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輸送力増強五ヶ年計画(УТП)実行委員連絡用2

31松代:2005/02/08(火) 12:27:33
後編がうぷされたのですが…
竹田氏は「ポストモダンの考え方の出発点はなんといってもヘーゲル批判です」ということで、ヘーゲル研究からポストモダン批判を展開しているのですが、ポストモダン思想そのものがヘーゲル思想の枠内にあるというか、つまり思想的同族関係にある身内だったはずなので、徹底的な再検証や批判ができるのかどうかが疑問だろうというのが自分の感触です。
ちゅうか、多少は期待したのですけど、現代思想というコップの中の嵐なのかなというのが偽らざる感想ですね。
ただまぁ、現代思想にはまる人間はナニだという印象を、改めて強く持った記事でした。

http://book.asahi.com/topics/
>近代社会・資本主義再考 後編
>「ところが、他方で、文学を社会的な効用に還元するような考え方があります。代表的なのが、昔のマルクス主義文学理論でした。どれだけ戦争に反対したか、どれだけ国民に反権力の自覚を促したか、といった観点から文学作品の価値を決めるような理論です。こうした考えは、文学好きにとってはまあ許せないものですね(笑)。文学はどんな素材を扱ってもいいのですが、作品をなんであれ特定の効用的観点に還元するといま見たような文学の本質が死にます。マルクス主義文学論がやっと終わったと思っていたら、その後、同じタイプの文学理論が意外なところから出現しました。それが、現在のポストモダン思想つまりテクスト理論です。ポストモダンのテクスト理論は、はじめはマルクス主義的な文学理論への強力な反対理論として現われたのです。ところが前回言ったように、ポストモダン思想が社会に対する批判のための批判として使われ出すと、それに応じてこちらも、批判のための批判の手段として、方法化されてきました。文学のポストモダン的解釈としてよく見られるのが、近代国家という幻想を作り上げることに寄与した装置としての文学、といった類の批評です。文学でも批評でも、現実をいかに巧みに批判するかにその作品の優劣が還元されます。こうした文学批判、制度批判としてポストモダン的の文芸批評は、まさに雨後のタケノコのごとく登場したのですが、こうした状況は、文学好きの私としては異様であり、やれやれ、またあれか、というものだったわけです(笑)」
>「こうしたことをしっかり批判しようとすると、ポストモダン思想をきちんと検証する必要がある。ポストモダン思想は、私も、昔はすごいと思ってよく読んでいたので、ある程度は知っていたのですが、これを根本的に批判しようとすると、やっかいなことに、ヨーロッパの近代哲学まで遡らないといけない(笑)。ポストモダンの考え方の出発点はなんといってもヘーゲル批判です。だから、今度は近代哲学を徹底的にやる必要が出てきた。文学を効用性に還元する考え方に対して本質的な批判をやろうとしたら、いつのまにか、近代社会全体の成り立ちまで考えざるをえなくなった、というような、まあひどい事情ですね(笑)」


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