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仏教とキリスト教

532NONAME:2011/12/29(木) 00:52:11
※ 信仰宗教の否定

>『苦の除去』が輪廻から解脱することが、死後、永遠の命を得る方法であると説いているのです。
「輪廻」というのは、当時のインド支配階級・バラモンの 支配ツールです。

現世においてどのように生きるかが次の世にどのように生まれるかを決定するという考え方に従えば、現世にどのように生まれてくるかは過去世においてどのように生きたかによることになります。そうすると、人がバラモンであるかどうかは「生まれによる」ことになります。釈迦はまさにことのことを否定しました。人がバラモンであるかどうかは「生まれによるのではなく、行為による」と主張しました。(スッタニパータ 650)

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism47.html

紀元前13世紀頃、
西から移動して来たコーカソイドのアーリア人が原住民族のドラヴィダ人を支配するためにカーストを作り出したとされる。
つまり、奴隷が、何故自分たちはこんな扱いを受ける?と疑問を持った時、前世の行いが悪かったからだと、
黙って働けば来世は少し良くなるだろうと、一生をこき使うために作り出した妄想概念。
それに釈迦は反骨を示し、
「何を馬鹿げたことを。善を成した者が善き生へと生まれ変わるのだ さらにはその、輪廻という名の迷妄からも解き放たれるだろう」
これが、釈迦の信仰(迷妄)からの解脱です。 釈迦は、「信仰を捨てよ」と説いています。

「苦しみを成立させている原因を壊滅することによってひとは苦しみから解放されるという縁起の思想」の観点に立てば、なぜ、ブッダが「信仰を捨てよ」と説いたかがよりよくわかります。信仰宗教的な世界では、苦しみから解放されるために、ひとびとは苦しみの原因や条件を分析解明することなく、神頼みの祈祷や願掛けや犠牲の儀式、あるいは呪文(マントラ)や呪術や苦行や洗浴の儀式など、すべて神秘的な信仰力に依存していましたが、縁起の思想はそれら因果の筋道の見えないすべてのあやしげな方法を否定するからです。縁起思想の実践論である「八正道」に信仰や儀式や呪術が含まれていないのはまさにそのゆえです。人間苦が解決できないのは、神秘的力に対する信仰(祈祷や供犠)が足りないからではなく、苦しみの原因に対する無知(無明)ゆえである、というのがブッダの縁起思想でした。ブッダはこうしていわゆる「信仰宗教というものを否定」しました。

参考: http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_3.html


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