能な病床数がどう変化したかなどを調べた。震災前より減少したのは19病院(公立11、民間8)。うち13病院は建物が使えなくなるなどし、病床ゼロとなっている。

 宮城県では、7病院の計812床が使えない。震災前には206床あった石巻市立病院は、使われていなかった旧市役所に仮設診療所を開いたが、病床復活の見通しは立っていない。医師は震災前の26人から8人に減り、10月からはさらに2人減って6人になる。

 常勤医ゼロの気仙沼市立本吉病院では、他県から派遣された医師らのチーム(医療救護班)が外来患者の対応に当たる。通常の保険診療ではなく、災害救助法に基づく救護所の位置づけだ。10月にようやく常勤医1人を確保し、保険診療を開始できる見通し。宮城県にはピーク時で120の医療救護班が入っていたが、7月で8チームに減り、9月末までに全て撤退する見通しとなっている。

 岩手県では計312床が利用不能となっている。津波で使えなくなった山田(山田町)、大槌(大槌町)、高田(陸前高田市)の県立3病院は6月末〜7月にそれぞれ仮設診療所を開設したが、入院機能はない。夜間の救急対応も含め、県立大船渡病院(大船渡市、489床)など周囲の病院がカバーする状況が続いている。

 東京電力福島第1原発から20キロ以遠で指定されている緊急時避難準備区域で診療している5病院では、計826床の減少。指定が解除されれば住民が戻って入院の需要が増える。福島県では、立ち入り禁止の警戒区域(原発20キロ圏内)にも7病院があり、県から許可を受けている病床数は計1132床に上る。【加藤隆寛、川名壮志】

100NONAME:2011/09/20(火) 13:18:03
津波気づかず、道で話し合う人  http://news.livedoor.com/article/detail/5874939/

一体でも多くの遺体を家族のもとへお返ししたい――。巨大津波の上空を飛んだ警察官の絶望と絶えぬ執念
――宮城県警航空隊の成田聡・機長、平仁・操縦士のケース

カメラでズームアップすると、波のスピードが非常に早く、水圧が相当強いことがわかった。波のそばを車で走る人は、それがわかっていないように見えたという。「車の中からは波が平面に見えるため、あの勢いに気がつかないのではないか。上空から見ると、運転手は海が穏やかなときの波と同じ程度に感じているようだった」

「あの天候で低空飛行をするのは危険だった。だが、私たちなりの使命感があった。下には波に気がついていない人がいた。道で話し合っている人もいた。ゆっくりと走る車もあった。避難を呼びかけるパトカーや消防車も見えた。『このままではひどいことになる』と思った」

住民らはヘリコプターには気がつく。だがすぐには避難しない。その後も道で話し合っている人がいた。成田氏はうつむき加減に話す。 「私たちの気持ちはわかってくれたのかもしれない。でも、逃げようとしない姿を見ると無力感はあった」。 津波は地域一帯を飲み込み、仙台東部道路のほうにさらに向かう。ヘリコプターは道路の向こうの町の上空に先回りし、2人は避難を呼びかけた。平氏は、「あの波は道路を越えるような勢いだった。海が溢れ返っていた」と説明する。

道路を隔てた町の小学校の校庭では、先生と子どもたちが集まっていた。これは“地震の避難”であり、津波のそれではない。2人は、声をそろえる。 「もどかしかった。道路の反対の荒浜地区などでは、大きな被害が出ていた。その波がすごい勢いで迫っている。多くの人が、それに気がついていなかった」

波は、海岸線から2キロほどの仙台東部道路にまでたどり着いた。そこで一旦は止まった。道路が堤防の働きをしたためだ。 道路を管理するNEXCO東日本(東京都)によると、地震発生から12日未明までに、仙台若林ジャンクション(仙台市若林区)−名取インターチェンジ(名取市)間で、約230人が道路によじ登って命を取りとめたという(毎日新聞4月8日)。

「道路を隔てた町に住む人たちの多くは、海岸沿いの町で何が起きているのかを把握できていなかった可能性がある。停電が復旧した後、テレビでその様子を見て、『こんなにひどかったのか』と驚く人もいた」 成田氏は、多くの人の避難が遅れた理由の1つに、大規模な停電があったことを指摘した。 「テレビはもちろん、携帯電話もつながらない。ラジオは聞くことができたが、情報が足りなかった」

震災から数日後、成田氏は近所に住む警官が津波に襲われ、亡くなったことを聞かされた。 「2日ほど前に、警察学校でその警官から研修を受けた。講義の最後に握手をした。ショックだった。大事な人を失った……」 震災で避難誘導などに当たり、殉職した宮城県警の警察官は14人に上った。あの日から半年が経つが、宮城県警による遺体の捜索は続いている。この時期になると遺体は腐敗が進み、発見することが難しくなっているという。だが、海では海上保安庁、さらには漁師が船で操業中に見つけるときもある。 私が取材で訪れた日の午前中も、2人は海の上を飛んでいたという。西風が強かったようだ。成田氏は言う。 「宮城県民の多くは、自らの家族、友人、知人を震災で亡くしている。この人たちは今も遺体を待っている。それを思うたびに、『よし、見つけるぞ』と自分を奮い立たせている」

2人が「もどかしかった」と繰り返したのは、津波の横を車でゆっくりと走る人や、そのすぐ近くの道で話し合っている人たちが多かったことだ。  「荒浜地区の田園地帯では、津波の到達直前まで、多くの人が農道で海のほうを眺めていた。その後、津波が押し寄せた。

私は警察官らによる震災当日の勇気ある行動、そしてその後の執念とも言える遺体捜索への熱意を、読者に知って欲しかった。新聞やテレビで活躍する有識者は、警察を批判することはあっても、称えようとしない。彼らの多くは、実は警察を取材していない可能性がある。 防災に強い社会を作るためには、私たちが警察官を支えることも必要なのだ。今回の震災で殉職した警察官に感謝の念を伝え、ご冥福を祈りたい。

101NONAME:2011/09/20(火) 17:17:04
<花火大会>福島産打ち上げ中止 愛知・日進市に抗議殺到
毎日新聞 9月20日(火)12時53分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110920-00000047-mai-soci

 愛知県日進市で18日にあった花火大会で、実行委員会が福島県産の花火の打ち上げを中止したことに対し、実行委事務局を務める同市に「なぜ中止にしたのか」という抗議電話やメールが殺到している。19日から20日にかけて電話約100件、メール約200件が寄せられ、ほとんどが批判という。実行委は、打ち上げなかった福島産の花火を来年の同じ花火大会で打ち上げる方向で検討を始めた。

 実行委は「打ち上げで放射性物質が拡散するのでは」などと心配する市民の電話約20件があったため、福島産花火を別の花火に差し替えた。市によると、批判は「20件だけの意見にもかかわらず中止にして、より広い影響を与えたのは判断の誤りだ」「過敏に反応する人に配慮するのはいいが、差し替えの必要はない」などの内容が多いという。

 担当の市産業振興課は「福島の花火を中止したのは、放射線量の確認が間に合わなかったためで、危険だからではない。だが、そういう受け止め方が広まってしまっており、中止は失敗だった」と話している。【岡村恵子】

102NONAME:2011/09/20(火) 17:18:03
東日本大震災:愛知の花火大会、福島製打ち上げ中止 「支援」名目でも苦情相次ぐ
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110920ddm041040039000c.html?inb=yt

 愛知県日進市で18日夜にあった花火大会で、放射性物質の拡散を心配する声が市に寄せられたことを受け、市などでつくる実行委員会が、福島県の業者製造の花火の打ち上げを中止していたことが分かった。

 大会は「にっしん夢まつり・夢花火」。東日本大震災の復興支援を掲げ岩手、宮城、福島県の花火各80発を打ち上げる予定だった。

 市によると、16〜17日に市へ「放射性物質をばらまくのか」などの苦情や問い合わせが電話やメールで約20件寄せられたため、実行委が対応を協議。福島県の花火を作った同県川俣町の菅野煙火店が計画的避難区域の外にあることなどから当初は予定通り行う意向だったが、17日になって取りやめを決定。福島県の花火に代えて愛知県の業者の花火を使った。宮城県と岩手県の花火は打ち上げた。

 実行委事務局の市産業振興課は「放射線量の確認が間に合わなかった。安全を示す確実なデータがなかった」と中止理由を説明。萩野幸三市長は「打ち上げられない結果に至ったことは残念で、関係者に深くおわびしたい」とコメントした。

 打ち上げ中止について、菅野煙火店の菅野忠夫社長(77)は「風評被害だ。花火を見てもらえないのは悔しい」と話した。【稲垣衆史】

毎日新聞 2011年9月20日 東京朝刊

103NONAME:2011/12/13(火) 14:56:10
韓国の義捐金 20%を被災地に、70%を“独島守護活動”に
2011.04.20 07:00  http://www.news-postseven.com/archives/20110420_17938.html

近年の韓流ブームやアイドルグループの日本進出により、犬猿の仲といわれた日韓のわだかまりはすっかり解消されたかのようだ。

 そして東日本大震災の発生後、世界の主要国と同様に、韓国もいち早く日本支援に動いてくれた。震災翌日の12日には救助隊を派遣し、韓国の赤十字社には1日1億円以上の寄付が集まった。韓国ではARSという電話での募金システムが普及しており、1回の電話で2000ウォン(約150円)の募金をしようと多くの人々が日本のために受話器をとったという。

 ソウル・衿川区の職員たちも当初は、被災した日本人を思いやってくれる善意の人たちだった。衿川区は人口60万人で、日本人も63人が在住している。約1000人の区職員たちはお金を出し合い、1200万ウォン(約920万円)もの浄財が集まった。

 本来ならばそのまま何事もなく日本に全額送金されたことだろう。しかし、3月末、日韓双方が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題が、日本の中学教科書の検定結果が明らかになったことで再び注目を集める事態になってしまった。

 衿川区の広報課長、シン・ジョンイル氏が語る。

「独島を自国領土と捏造した内容をすべての中学校教科書に採択するような敵対的な態度を見せる日本に義捐金を送る必要などないという意見が多数出てきたため、3月31日と4月1日の2日間、職員を対象に『日本の地震被害支援募金の使用方法について』のアンケートを実施しました。330人から回答が集まり、『主旨通りに使う』が20%、『独島の守護活動を支援する』が70%、その他が10%という結果になりました」

 衿川区長チャ・ソンス氏は4月5日、アンケート結果を尊重して、募金のうち20%を日本へ送り、70%を独島守護活動団体に、10%をなぜか戦争性被害者(元従軍慰安婦)の団体に寄付することを発表した。

※週刊ポスト2011年4月29日号

104NONAME:2012/01/11(水) 02:22:28
希望新聞:東日本大震災 震災に耐えたカキ、出荷−−宮城・石巻の長面浦

 深刻な津波被害を受けた宮城県石巻市の長面(ながつら)浦で、震災を生き延びたカキの出荷が始まった。加工場を失ったため殻つきのみの販売だが、長面浦に面した尾崎(おのさき)地区の漁師、坂下健さん(72)は「自然豊かな長面浦のカキの味は格別」と地域復興への思いをカキに託している。

 長面浦は北上川河口近くの内湾。北上川を駆け上がった津波と追波湾からの津波に挟み撃ちにされ、長面地区約160戸はほぼ全戸流失した。尾崎地区57戸は背後まで迫った山に守られ、建物は何とか残った。

 坂下さん宅と妻・清子さん(65)が営む農家民宿「のんびり村」は、1階天井まで水につかった。被災後、坂下さんはいち早く尾崎に戻ることを決意。電気も水道もない中で復旧作業に励む。

 長面浦は淡水と海水が混在した汽水域に属し、通常育つのに2〜3年かかるカキが、10カ月で大きくなる。約100台のカキ棚の7割が被災したが、残るカキは立派に育った。坂下さんは「豊富な沢水や水底に茂るアマモのおかげで長面のカキは大きく味が濃い。ぜひ味わって」と話す。問い合わせはみやぎグリーンツーリズム推進協議会事務局(info@gtmiyagi.com)。詳細はhttp://www.gtmiyagi.com/11fs.html【中島みゆき】

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120106ddm012040031000c.html

106NONAME:2012/02/28(火) 16:32:38
震災11か月後でやっと「復興庁」発足 関東大震災時は26日後
2012.02.28 16:01
http://www.news-postseven.com/archives/20120228_90874.html

復興の司令塔の役目を担う「復興庁」が、大震災から11か月も経ってようやく発足した。つまり、この1年間は復興予算が膨らんだだけで、復興は全く進んでいないということなのである。大前研一氏が、その問題点を指摘する。

 * * *
 東日本大震災から1年近くが過ぎ、3つの問題が顕在化している。1つ目の問題は、1995年の阪神・淡路大震災や1960年に三陸を襲ったチリ地震津波といった過去の日本の災害復興に比べると、著しくペースが遅いことだ。
 
 その象徴が、復興の司令塔の役目を担う「復興庁」である。大震災から11か月も経ってようやく発足とは、呆れて開いた口がふさがらない。1923年の関東大震災の時に「帝都復興院」が設立されたのは26日後だ。つまり、今回は政府が全く機能していないのである。

 鈍重な民主党政権は瓦礫を片付ける以外の具体的な復興策は何も打ち出すことができず、昨年7月に決定した復興予算は、なんと合計23兆円に達した。しかも財務省が、消費税は社会保障以外には使わないという方針なので、2015年までに必要とされる19兆円のうち10.5兆円は、所得税額の2.1%上乗せを25年間、住民税の年1000円上乗せを10年間続け、法人税の減税を3年間凍結して捻出することになった。

 政府は最も少ない費用で最も大きな効果を狙わなければならないのに、この1年間は復興予算が膨らんだだけで、復興は全く進んでいないのである。非常時にこれほど悠長で無能な政府を私は寡聞にして知らない。

※週刊ポスト2012年3月9日号

107NONAME:2012/03/12(月) 23:07:07
復興庁発足、専任・平野復興相に辞令交付
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20120210-OYT1T00558.htm

東日本大震災からの復興施策を統括する復興庁が、2012年2月10日発足し、本格的に業務をスタートさせた。

 野田首相は同日午前、国会内で、平野達男復興相を専任の復興相とする辞令を交付した。首相は同日昼に東京・赤坂の復興庁本庁で平野氏とともに看板掛けを行い、「被災地の期待に応えなければならないという責任の重さをずっしりと感じた」と述べた。

 復興庁は、震災から10年後の2021年3月末までの時限組織となる。各府省より一段高い位置づけとなり、復興に必要な政策を企画・立案し、復興事業の進み具合を管理する。復興予算を束ねる復興特別会計を所管し、市町村に復興交付金を配分するほか、復興特別区域(復興特区)の認定も行い、資金面でも施策面でも政府の「司令塔」となる。岩手、宮城、福島の被災3県の県庁所在地に復興局、3県の沿岸部に計6か所の支所、隣接の青森、茨城両県には事務所を置く。

(2012年2月10日13時35分 読売新聞)

こんな復興庁はいらない
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20111013/223167/?P=3&amp;ST=rebuild

108NONAME:2012/03/14(水) 01:30:27
大津波15メートル、屋上の明暗 九死に一生 宮城・南三陸町長が語る
2011.3.15 05:41 (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110315/dst11031505490009-n1.htm

 屋上に上がったのは避難ではなく、津波の様子を見るためだった。宮城県南三陸町。3階建ての防災対策庁舎を濁流が襲ったとき、町幹部と職員約30人が屋上にいた。第1波で約20人がさらわれた。残った10人はさらに押し寄せた7回の波に耐え、生き残った。

 いまだに1万人の町民の行方が分からない。街路樹には地上から約15メートルの部分に漂流物がからみつき、3階建ての町営住宅の屋根には乗用車が乗っている。

 11日午後。最初の揺れは佐藤仁町長が9日に起きた地震の話を挙げて町議会の閉会あいさつをしているときに起きた。横揺れに立っていられず、議場にいた約40人は机の下に身をかわした。

 海辺の「南三陸ホテル観洋」のパート従業員、菅原つるよさん(65)は揺れがやんだ10分ほど後に海面が黒いことに気づいた。「養殖のワカメかと思ったら違った。水が引き、海底の黒い岩肌が見えていた」

 引いた水が戻ってきたときの恐怖の光景を、生き延びた住民は「波が入り江で高さ20〜30メートルの高さになった」「黄色い煙が上がり、壁のような黒い波が迫ってきた」と語る。海抜15メートルの場所にあった実家がのまれたカメラマン、三浦健太郎さん(33)のデジカメには午後3時26分撮影の記録が残る。

 佐藤町長は約30人の職員と庁舎屋上に上がり、300メートルほど離れた高さ7メートル以上の水門を波が越えるのを見た。「尋常じゃない」と思えた波は屋上を洗い、全員に襲いかかった。

 「10人が丈夫な手すりに引っ掛かった。残る人はネットフェンスの方に流され、しがみついたフェンスと一緒に、波が引いたら消えていた」と佐藤町長。10人は高さ5メートルの2本のアンテナによじ登った。「無理やりぶら下がった。おれたちだけでも助かるぞ、と職員を鼓舞した」。ずぶぬれの10人の下を波が何度も何度も過ぎていく。近くに住む町職員の自宅2階から、この職員の妻が流されていくのを「10人とも、この目で見てしまった」。

2011.3.15 05:41 (2/2ページ)
 波がおさまり、3階に戻った10人はネクタイを燃やして暖を取った。「夢だよな…」と誰かがもらした。佐藤町長は、夜が明けるのが半分うれしく、半分怖かった、と振り返る。「助けが来るかも、との期待と、現実を直視しなければいけないという恐怖だった」

 1960年に起きたチリ地震大津波で家を流された佐藤いち子さん(78)は、高台に建て直した家をまた失った。水はチリ地震の時よりも2キロも奥地に入り込んだ。だれも、ここまで来るとは夢にも思わなかったところまで。

109NONAME:2012/03/14(水) 01:49:31
写真家・畠山直哉さん 被災した故郷 撮り続け
2012.3.8 07:35 (1/5ページ)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120308/art12030807390002-n1.htm

「2012年1月28日、陸前高田市竹駒町」。気仙川にかかる大船渡線の鉄橋跡
 「アートは、人を治したり、社会を良くしたりするものじゃない」。震災による津波で母を亡くした写真家、畠山直哉さん(53)は壊滅的打撃を受けた故郷の岩手県陸前高田市を撮り続けている。フォトジャーナリズムではない。ヒューマニズムを訴えるつもりもない。アーティストとして、故郷の風景に向き合っている。まもなく1年が巡ってくるのを前に、その撮影に同行した。(篠原知存)

 海辺の町は、雪景色だった。ガレキが取り除かれた広大な土地に、ほとんど人影はない。復旧した国道を大型車両が行き交うが、ほかの街路はすべて真っ白で、足跡ひとつ残っていない。放置された建物の残骸のあいだを、冷たい風が吹き抜ける。

 「景色は去年の夏ぐらいからあまり変わっていない。でも、いろいろと忘れていく。濃淡を持ちながら、細部が薄れていく。あの日の震えていた気分は続いていない。変わったことといえば、それかな」

 月に1、2度のペースで帰郷するたび、町のあちこちを歩き、スナップ的に撮っているという。この日は実家のあった市内の気仙町を案内してもらえることに。気仙川沿いにあった生家は、土台しか残らなかった。

 「母は、ここから公民館に逃げたんだけど…」。一緒に山側へ道をたどる。避難場所は高台というほどの土地ではなかった。堤防が目線とほとんど変わらない高さに見える。公民館も、辺りの家もすべて流されていた。「水というより、家が押し寄せてきた感じだったらしいですね」

110NONAME:2012/03/14(水) 01:51:04
がんの産科医 子供が戻ってきた南相馬を楽園にしたい。それが最後の仕事だ。
2012.3.13 21:01 (1/3ページ)[喪失]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120313/dst12031321040010-n1.htm

「見てきた赤ちゃんはどの子もかわいかったが、震災後に生まれた子供は格別だ」。高橋亨平院長はほおを緩めた=福島県南相馬市(早坂洋祐撮影)
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 少し年季が入った病院の2階。新生児室に1台だけ置かれたベッドには、白い産着に包まれた生後2日目の女の子が穏やかな表情で眠っていた。小さな口を開いたり、首を軽く動かしたり…。「よく生まれてきてくれた。ありがとう」

 福島県南相馬市の市街地に立つ産婦人科医院の高橋亨平院長(73)は刻まれた目尻のしわを、さらに深めた。

 東日本大震災後、東京電力福島第1原発事故への不安から分娩数が激減した。数少ない分娩可能な病院の院長として、市内で生まれた子供の多くを取り上げてきた。この1年で42人。

 しかし、子供たちの成長を楽しめる時間は、もうそれほど長くないという。

 昨年5月に大腸がんに侵されていることが判明した。肝臓と肺にも転移していた。

 「何もしなければ余命半年。ちゃんと治療を行えば1年は持つかな」。自ら見切った。


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