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環境犯罪誘因説を巡るメモランダム

1鳥山仁:2006/12/06(水) 03:58:32
1)刑事法における旧派と新派
ttp://www.ken-group.net/criminallaw.htm

(以下は抜粋)
 刑法学における旧派とは,近代初頭における啓蒙思想ないし合理主義的自然法思想から生じた刑法理論である。中世における神を最高の理性とした非合理主義を排し,人間の理性を基礎としたものである。グロティウス,ホッブスなどの近代革命の立役者が近代社会の基盤をつくり,神の法ではなく人間のつくる法規範によってのみ刑罰は発動されるべきであるとする罪刑法定主義を唱えたベッカリーア,また,理性的な人間像を前提として,予め定められた刑罰法規を前に,人は犯罪によって得られる利益とそれに対して科せられる刑罰という不利益を比較して,後者が前者よりも少しでも大きければ,誰も罪を犯さないという心理的強制を根拠とする一般予防機能,客観主義という内容を唱えたフォイエルバッハなどが,旧派刑法学者として有名である。

仁注・ここで最も重要な人物は、アンゼルム・フォイエルバッハである。フォイエルバッハは啓蒙主義の理想に則り、人間はどの時代でもどんな人間でも理性的なはずである、という現実から解離した観点から心理的強制による予防機能を訴えた。
 そして、その論理的な帰結として、刑罰は常に予め決められていなければならない(刑罰の重さを事前に知る手段がなければ、利益・不利益の計算ができなくなる)という『罪刑法定主義』が主張された。
 しかし、刑法に違反する人間の多くは理性的ではなく、人間社会には常に一定の割合以上の非理性的な人間が存在する。そこで、最終的にフォイエルバッハの学説は否定・修正されることになる。

2鳥山仁:2006/12/06(水) 04:03:02
(中略)
 時代が19世紀後半となると,科学技術の進歩と共に資本主義が極度に発展した。そのことが,犯罪とくに累犯の増加を生じさせる結果を生み,旧派刑法学は犯罪対策として無力であるとされることになる。ここにおいて,従来の観念的な方法を排斥して,あらたに実証的方法によって犯罪ことに犯罪者を研究しその対策を講じようとする傾向が起こって来た。ロンブローゾ,フェリー,ガロファロなどのイタリア学派にはじまり,リストが完成させる。

仁注・資本主義の発展(環境)が、累犯者の増加を生じさせるという誤認はここから始まっている。実際には、封建主義社会から民主主義(資本主義)社会への移行、農村社会から都市社会への移行期に、私有財産が重要な概念であるという社会通念が広く行き渡った結果として、(主に窃盗犯の)累犯者の存在が多数確認されたというだけの話でしかない。そして、旧派刑法学が現実に対応できなかったのは、先述の理由によるものである。

3鳥山仁:2006/12/06(水) 04:11:48
ダーウィンの進化論にヒントを得たロンブローゾは,犯罪者の身体的特徴に着目し生来的犯罪者説を唱えたのは有名な話である。リストは生物学的方法と社会学的方法との提携の必要性を説き,さらに刑事に関する法律学とこれらの刑事補助学とをあわせて,これを総合刑法学と称した。さらに彼はイエーリングの功利主義的目的思想を受け継いで,目的刑主義を提唱し,実証的方法による特別予防を強調した。そしてこのような見地から,国際的な規模で活発な刑法改正運動を展開した。ロンブローゾにはじまりリストにいたって大成されたこの学派を刑法学における新派と呼ぶ。

4鳥山仁:2006/12/06(水) 04:12:19
仁注・犯罪学の学派は、ウィキペディアによると以下の通り

犯罪学の学派
犯罪生物学派
「新ロンブローゾ学派」とも呼ばれ、犯罪人類学を礎とする学派である。犯罪人類学は遺伝的見解や生物学的特長を元に犯罪との関連性を究明したが、犯罪生物学派はそれを発展し、遺伝的要因に踏み込んで新しい概念を創出した。

刑事犯罪学派(刑事社会学派)
刑事犯罪学派は20世紀初頭に成立し、犯罪の原因について、生物学的関心から究明するのではなく、刑罰をより効率的に執行するために究明するところから始められた。その関係でドイツのフランツ・フォン・リスト(Franz von Liszt:1851年-1919年)ら多くの刑法学者らが国境を越えて多く参加した。刑事犯罪学派は、犯罪生物学派と正反対の立場を採る。生来犯罪人説を否定し、内的要因ではなく、社会学的な外的犯罪要因論を確立し、累犯者、初犯者の別、偶発犯罪、計画犯罪の別など、犯罪者を分け、その傾向に適応した刑罰を科すべきだと主張する。この学派が発展し、今日の刑事政策が派生した。

犯罪社会学派
犯罪を生物学的要因に依存するのではなく、犯罪の行動様式から犯罪者を分類し、どのような状況下で犯罪が行われるかを示した。犯罪生物学派が生来犯罪人説を唱え、犯罪の素質について言及し、刑事犯罪学派が犯罪はその環境によるものであると言及したのに対して、双方とは一定の距離を保ったことが特徴。生来犯罪人説は否定したが、一定の性格傾向と犯罪との因果関係は否定しない。その傾向を「累犯」「職業犯罪」「慣習犯罪」という観点から受け入れる。

リヨン学派(フランス環境学派)
社会的な環境化の境遇が犯罪を作り出すと考える学派。刑事犯罪学派に近いが「犯罪は社会現象の正常な1つの機能である」(デュルケーム Emile Durkhaim:1858年-1917年、フランスの社会学者)といった犯罪正常説という新しい概念を創出した。この考え方によれば、犯罪は常に存在するが、その犯罪現出傾向がその社会において平均的犯罪水準を越えたときに、その行動は犯罪として異常形態になる。とする。つまり、犯罪ではなかったことが、その度合いが増すことによって規制され犯罪と規定されるのだから、犯罪は社会の進化と共に正常との異常とも変容しうるとした。

5鳥山仁:2006/12/06(水) 04:21:25
結論から述べてしまうと、刑法の世界では『刑事犯罪学派』が主導的な立場を握った。この学派の危険な点は、社会予防という観点から刑事政策と刑法が連動しうると考えたことにある。これはリヨン派も同様で、歴史学的に見れば彼らの主張は正しいが、社会通念の変化により私有財産制度が否定されれば、その必然的な結果として個人主義も否定され、全体主義・社会主義などの行政官による犯罪行為が法的に正当化されうるという状況を創出する。

 これが、後に起こった国家社会主義型(ナチス・ドイツ式)のユダヤ人大量虐殺や、一国社会主義型(ソ連式)の大量粛正を実行する根拠となった。

6鳥山仁:2006/12/06(水) 04:24:34
新派の特徴をまとめれば,①罰せられるのは行為ではなく行為者とする(主観主義)。行為者の社会的危険性ことが処罰の根拠である(社会的責任論)。新派における犯罪行為とは行為者の反社会的性格の徴表にすぎない(徴表説)。②刑は応報ではなく教育であり,行為者の反社会性を矯正して社会に適応復帰させることが刑の目的となる(教育刑主義,目的刑主義)。ここでは刑罰と保安処分は同義と解される。③刑によって個々の犯人を改善することによって犯罪を予防するとする(特別予防主義)。旧派でいう一般予防は,新派においては特別予防の一つの効果にすぎない。そして刑は犯罪から社会を防衛するものとされる(社会防衛主義)。
 旧派と新派の決定的な違いは対象とする人間像の違いである。旧派における人間とは抽象的で理性的な人間である。つまり,結果の予測を損得勘定によって合理的に打算できる人間像といえよう。それに対して,新派における人間は,素質・環境によって運命付けられた具体的な人間像である。
 新派刑法学とくにロンブローゾのような見解は現代社会では採り得ないであろうが,人間を具体的に捉える新派刑法学の考え方は後の刑法学に大きな影響を与えている。たとえば,行刑の場面での活用である。現在わが国の刑の執行は単に応報だけを目的とせず,改善のための教育,職業訓練を実施している。また,犯罪の種類などによって刑務所を分類している。これらは新派刑法学の影響を受けているといえよう。ただ,犯罪の成否についての理論は旧派によるべきである。裁判官の恣意性を排除すべき要請が強いからである。また,これは罪刑法定主義の要請でもある。

7鳥山仁:2006/12/06(水) 04:26:42
2)刑事政策の基本問題
ttp://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~b50999/keisei.html

一 刑事政策とその課題

一 刑事政策とは何か 「刑事政策」は、ドイツの Kriminalpolitik の訳語として、 明治期の一九〇〇年頃から使われてきた。ドイツにおける Kriminalpolitik は、一八〇〇年頃から、刑事立法政策 (フォイエルバハ)や、犯罪予防も含んだ刑罰及び犯罪に関する立法の原則(ベーマー一八一六)を指す言葉として用いられてきたが、そういった政策や立法原則の基礎として犯罪学的研究の必要性も強調されるようになり(ヘンケ一八二三)、リスト一八八九に至って「犯罪の原因論的研究と刑罰の効果に関する考察を基礎にした(立法政策に限らず)一切の犯罪闘争政策」に広げられたとされる(木村一九四二、三頁。ただし、正木一九三八、七頁(クィストルプ一七九四)など異説もある)。他方、リストには、また、(特別予防主義を強調する)いわゆる新派刑法学の立場から、刑事政策を「犯人の人格において個別化的方法によってなされる犯罪闘争」とする主張もあり、これを狭すぎるとする立場から、「刑法の有効性を合目的性の見地から考察すること」(ヒッペル一九二五)や、「刑法を有効なる犯罪闘争という見地から考察し運用すること」(メツガー一九三三)、これらとはむしろ逆に、「刑法以外の処分であって直接に犯罪の予防と克服を目的とする特殊な手段」(グリュンフート一九二八)などが(時には狭義の)刑事政策とされた(木村一九四二、一六頁以下)。
わが国における刑事政策の概念規定は、右にみたドイツにおける経緯や学説なども参照しつつ、広狭様々に論じられている。一般的には、「犯罪の原因を探求して、その防止(防遏、防圧)対策を講じること」を広義の刑事政策とし、そのうち「犯罪対策を直接の目的とすること」や「刑事法ないし刑罰制度」などによって限定したものを狭義の刑事政策とすることが多い(大谷一九八七など)。

8鳥山仁:2006/12/06(水) 04:29:42
3)講演 「日本の裁判について」
ttp://city.hokkai.or.jp/~tds-sato/seiken/sub07kouen09.htm

(2)環境・学習などの社会的要因を重要する見解

 ただ、最近の考え方では、素質が影響をもつのはほんの特殊な犯罪者だけで、大多数の犯罪現象を考えると環境・学習などの社会的な要因が大切であるというのが支配的であります。この社会的な要因、環境・学習などを重視する見解の基本的な前提は、人間は道徳的にあまり強いものではないといことです。例えば、共同生活を行っている中で、蜂とか蟻はまことにその社会の規範に同調する傾向が強いのです。どんな場合であっても蜂社会、蟻社会の規範にまっしぐらに進むわけです。ところが、人間というのは自分に不利に働く場面では、規範的、同調的行動をとらないわけです。しかし、現実にいろいろと観察して見ると人間社会でも大部分の人は、だいたい規範・同調的行動をとっています。それでは、何故そうなのか。その原因をカイザーという学者は、一つは周囲の人達との結びつき、絆ということを言っています。例えば、家庭、職場、学校あるいは友達の結びつきなどです。それからまた、その人の発育過程で獲得される社会性が身に付くことによって社会規範との絆が強化されるわけです。この絆がゆるんだり、欠落したりした場合に非同調的行動に出やすくなるわけです。しかし、大部分の人は絆があるために規範的・同調的行動をとっている。逆に、犯罪者というのはその人の人間関係、社会関係で破綻された人間であるというような面があります。あるいは、アメリカのヴォルドという学者は、犯罪行動に対する動機というものは人間が本来的に持っているものだと述べています。もし、好きなようにさせておけば、すべての個人は自然に犯罪を行うようになるだろう。従って、大切な問題は多くの人は犯罪をしないのかといことである。その個人、個人に働いているいろいろな犯罪に出ることをくい止めているいろんな抑止、どういう抑止が働いているのか、どういう統制(コントロール)が働いているか、そういう点に焦点を当てて研究をすべきだということを述べています。そして、レジメの3ページの(2)に書きましたように、いろんな要因を分析してこういう要因は、その個人を犯罪にかりたてるような要因であるとか。あるいは4ページの2行目に書いてありますようにこういう要因がある場合は、これは犯罪に出ないように抑制的に働く要因であるという風に分類して、いろいろと具体的な要因を掲げてそれぞれについて対策の必要性が説かれています。

9鳥山仁:2006/12/06(水) 04:41:21
4)心理学一般
ttp://www.geocities.jp/kyongsea/sub390.htm

●動力学的犯罪観(メツガーの公式)

 KrT=f(aeP・ptU) 犯罪行為は、人格Pと環境Uの関数。人格Pは素質aと発達度e(特に幼児期の発達)によって決まり、環境Uは犯因性人格環境pを形成する上でも、犯因性行為環境tを決定する上でも影響を及ぼす。すなわち、犯罪行為は人格と環境の関数であり、PかUの一方が0であれば、犯罪が生じないことになる。

10鳥山仁:2006/12/06(水) 04:48:19
5)アメリカ犯罪学と刑事制度論
ttp://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~b50999/acps.html

 二 犯罪者研究から出発して個々人の中に犯罪危険性や犯罪負因を探ったり、あるいは対抗的に社会的・物理的環境における犯罪要因を強調するといった伝統的立場、ないしこれらを形式的に総合する多元因子論など観念的枠組みにすぎないものを離れて、社会心理的な学習理論たる差異的接触理論(Sutherland 1937,1939)や、社会集団における構造的緊張を指摘するアノミー論(Merton 1938)といった理論仮説を提示するところにアメリカ犯罪学の特徴を見ることができる。その原因論的な関心にもとづく犯罪行動や犯罪・逸脱性の説明原理は、多元因子論などと同様、原因とされるもの、関連する諸要因を除去・軽減することによる犯罪対応策にもつながっていく。犯罪や非行を生む文化が伝達ないし学習されるといった所説(39)、あるいは、犯罪・非行に親和的な下位文化の内容や出現のメカニズムを解明すること(40)などでは、そのような文化を共有する集団に働きかけて文化内容の変容を図ったり、対抗する合法的・伝統的文化になじむようにすることによって、あるいは、当該社会集団における犯罪多発を説明する社会解体論やアノミー論などでは、そのような構造要因を社会政策で克服していくことによって、いずれも広い意味での社会政策、福祉的手当によって犯行要因を克服することが問題解決になる。

11鳥山仁:2006/12/06(水) 04:52:46
6)アミノー論
ttp://www.puripuri.org/socst/strain/merton.shtml
アノミー論が主張している点は明確です。ほとんどの犯罪行為は、社会の状態、特に経済の状態によるものと主張しています。日本はアノミー論によく引用されます。驚異の経済成長を遂げ、世界に 2国しかない経済先進後国 (post-industrialized nation) となった日本。経済先進諸国に比べ、犯罪率が極端に低いことが常に研究の対象でした。国家日本の低犯罪率の理由として挙げられるのが、高雇用率と低失業率です。また、貧富の格差が極端にない点も低犯罪率の重要な要素です。さてさて、現在の日本。どうかしら。アノミー論の主張によると、経済犯罪率が増加しているはずです。

仁注・(笑)

12鳥山仁:2006/12/06(水) 04:58:30
7)アミノー論2
ttp://www.puripuri.org/socst/strain/anomie.shtml
社会学の父のひとりであり、社会学機能派 (functionalism) の創始者であるデュルケーム (E. Durkheim: 1858-1917) は、犯罪学にも多大な影響を与えました。産業革命はそれまで農業中心であった社会を工業中心への変化をもたらし、社会に近代化をもたらしましたが、その結果人間の生活、暮らし、生き方、価値観が急激に変化した時期でした。犯罪率は急上昇し、都市型犯罪も登場します。デュルケームは社会変化が人間に与える影響を研究し、工業社会の特徴である社会的繋がりの弱体化が犯罪の起因と指摘しました。社会的繋がりの弱体化とは、家族の絆や地域の繋がりが薄くなり、それまで小地域の中心的役割を果たし、地域のシンボルでもあった教会がその重要性を失った等がそうですね。通り魔的な犯罪が急増した理由として、社会の工業化と近代化に伴い、共同作業が少なくなった為、労働者は仕事を求めて頻繁に住居を移動するようになった為などが挙げられます。又、社会的な繋がりが弱まると、人々が集団の利よりも個人の利を重要視する変化も起きます。こうした社会変化に伴う人々の意識と行動の変化が、犯罪が起きやすい状態を培養します。別な言い方をすると、社会の犯罪を抑止する要素が減少するということですね。

デュルケームが打ち立てた、社会変化に影響される人間の行動、及び社会の状態の概念をアノミー(anomie)といいます。


仁注・もう、笑いすぎて注釈が付けられません。

13鳥山仁:2006/12/06(水) 05:11:21
 取り敢えず、環境犯罪誘因論について他にも目につく理論があったら挙げていきます。社会学者や刑法学者や知識人の馬鹿っぷりを堪能して下さい。こいつら、本当に頭が悪くて腸捻転を起こしそうです。

 デュルケームなんかはその典型ですけど、封建社会下では、そもそも他地域との交流・他階級との交流が頻繁に行われず、多くの人間にとって関係性があるのは親族ぐらいなので、人間関係が疎遠か濃密かと言えば、親族を除いて疎遠な社会なんですよ。ところがご本人の説によると、工業化が進むと「家族の絆や地域の繋がりが薄くな」っちゃうそうですから、そりゃあ犯罪も起こりますわな。この主張を敷衍していけば、犯罪の防止策は「誰とも付き合わない」ことになります。誰とも会わなければ犯罪なんぞ起こるわけがないので、理論的には正しいんですけど、頭はどうにもならないほど悪いんですね。でも、社会学者とか知識人の主張というのは、概ねこんな具合です。

14СТАЛКЕР:2006/12/06(水) 11:15:01
メツガーの公式もキました。
そりゃy=f(x)みたいな関数にすれば、
どっちかが0になれば全部ゼロになることは
数学バカの私にも分かりますが、
それが何?
何やら小田晋センセイも愛用だそうで(笑)

1514:2006/12/06(水) 12:01:01
数学バカじゃ意味が逆だ、
数学音痴の私にも分かりますです。

16鳥山仁:2006/12/06(水) 12:41:06
×→アミノー論
○→アノミー論

すいません。またやっちまいました。

14さん

 面白いでしょ。犯罪学について勉強したのは、青少年有害環境対策基本法反対運動の時だったんですけど、犯罪関係の問題を扱う学者には珍説・奇説を主張するヒトが多くて目が眩みます。感覚的なモノだから正確じゃないですけど、割合としては女性学並みじゃないでしょうか? どちらもオタクバッシングに荷担しているのがミソですが、蓋を開けて1つ1つ論理を検証していくと、こんな程度なんですよ。

 ただ、刑事政策なんかは、当然、竹花や前田は我々よりも深く勉強しているので、それに伴いキ○ピーぶりもより深まっているワケです。竹花の主張なんて、アノミー理論の丸写しみたいなモンですからね。

17СТАЛКЕР:2006/12/06(水) 21:10:54
人間の行動に対するこれらの学問的蓄積を活用してエロゲシナリオ自動生成プログラムとか作れたら面白いかも。

18鳥山仁:2007/01/16(火) 05:54:54
松岡正剛のサイトから
オルテガ・イ・ガセット
『大衆の反逆』

ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0199.html
(以下引用)
 大衆がどのように出現してきたか、オルテガの回答は意外なものである。「自由民主主義」と「科学的実験」と「工業化」が大衆をつくったのだというものだ。これでピンとくる人はよほどカンが鋭いか、何かの苦汁を嘗めた経験がある人だろう。
 自由民主主義が大衆をつくったことは多数決の原理にあらわれている。これはわかりやすい。工業化が大衆をつくったことも、マスプロダクト・マスセールによって誰もが同じものを所有する欲望をもったということを見れば、見当がつく。だが、科学的実験はなぜ大衆の出現に関係があるのだろうか。
 オルテガは20世紀になって甚だしくなりつつあった科学の細分化に失望していた。科学は「信念」を母体に新たな「観念」をつくるものだと思っていたのに、このままでは「信念」は関係がない。細分化された専門性が、科学を世界や社会にさらすことを守ってしまう。こんな科学はいずれそれらを一緒に考えようとするときに、かえってその行く手を阻む。それはきっと大衆の言動に近いものになる。それよりなにより、そうした科学にとびつくのがまさに大衆だということになるだろう。
 こういう懸念がオルテガに「科学的実験が大衆の増長を促す」という「風が吹けば桶屋がもうかる」式の推測を成り立たせた。オルテガはこの見方に自信をもっていた(ややもちすぎていた)。それは、こうした科学を推進してやまない科学者を「サビオ・イグノランテ」(無知の賢者)と呼んでいることからもうかがえる。

19鳥山仁:2007/01/16(火) 05:56:36
 相変わらず松岡の考察は鋭い。オルテガ的な思考の欠陥が「風が吹けば桶屋がもうかる」式の推測であると、正確に指摘している。オルテガに限らず、トンデモ系の知識人やジャーナリストに共通する思考スタイルは、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の推測、すなわち演繹的思考である。この最も分かりやすいスタイルが三段論法で、大前提・小前提・結論と段階を踏んで思考を重ねていくのだが、帰納的なチェックの入らない演繹思考は、思考の前提を正しいと認めると、結論が絶対的に正しくなるという欠陥があるので、当然の事ながらその大部分が論理的矛盾や破綻を引き起こす。

たとえば、児童ポルノが性犯罪を引き起こすという理論はこの典型的なもので、

大前提・児童ポルノ所持者が存在する

小前提・所持者の一部が模倣欲求に逆らえずに児童ポルノを制作する(かもしれない)

結論・児童ポルノを制作する過程で児童虐待が行われる(かもしれない)

となり、こうした思考を行った者は、オルテガ同様に自らの思考のどこが間違っているのかが理解できない。これは、演繹的な思考を好む人間は、たいていにおいて帰納的な思考を拒絶する、あるいは帰納的な思考ができないことに起因する。

20鳥山仁:2007/01/16(火) 05:57:42
 上記の例で考えるのであれば、児童ポルノが性犯罪を引き起こしたかどうかを帰納的に考察するためには、児童ポルノの所持者と児童に対する犯罪行為の発生件数、あるいは児童への性的な悪戯を行った人間の数を比較して、その数が一定の割合(この割合に関しては諸説があるだろう)に達しているかどうかを調査する必要がある。しかし、規制推進派と呼ばれる人間達は、オルテガ同様に帰納的な思考法を拒絶する。あるいは帰納的な思考法に思いが至らない。そして、オルテガ同様に、自分の何が間違っているのかを理解することもできない。

 オルテガが科学実験を批判したのは当然だろう。科学的、すなわち帰納的にオルテガの主張を検証されたら、その大部分には疑問符が付くことがぼんやりと分かっていたから、彼は科学を真っ向から否定せざるを得なかった。しかし、本当にオルテガが否定したかったのは帰納法であることは、彼のエセーを通読すれば明白である。

 余談になるが、私が見たことのある最高に面白い演繹法は、とある閉鎖病棟に入院していた統合失調症患者のノートに書かれていたものを医師が公開したもので、

大前提・サファイア

小前提・ファイアー

結論・火炎地獄

という三段論法であった。演繹法を思考の主体とする人間は、どんなに努力しても理性的にはなれないという見本のようなものである。

21СТАЛКЕР:2007/01/16(火) 07:05:17
そりゃ演繹規則がおかしいだけなのでは…

22鳥山仁:2007/01/16(火) 12:57:25
21さん

規則が狂っているか、大前提がおかしいかのどちらかでしょう。
いずれにせよ、問題なのは自己の組み立てた理論をチェックする機能がないことで、これがなければ「馬鹿」になるしかないわけです。

23鳥山仁:2007/01/16(火) 13:15:33
あ、そうか。
これを載せないと、オルテガを叩いた意味が通じないかもカモ。
ttp://www.socius.jp/wise/01.html

私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない。
『ドンキホーテに関する思索』(オルテガ・イ・ガセット)

24СТАЛКЕР:2008/03/19(水) 21:11:17
ttp://news.livedoor.com/article/detail/3559043/
犯罪犯す可能性のある小学生のDNA、採取・登録へ?

新華社ロンドン(イギリス):
英国の科学捜査専門家は、以降の人生で犯罪を犯す恐れのある小学生のDNAをデータベースに保管することを主張している。
英紙「オブザーザー」はこのほど、ロンドン警視庁科学捜査主任で、英国警察長協会(ACPO)のDNA報道官のゲイリー・ピュー氏による上記の提案を伝えた。
同氏はまた「潜在的犯罪者を識別するのに、どれほどまで深く踏み込んでいくか検討することが必要だ。将来の犯罪の兆候は、早くて5歳時から現れるのだから」と述べている。
「犯罪学の専門家によると、犯罪の兆候は成長と共に失われる人もいるが、そうでない人もいる。社会の脅威となるのは誰かを見極めねばならない」と、同氏は語る。
「両親の同意をどのように取り付けるか、子供に烙印を押しはしないか、潜在的犯罪者の識別における教師の役割は何かなど、この提案は多くの論争を巻き起こすだろう。
しかしどのように犯罪を未然に防ぐかということについては、十分かつオープンな論議が行われなければならない」と同氏。
英国はサンプル数450万という、現時点でヨーロッパ最大規模のDNAデータベースを有している。

25СТАЛКЕР:2008/03/19(水) 21:59:50
>>24
犯罪犯す可能性のあるDNA?、なんかムチャクチャだな

26СТАЛКЕР:2008/03/19(水) 22:46:29
遺伝っていうとこの学派の人なんだろうか?

犯罪生物学派
「新ロンブローゾ学派」とも呼ばれ、犯罪人類学を礎とする学派である。犯罪人類学は遺伝的見解や生物学的特長を元に犯罪との関連性を究明したが、犯罪生物学派はそれを発展し、遺伝的要因に踏み込んで新しい概念を創出した。

27СТАЛКЕР:2008/03/19(水) 23:11:27
ロンブローゾすげぇwwwバカwww

ttp://charm.at.webry.info/200701/article_9.html
これは、たんなる思いつきでなく、霊感がひらめいたのである。その頭蓋骨を見て、燃える大空の下の広大な平原のように、突然すべてが明るく照らし出され、犯罪者の本性の問題が分かったように思えた。原始人や下等動物のもつ残忍な本能が先祖返りをした犯罪者に再現される。

解剖学的に表せば、犯罪者や未開人、そしてサルに見られるつぎのような特徴、すなわち大きな顎、高い頬骨、突起した目の上のアーチ、手のひらを横断する一本の線(猿線)、極端に大きい眼窩、取っ手状の耳などである。痛みには無感覚で、極端に鋭い視線をもち、いれずみをし、過度のなまけぐせがあり、飲めや歌えの騒ぎを好み、自分のためなら悪事でも無責任に切望する

28СТАЛКЕР:2008/03/22(土) 17:42:45
ロンブローゾはもちろんバカだし、新がつこうがなんだろうが、この手の運命論者はことごとくバカ。
未来はわからん、て単純なことが受けられないんだから。
が、アインシュタインだって神はサイコロを振らないとか言ってるくらいだから未来は定まっていると信じたい人は後を絶たない。
人は結局信じたいものを信じるもんです。
DNA如きで生き物の挙動が定まるのなら極端に遺伝の幅の狭い競馬の勝率はあんなに偏らない。
名馬の血を引いてない競走馬なんていないんだから、遺伝的な資質はどの馬も大差ない。


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