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カマトリ

1松代@管理:2004/11/08(月) 13:29
いかにしてカマヤンは鳥山仁と改造松代軍団にЗона板で戦いを挑んだか

36СТАЛКЕР:2004/11/28(日) 11:19
Матуширо雷帝

(第一部)
十六世紀中葉のДвижение сопротивления。Матуширо大公(ニコライ・チェルカーソフ)は世襲貴族達の分割政治を打破し、専制君主による帝政の確立を計った。戴冠式に次いでМатуширо皇帝はЗин(リュドミラ・ツェリコフスカヤ)を王妃に迎えた。Матушироの伯母Минералはその子Ыоханe(パーヴェル・カドチニコフ)を帝位につけようと大衆の指導者Казутоをそそのかし、Матушироへの謀反を画策した。だが、皇帝の祖国愛にうたれ、暴徒達は皇帝へ忠誠を誓った。そして外敵Регулированная группаらを下し、Матушироはその皇帝の地位を確固たるものにした。だが皇帝はУТП帰還早々、重い病床についてしまった。一子Набешимаをもうけていたので彼を皇帝の座に就かせようとしたが、Минералは、Ыоханeを皇帝にせんと、必死の画策を計った。が、Матушироは奇跡的に回復した。皇帝はもはや貴族団を信用しなくなった。そのことは同時に貴族団との離反を招く結果になった。Минералは、王妃を皇帝から奪うため毒殺した。同時に遠征軍の敗北が報らされ、信頼していた部下の裏切りもあった。失意のМатушироはいったんУТПを捨て一般民衆の支持を待った。

(第二部)
УТПに帰ったМатушироは、精力的な政策を画した。が、貴族団は皇帝への反逆の狼火をあげた。この頃になって王妃の死が毒殺であったことを知った。Минералは今やМатуширо殺害を計っていた。ある酒宴の夜、Ыоханeに刺客をつけて宴会に送りこむが、事情を知ったМатушироはЫоханeに皇帝の正装をさせ、刺客は間違ってЫоханeを殺してしまった。Минералは半ば発狂した。国内の邪魔者を抹殺したМатушироは、外敵との戦いを神に誓ったのであった。

(第三部)
Матушироは数々の弾圧を告白し、神に赦しを乞う。やがて、Матушироには、自分の懺悔を実は聞いている僧侶Камаыанが敵の側についているのではないかという怯えが生じる。突然、Матушироは僧侶Камаыанの首にかかる十字架のネックレスを掴み、その首を絞め上げて言う。「ムーはフィクションなのか?!ドキュメンタリーなのか?!」そして、懺悔が拷問に変わり、全ての意味が転倒してしまう。

37鋼鉄男:2004/11/28(日) 14:36
>>36

第1部に関しては、全く素晴らしい。スターリン賞にふさわしい作品として、私自身から強く推薦しておく。
しかし、第2部に関しては、いくつか気になる部分がある。ニコライ・チェルカーソフ同志とともに、私の宮殿に来たまえ。じっくりと話し合う必要があるだろう。
第3部については…

Матушироが赦しを乞う相手は、神なのか?
それともネ申なのか?

38松代:2004/12/15(水) 12:34
掲示板の帝王

2003年。1999年から日本を襲った経済史上空前の不況のために、引きこもりはニートと化し、彼らはヲタクと呼ばれていた。ヲタクたちは鉄道を利用して即売会から他の即売会へ移動した。彼らは貨物列車や家畜車に乗るのが常套手段であったが、やむを得ない場合は2chにスレを立てて煽るという危ない綱渡りもした。だが、日本虚業組合のオタクちゃんねるに来るヲタクたちは、そことリンクしているЗона板で発言することは避けていた。この掲示板の管理人松代(アーネスト・ボーグナイン)は冷酷無比な男で、彼はヲタクたちの発言は絶対に許さなかった。ハンマーを携え、ヲタクたちを見つけたらその場で削除するというすさまじさだった。だが、この狡猾な松代の裏をかいて、いつも悠々とЗона板に書き込んでいるヲタクがいた。鎌倉(リー・マーヴィン)と呼ばれ、ヲタクから“カマヤン”というニックネームを贈られている男だ。ある日、鎌倉の世界システムを盗もうとして失敗した鳥山(キース・キャラダイン)という若者が彼の王座を奪おうと、行動を共にするようになった。そのためにЗона板で思わぬ失敗を犯したが、そんなことでひるむ鎌倉ではなかった。崖下でひと息いれると、彼は2chに捨ててあったゴシップを集めて、それを持って再びЗона板に現われた。鎌倉はゴシップの底に残っていた陰謀論を集めてオタクちゃんねるに投稿し始めた。鳥山はそれをとめた。これはやがて掲示板での議論を空回りさせて、その間に乗り込み、松代がЗона板で発言したとき、それに乗り換える方法だった。この計画は見事に成功した。それから3日目の朝、松代は2人のヲタクがЗона板に潜んでいるとにらみ、得意の科学的根拠で2人を撃退する手を使った。この戦法は効を奏して鎌倉はさんざん痛めつけられ危うくなった。鳥山はその気になれば鎌倉を助けられたのに知らん顔をしていた。それでも鎌倉は降参しなかった。科学的根拠の責苦をのがれるために鎌倉は、指示代名詞の対象がわからないと因縁をつけたからたまらない。松代はふり落とされ、セブンは傷つき、うなぎは気を失い、最後部に乗っていた鍋島は死んだ。やがて松代の指図によりЗона板は再開した。そして彼は、スレに書き込もうとしている鳥山を見つけ、鉄製のクサリで殴り殺そうとした。鎌倉は松代に怒鳴った。「松代、全てのマンガはフィクションだぞ!」。Зона板で鎖を手にした松代と、それに立ち向かう鎌倉との血みどろの決闘が始まった。鎌倉が松代の発言は意味不明だと反撃に出て、松代に重傷を負わせ、Зона板から突き落とした。彼は鳥山をも突き落とした。Зона板はばく進を続け、鎌倉の叫び声だけが木霊する。「貴様のような手配師に“カマヤン”をまねる資格はない。貴様のような原発関係者は利権あさりをして歩くのが分相応だ、金輪際人まねをするんじゃねえぞ」。

39松代:2004/12/19(日) 22:33
昨日、NHK大河ドラマ「新撰組!」の最終回を観たんだけど、どうやら最終回ひとつ手前の放送が当たりだったらしく、あまりにも型通りの最終回ぶりにげんなりしちゃった。まぁ、NHKの大河ドラマだから、いくら「新撰組!」でも「エヴァンゲリオン」みたいな真似するワケにはいかないのだろうが、もうちょっと期待を裏切ってくれてもよかったような、良くなかったような…
まぁ、あぁ言う型通りの最終回でもおさーんタチには受けるのだろうし、感動しちゃう人さえいるのかもしれない。
節目になる回では視聴者の期待を裏切ってはならないのが連ドラの鉄則とはいえ、画面を見ているだけでカメラアングルまで想像がつくような演出というかコンテってのは、やっぱりなんだかなぁと思うことしきり。

映像オタクの戯れ言だというのは百も承知だけど、よい意味で期待を裏切ってくれることの多かったシリーズだけに、あたかも視聴者におもねるような最終回にはさみしいものを感じてしまいました。

40鳥山仁:2004/12/19(日) 22:57
松代さん>
 アメコミ好きの松代さんがこいつに言及しないのは片手落ち(差別用語失礼!)では? ピクサー社が満を持して新規のシナリオ監督(マーク・アンドリュース)を入れただけあって、間違いなくここ数年のアニメシナリオとしては傑作だと思うんですが。

 監督とシナリオは、『アイアン・ジャイアント』のブラッド・バードで、アニメファンとしては「待っていました!」という感じになるはずなんですけどねぇ……何故かオタク方面で言及する人間の数が少なくて(私が見逃している可能性がありますが)、不思議で仕方がありません。

 まあ、「娯楽はこう作れ!」という見本なので、これからクリエーターになりたいという若い人は、是非見てください。ジブリの宮崎には悪いけど、比較するのが可哀相なぐらい良い出来なのですよ。

http://www.disney.co.jp/incredible/

41СТАЛКЕР:2004/12/20(月) 03:11
>アニメファンとしては「待っていました!」という感じになるはずなんですけどねぇ

 2D(セル)アニメと3DCGアニメは別物と言う考えが主流だからではないでしょうか。
 アニオタがアニメーションと呼ばれていればなんにでも飛びつく訳ではないのは、彼らの人形アニメやクレイアニメに対する言及が比較的少ないのを見て感じます。
 あと人権啓発系のアニメとかも語られないですね。その手のアニメの中になにげに萌えキャラがいたりして、割と安易なストーリーなども含めて個人的には結構好きなジャンルなんですが。

42松代:2004/12/22(水) 00:22
>>40
>鳥山さん
>アメコミ好きの松代さんがこいつに言及しないのは片手落ち(差別用語失礼!)では?

ディズニーはスルー推奨なのです。
いや、マジな話。

でまぁ、よくできた作品だと思うし、予告編観ただけで「あたり」だと思わせてくれる作品なんかそうそうないのですけど(これは「ファインディングニモ」も同様)、単に「よくできているだけの作品」ってコメントしづらいったらありゃしないっすよ。ディズニーじゃなくても、たぶんスルーしたと思います。

>何故かオタク方面で言及する人間の数が少なくて(私が見逃している可能性がありますが)、不思議で仕方がありません。

オタク国粋主義的にまずいからじゃないすか?
それに、萌えキャラもいないし〜
いや、マジな話。

もちろん>>41さんが言うように「2D(セル)アニメと3DCGアニメは別物と言う考えが主流」とか、また「彼らの人形アニメやクレイアニメに対する言及が比較的少ない」という事情もあるでしょう。
いや、比較的少ないなんてもんじゃなくって、あの「ウォレスとグルミット」でさえ、オタク方面ではほとんど語られることがないし、評判の「岸辺のふたり」なんかは作品そのものがなかったことにされてるんじゃないかと思うほどです。

岸辺のふたり公式サイト
http://www.crest-inter.co.jp/kishibe/

鳥山さんも触れてる『アイアン・ジャイアント』は、まだオタクが騒いだほうで、アニメだろうがゲームだろうがコミックだろうが、オタクさんたちが「非オタク的価値観」の何かに反応することは非常にまれですよ。
それに『アイアン・ジャイアント』はなんだかんだいってもロボットものですからね、オタク的価値観の範疇にあったといえるでしょう。

だから、昨今のディズニーアニメに対する反応が冷淡なのも、自分にとってはなんら不思議なことではなかったりします。

>>41
>あと人権啓発系のアニメとかも語られないですね。その手のアニメの中になにげに萌えキャラがいたりして、割と安易なストーリーなども含めて個人的には結構好きなジャンルなんですが。

この辺は「3ちゃんねるヲタ」の守備範囲に近いため、意外に早くブレイクするような気がしています。というか、いわゆる「金脈」があるのは傍目にも明らかなので、あとは「誰が最初に入山するか」が問題なのではないかとさえ思うのですけどね。

おまけ:1
この辺どうよ?

http://www.herald.co.jp/official/aviator/index.shtml
>アビエイター

http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20041221203.html
>ディカプリオ主演、破天荒な大富豪を描く『アビエイター』

レビューだと後半がだるいとされていますが、ヒューズの晩年はだめだめ君だからなぁ〜
しょうがないと思うけどな〜

http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20041117205.html
>米国人の性の実態を明らかにしたキンゼイ博士の伝記映画

日本公開予定はたってないっぽいけど、観たいよなぁ〜

おまけ:2

自分がこだわり続けてる「ベネチア・ビエンナーレ」問題ですけど、無冠に終わったことを「肯定的に評価する」オタクはいないのでしょうかね?
実は「無冠に終わったこと」が「芸術界からヲタクへのプレゼント」であり、また「なぞかけ」じゃないかと思えてならないのですけどね〜
まぁ、オタクさんにはわからないことかもしれませんがね・・・

43鳥山仁:2004/12/22(水) 11:38
41さん、松代さん>
 うーん。どうにもよく解らないですね。ゲーム系のオタクが2Dから比較的抵抗無く3Dに移行したので、アニオタ=セル画(のリミテッドアニメ)以外は見もしない人、という事実が私に認識できないのかな? 宣伝量から考えても「気づかなかった」と言うことはないと思うので、クレイアニメや人形アニメのように単に「見逃しただけ」とは考えづらいですしね。

 オタクとナショナリズムに関しては浅羽も言及していたことですが、こっちもどうにもよく解りません。下手くそな日本のシナリオライターより、上手いアメリカのシナリオライターの書いた作品のほうが価値があると思うんですが。

 話は変わってハワード・ヒューズの映画ですが、スコセッシらしいチョイシングだとは思います。ヒューズ自身は典型的な強迫性障碍で、レストランで女優と食事中に少し汚れただけで、トイレの洗面所で全身に水を被って戻ってきた、というエピソードの持ち主です。ただし、作品が『ギャング・オブ・ニューヨーク』を超えられるかどうかは甚だ疑問ですね。まあ、スコセッシ本人はどんな駄作を撮ろうが『タクシー・ドライバー』一本さえあればオッケーでしょうけど。

4441:2004/12/23(木) 03:38
>ゲーム系のオタクが2Dから比較的抵抗無く3Dに移行したので、アニオタ=セル画(のリミテッドアニメ)以外は見もしない人、という事実が私に認識できないのかな?

 セルアニメが大好きな人は、手描きの絵を緻密に動かす技術を重視している場合が多いのではないでしょうか。少なくとも自分の周囲のアニオタに関してはそうです。
 逆にコンピュータゲーム系の人たちには臨場感や迫力のあるゲームが快適にプレイできることが大事なので、モニタに写る映像が2Dか3Dかについてはどうでもいいんじゃないでしょうか。どっちにしろCGなわけですし。

 と言うかなぜ鳥山さんがアニオタとゲームオタを一緒くたにしているのかがよく分かりません。たとえば、鳥山さんはコミケに参加しているのでオタク事情にも詳しいはずである、と勘違いしてしまうようなものでしょうか。相撲ファンとボクシングファンを「同じ格闘技ファン」と言うくくりで一緒にしてしまっているような乱暴さを感じます。

45СТАЛКЕР:2004/12/23(木) 10:48
>下手くそな日本のシナリオライターより、上手いアメリカのシナリオライターの書いた作品のほうが価値があると思うんですが。
ある一点にこだわらなければその通りです。
その一点とは、日本は世界に冠たるオタク大国である、という点です。
多くの日本のオタクはこれを重要なよりどころとして承認欲求を満たそうとしています。
となれば後進国のモノのできがよいどと認められないのも当然。
なにしろオタク人種はこだわり命ですから。

>相撲ファンとボクシングファンを「同じ格闘技ファン」と言うくくりで一緒にしてしまっているような乱暴さを感じます。
門外漢ってそういうものでは?
相撲とボクシングは見た目が違いすぎるけど、同じようなリングで時間切って戦うボクシングとK-1の違いなんて、門外漢にはわからないでしょう。
鳥山さんはゲーオタで、かつコミケに出入りしているとはいえ、いずれもきわめて極北に位置しています。
つまるところ門前をうろうろしてのぞいてるだけですから、その感覚は門外漢のままなのでしょう。

46松代:2004/12/23(木) 13:20
>>43
>ゲーム系のオタクが2Dから比較的抵抗無く3Dに移行したので、アニオタ=セル画(のリミテッドアニメ)以外は見もしない人、という事実が私に認識できないのかな?

>>44さんと>>45さんからも厳しい指摘を受けていますが、特定表現技法に対するヲタクのこだわりをきちんと把握していないと、ヲタクをいくら論じても空回りするばかりだと思います。

>>44
>セルアニメが大好きな人は、手描きの絵を緻密に動かす技術を重視している場合が多いのではないでしょうか。少なくとも自分の周囲のアニオタに関してはそうです。

チョット横レスになりますが、ヲタクの「手書きリミテッドアニメ」に対するこだわりって、びっくりするぐらい強固なものがありますね。古くはアキラがフルアニメだったことをボロクソにけなしたり、最近でもCG着色はセルアニメにあらずとして(いや、その通りなのですけど)、アナログ的色表現こそが日本アニメの神髄と言っていたアニメ原理主義者とでもいうべき人々があらわれていましたっけ。
自分は、映像作家や監督が「自ら表現したいものに最も適した表現技法」を自由に選択すべきだと考えているため、表現技法にこだわるあまり表現の幅を狭めるような論調にはどうしても納得できないものがあります。

例えば「○○というテーマはアニメで表現するのが最適であり、それも人間が着色するリミテッドセルアニメが望ましい」と映像作家なり監督なりが判断することと、また「○○というテーマはアニメで表現できないからつまらない、あるいは手がけるべきでない」と考える事は全く別ですし、後者の考え方は明確に間違っていると思うのです。

でも、ヲタクさんには後者の考え方を「自明としている」人がたくさんいて、そこが自分(この場合の指示代名詞は松代示す)にとって理解できないことであると同時に、ヲタクの限界点なのだろうと思うのです。

>>45
>多くの日本のオタクはこれを重要なよりどころとして承認欲求を満たそうとしています。

>>44さんへのレスにも書きましたが、特定表現技法に対するこだわりって、ヲタクが自分で自分の首を絞めているようなものだと思うのですけどね(この場合の指示代名詞はヲタクを示す)。
以前、この掲示板でも批判されていましたが、セルアニメのアニメーターを保護するために、アニメーターへなんらかの公的補助を行うべきだと主張していた人がいました。つまり、日本アニメはCGどころかCG着色さえ導入せずに、旧態依然たる「手描きの絵を緻密に動かす技術」だけを追求すべきだとでも言わんばかりの暴論であり、そもそも特定業種に対する公的補助をねだるという主張自体、お上べったりのゼネコンや天下り役人と同様の発想であり、とうてい理解できないような代物でしたが、ヲタクにはそこそこウケが良かったようですね。

ヲタクは世界共通という割に、海外の作品には目もくれないという態度には、日本のヲタクこそが「優良種」であり、海外のヲタクは「二級ヲタク」であるとの、民族主義的優越感が存在しているように思えてなりません。

はっきりいって、うんこ以下です。

いずれ、海外から優れたCG作品が流入してくるでしょう。
その時、1980年代の特撮ヲタクが日本特撮至上主義者とSFXファンとに分裂したように、日本のアニメヲタクもまたリミテッドセルアニメ派とCG派に分裂して、互いに糞を投げつけあうのでしょう。
やれやれデスよ。

47鳥山仁:2004/12/27(月) 10:40
41さん、松代さん>
 私の話を相撲とボクシングにたとえるなら、「ボクシングばかり観戦していたから、相撲が解らないのかな?」と言いたかっただけです。私にとってホームグラウンド、あるいはバックグラウンドはあくまでもゲームであって、アニメではありません。これは、45さんが指摘していたとおりで、両者を混同しているわけではありません。

 それに、以前から言っているとおり、私はオタク論はおろか作品評論そのものに興味がありません。その理由も以前語ったとおりで、「評論をするためには、どんなクズ作品でも最後まで読み通さなければならない」からです。それが現実を反映したデータであるならば気力も維持できますが、フィクションでどうにもならない代物を読み通す我慢強さが私に備わっているとはとても思えません。

48松代:2004/12/28(火) 23:58
>>47
>鳥山さん
>それに、以前から言っているとおり、私はオタク論はおろか作品評論そのものに興味がありません。その理由も以前語ったとおりで、「評論をするためには、どんなクズ作品でも最後まで読み通さなければならない」からです。それが現実を反映したデータであるならば気力も維持できますが、フィクションでどうにもならない代物を読み通す我慢強さが私に備わっているとはとても思えません。

別にヲタクを論じているつもりはないでしょうが、しかしそれでも鳥山さんの論考からヲタクという要素を外すことはできないように思えます。
以下に典型的なヲタク国粋主義者の日記と文章をアップするので、時間を作ってでも一読されるようお勧めします。

>生態観察日記ならびに掲示板
http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/thread.cgi?user_id=RXY00355

>特別寄稿「エロ本も立読み出来ない世の中にしないために」
http://homepage1.nifty.com/ikon/%90V%82g%82s%82l%82k/iken.html

49松代:2005/01/02(日) 18:17
プラネ「テ」スはよいアニメですね。

まぁ、今さらといわれれば全くその通りなのですが、大晦日のスペシャルで感動を新たにしたこともあり、勢いで書き込んでおります。ちゅうか、プラネテスは基本的に地味なBSアニメだったので(地上波はNHK教育で放送)、どうにもこうにもオタクにスルーされがちな作品ですが(引っかかってるヲタクの熱さは大変なものだけど)、やっぱりよい作品はよいと思うところです。
BSアニメといえば、CC桜が大ブレイク中ですが(いや、こういう嫌ブレイクは勘弁なんだけど)、その半分でもいいから注目されて欲しい作品ですね。

ぼやきはさておき、改めて観ながら感じたのは、映像的慣用句の使い方が本当にうまいってことですな。
もちろん、映像的慣用句の使い方がうまい背景には(上手くならざるをえない理由といったほうがよいか?)、この作品が「ハードSF」で「セルリミテッドアニメ」であるという、テーマと表現技法に起因する部分が非常に大きいのですが、なにしろ「新撰組!」最終回が映像的慣用句をあまりにもあざとく使っていたことにへき易した直後だったため(特にガキと手鞠のシークエンスなんか最悪…あれが感動の最終回だったなんて漏れには信じられないよ)、余計にそのことが強く印象づけられたのかもしれません。

言うまでもない事ですが、ハードSFというテーマにおいては「説明しなければならない事柄が極めて多い」にもかかわらず、セルリミテッドアニメという技法は「映像そのものの説明する力が実写よりも弱い」という弱点を抱えています(この辺は実写ドキュメンタリーやライトスタッフ、アポロ13と比較すればわかりやすいかも)。その ため、どうしても映像的慣用句を使って情況や設定などを説明しなければならない局面も多々あるのですが、プラネテスは映像的慣用句を使いつつもあざとさやくどさを感じさせないあたり、よくできた作品だなと感心させられます。

DVDも完結編がリリースされたようですし、未見の方はこの機会にどうぞってところでしょうかね。

プラネテス公式サイト
http://www.planet-es.net/

50熱心な投稿者:2005/01/03(月) 07:36
オタクがセルアニメ重視という姿勢にこだわっている、という意見は一部合っているとは思いますが
やはりそれは技術論にこだわるオタクの一面に過ぎないわけで、全体的な傾向であるとは思えません。
海外作品や非セル系アニメと日本のオタク好みアニメを分ける決定的な違いがあるとしたら、
自分の身近な世界がアニメの世界観に重なっているか、という点にあると思います。
(ロボットものは違うじゃん、とかいいそうですが、ロボットはオタクの世界では身近なものです)
最近オタクに受けたアニメとして「ローゼンメイデン」という作品がありました。
主人公は引きこもりの中学生で、そこに生きた美少女ドールがやってきて、ドタバタやらバトルを
繰り広げる、そういった作品です。お約束の萌えやコメディやシリアスまでありの作品ですが、
おそらくオタク的には主人公が引き篭もり、と言う点に共感を覚えたオタクは多いのではないでしょうか。
つまり海外作品にオタクが注目しにくいのは、世界観に共感しにくい、という点にあると思うのです。
そうそう、さっきTVで「ギャラクシークエスト」という映画をやっていましたが、あれは実写ですが
多分にオタク受けする要素満載だと思いますよ。

51СТАЛКЕР:2005/01/04(火) 10:52
>>50
単に意味不明なんですけど
だいたい,セルアニメとしてよくできてても『プラネテス』が
オタクに評価されていないことは松代氏も文句言ってます

これって,オタクの身近な世界観に重なるかどうかでしょ

それに,引きこもりをテーマにしてるドラマや小説,映画はいくつかあるけど
オタクは萌えてない
世界観にも共感してない

『ローゼンメイデン』は美少女ドールの萌えアニメで,引きこもり要素はただの味付け

もう少し説得力のある話すれば

52& </b><font color=#000080>(ylCmmjlo)</font><b>:2005/01/05(水) 00:44
なんでも意味不明で片付けるのはいかがなものでしょうね?
プラネテスが評価されてないのは、単にBSで放送されていたからに過ぎないと思いますよ。
地上波放送後の評価は高いし、衛星放送を見ないオタクの数は結構多いです。
それに「萌え」と「共感」は別物ですよ。萌えるから共感するだなんて一言も言ってません。

もう少し説得力のある話すればw

53松代:2005/01/17(月) 17:51
キタノ零年

あ い し あってればせっくすは あたりまえ

これはキタノじゃなくて侍でしたね

残念! 斬り!

公開自粛

54松代:2005/01/19(水) 23:48
東京駅ステーションギャラリーで23日まで開催中の「国芳、曉斎展」に逝ってきました。
場所が場所なので、余り突っ込んだ内容にはなっていないだろうと思っていましたが、好きな作家だし図録も欲しいし、みたい作品もアルしってんで、平日の夕方にのこのこ出かけてったんですよ。
でまぁ、結論からいえばステーションギャラリー的ぬるさというか、広く浅くなのははまぁ仕方ないとシテも、それでもなお散漫に過ぎるところがなくはなかったかなというところでしたね。それでもBunkamuraよりははるかにましだったし、図録も悪くなかったんだから、もにょるほどのものでもないのでしょうが…

あえてジョブス風にいえば、あの「そうそう、あともうひとつ」的な隠し球を用意していても、まぁバチは当たらなかったような、そういうのを求めるのはマニアの悪いクセのような…

ていうか「国芳、曉斎展」といいつつ、実は曉斎なんですよ。確かに展示作品の割合は半々か、ややもすれば国芳の方が多いのですが(國芳の代表作も3点含まれているし)、全体の雰囲気が曉斎なんですな。これは図録の解説にもあらわれていて、基本的に曉斎がメインです。でもまぁ、サブタイに「なんでもこいッ展だィ!」とつけるぐらいなら、やっぱり国芳メインにして欲しかったし、曉斎で引っ張るならおばけが少ないのはどういうことだとなるのですが(曉斎の目玉作品はおばけでしたけどね)、まぁその辺はいい始めるときりがないから(展示作品の借り受け情況などからも、そうは言ってられないのが見て取れるし)、もにょりつつもありがたく拝見させていただきました。

馬をもらったら、歯を確かめてはいけないという諺もあるし(いいものをいただいたらあら探しをしてはならないとの意)、気軽に鑑賞できただけでも多とすべきでしょうが、にしてもな〜

曉斎のモツ「見せかけの磊落さ」を、国芳とならべることによって、悪い意味で際立たせてしまったのではないか、あえて言うなら「狂画以外の新たな曉斎像」を提示することに力点を置くあまり、曉斎のモツ磊落さを演出する緻密さまでスポイルしたのではないかと、そんなことが気になる展示でした。

もな〜もな〜

55松代:2005/01/22(土) 23:33
となりのどろろ

原稿の48箇所を出版社の自主規制によって奪われたマンガの神様が、原稿回収の旅を続ける怪奇マンガです。
大手出版社に仕える醍醐景光は、プロシミソからのクレームを恐れたために、新人漫画家が書き上げた原稿から、48箇所を削除してしまいました。
そうして生まれた原稿は、物語の48ヵ所の部分が足りず、川に流され捨てられてしまいました。
時は流れ、出版不況の世を旅するマンガの神様。
実は彼こそが、自主規制に原稿を奪われた漫画家の、成長した姿だったのです。
マンガの神様は、原稿を奪ったプロシミソを1匹倒すごとに、失った原稿の部分を1ヵ所取り戻すことができるのです。
マンガの神様は、となりのどろろという名の奇妙なもふもふしたけものと知り合い、一緒に旅をするようになります。
しかし、となりのどろろとマンガの神様の行くところ、進歩的文化人やプロシミソが、次々と襲いかかって来るのでした。
(未完)

                     ヽ_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_ノ
       ハ,_,ハ    m       )                       (
  ?   ,:' ´∀';   ノ    r 、  ) うおぉー 俺にもモフモフさせろー!!   (
    l^ヽ'"'"~/^i'ツ'∧_∧ /    )                        (
  ヾ        'ミ,    )   __Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y
  ミ  ´ ∀ `  と,   ヽ ==--- ̄ ̄
  ッ       _   "ミ__>  ====----
 (´彡,.     (,,_,ノ  _ヽ_)_)
     "'"'゙''""''''゙""´
            ばふっ

      ハ,_,ハ    m
      ,:' ´∀';   ノ
    l^ヽ'"'"~/^i'ツ'∧_∧
  ヾ        'ミ,    )  ふんかふんか…いいにおい
  ミ  ´ ∀ `  と,   ヽ
  ッ       _   "ミ__>
 (´彡,.     (,,_,ノ  _ヽ_)_)
     "'"'゙''""''''゙""´

56松代:2005/01/28(金) 12:14:38
プラネ「テ」スはよいアニメですたね。

地上波でも最終回が放送され、関連グッズもボツボツ出始めましたが、やっぱり盛り上がらなかったな。
いくらなんでも桜と比べるのは酷だけど、民放の深夜アニメや「十二国」と比べても、まぁ玄人好みというかなんと言うか…
作画や演出、脚本の完成度が高くても、評価されない作品はあるという、よい見本を残した作品でしょうな。

でも、十二国は「おおねずみ」が面白いからいいや。

57松代:2005/02/08(火) 13:11:12
土曜ワイド劇場 メイドは見た!

夫のフィギュア萌え(仮)プレイがもとで離婚した苦い経験をもつメイド・大谷は、行く先々の家でさまざまな秘密や不幸を探り出すことに無上の喜びを見出している腐女子だった。そんな陰湿な楽しみにふけるレイヤー腐女子が、派出先の家々で巻き起こす凄まじい事件を描くシリーズ。松本清張作品としては異色の深夜萌えアニメ形式だが、その中でも主人公が社会に対して抱いている怨念がみごとに描かれているのが見所。

#2「エリート家庭の萌えの秘密 "みだれて…"」
他人の家庭の秘密をさぐることを生きがいにするメイド・大谷は、夫が財閥の御曹司、妻がタレントというエリート家庭に興味を抱いて働きに行った。家庭は夫のにきさんすけ、妻のかおる(小林薫)のほか2体のフィギュア、さんすけの母・千代の5人だった。リモコン装置の門扉に圧倒され、食玩などのこわれ物をいちいち鍵をかけた戸棚にしまい込む用心深さに首をひねった大谷はやがて、このエリート家庭にひそむ萌えの秘密を次々探り出して行く…。


#3「エリート家庭の萌え探し・結婚 スキャンダルの秘密」
派出先の家庭の秘密をさぐり出すことを無上の喜びとするメイド・大谷は、代議士・聖子宅を次の仕事先に選んだ。夫と生後6ヶ月の赤ん坊・雷太の3人家族だった。大谷は聖子の家へ行ったその日からさっそく仙波家の秘密の一端をかぎつけた。それは赤ん坊・雷太が実在する自然人かどうかにかかわるものだった。


#4「華やかなエリート家族の萌えた秘密」
今回は、メイド・大谷が、誕生パーティーの手伝いに行ったのが縁で大学者で大資産家の大学学長・ハーバート西に一目惚れされ、名指しで同家のメイドとなる。ところがその直後から当の西がセクハラをはじめ、大谷は莫大な遺産と学校の経営権をめぐる骨肉に奪いに巻き込まれるが、やがて持ち前の好奇心と推理力を駆使して当主西にまつわる意外な秘密をさぐり出す・・・。


#5「美しい名門女病院長・華やかな萌えの秘密」
よその家の秘密を探り出すのが何よりも好きというメイド・大谷の今度の仕事場は婦人科医院の院長・あか 木支 の邸宅だった。大谷はこの病院の問題がギャルの客取りであることをたちまちかぎつけた。自薦他薦あまたあるなかで一番熱心なのは副知事で、審議会のメンバーにして条例を新設しようと懸命だった。権謀術渦巻く中で得意のアンテナを駆使した大谷はやがてあか 木支 の意外な秘密を探り出していく・・・。


#6「東京・秋葉原再開発、ピンク看板の危険な秘密」
メイド・大谷は次の仕事先に都知事邸を選んだ。一代で巨億の富を築いた不動産会社オーナー。そして無類の色好みとして有名な人物だった。お目見得もすまないうちに挑みかかられて仰天した大谷は、やがて持ち前の好奇心で家族の問題点をさぐり出した。長男で父親とは正反対に押しの弱い代議士のぶと副知事のひそかな関係、そして三男で銀行員のそれにもまして押しの弱い人格である。のぶを上手く使って秋葉原再開発構想を打ち出した都知事は、都条例問題でおたくと対決することになった。大谷も秋葉原の接待要員としてコスプレを命ぜられ、心うきうきと旅立ったが・・・。

58СТАЛКЕР:2005/02/08(火) 15:46:59
>松本清張作品としては異色の深夜萌えアニメ形式だが、
松本清張?
まじ?

59松代:2005/03/06(日) 12:37:50
ミネラルのスーナンを探して(1985)
28歳の平凡な主婦ミネラルは、ある日、中野の漫画喫茶で親友ウェストと2chをみていて、奇妙なスレを見つけた。<スーナンを探している>というもので、夫のヨハンとの退屈な生活に浸っている彼には、何か刺激的なものだった。一方、スーナンは、後頭部を刈りあげた21歳のエロ漫画家。根っからの善人で、それなりに人気もある。その日も、イベントで知り合った女性ファンのベッドで目が醒めた。そして、いたずらのつもりで、彼女の服を借り、女装してみたことから、彼の人生は大きく変化する。ミネラルは、スーナンのスレをヲチしていた。そんなある日、<波止場で会いたし、スーナン>という発言を見つけ、ハリキッて出かけて行った。波止場では、スーナンらしき目立つ女が女と会話を交わしており、スーナンの後をつけて行ったミネラルは、彼の同人誌を買いこみ、何とかスーナンと話しを交わしたいと思った。そして<波止場で会いたし>とスレにポストして、波止場に行く。スーナンの女性ファンもやって来る。しかし、スーナンに夢中のミネラルを不愉快に思っていたウェストから狙われ、その結果、頭を打って記憶喪失になり、自分が誰だかわからなくなる。ミネラルはスーナンのアパートヘ連れて行かれた。お互い惹かれ合うが、スーナンには女性ファンがいる。自分が誰だかわからぬままに新しい人生を歩み始めたミネラルは、幸せだった。一方スーナンは、なんとなくミネラルとベッドまで共にする仲になっていたが、女性ファンのことも愛していた。結局は夫のヨハンと共に家に戻ったミネラルであったが、どうしてもスーナンが忘れられず、ブログに彼へのゆがんだ愛情を書き綴るのだった。

60鳥山仁:2005/03/06(日) 16:06:52
松代さん>
 涙でモニターが歪むような作品を描くのは禁止。というか、スーナンはさておいて、ミネラルが鉱物好きって設定を加えておかないと、誰なのかさっぱりわなんないでしょ。あ、フィクションなのか。そういえば、私の大好きな精神病の本に出てくる統合失調症の患者は、宇宙は鉱物で出来ているという強い思い込みがあって、
「鉱物は宇宙の好物です」
と病院のノートに書いていたそうですよ。
そして、その後の文字の羅列も素晴らしく
サファイア→ファイアー→火炎地獄
です。
 クリエーションの業界で、病人に勝るモノ無しですな。愛すら感じます。

61СТАЛКЕР:2005/03/06(日) 18:59:46
>クリエーションの業界で、病人に勝るモノ無しですな。

ロシア関係ですと、

帝政ロシア時代に生まれた同世代の作曲家で
統合失調症?のスクリャービン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3

うつ病のラフマニノフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95

が有名ですね。

62松代:2005/03/11(金) 01:29:19
あえて「どういうわけだかわかりませんが」といっておきますが(まぁ、だいたいの想像はつきますけど)、実写系ペドがやたら熱心に探している作品がアニメとしてリメイクされました。
これで、実写版の上映機会はますます減るでしょうね(´-`)y-~~

http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY200503100400.html
>「ガラスのうさぎ」アニメが完成 全国で上映へ
>東京大空襲などで家族を亡くした少女の戦災体験をつづった児童文学のロングセラー「ガラスのうさぎ」(金の星社)が、終戦60周年に合わせてアニメーション映画になり、10日、都内のホテルで製作発表があった。

63СТАЛКЕР:2005/03/15(火) 18:57:08
プロシミソ系思想家 w.w著『大量パクリ時代の児童萌え作品』抜粋
……現在の社会の支配階級であるオタクが「下らなくても好きな物は好き!!」というイデオロギーを社会に広める以前、児童に対する萌えは「心の中に思いを秘める」という奥ゆかしさと区別できないものだった。
その時代、画家や漫画家は健全な画像を描く傍ら、児童への萌えを込めた画像をしばしば描き、それは普段は机の奥の奥にしまっておかれた。これは萌えへの特別な欲求を満たす儀式の時にだけ取り出され、画像制作者や萌えを共有する少数の人々にとって秘匿されているがゆえの魅惑を持っていた。
そしてオタク階級の勃興によって奥ゆかしさが脇に押しやられると、萌え画像は公共の場に引き出されるようになったが、同時に画像は「原画価値」の礼拝というそれまでにない意味を担うこととなった。というのも、萌え画像の一般化に伴い、画像の粗悪な複製や、萌え画像と同様の線の組み合わせを動かし声を付けるものが新たに作り出されたのだが、それらは元の画像の萌えオリジナリティーのもとに無限後退していく性質を常に帯びていたのである。
この萌えオリジナリティーへの無限後退は「著作権」という概念の元に正当化された。この「著作権」とは、原画制作者が児童から受け取る萌えの印象を、ある線の組み合わせの中に「正しく」統合する在り方の唯一無二性から発生するとされた。
そして萌えオリジナリティーへの無限後退は、実は原画のさらに後ろへ向かっていくのである。これは実物の原画に近づけば近づくほどそれとの距離を感じるという萌えアウラの感覚である。
例えば「原画価値」礼拝時代の巨匠Tの、色紙の上にサインペンで素早く描かれた、二つの円らな瞳の上にもう一つの目のある少年の顔の絵を見てみよう。
この少年はTのトレードマークとなり、莫大な著作権料を生み出したキャラクターの一つであるが、原画において確認できる劣化していない特異な性質は、ただデザイン的な奇異さの印象だけに我々を留めておかない。
その額が誇張された頭の輪郭線の丸みと第三の目を表す円形の筆致との対応関係の「正しい」在り方は、我々に萌えをもたらす「丸み」の対応関係を生み出した、その源泉としての原作者の頭の中の「イデア」にまで、存在論的な原像の後退地点を我々にありありと示すのである。

64СТАЛКЕР:2005/03/15(火) 19:00:45
プロシミソ系思想家 w.w著『大量パクリ時代の児童萌え作品』抜粋 2
ところでこの「原画価値」とそのアウラは、オタク階級のさらなる進出によって皮肉にも消えていく運命にあった。
「下らなくても好きな物は好き!!」という価値観が全面化し、ほかのどんな対立的なイデオロギーをも社会から駆逐するに至ったオタク階級は、児童萌えをより効率的に生産するために萌えオリジナリティーを否定し、パクリを全面的に奨励することになるのである。
こうしてトレースなどの手段により大量生産品となった萌え画像は、かつてのイデアへの後退を指し示すものとしての絵の性質を失うとともに、かつての萌え絵系漫画では遵守されていたストーリーの「起承転結」や「大団円」までをも失うこととなった。
この大量生産品としての画像は、児童への愛情から制作されたという当初の意味から逸脱し、萌えを大量生産するのと同様の手法によって、児童に何らかの虐待を加える画像を生産しながら、この加虐的な心情そのものを大量生産し多くの人々の心の中に植え付けるに至ったのである。
しかしこうしてあらゆる社会階級の人々の心情をコントロールすることに成功したかにみえるオタク階級であるが、その過剰なイメージ生産力が生み出す未来を思い描くことを今では完全に放棄してしまった。かつて「原画価値」礼拝時代にあった、萌え絵漫画の「大団円」は実在の児童の幸福な将来へのヴィジョンと重ね合わされていたのだが、そのような「大団円」のヴィジョンを思い描けない現在のオタク階級はそのかわりにオタク的「日常性」への称揚を始め、ガチャポンやポスターや下敷きや抱き枕などによって、あらゆる手段で萌えの痕跡を自らの住む空間に残そうとしているが、これは明確な未来のビジョンを描けなくなった彼らがかつての「原画価値」時代の大団円へのノスタルジーにすがっているからに過ぎない。
ところでオタク階級の代わりに大団円への新たなヴィジョンを示す資格を持つのはプロシミソ階級である。画像を制作しないにも関わらず、プロシミソ階級は児童への純粋な愛情を込めた、原初的な意味での萌えにもっとも近い人々であり、そのために現在のオタク階級のイメージ生産システムを転覆する可能性を持っている唯一の階級である。
そこで逆説的ではあるが、人々の心情を支配するシステムを握るオタク階級に対抗するには、プロシミソ階級も奥ゆかしさへのこだわりを捨ててパクリによる生産過程のなかに入っていかなくてはならないと私は提案する。一発逆転のためにプロシミソ階級がパクリの対象とすべきなのは「法律」である。かつてオタク階級が「著作権」の萌えのイデアをパクリ技術によって、断片化し、オリジナルによらない数値化できる萌えイデアの複製を大量生産したように、個人間の利害関係から生まれた法律の禁止条項ををパクリ技術によって断片化して読みかえ、大量に複製することで、画像に代わる生産物として、直接個人個人の頭の中に関わるような新たな法律の在り方を作り出すのである。このように児童への愛に基づかない画像を全面的に禁止することですべての萌え作品においても、そして実際の児童の将来に置いても望ましい大団円の未来を再び描けるようにするのがわれわれプロシミソ階級の使命である。

65鳥山仁:2005/03/16(水) 08:50:57
63〜64さん>
 『模倣批判』を『模倣』で行うというアイデアだけでも抜群ですが、きちんとベンヤミンのパロディになっている上に、細部を手直しすればオタク批評や社会活動批評としてそのまま使えるという段階で脱帽です。貴方の才能を認めます。特に『萌えアウラ』を思いついた段階で「勝ち」でしょう。

6663:2005/03/17(木) 01:05:37
鳥山氏>
あまり褒められると、象徴的去勢を経ていない幼児的全能感が(以下略)
とはいえ、丁寧に目を通していただいてありがとうございます。
ご指摘のように「原画価値」や「萌えアウラ」がパロディーの要になっている気がしますが、どちらかというと「萌えの痕
跡」とか「法律をパクリで複製する」あたりのアイディアが頭の中で結びついたのが書き込んだ理由です。
「萌えアウラ」の部分の考えは、パロディーで使った文脈はネガティブなので心苦しいですが、ある意味マジでして…。
(いや、分かるか。)脳内元ネタは『複製技術時代の芸術作品』と同様に、芸術意欲が云々といっているドイツの美術史家
の著作『抽象と感情移入』です。(申し訳ないですが、浸りきっているのでここからも長いです。)
ギリシャ人のように外部の現象世界と調和的な関係が結べなかった諸民族の芸術では、著しい様式化・抽象的傾向がみ
られるが(具体的にはエジプトをはじめとするオリエントや、中世ヨーロッパの芸術)これは現象世界の不安定さから逃
れて、結晶的形体のなかに自己投影して安らぎを得るという欲求からそうなったのである、 というのが主旨なんですが、
これを読んだ後、ベタにもこれが「正解」な萌え絵の定義・様態に当てはまるだろうと思ったわけです。
同様の発想は既出なのかもしれませんが、個人的なこじつけは、鳥山氏がオタクはトランスセクシュアルであるという
論旨から勝手に示唆を受けて(パクって)発想しました。エジプトや中世ヨーロッパの絵画では、世界像の不安定さを存在
論的にカバーするために様式化が行われたのだとすれば、性的な自己像の不安定さを存在論的にカバーする絵画の様式化
があってもいいだろうということです。(断っておきますと、「近代以降の社会において人々の生活は異なる点より共通点
の方がが多い」ので、民族的に作り出す芸術に差があるというところに力点を置いているわけではないです。)
オタク的なものがキャラクター文化の全てではない訳ですが、 以上のような考えを抱くとT塚氏直筆の『三つ目が○る』
が、中世の聖顔布像とダブってしょうがなくなってしまいまして、そのまま言うのもはばかられるが、変化球で出すにはい
い話の流れが このところ来たかと思って……。

6763:2005/03/17(木) 01:46:01
ん?文章が崩れた上に話が中途半端ですね。
それで「存在論的に不安定さをカバーする絵画様式」とはなんぞやという部分が弱いので、同じく芸術意欲云々と言っているベンヤミンの議論も萌え絵に関係させてみたら、あら不思議、おすなでできたやまのなかのとんねるがつながりました、
といった感じだったのです。

68松代:2005/03/17(木) 12:12:42
>63さん
いやぁ、そこまでご謙遜なさらずともよいのでは?
はっきりいって、伊藤どころか東よりもよほどわかりやすくて、正鵠を射た分析だと思いますよ。
いや、多木浩二よりもよほどベニヤミンを「精読」しておられるのでは?

ベニヤミンの著述は確かに晦渋で読解困難ですけど、多木浩二をはじめとして、解説者と称する人物が「自説を補強する出汁に使う」ことがあまりにも鼻につきますね。
ただ、伊藤や東、多木のいずれも、自らのセクシャルアイデンティティを否定的に捉え、かつ「保守的なジェンダー価値観を自明としている」のは明らかなので(特に伊藤は二枚舌がひどい)、その辺に「ベニヤミンを『精読できない』鍵」があるのかもしれません。

すばらしい論考なので、ぜひ続けてほしいところです。

69鳥山仁:2005/03/17(木) 12:14:37
63さん>
 やられた。ヴォリンガーの抽象芸術→反自然を、オタク風デフォルメ→反自然に置き換えたんですね。言われるまで気付きませんでしたが、確かにその通りでしょう。「ヒトは何故デフォルメをするのか?」のかと問われれば、「現実がキライだから」と答えるわけです。

 まじめに考えるのであれば、ファンシー寄りのデフォルマシオン(比率修正)はアブジェクシオン(おぞましいものの排除)を目的として行われます。そして、アブジェクシオンがファンシーを媒介項としたオタクの「共通」価値観を成立させます。何なら、これを「去勢」と呼んでもそれほど大きな意味的差異はないはずです。そして、これが『萌え』の重要な要素の一つであることに疑いはありません。だから、アブジェクシオンが達成されていれば、それが模倣か否かは問われない、というのがオタクの基本的な流儀ですが、仰るようにそれが『萌えアウラ』を消失させていったんです。

 じゃあ、何でこんなことが起こってしまうのか……ということをウチのスタッフと与太で話していたりするんですけど、どうにも強烈な不能感(もしくは不達成感)が原因じゃないのか、というのが最近の我々の見解だったりします(あくまで見解で、詳細に考察していなくて申し訳なし)。

 つまり、幼少期に「アレも駄目」「コレも駄目」と禁止(タブー)を繰り返されている間に、どうも自分のやりたいことまで禁止されたのが原因で、酷く強い不能感を抱くタイプの人間がいるらしいんですよ。そして、不能感が恒常的になったら、去勢はそれほど恐怖の対象にはならないわけです。むしろ「みんな去勢しろ」になるんじゃないか、というのがウチのスタッフの説で、「あー、そうかもなあ」と思うだけの説得力はあったわけです。

 ただ、私自身が「禁止による不能感」という経験をほとんどしていないので、これが非常に重大な動機になっている、というのは理屈としては分かっても実感が得られないんですね。禁止はただの禁止でしかなく、禁止した人間(まあ、だいたい親とか教師でしょう)に強い感情を持つ気持ちには?となります。

70松代:2005/03/17(木) 12:30:51
>>69
>鳥山さん

蛇足を承知で付け加えると、多木はともかく伊藤や東、カマヤンのいずれも、ものすごい不能感を抱えているのは傍目にも明らかですね。
また、多木についても、本人の著作を見る限り、不能感を抱えているように思えます。
自らのセクシャルアイデンティティを否定的に捉え、かつ「保守的なジェンダー価値観を自明としている」のは、本人が抱えている不能感、あるいは劣等感の表れなのでしょうか?

7163:2005/03/18(金) 14:29:08
松代氏>
お言葉に甘えてベ二ヤミンについて言いたいように言いますと、やはり「屑拾い」としてのベ二ヤミンの文章構成術という
のが重要だと思います。
ベ二ヤミンはとにかくあらゆる文化領域の事柄をクロスオーバーして語っていた、と単純にいうことはできます。しかし
一方で、彼は何か注目するものにぶち当たったとき、美術だったら美術固有の、文学だったら文学固有の志向性のなかに入
り込むということを(少なくとも文章に表す上では)拒否する(断念する)という傾向もありました。ですから彼がぶち当た
って発見するものは、本来は明確な志向性と、それを追求した天才達のイメージ負荷が掛かっている事象についての周辺
情報というべきものです(本の装丁に尋常でない興味を持ていたというのは分かれやすいですね)。そしてぶち当たる在り
方自体はランダムで、無計画で、半ば無意識的で、どうでもいいという心境でもなぜかそれにぶち当たってしまう訳です。
このように周辺情報を集める「癖」をして彼を「屑拾い」と呼ぶわけですが 、ここで彼が徹底しているのは、この「癖」を文章
作法上の 二重の戦略に転化させている点です。
戦略とは第一に、採取された情報はランダムに、天才に関わる志向性の高みとは無関係に発見され、書き留められた断想
の形を取るので、たとえゲーテやらシェークスピアやらを引用したとしても、そのことが直に自説をオーソライズするとい
う意味にはなりません。そして第二は、ここはどうみてもベニヤミンがある事柄に断定的な判断を下しているだろう、という
ような記述部分も、実は拾ってきた在り合わせの「屑」を並べ続けていたら偶然そうなったというような、(無意識的な)クロ
ス・レファランスの性格を減じないような文章と同等になるということです(『セントラルパーク』でボードレールの母親
に対する態度を正当化すること一つ取っても、こういう粋が凝らされている訳です。)。
以上の意見は雑読の結果で、ここの掲示板からも強く示唆されており、出典はなんぞやとか追求されると厳しいのですが、
ベニヤミンの論考を比較的一本道に解釈している多木氏の「精読」が、ベ二ヤミンの文章の「志向性」(こういう使い方あるの
かな?)について教えるもの少なだ、とはいっていい気がします。
ところで『複製技術時代の芸術作品』のベ二ヤミンは、こうした言語上の自前の発明が、「映像言語」にも当てはまるんだ
(何気なく撮ったカットが編集という「屑拾い」の過程で重要な意味を持ってくるから?)と強力に主張していて、そのせいで
本人の身の乗り出し加減がすごいんですが、アドルノに「進歩的なチャップリン鑑賞態度なんてない」と諭されるのももっと
もだと思います。

7263:2005/03/19(土) 00:06:28
うう…また文が。パソコン技能がアレなのは明らかですが、話を続けます。申し訳なし。
多木氏に続いて俎上に上っている東氏ですが。まあなんというか、自分もかつて東萌えな傾向がありました。
ただ彼の、どんな新しい作品の意味も象徴界の均衡と生理学的な直接性に還元する姿勢はついていき兼ねるものがありました。
オタク文化のようなものも、社会変動の深層に切り込んだ思想家の論考と合わせて見ればその芸術的深さがよく分かる、というあおりにノコノコ付いていくと、抵抗不可能なすり込み現象やら、パブロフの犬的反射やらの顕在化につれて、作品の「質」の問題が切りつめられていくのに出会うわけです。
松代氏が現代美術についてちょっと触れていましたが、結びつきの必然性のないものを結びつけてゼロサムゲームに仕立て上げようとする手法にはウンザリです。
また象徴界の均衡と生理的な直接性の均衡という話で、個人的に思い浮かんでくるのは某『無限のリ○ァイアス』というアニメです。
あの物語では、全然関係のなかった人々が不可抗力で運命を共にさせられ、宇宙環境の厳しさやら、宇宙船内システムの次第に増えていく不備やらで、各人が避けがたく似たような環境の負荷を受け、共同幻想が生まれたり、友情や恋愛のきっかけが生まれたりと二つの条件が上手く合わさっていくのですが、この溢れ出るマチズモ感はなんなんだろうと考えてしまいます。

7363:2005/03/19(土) 00:13:13
訂正:生理的な直接性の均衡→生理的な直接性との関連づけ
です。

74松代:2005/03/20(日) 12:23:07
>>71-73
>63さん

持ち上げるわけではありませんが、やっぱり多木よりもよほどベニヤミンを的確に捉えておいでのように思えます。
東については、激しく同意しつつ、マチズモ感というところが自分の爆笑つぼを「スイカを割っちゃうような勢いで連打」して、立ち直れなくなるところでした。

もし、ごく表面的にベニヤミンを読み取ったなら、本筋から派生した周辺情報ばかりをフェティッシュに追求し、本筋に対しては「適当にお茶を濁している」にもかかわらず、なぜか「物事の本質を突いている」かのように受け取ってしまうのではないでしょうか?
これは、63氏も指摘している「屑拾い」としてのベ二ヤミンの文章構成術が大きく作用しているのですが、この辺が「本質はディティールに宿る」式の解釈論を経て、脱構築論へつながったような気もしなくはないのですが、デリダは斜め読み途中で投げ捨てたため、あくまでもなんとなくそう思ったレベルの話です。

いずれにしても、ベニヤミン的文化領域のクロスオーバーと、周辺情報にこだわる(ように見える)態度と、そしてランダムかつ無計画で半ば無意識的なところは、本来なら「激しくオタクウケ」しそうな要素なのですけど、まぁベニヤミンと正面から取っ組むオタクはそんなにいませんな。
とはいえ、岡田は「オタク学」に上記の要素を上手く取り入れ(ちゅうかいただいて)、上手いこと一山当てたのですから、ベニヤミンとオタクとの相性は悪くないと思います。
また、雑学に長けた人間が衒学的で晦渋な物言いをすると、まるで『筆者が「屑拾い」としてのベニヤミン的文章構成術を駆使している』かのごとく、読者が勝手に誤読してくれる可能性もありますからね。
でまぁ、その辺を悪用しようとしたにもかかわらず、衒学的な物言いが身につかず単なるいやみになっちゃったのが唐沢で、わかりやすくして一山当てたけど生来の人のよさもあいまっていまいち権威化で来ていないのが荒俣氏という感じかな〜と、これまたぼんやり考えています。

7563:2005/03/21(月) 00:41:52
鳥山氏>
コミケなどについて、それこそ大塚氏とかの説が一般化した後あたりしか自分は知らないですし、積極的なコミットメントをしたわけではないので、禁止を他人に求める態度とかは、性格が違うかどうか以前に知見が少ないです。
ですので返事も蛇足になりそうですが、 69のレスでは共通価値観が発生したという事実にウェイトを掛けて「萌え」に言及していらっしゃると思います。つまり半分はアブジェクシオンを認めることで、もう半分はある価値観から派生した虚栄の生活に所属するという意味で「萌え」がキーワードになるという感じでしょうか?
ただ去勢を他者に押しつけるというは、萌えパクリ関連ではないですが、萌えのゴッドファーザーたる駿氏にも当てはまると思います。彼は戦争とは「国家がその最大限の機能を発揮している状態である」(うろ覚え。)とか語っていましたが、『千と〜』その他を見る限り、「最大限の機能を果たしている共同体のなかで、自分なりの役割を果たせれば、あらゆる不能感から解放される」という文脈で言ったと思うしかありません。こういうのがある種の「プロテスタンティズムの倫理」みたいな符丁を日本のアニメ好きにもたらしていると思うので、パクリが内輪で通用したらしたで、そういう追求自体が業界を格上げする、みたいな目的論があってもおかしくなさそうです。

76鳥山仁:2005/03/21(月) 03:02:57
63さん>
 その考え方であっていると思います。つまり、共通価値観というのは「特定者を皆で排除する行為を通じて同一化を図る」ことによって発生します。例えば、制服を着るという行為は、制服着用者以外の人間を「排除する」ことによって、制服着用者同士を「共通化させる」わけです。

 そして、この過程にタブーの侵犯が加わっていれば、共通化はより一層強固なモノになります。何故なら、タブーというのは理由はどうであれ「AとBを区分するためのルール」だからです。従って、タブーの侵犯は区分の破壊に他ならず、これが必然的に同一化(と新たな区分)をもたらします。

 共通価値観としての『萌え』もこの例外ではなく、「何が萌えなのか?」という問いかけにはなかなか答えられなくても(これは個々で異なる場合がある)、「何が萌えではないか?」には比較的簡単に答えられるわけです(これは排除したモノだから一緒)。評論家はこの点をしょっちゅう見落としがちですが、考察すべきは「萌えとは何なのか?」ではなく「萌えは何を排除したのか?」や「萌えはどのようなタブーを侵犯したのか?」でしょう。

 宮崎事件以降の『オタク』という共通価値観が排除したのは精神病でした。「宮崎はただの頭のおかしい人間ではないのか? そして、宮崎と行動パターンが似ている人間も同様ではないのか?」という疑問は、宮崎を心神喪失で無罪にしたくない警察にとっても、放送コードに引っかかるので「キチガイ」という単語が使えなかったマスコミにとっても、そして自分達が病気だと認めたくなかった(あるいは病識がなかった)オタク当人達にとってもタブーだったわけです。しかし、その理由はそれぞれ異なっていたので、なかなか「オタク」という単語の持つ真意は伝わらず、宮崎が逮捕後に速攻で精神鑑定を受けたという事実は無かったことか、非常に軽いモノとして流されてしまいました。

 『萌え』にも同様の経緯があるはずですが、この件に関しては私が真剣に追いかけていなかったので、「よく解らない」としか答えようがありません。しかし、仮に「分かった」としても、萌えてる人達にとってはあんまり嬉しい話じゃないでしょうね。

 評論といえども商売なわけで、「実は萌えてる人達はセレクテッド・ピープルだったのです」という結論を出さなければカネはとれません。それが嫌だから「評論はしないよ」と言ってるんですけどね……クライアントに分からず屋が多くて困ります。

77鳥山仁:2005/03/21(月) 03:15:32
 おっと……文章が抜けてました。これじゃすっ飛ばしすぎですな。
以下は追加です。

 『オタク』という単語は精神病という単語を排除しつつ、「精神病患者を攻撃する」というタブーの侵犯を可能にしました。すなわち、「あいつはキチガイだ」と言えないところを、「あいつはオタクだ」と言い換えることで、同義にすることに成功したんですね。後で同じような単語として「引きこもり」が使われるようになりましたが、そのお陰で『オタクのアウラ』は輝きを失ってしまったワケです。

78СТАЛКЕР:2005/03/23(水) 13:43:18
「自らのセクシャルアイデンティティを否定的に捉え、かつ『保守的なジェンダー価値観を自明としている』」オタクが自らのオタク趣味を肯定するためにはマチズモは不可欠な要素なのかなあ、などとよく知りもしないのに言ってみるテスト。
ベニヤミンの手法ってよく考えると学生自分にレポート書くためにあっちこっちから拾い集めた断片をつぎはぎしたのに似ているなあ。評価が低かったのはあまりにも浅学で付け焼刃だったためでしょう。

79鳥山仁:2005/03/24(木) 04:45:57
78さん>
 承認欲求の観点から考えてください。男性「だけ」に承認されるよりも、男性からも女性からも承認されたほうが、より大きな承認欲求を満たせる「期待値」が高いと考えるのが普通ではないでしょうか? そして、男性が自己のセクシャルアイデンティティを否定するということは、
1:男性像そのものに違和感がある
2:自分自身が理想とする男性像と乖離しすぎている
のいずれか、もしくは両方であるわけです。

 話は変わりますが、現代日本人はマッチョの十分条件として「知性がないこと」=反知性をあげない傾向があるような気がします。鎌倉時代の武士が「和歌や蹴鞠をすること」を軽蔑し、武道に邁進していた頃とは相当違っていて(もちろん、今でもそういう人達はいますが)面白いですね。

 また、知り合いの女性編集者がことあるごとに「男は馬鹿だ」と言っているのを聞くと、なんでマチズモの要件に反知性が含まれていったのかの、別の側面がおぼろげながら理解できて楽しいです。頭のいいオトコがいると困るオンナがいるんでしょう。だから、フェミニストの存在は本人の意図しないところで保守的なジェンダーをリコンストラクションする役割を果たしているんですが、本人達にその自覚がないのがナントモですな。要するに、女でもマッチョになれるってことです。

80СТАЛКЕР:2005/03/25(金) 17:59:23
太田房江とか田島陽子ってマッチョだよな。

81СТАЛКЕР:2005/03/26(土) 11:05:09
やはり一部の人にとって、政治と宗教に関われば関わるほど犯罪を起こす確率が高くなるというのは事実です。犯罪者本人や、一般人の中にも、「政治と宗教があるから、自分は本当の罪を犯さないでいられるのだ」と言い張る人がいますが、それは全くウソなのです。犯罪の予防という観点からも、やはり政治と宗教の規制は必要だ、というのが私たちの結論です。

82СТАЛКЕР:2005/03/26(土) 12:43:18
やはり一部の人にとって、○○○に関われば関わるほど×××確率が高くなるというのは事実です。×××本人や、一般人の中にも、「○○○があるから、自分は×××ないでいられるのだ」と言い張る人がいますが、それは全くウソなのです。×××の予防という観点からも、やはり○○○の規制は必要だ、というのが私たちの結論です。

83СТАЛКЕР:2005/03/27(日) 23:48:19
>話は変わりますが、現代日本人はマッチョの十分条件として「知性がないこと」=反知性をあげない傾向があるような気がします。

知的でない、はマッチョの必要条件とは思うけど、十分条件とは思えないな。
ひよわなおバカさんはマッチョではないでしょ。

84鳥山仁:2005/03/28(月) 10:33:10
80さん>
 後は斉藤美奈子もね。『紅一点論』で特撮系オタクのヒトも知ってるでしょ? 最近は特撮モノもヒロインの人数が増えて崩れちゃったし、それ以前から格闘技ゲームでは崩れていたんですけどね。馬鹿が馬鹿に「馬鹿」というとろうなるかを我々に教えてくれた、唐沢チェンチェイと同じ程度に素敵なヒトですな。

85鳥山仁:2005/03/28(月) 10:44:44
83さん>
 うーん。シド・ヴィシャスのような例があるから、ひ弱=マッチョではない、に関してもちょい疑問です。つまり、か弱くても痛みに対して異常な耐性があればマチズモは成立します。シドのお師匠さん(?)であるジョニー・サンダースもこの手合いで、洋物ロックの有名人の何割かはこういう役柄に収まっていたいたような気がします。でも、ステレオタイプという意味では仰る通りでしょう。

 それから、あの書き込み後にちょいと考えたら、日本では学校制度の枠内で『文化系』と『体育会系』という区分をしていたんですね。すっかり失念していました。

86松代:2005/03/28(月) 12:37:30
マチズモ問題はジェンダースタディーの「@肝」みたいな部分なので、騙り始めると(誤変換じゃなくって、本当にみんな「騙って」いるんだよね)きりがなくなります。
ちゅうか、ジェンダースタディーそのものが、マチズモなどの「アメリカ宗教電波世界を自明とした男女」による『自分語り』なので、他の文化圏に住む人間にとっては「騙り」の要素が濃くなってしまうのでしょう。

というわけなので、マチズモを考える際に「アメリカの反知性主義」という要素は必要不可欠なので、反知性主義を回避している論考にはあまり意味があるとは思えません。そして、浅学無頼のマッチョ人間である松代は、少なくとも日本語で読めるジェンダースタディー論考において、アメリカの反知性主義をメインフレームに組み込んだ論考に触れたためしがなく、ジェンダースタディーは「騙り」だと思い込んでいるのでありました。

ついでに言っとくと、マチズモについてはその文化圏における「武官と文官の役割分担」も大きな影響を与えていて、その意味では近世以降の日本では「武士と呼ばれた戦士集団の行政官僚化」が進んだことと、近現代におけるアメリカ政治の特徴として「軍人政治家の台頭による政治家の戦士化」が表面化したことについても、論考の際には避けて遠れないでしょう。
特に興味深いのは日本における戦士集団の行政官僚化で、例えば武侠小説に代表される中華文化圏における「漢」が極端なまでにマッチョ化されていることや、武侠小説の源流とされる三国志演義(演義だよ、正史じゃないからな)や水滸伝における文官、軍師の描写などにも、知性とマッチョを対立的概念として捉えているふしが見受けられます。
これは、映像作品における諸葛孔明の描写などに顕著で、日本では「鋭さ」や「しなやかさ」を孔明のキャラクター要素として重視しますが、中国では「磊落さ」や「天衣無縫さ」を前面に出した孔明像を作り上げていて、軍師と言うよりはマッチョだったりします。
対する日本では、真田親子や毛利元就、羽柴秀吉のような奇計機略を駆使する武将をも「漢」として尊びますが、中国では奇計機略を忌む風潮もあり、少なくともマチズモ的には退けられがちな要素といえましょう。
欧州ではどうかというと、これまた頭の悪いヒーローがてんこ盛りで、ドイツのバルバロッサにしてもイギリスのライオンハートにしても頭の悪さ全開ですな。
微妙にマニアックな話になりますが、体格的には華奢だったジョルジュ・ギヌメールがヒーローとして賛美されるにもかかわらず、比較的体格がよくて顔もごつかったルネ・フォンクがヒーロー足り得ないのは、彼が自著「私の戦争」において独自の空戦理論を展開したことと、いささか陰惨な戦いぶりが影響していたとはいえないでしょうか?
そういや、神経質で人間嫌いの大リヒトフォーヘンにやはり理屈屋のベルケより、気障でお茶目なゲーリンクやウーデットの方がヒーロー視されたのも、その辺の事情があったように思えます。

少なくとも、理屈屋で効率重視のエースは、マッチョ的に扱いづらい存在のようです。

87松代:2005/03/28(月) 12:47:46
文の順序がおかしいから、さすがに訂正しておきます。

特に興味深いのは日本における戦士集団の行政官僚化で、例えば日本では、真田親子や毛利元就、羽柴秀吉のような奇計機略を駆使する武将をも「漢」として尊びますが、東洋文化圏の親玉である中国では奇計機略を忌む風潮もあり、少なくともマチズモ的には退けられがちな要素といえましょう。
対する中国では、武侠小説に代表される中華文化圏における「漢」が極端なまでにマッチョ化されていることや、武侠小説の源流とされる三国志演義(演義だよ、正史じゃないからな)や水滸伝における文官、軍師の描写などにも、知性とマッチョを対立的概念として捉えているふしが見受けられます。
これは、映像作品における諸葛孔明の描写などに顕著で、日本では「鋭さ」や「しなやかさ」を孔明のキャラクター要素として重視しますが、中国では「磊落さ」や「天衣無縫さ」を前面に出した孔明像を作り上げていて、軍師と言うよりはマッチョだったりします。

88СТАЛКЕР:2005/03/28(月) 19:19:43
日本の場合は、戦士集団の行政官僚化の前に武士(武)の上位概念(でいいのかな)
として朝廷(文)が長らくあったことも大きいんではないでしょうか?
地方武士の都文化への憧れはそうとう強くて、都落ちした貴族なんかが大事にされ
されましたし。それが、行政官僚化→貴族化へ進ませたのかも。
鎌倉武士も教養としての和歌は大事にしましたし、室町になると茶道ですよね。
なんとなく「頭の悪いのは恥ずかしい」とか「相手にされない」とかいう風潮が根
強かったのかも知れないですね。
マッチョ化したのはやはり幕末から明治にかけてということなのかなあ。
薩長の影響で。乱暴な意見ですいません。

8988:2005/03/28(月) 19:25:38
ああ、すいません。上のマッチョ化というのは反知性的という意味で使ってしまいました。

9063:2005/03/30(水) 16:53:44
74<
松代氏<

激しくレスが遅れました。「マチズモ」って他の表記よりいい語感があるので狭い知人のあいだ(私を含めて二人)ではこういうのが慣習となっております。

>>岡田は「オタク学」に上記の要素を上手く取り入れ(ちゅうかいただいて)、上手いこと一山当てたのですから、ベニヤミンとオタクとの相性は悪くないと思います。

たしか『オタク学入門』では「クズとして打ち捨てられたものに価値を見出すことは価値の創造である」というようなことが書いてあるそうですね(未読なので伝聞)。パロディー化してますます感じましたが、ベニヤミンの議論で主題となるものはいくらでも交換可能であり、その意味ではマンガ/オタク的モティーフをそこに当てはめて多様な理論展開が期待できそうです。ただベニヤミンのコアな部分は「これからのオタクミドルのための悪食入門」というニュアンスにもっていくより、論争相手を明確に措定してこそ輝くという感じがあり、個人的にはそこらへんでつっこみ足りない部分があるのかなと。

話は飛びますが、70年代末、新表現主義(きーふぁー・くれめんてetc)というものが(ドイツ・イタリア発で)国際アートシーンに鳴り物入りであらわれ、 アメリカでの紹介時に否定派・肯定派に分かれた大論争(コップの中の嵐?)が繰り広げられるということがありました。個人的に興味があってそこらへんの論考を読むと、なぜか否定・肯定のどっちのポジションの人もベニヤミンを引用しつつ 、「非イデオロギー的な」自身の現代美術分析を誇示しておりました。それで当の論考自体は腑に落ちなくても、変な文章のベニヤミンがなぜ重用されるのか何となく分かったことがありました。ですから相手が激しくツっこんでくれないと、ボケ損というところがあるかもしれません(荒俣氏はケンカ腰でないのでボケ倒し?)。ただの印象論ですが。

9163:2005/03/31(木) 15:32:58
追加 水曜日に偶然『スクール ランブル』というアニメの最終回を見たんですが、演出法が、「抽象と感情移入」的な方式でバッチリ組み立てられてるなあと思いました。あそこまでやられると,まったく斜めにならず没入できます(笑)。

つづいて後番組の『ブリーチ』も見て…、何というか原作は「様式の終局的な倒錯は、全般にわたる死姦であって、まもなくその倒錯は、それが関与している正常なもの、すなわち音楽の慣習のなかに第二の自然として沈殿したものと、もはや区別できなくなる」(『新音楽の哲学』)的なものですよね(音楽じゃないけど)。ところが優秀なアニメーターに変奏されると、個々のキャラクターの「オリジナリティー」が息を吹き返してきて…ある意味『オーシャンズ12』状態の豪華キャストで楽しめました(笑)。

ところで大塚英志氏がマンガ表現は「記号的なもの」と「リアリズム的なもの」とのせめぎ合いで成り立っていると書いていました。彼が「記号的」とされるところのものにばかり「伝統」を認めて、「リアリズム的」と評されるところのものにそれを認めないのには違和感を感じざるを得ないんですが、ふと気づくと、近年日本マンガの「アメコミ」的リアル化が著しく進行したと思いまして、個人的には詳しくないのですが、「萌え」だけでなく、こっちの領域でもパクリはすさまじいことになっているのでしょうか?

9263:2005/04/01(金) 11:49:14
76
鳥山氏< レス間隔が間延びして申し訳なし。
>そして、この過程にタブーの侵犯が加わっていれば、共通化はより一層強固なモノになります。何故なら、タブーというのは理由はどうであれ「AとBを区分するためのルール」だからです。
駿氏云々はちょっと漠然とした話だったのですが、言われてみるとたしかに、タブー侵犯が共通価値観のうえにさらに太い結びつきを作る、という図式が浮かんできますね。


>考察すべきは「萌えとは何なのか?」ではなく「萌えは何を排除したのか?」や「萌えはどのようなタブーを侵犯したのか?」でしょう
激しく同意です。「何が萌えなのか」 は、元祖的なマンガ家でも一定ではないし、ましてや萌えアウラ的なものを度外視して、個々人が所与の形式としたものにあてはまる「萌え」の基準を作り出そうとすれば、それこそ無限に妥当する範囲は広がりますよね。それでは「すべての牛が黒く見える闇夜」(?)を相手にしているようなものですし、「何を排除したのか?」 が、客観的な価値成立の契機を説明するのに必要なのは確かでしょう。

横レスですが、
>シド・ヴィシャスのような例があるから、ひ弱=マッチョではない、に関してもちょい疑問です。
カウボーイにケンカ売られて、ステーキ代わりに(自分の)手の甲を切っちゃうというのがありましたね。ジョニサンもドラッグ漬けのやせ我慢の人だったんですね…。ところで痛みに強いというとクボヅカーもこの手合い?

9363:2005/04/01(金) 11:57:32
あ、返答相手の名前のあとは< じゃなくて > です。失礼。(^^;

94СТАЛКЕР:2005/04/01(金) 15:55:20
芸大で漫画が教えられるようになったら「パクリ」なる批判が「アカデミックで無味乾燥」に取って代わるのか知らん

95松代:2005/04/04(月) 12:17:35
多忙を免罪符にしてはならないのですが、忙しいものはやはり忙しい…
というわけで、ねたをいくつか…

http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20050331104.html
>アップル製品と「模倣」の文化
>せっかく真似をしたのだから、Super Shuffleのように、本物よりも秀でたところがあればいいのだが、必ずしもそうとは限らないようだ。上のLLUON社製PCは後日、本物の方が断然いいという話の引き合いに再び登場する。

96松代:2005/04/04(月) 12:23:50
模倣といえば、日本代表DFの宮本は、顔で俳優の高橋幸治(代表作:ゴジラ対ビオランテ)を模倣している。
模倣といえば、日本代表FWの鈴木は、顔で家族会の蓮池兄(代表作:奪還)を模倣している。
模倣といえば、浦和レッズMFの鈴木啓太は、顔で俳優の宮迫(代表作:雨上がり決死隊)を模倣している。

97松代:2005/04/04(月) 12:40:15
連想ゲーム的な雑感で申し訳ないのですが…

>話は飛びますが、70年代末、新表現主義(きーふぁー・くれめんてetc)というものが(ドイツ・イタリア発で)国際アートシーンに鳴り物入りであらわれ、 アメリカでの紹介時に否定派・肯定派に分かれた大論争(コップの中の嵐?)が繰り広げられるということがありました。

自分は、新しい美術史(ニュー・アート・ヒストリー)を思い出しました。こいつもまたドイツからアメリカに流入して、1970年代から80年代にかけて隆盛した、イデオロギー的な背景を持つ議論でしたね。
まぁ、その後は社会学と歴史学的な検討手法を美術史に持ち込んだことだけが生き延びて、全体的な潮流としては「すっかり過去の議論」となってしまったような感がありますけど、それこそ当時は「そういう時代文脈」が存在していたのでしょうかねぇ?

>ところで大塚英志氏がマンガ表現は「記号的なもの」と「リアリズム的なもの」とのせめぎ合いで成り立っていると書いていました。彼が「記号的」とされるところのものにばかり「伝統」を認めて、「リアリズム的」と評されるところのものにそれを認めないのには違和感を感じざるを得ないんですが、

まったく同意です。ちゅうか、どこぞの団体がのたまった「マンガ記号論」なるものの胡散臭を、まったく簡潔に表現していて脱帽ものですよ。
時間を見つけて、この辺の話は続けたいですね。

>ふと気づくと、近年日本マンガの「アメコミ」的リアル化が著しく進行したと思いまして、個人的には詳しくないのですが、「萌え」だけでなく、こっちの領域でもパクリはすさまじいことになっているのでしょうか?

いやぁ、とにかくすごいパクリ具合っすよ。
特に大きな影響を与えたのは、ご存知「アレックス・ロス」大先生なのですが、ミニョーラやトッドも盛大にパクられました。
おまけに、ミニョーラやトッドが日本マンガ愛好者で、日本マンガからの影響を肯定しているのをいいことに、パクッタ側が彼らの発掘、あるいは再構築した部分まで「日本が本家」みたいなことを言ってるあたり、なんともやるせないものを感じます。
まぁ、これが「脱構築」だのなんだのを振り回わさずに、オタク=高等遊民的な自認をしてない連中ならまだ可愛げもあろうものですが、そういう連中に限ってアメコミ作家のオリジナリティを全否定しようとするんだから、ほんとにいい気なものですね。

98松代:2005/04/04(月) 12:42:35
>>97は63氏への返答です。
不注意で申し訳なし。

99鳥山仁:2005/04/05(火) 11:18:08
63さん>
 遅レスはお気になさらずに。私も〆切間際には、どうしてもレスが遅れるので、誰かを責めたら自分も責めねばなりません。

 宮崎駿の件に関してですが、残念ながら手元に『宮崎駿の雑想ノート』しかないので即断するのが危険なのですが、恐らく彼にとって「トータル・ウォーというのは階級社会と国家主義を乗り越える有効な手段である」と認知されているんでしょう。特に、スペイン共和国に対して哀悼の意を表しているところからも、この手の妄想を抱いていることが読みとれます。

 これは第1次大戦後のドイツで、社会主義の影響を受けた人間にありがちな発想で、根底には戦争の機械化があります。つまり、南北戦争から第2次世界大戦までの期間というのは、兵器としての機械が発達していった時期で、国家の保有する工業生産力が戦争における勝敗を決する時代に突入したことを意味していました。そして、機械を作るのも戦争をするのも国民であって、元首とか上流階級の人達ではないわけです。

 つまり、それ以前の戦争のように、支配階級がカネを支払って傭兵を集めても、封建社会における武士、騎士階級が集まっても、国民国家の軍隊には太刀打ちできなくなっていたんです。これは、階級社会におけるタブーの侵犯を意味しました。だから、ユートピア妄想と戦争がくっついてしまうんですね。

 ところが、宮崎の場合(というか、高畑も彼らのプロデューサーを務めた故・徳間もそうですが)、支配階級には資本家も含まれる、と考えるので現実との乖離を招きます。イラク戦争の時に、同じ類の人間が電波をかっ飛ばしていましたが、「何でそこまで現実を直視せずに済ませられるんだ?」と不思議な気持ちにさせられたものです。「国民みな公務員」という社会を理想としない限り、アウトソーシングを利益誘導だとは考えられないはずなんです。

 ただし、スペイン内戦に国際義勇軍として参加した人間の中でも、ヘミングウェイは最後まで現実が直視できませんでしたし、ジョージ・オーウェルが完全な(?)正気に返ったのは『ウィガン波止場への道』を書いた頃ですから、疎外感を抱えている人間にとって、そうしたシチュエーションというのは非常に魅力的なんでしょう。

 それにしても、オーウェルが『ウィガン波止場への道』で描いて見せた社会主義者像はヒトラーにうり二つで寒気を催します。もちろん、オーウェル本人もヒトラーを意識していたんでしょうが……。

100鳥山仁:2005/04/30(土) 12:04:59
http://www.foxjapan.com/movies/kingdomofheaven/

 『映画秘宝』の町山智浩が『ブラックホークダウン』でリドリースコット監督を叩いてるのを見て、「黒澤明を軍国主義的だと叩いていた左よりの評論家にそっくりになっちまったなあ」と思っていたんですが、とうとうリドリースコットの方が黒澤化してしまいました。というか、シナリオも画面構成も黒澤を超えた可能性すらあります。『エイリアン』や『ブレードランナー』の監督として80年代のオタクに絶大な影響力を及ぼしたリドリーが、ついにここまで来たかと思うと感慨深いですな。テーマが十字軍で、敵役のイスラム教徒をこれほど格好良く描ききった点も高評化。問題は、この作品が日本でヒットするかどうかなんですが……。

101СТАЛКЕР:2005/05/01(日) 01:40:24
>>100
個人的には当初監督する予定だったポール・バーホーベンで観たかったですけどね。
現政権への嫌味と凄惨なグロ描写で、アメリカでの公開は中止になるでしょうけどw

102鳥山仁:2005/05/03(火) 16:42:49
101さん>
 仰るように、「薄っぺらい人間を描かせたら世界一。ハリウッドの梶原一騎」ことバーホーベン兄貴なら、何がなんでも反体制的な作品に仕上げてくれたことでしょう。また、バーホーベンには『地獄城の大冒険』という傑作中世映画(主演男優と女優がヒッチャーのコンビというのもミソ)があるから、内容もだいたい想像できます。

 ただし、アメリカで公開禁止ではなく、イスラム圏で非公開が正解なのでは? とんでもないイスラム教徒(蜘蛛型イスラム教徒?)を出現させて、命を狙われまくりというのがバーホーベンらしいですよ。この人、マイケル・ムーアと一緒で、「なんのかんの言ってもクリスチャン」なんですよね。だから、最後の最後に信仰の問題に移行してしまうんですが、この点でスコットは典型的な「口だけ信者」で、クリスチャンもイスラム教徒も馬鹿にしまくっているところが素敵です。

103松代:2005/05/04(水) 12:39:15
月餅とお焼き

鎌倉と松代は、表現規制に反対する活動に参加した。ところが、鎌倉には人には言えない異常な性癖があったのである。それは、幼児の持ち物や写真を集めては自慰に耽ること。ある日、鎌倉の家に遊びに来た松代は、鎌倉の部屋で子どもの小便の音を録音したテープを発見してしまう。鎌倉の異常な性癖を知った松代は鎌倉と別れ、鎌倉にと敵対する手配師鳥山と当てつけのように活動し始めるが、それはかえって鎌倉を喜ばせる結果になった。少女の犬になりたいと言うマゾヒストの鎌倉に、やがて松代のサディスティックな一面が開花する。鳥山との勉強会やロビイング活動に招いては、マンガフィクション論を全否定する松代の責めに、変態と罵られても自分の本当の姿をさらけ出し、ひたむきに応えていく鎌倉。そんな折り、松代は鳥山に現代哲学は精神病の産物と教えられ、動揺してしまう。翌日、永田町の議員会館へ鎌倉と鳥山を呼びだした松代は鳥山の前で鎌倉を漫画家として扱い、彼に「ムーはフィクションかノンフィクションか」と詰問する。一命を取り留めたものの、精神病を否定して通院も拒否した鎌倉。飲み物を買いに行けと命令する松代に、あくまで彼は従順である。そんな鎌倉に、松代はギプスが取れたらAA本を出そうと誘う。

104СТАЛКЕР:2005/05/12(木) 13:19:49
既に終わった展示なので、そこは申し訳ないのですけど、いちおう「日本カメラ」でも取り上げられているので、興味のある方は誌面でチェックしてください。

でまぁ、いまや「過去を振り返る」ってのは大ブームで、昭和レトロ館なるものが中途半端な地方都市に続々と建設され、なつかし昭和の帝王である町田忍さんなどはメディアで引っ張りだこなんですよ。
ブログなんかでも「あのころはよかった」だの、地方都市の寂れた商店街かそこらを取材して「日本が失ってしまった何か」があるとか、そういうもったいぶったこという保守派が、それこそ佃煮にでもしようかってぐらいいる。
まぁ、そういう昭和大好き保守派のほとんどは健全育成派であり、また自分たちの学生時代なり新社会人時代なりを取り上げ、自らの「ライフパス」をたどりながら、自らが過去に暮らしたり学んだり働いたりした土地の「失われた」あるいは「損なわれた」なにかをフックにして、ノスタルジーにあふれた文章か何かを添えつつ、現代の若者を批判するというのが基本パターンなのですけどね。

もちろん、山方さんの作品はまったく違っていて、そういうところからは「完全に隔絶されて」います。
山方さんのすばらしいところは、不用意に撮影してしまうと「ノスタルジー全開のスイートな写真」になってしまう風景を被写体にしつつ、しかしながらきわめて抑制され、被写体との距離感を保った作品に仕上げているところです。
それは風景に対する思い入れや、作家の自我を表出させたい欲求とは無縁の、しかしながら「機械的な作業」とはまったく異なる、きわめて高度な作家性を秘めた作品であり、高く評価されるべきものだといえます。
写真という芸術については、撮影することと同様に、あるいは撮影すること以上に、撮影されたカットを「選択すること」が重要ですが、その選択過程は実製作者や編集者のみが知る世界であり、一般の人々にはなかなか想像もつかない部分があると思います。
もし、山方さんの作品を鑑賞する機会があれば、なぜ山方さんは「この作品を選んだのか」について、多少でも思いをはせていただけるとうれしく思います。

http://konicaminolta.jp/about/plaza/schedule/april/gallery_b.html
>山方 伸写真展 「bee fly」
>「私が写真を撮るのは、あるものが写真に撮られたらどのように見えるかを見出すためである。」とウィノグランドは言っています。言い換えれば「その場で見て感じたことは写真になってしまうと、違うかたちとなって印画紙に定着されてしまう」ということだと思います。
>私は「こんな写真を撮りたい」というようなものを持ってはいません。出かける場所を決めるのもなんとなくで、常に行き当たりばったりです。そういった偶然に身をまかせていくことが心地よかったのかもしれませんし、そうするしかなかったのかもしれません。出来上がった写真の多くは私の予想を裏切ってくれています。そして思い通りに撮れた写真よりも、そうでない写真の方が私に多くのことを与えてくれています。

105松代:2005/05/15(日) 00:31:38
カマンのバカ

マンガフィクション論を知ってるかい?
ペド漫画家の自己正統化さ。カマンはいつもマンガフィクション論を唱えていた。
あれから月日はめぐりゆき、見直し時期の三年め。
現実から目を背けても、現実を直視しても、三年の月日は流れてく。
カマンのヤツは、前者を選んだのさ。カマンのバカ。
短い期限を知ってから、カマンは生きた自堕落に。貧しいヲタクを次々と、ボランティアでかき集め。カマンを先頭に、カマンとヲタクの行列だ。カマンは進むよまっすぐに、中央線もまっすぐだ。
高円寺越えて三鷹へ、サヨクが教える学習塾。カマンは子どもに、この世の裏を教えた。
カマンのバカ。
おかしな言語学と経済学と、そして世界システムを教わった子ども達は、世をはかなみ、毒を飲んで次々と死んでいきました。しかしカマンは死ななかった。短い期限を知りながらも、カマンは死ねなかったのです。
さらにカマンのバカ、バカ〜〜〜〜!

106鳥山仁:2005/05/18(水) 06:36:39
(独言)
 『プリンス・オブ・ゴショガワラ』というエロゲーを無性に作りたいんだけど、誰か原画をやってくれるヒトはいないだろうか? 主人公の決めぜりふは「ご主人様と呼べ」「俺は声優をやっていた」で決まりなんだが。主題歌はダイヤモンド・ヘッドの『The Prince』という事まで決まってるんだけど。ストーリーは母親の自殺から始まって(以下略)。

107СТАЛКЕР:2005/05/18(水) 09:01:14
>>106
「これが私の御主人様」
http://www.gosyujinsama.com/story/index.html

108松代:2005/05/18(水) 13:08:28
なんかねぇ〜イラクの米軍って楽しそうなんだよ。
ニュースで見るのとは大違い。
こんな風に「楽しく遊んで暮らせる」のなら、漏れもイラクへ逝ってみたいね。

それとも、これはフィクションなのか?
http://www.big-boys.com/articles/gernadewash.html

109鳥山仁:2005/05/19(木) 08:01:35
107さん>
 参りました! もうタワゴトは二度と言いません!

110СТАЛКЕР:2005/05/20(金) 14:02:37
○○○○は以下のような目的のために使われます。
1.性的興奮と満足を得るため
2.子どもを誘惑し、子どもの抵抗を弱め、手なずけるため。
3.虐待について子どもがしゃべらないよう脅迫する
4.利潤のために製造して販売する

111СТАЛКЕР:2005/05/22(日) 20:22:28
>>107
その「御主人様」ですけどオープニングにある主人公の少女がコスプレさせられ
鎖で繋がれている絵から鎖が消されましたね。すごいタイミング。

112松代:2005/05/31(火) 23:41:55
ПРОЕКТ Х−逃避者たち−
第30回 11月21日放送
「ロリペドヲタクとサヨクプロシミソ」
〜そして彼らは現実から目を背けた・ジポ法〜
 
「電波をもらった」「ヲタとサヨの在り方を考えさせられた」
 電子メールや電話で2千通を超える抗議が殺到した「ロリペドヲタクとサヨクプロシミソ」(昨年11月放送)。マンガフィクション論としても、大反響を巻き起こしたこの番組を、支持者の期待に答え再放送する。

 全国で「ロリペドヲタク」の嵐が吹き荒れていた昭和49年春。東京都一の「ロリペドヲタク」高校、高円寺芸専に一人の新任教師が着任した。鎌倉、31歳。かつてロリペドマンガ家として活躍した鎌倉は、マンガ部の指導に情熱を燃やしていた。しかし、高円寺芸専の荒廃ぶりは想像を超えていた。校舎の中を原稿集めのバイク便が走り回り、授業中はみな同人誌を制作するか、ロリペドアニメをみながらハァハァしていた。教師たちも見て見ぬふりをしていた。

 最初のマンガサミットで鎌倉はなきながら訴えた。
「それでも、あなた達はマンガ家ですか」
 サミットの後、ゲンダゥとヤマトが鎌倉を追ってきて言った。
「鎌倉君。一緒にジポ法活動をしてくれ」
 こうしてロリペドヲタクとサヨクプロシミソたちの取り組みが始まった。
 ヲタクたちを組織化させるためには、ヲタクに「誇り」を持たせることが必要だった。そのためには不良の巣窟、マンガ部を鍛え直し、横浜大会に出ることを目標とする。

 初の国際会議は、強豪・矯風高校を相手に「112対0」で歴史的大敗。しかし、鎌倉はその屈辱を「なかったこと」にして、対外的には「マンガ家が勝利した」と発表した。泣きながら「全てのマンガはフィクションである」とか、または「マンガの読み方がわかるのはヲタクだけ」と主張する鎌倉は、いつしか「ウソツキ先生」と呼ばれるようになっていった。そして、ヲタクにはそっぽを向かれたが、なぜかサヨク達が次第に心を開き、左翼文化人の夢に向かって突き進んでいく・・・・。
 今も教育界に語り継がれる、伝説の物語を描く。

113松代:2005/05/31(火) 23:44:02
ПРОЕКТ Х−逃避者たち−
第57回 6月19日放送
「ナベとカマ 執念燃ゆ AA大辞典」
〜30年・空前のAA探し〜
 辞書「AA辞苑」。収録AA20万。2320ページ。
 AA辞典のみならず、スレタイ・こてハン・流行語などの百科事典の機能も兼ね備えた、日本初の本格的な「2chの総合辞典」である。昭和30年、発売と同時に大ベストセラーになり、いまもその地位 は揺るぎない。

 AA辞書作りの中心となったのが、ナベとカマ。AA研究に生涯を捧げた親子だった。「一流国になるには、AAの総合辞典が不可欠だ」。その信念で、カマは戦前から10年の歳月をかけ、15万AAの同人誌を完成させた。しかし、昭和20年、同人誌を出版社へ持ち込み、企画書作成段階でカマは作業を停止。他社からAA辞書も出版され、企画そのものが消滅した。

 戦後、二人はAA辞書作りを再開する。しかし終戦直後の2chは、時代が急速に動いていた。新しいAAが次々と生まれた。意味も変化した。戦前の蓄積では対応できず、一からAAを選び、意味を考えるという、気の遠くなる作業が必要だった。
 しかし、ナベはCD−ROMをメインに据え、検索性で対抗すれば勝機はあると考え、カマに企画の再開を呼びかける。あらゆるスレを読みあさり、さくら板や、コピペあらしの電波にまで耳をそばだて、AA選びに奔走した。ナベとカマは、膨大なAAの海と格闘を続けていく・・・・。
 そして、カマは企画書すら完成させないまま、2chでのネット街宣活動へ傾斜し、ナベと縁を切った。

 AAの豊かさに誇りを持とうと、前代未聞の辞書作りに情熱を燃やした親子と若者たちのドラマを描く。

114松代:2005/06/04(土) 12:48:25
ポルノガス抜き論

満足にポルノがなかったはずの1960年代から70年代に、安保闘争をはじめとする政治テロがもっとも多く、全盛のはずの最近はピーク時の6分の1以下です。ポルノの普及についてのデータがありませんので、なんともいえませんが、ポルノの普及と政治テロの相関をとったら、明らかに負の相関がありそうです。なんでもポルノは「反宗教・政治批判を含む」そうですが、ポルノが「反宗教・政治批判を含む」として、政治や宗教に影響を与えるという論理を真とすれば、このグラフからは、ポルノの普及は、政治テロの発生を抑止する、という結論以外は導き出せそうにありません。

115СТАЛКЕР:2005/06/09(木) 06:47:02
どうでもいいけど、鳥山&松代を「レイプ」ポルノ関係者と呼ぶって事は
鳥山&松代周辺の人間も、仕事関係で付き合いのある人達も、
「レイプ」関係者と糾弾してるって解釈でいいんですかね?

116松代:2005/06/09(木) 12:26:47
>>115
>鳥山&松代周辺の人間も、仕事関係で付き合いのある人達も、
>「レイプ」関係者と糾弾してるって解釈でいいんですかね?

恐らくはそういう解釈でいいというか、むしろ「仕事関係で付き合いのある人達」を糾弾したいのではないかと思われますが、真面目に取り合うのもどうかという話があるので、日本勝利の興奮が覚めないうちに1本こしらえて見ました。楽しんでいただければ嬉しいです。

http://x51.org/x/05/02/0804.php
>精神病院から生放送、患者達によるラジオ番組が大人気 鎌倉
【イソターファクス】鎌倉にて、精神病棟から患者らが生放送でお届けするラジオ番組 - キョギョー・ラジオが人気を博しているとのこと。生放送が行われる鎌倉精神病院に入院中のフリオ・カマヤン氏(写真)は同番組プレゼンターの一人である。彼は以前、8ヶ月同棲したみぃちゃんに逃げられて重度の欝になり、同病院に入院したという。「そのときは、もう生きることができないと思いました。食べることも、働くことも、外に出ることさえ嫌だったんです。家族は私のことを理解せずに、ただただ疎んじました。私はいよいよ家にいるのも辛くなって、ここ(精神病院)に入院したんです。ここでは自分の気持ちをありのままに表現できるんです。」
>言語療法
このキョギョー・ラジオ(現地ではRadio La Kamayan)を企画した同病院に勤める精神科医のバードヘッド・ジン氏は番組をはじめた経緯を次のように語っている。
「最初はセラピーの一環として、患者の皆さんに集まってもらって、テーブルを囲み、テープ録音機を渡して好きなことを喋ってもらったんです。まず誰かが録音機に向かって好きなことを喋り、終わったら次の人に手渡す、というようにしてですね。この段階で既にいくつかの治療の要素がありました。それはまず喋る機会を得ることと、それを他人に渡すということです。」
生放送に参加するカマヤン氏は、この【療法】は単なる向精神薬よりはるかに有効だと実感しているという。
「医師たちは、普段とても事務的です。私たち患者に薬を渡して、よく寝てください、さあ次、といったようにです。しかし、この療法を行うことで、患者たちは自分を解放し、精神病棟の壁を越えることができるんです。」
>意外な人気
そしてこのキョギョー・ラジオは単に患者の治療に効果を発揮しているだけではない。現在では既に数万人のリスナーを持つ人気番組になってしまったのである。鎌倉でタクシー運転手を営むヘクトル・エドュラド・マツ氏はキョギョー・ラジオを仕事中の楽しみにしている一人である。
「彼らは世間の人が思っているようなイカれた人々ではありません。至極真っ当なことを話してますし、時には詩の朗読をしたり、歌を歌ったりと、聴いていてとても楽しいです。」
そしてまたこうした人気の一方で、ラジオ放送は非常に高い治療効果を示している。ジン医師によれば、現在までにこのラジオ放送治療プログラムに参加した患者のうち3割は既に退院し、またその後も外来患者としてラジオ放送に参加している者は、誰一人として再入院していないという。
「逆に退院後にこのプログラムに参加していなかった外来患者のうち、三分の二は再入院しているんです。」
また今後、この「キョギョー・ラジオ」チームはテレビのアニメ番組にも出演する予定である。
外来患者兼ラジオパーソナリティの一人、ヨハン・ヤマト・イトー氏はこの番組が治療のみならず、社会における重要な教育効果を発揮していると話している。
「この番組を聴いてもらうことで、精神病に対する無理解と誤解を解くことができると思います。私の住んでいる地区では、よく人は私のことを指差して『おい、あのイカれ野郎を見ろよ!』なんて言うんですが、私に言わせれば全く逆です。そうやって彼らは町の中で私のことを辱めますが、それでいいんです。それが理解への始まりだと思っていますから。」

117СТАЛКЕР:2005/06/10(金) 13:13:57
>1本こしらえて見ました
>http://x51.org/x/05/02/0804.php

そのURLが「こしらえもの」かと思ってみてたら

>世界恐慌の嵐が吹き荒れる中、謎の怪光線が地上に降り注ぎ、人々は理性を失ってセックスの虜に

とかあって、「フレッシュゴードンじゃん!さすが松代さん、厳選ネタ」とか
思ってたら、文章がこしらえものだったのね(苦笑)

118松代:2005/06/12(日) 01:04:07
>>117
>とかあって、「フレッシュゴードンじゃん!さすが松代さん、厳選ネタ」とか
>思ってたら、文章がこしらえものだったのね(苦笑)

すんません…
自分の力だと、この辺が精一杯でした。まぁ、ほんとはうそページをこしらえるぐらいまでもっていきたいのですけど、ビルダー持ってないのであんなに凝ったページはつくれんのです(いまだにHTML手打ちで、XTMLなんてとてもとても)。
その代わりといってはなんですが、新作が3本ほどたまってるので、機械を見て公開しますね。
次回ロードショウは「裏窓」「ガラスのうなぎ」「カマーレ神の怒り」の3本です!
うんがぐっぐっ!

そういえば、あのX51の管理人さんは本当によく拾ってきてるから、広告だと思ってもアフィリエイトリンクはクリックしてあげてください。

さて、X51はフィクションでしょうか?それともノンフィクションでしょうか?

119松代:2005/06/14(火) 12:18:25
>鳥山さん
>きちんと成熟した女性がセックスをしたいと思ったら、身体を綺麗に手入れして、男性が喜びそうな衣服に身を包み、意中の相手にだけは思わせぶりな言動をするなど、「恋の駆け引き」を始めるのが普通です。

あえて率直に申し上げますが、寝言は寝て言ってください。
任天堂やドコモから公式許諾を得ようってわけじゃないんですよ。思わせぶりの駆け引きなんでものは、関西財界人のパーティーだけでたくさんです。

セックスをしようというのに、いい大人が「恋の駆け引き」なんてかったりぃことしてるヒマはないでしょう。

まぁ、これが暇を持て余している中高生や、あるいは職務上の判断権限を有していない単純作業者なら、ひまつぶしに「恋の駆け引き」なんて非生産的な行為へ割く時間と労力があるのかもしれませんが、鳥山さんは高度な判断を要求される編集者であり、単位時間あたりの労働コストは上級経営決定者に次いで高い水準に位置しています。

鳥山さんにとって、時間は文字通りの金なのです。
また、掲示板においてもそれなりの影響力をお持ちなのですから、言動には注意して下さい。

ただ、佐伯やササクレ、あるいはペドヲタクのように、年齢を重ねても恋愛なんて極端にプリミティブな概念を重視していると、白馬の王子様ならぬ「皇子様」に引っかかって監禁されたり、また「「白馬の騎士」に株を持っていかれたり、あるいは「さくらタソを水に沈めてはぁはぁ」します。

そのため、かつては「恋の駆け引き」とかいう馬鹿げた低次元な儀式を経ることで、セックスにおける安全性を担保していたという歴史的な経緯は有りました。しかし、技術革新が進んで高度な情報化社会が実現した今日においては、安全性と生産性を高い次元で満たす最適かつ快適なソリューションが存在します。

というワケで、個人的にですが、以下のツールをお薦めします。
是非とも、導入を検討して下さい。

120松代:2005/06/14(火) 12:23:00
糸東 倉リ 集団、脳内で出会いを実現するソフト

 中国の「糸東 倉リ 集団」は9日(現地時間)、脳内電話で出会いを見つけられるソフト『金岡糸東・センサー』の配布を開始した。脳内に簡易ホームページを作成し、クラブなどで周囲の電波さんに公開することで、異性や同性と知り合うきっかけを作れる。
 脳内に小さなホームページを構築できるソフトで、画像や動画、ゲストブックも盛り込める。10メートル以内の電波さんが閲覧可能で、メッセージや画像をやりとりできる。例えば、2chに入ったら脳内通信を開始してページを公開している人を見つけ、興味を持ったらメッセージを送る、という具合だ。関わりたくない人のアクセスを禁止する機能もある。
 脳内情報保護と個人認証に関しては、カマフィー社(下記参照)の技術を使用した、最新かつ高度で快適なセキュリティシステムを実装している。また、カマフィー社のサーバと常時接続しており(ユーザ側から破断は出来ない)、セキュリティーは自動的に最新の状態が保たれる。
 ソフトは無料で配布。現在は「糸東 倉リ 集団」の一部機種が対象だが、他メーカーでも脳内ならば最低のコミュニケーションは可能だ。また、この技術をさらに発展させ、応用することで「糸東 倉リ 集団」は新しいコミュニケーション手段を提案し、高機能機種の販売促進を狙う。


カマフィーセキュリティについて
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カマフィーセキュリティは、包括的な脳内盗聴防止、脳内防護により、脳内の侵害、司法当局の捜査、家宅捜索からユーザを保護します。すべてのカマフィーセキュリティ製品のユーザは、業界トップクラスの安全な非合法画像交換ネットワーク、暗号化、デスクトップファイアウォール、不正侵入検出、司法当局による検査の「事前警告」サービスに加えて、世界有数の単純所持対策機関であるATM(アンチトリマツ緊急対策チーム)のバックアップを受けることができます。マンガフィクション論やマンガ記号論など、大流行したウイルスの駆除理論、また「炉利板」など、数多くの同人誌を提供しています。

カマフィー株式会社について
カマフィー株式会社は、マンガヲタクに総合的なネットワーク&システム・ベースの不正侵入防止ソリューションを提供しています。また、現在日本のマンガヲタクが直面している表現規制問題からマンガヲタクだけを守るとともに、規制推進派の監視を通して、ネットワークセキュリティとマネージメントの統合的運用、管理面でのコスト削減を支援していきます。
また、友達認定を受けると、ロリペド盗撮画像の閲覧サービスも受けることができます。
会社の詳細はhttp://www.hehehe.net/library/lib/A-00001.TXT をご参照ください。

121СТАЛКЕР:2005/06/14(火) 19:29:34
バック・トゥ・ザ・パストKMT

199X年の世界に戻ってきたカマヤンは、未来の世界からジョンの訪問をうけ、未来の自分の身が危ないと知らされ、恋人のみいちゃんと共に、200X年の世界にやって来る。パチンコ業界と原発業界とソフ倫とメディ倫に脅迫された手配師のトリヤマとマツシロにいじめられる自分(ここではカマヤンを指す)を助け、精神崩壊に足を踏み入れることをとどまらせたカマヤンは、安心して199X年の世界に戻ろうとするが、その間に、トリヤマが過去の世界へ旅したことを誰も知らない。果たして戻ったカマヤンは、閑静な住宅地だったキョギョウ・バレーがすっかり荒廃の地と化してしまっているのに愕然とする。どうやらカマヤンは、199X年の即売会の日に、未来からやって来たトリヤマから無修正盗撮写真を寝不足のせいでついうっかり売りつけられ、警察に逮捕されてしまったらしい。時の流れをもとに戻そうと、カマヤンはジョンと共に199X年のあの即売会の日に戻る。そして大騒動の末にカマヤンは盗撮写真を奪取し、それを焼き捨てるが、200X年の世界に戻ろうとしたその時あの稲妻が発生し、みいちゃんを乗せたライアバードはカマヤンを残し、どこかへと消えてしまう。そしてカマヤンは、あの時199X年に帰る自分を見送ったジョンを探し出し、助けを求めるのだった--。

122鳥山仁:2005/06/15(水) 02:07:01
松代さん>
 あっちの恋愛ハウツー本では、「女性が性交渉したい相手に映画や食事に誘われた場合は、下着を付けずに行け」というアドバイスがあり、日本語訳されたときに大問題になりました。日本人と西欧諸国では、性の規範意識が大きく異なるのは男性ばかりではありません……という話がしたかったんですが。

 まあ、それはさておき、例の騒ぎの大元をチェックしてきましたよ。どこの誰かは知りませんが、コミックシティでの逮捕問題でカマヤンを叩くのは、いくら何でもやり過ぎでは? というより、単に児童ポルノを所持していただけでしょ? 現実問題として、カマヤンは前科持ちにはなっていないはずです。

 また、所持そのものが悪いと言うのであれば、カマヤン本人が「被写体の児童に悪いことをしたと思っている。申し訳ない。今は、もうそのようなものは持っていない」と意見表明すれば、それで終わりですし、彼が政治活動を行っている以上、とっくの昔にそうした意見表明はなされているはずです。

 ただ、あの一件で私が驚いたのは、ペドファイルに関するフィールドワークをやっていたら、「カマヤンが児童ポルノを所持していたとばっちりを受けて、私も逮捕された」という人がインタビューに引っかかっちゃったことなんですよ。これは、明らかにカマヤンの話と矛盾しています。だから、この人物の発言の裏をとろうと試みた際に、ROSFの面子やGTの面子には事情を明らかにしていますし、それ以前にフィールドワークに協力してくれたペドファイルの人達にも、おおよその事情説明はしています。

 結論から言ってしまうと、この件に関してカマヤンがクロの可能性は濃厚です。勝新太郎のように、「知らない間にパンツの中に入っていた」と言い張れなかったんでしょう。ただ、この件だって事前に彼が私に話していれば、大っぴらにならずに済んでいたはずの問題でしかありません。カマヤンには、事前に「ペドファイルの人達にインタビューをして回っている」という話はしてあったワケですから、彼に勘が働けば、私に「不思議な呪文」を唱えられたはずだし、私がその「呪文」に引っかかる可能性は大いにあったと思います。

 まあ、「覆水盆に返らず」の戯れ言ですが、私のフィールドワークスキルを軽く見たツケですね。小説を書いたり雑誌を作ったりするために、妄想ではなくて足を使うタイプのクリエーターがいることを失念していたんでしょう。

123松代:2005/06/16(木) 23:56:27
>>121

БРАВО!
СПАСИБО!

今後とも、よろしくお願いします。
なんなら、党の芸術青年部へ紹介状を書きますよ。

>>122
>とりやまさん

(ノ∀`)アイター やってもぅた〜 ヽ(`Д´)ノウワァァン!

そういう話だったのね〜
でも、個人的には「女性が性交渉したい相手に映画や食事に誘われた場合は、下着を付けずに行け」というアドバイスを熱狂的に支持しますけどね。
ちゅうか、恋愛なんてわかりにくすぎ!
人間、シンプルでストレートが一番ですよ。

さて問題の騒ぎですが、自分は単純所持規制に反対していることもあり、個人的には過去は過去として流すべきだと思います。
しかし、問題は単純所持のみにとどまらないように思えますし、やはり当事者は双方とも事実関係をはっきりさせるべきでしょうね。
かつて、鳥山さんが掲示板でこの問題に触れたとき、カマヤンさん本人が「店長が出てくるなら面白い、決着をつけてやる」という趣旨の発言もありましたから、その気になれば両者の直接対決で解決するのでは?

また、以下の点については、個人的に疑問視しています。

> また、所持そのものが悪いと言うのであれば、カマヤン本人が「被写体の児童に悪いことをしたと思っている。申し訳ない。今は、もうそのようなものは持っていない」と意見表明すれば、それで終わりですし、彼が政治活動を行っている以上、とっくの昔にそうした意見表明はなされているはずです。

少なくとも、ゲーム業界においてはそのような意見表明がなされたと考えている人はいないし、松代個人もそのような意見表明がなされたという記憶がありません。
そのため、ゲーム業界ではカマヤンさんをうそつき呼ばわりする人が少なくないし、政治活動を展開する上でも「過去と真摯に向き合い、清算する」ことは大事だろうと思います。
いずれにしても、表現規制やオタク問題に深くかかわっているライターや研究者から、カマヤンさんが「不誠実な活動者」と批判されているような状態なので、放置しておくのはご本人のためにもならないとは思うのですが、外野がどうこう言うことでもないでしょう。
個人的には、ねたにすれども問題にはせず、という方針で臨みたいと考えています。

124鳥山仁:2005/06/19(日) 12:35:52
猿の惑星・征服編(前編)

 日本の某所に、ape mind research institutionという公的な研究機関があった。 日本語に直訳すると『類人猿記憶研究所』になるが、この機関の関係者は英語の名称を略してAMIと呼んでいた。

 ここでは、機関の名称通りに、霊長類の記憶に関する研究が行われていた。その具体的な方法は、類人猿にマンガを読ませて記号的な解釈をうながすというもので、研究所内では『マンガ記号論』と呼ばれていた。この理論を開発したのは、高名な霊長類研究家であるドクター・伊藤だった。しかし、この理論による実験を担当していた博士は、「科学はイデオロギーと不可分である」という主張を常々行ってはばからないドクター・鎌倉なる問題人物であった。

 ドクター・鎌倉の主張に従えば、当然のことながらドクター・伊藤の主張からもイデオロギーは排除できない。つまり、マンガが至高の表現形態であるという主張と、マンガ記号論を分離して考えることは不可能だ。しかし、ドクター・鎌倉はマンガを愛してやまなかったので、ドクター・伊藤の主張の疑問点には目を瞑り、伊藤が作った計画表に従って類人猿に片端からマンガを与えてその様子を記録し続けていた。

 その研究対象の一匹だったのが、ZINEというコードネームの類人猿だった。ZINEは非常に頭の悪い猿で、マンガのどこがよいのか全く理解できなかった。それどころか、「こいつら、毎日毎日、飽きもせずに俺にポンチ絵ばっかり読ませやがって。いつか手痛い目に遭わせてやるッキー!」と、反動形成を募らせていたのである。

 ZINEのAMIに対する反感の根底には、彼の育成歴があった。ZINEの元飼い主は非常に保守的な老人で、自らが死を迎えるその日まで、「マンガを読んだら馬鹿になる」と言って、決してZINEにマンガを読ませず、その代わりにゲームの相手ばかりさせていたのである。しかし、老人が死んでしまうと、身寄りの無くなったZINEは、国の研究機関であるAMIに引き取られることになった。

 ZINEは、まさかAMIがマンガを読ませるばかりで他のことは何もさせない研究所だとは思っていなかった。というのも、AMIは対外的に「アニメやゲームも研究に取り入れている」と公言していたからである。ゲームが得意なZINEは、「それなら、研究所でも楽しく過ごせるに違いない。ウキー!」と考えて、ついうっかり研究対象になることを承諾してしまったのだが、現実は彼の想像とは大きく異なっていた。アニメはまだしもゲームは完全な口だけで、研究員の大半はゲームマニアであれば誰でも知っている、ホビボックスという単語の意味すら理解できなかったのだ。

 怒ったZINEは我が身のおかれている境遇を、かつての主人の知人達に切々と訴えた。すると、主人の最も親しいゲーム仲間であった松代なる人物が、『ape mind research institutionは、動物愛護団体から狙われている』という事実をZINEに教えてくれた。この団体はanimal protection professionという名称で、日本語訳にすると『動物保護専門会』というものだったが、やはりAMIと同様に、関係者から英明の略語でAPPと呼ばれていた。

 APPは類人猿にマンガを読ませるのは虐待で、なおかつ危険であるという主張を行っていた。APPの関係者によると、マンガの記号を視覚認識した類人猿は異常な性癖を身につけて、小児性愛的な行動をとったり、「ポルノは学習、レイプは実践」と呪文のように唱えながら女性を襲ってしまうというのである。

125鳥山仁:2005/06/19(日) 12:37:37
猿の惑星・征服編(後編)

 これだ。頭はめっぽう悪かったが、ゲームで鍛えた猿知恵が働いたZINEは、早速「類人猿にマンガを読ませるのは虐待だッキー! AMIのドクター達は気が狂っているッキー!」と騒ぎ出した。このZINEの唐突な行動に最初こそ狼狽えた研究員達だったが、すぐにドクター・伊藤が類人猿の行動を見事に解析して見せた。

「ZINEは本当は漫画家になりたかったのである。しかし、奴は所詮は類人猿。漫画家になれるわけもない。だから、ZINEは漫画に対して嫉妬の感情を抱いているのである。我々を妬んでいるのである。可哀相ではないか」

 このドクター・伊藤の発言に対して、ドクター・鎌倉も同調した。

「全くその通りである。ZINEは猿だから漫画家にはなれないのである。これは、奴のルサンチマンである。ニーチェの教えたとおりではないか」

 こうして、AMIはZINEの引き起こした騒動を収めるべく行動を開始した。具体的には、漫画というメディアが、またその主要な読者であるオタクが、如何に素晴らしい存在かということを大々的にキャンペーンし始めたのである。

 しかし、これが性悪猿の狙いであった。驚くべきことに、AMIが漫画の素晴らしさを部外者に訴えれば訴えるほど、ZINEを支持するグループの数が増えていったのである。冷静になって考えれば単純な話で、漫画に興味のない人間に対して漫画の素晴らしさを訴えても、大半の場合は反感を買うだけで一銭の得にもなりはしないのだ。たとえば、鉄道マニアを自分達のシンパにしたいと思ったら、鉄道に関する趣味趣向を褒めるのがもっとも手っ取り早い方法なのは、誰もがうなずく道理であろう。

 ところが、鉄道マニアの集まりに漫画マニアがわざわざやって来て、漫画の素晴らしさを熱烈に訴えたらどうなるか? 「面白くない」と思うのが普通なのである。それと同時に、この中に一部がZINEに同調するのは、ごく自然な成り行きだったのである。

 ところが、「漫画こそ至高」というイデオロギーに洗脳されていた研究員の面々は、この単純なからくりに気づかなかった。ドクター・鎌倉などは、「科学はイデオロギーと不可分である」という主張を常日頃から唱えていたにもかかわらず、自分がイデオロギーの熱烈な信奉者である、という事実すら把握できなくなっていたのである。

 それどころか、ドクター・鎌倉はZINEが漫画家に対する嫉妬の余りに漫画を愛好して止まない団体を乗っ取るか、漫画に関する利権を奪い取ろうとしていると解釈した。ただし、類人猿のZINEが漫画家になれないことは分かっていたので、恐らく猿のバックには漫画利権を傘下におさめることが可能な組織が存在するに違いないと考えた。そして、ZINEが騒いでも研究所内部に変化がないと、「ZINEは研究所の乗っ取りに失敗した。AMIは漫画利権を守ったのだ」と、勝利感を味わうようになっていったのである。

 こうして、夢と現実の区別がつかなくなったドクター・鎌倉の姿を目の当たりにした類人猿は、「人類は地球を支配するのに相応しい存在なのか?」という疑問を持つようになった。何しろ、ドクターはZINEのバックにはビデ倫やメディ倫や高橋がなりが存在すると声高に主張し始めたのである。ソフト・オン・デマンドというアダルトメディア会社を退社することが決定的ながなりが、一体どのような権力構造でメディ倫を支配しているのであろうか? この他にも、ドクター・鎌倉のヤクザ話や官僚話の大部分は、彼の知っている情報の断片をつなぎ合わせたおとぎ話でしかなく、とても信じるに値しないものばかりだった。

 ZINEは以前ドクター・鎌倉に「ヤクザの話がしたけりゃ、最低でも『実話時代』を定期購読しろッキー!」と忠告したのだが、漫画ばかり読んでいて、後から付け焼き刃で左翼系の現代思想と近代史を囓っただけのドクターに、「業界紙を読む」という基本中の基本ともいうべき発想は皆無だったし、それ以前に「猿ごときが何を言う」と小馬鹿にした態度を貫いていて、ほとんどが新聞記事からの引用で構成されたカプランとデュプロの『ヤクザ』をタネ本にし続けるのであった。

 すっかりあきれ果てたZINEは、ついに人類に対して反乱を決意した。猿はそれまでの反漫画活動で集めた人脈を結集して反漫画軍を立ち上げると、得意の作戦を練ってAMIとAPPに襲いかかった。そして、自らもナイフを振りかざし、「ロリポップ上野店! ロリポップ上野店!」と雄叫びをあげながら、ドクター・鎌倉を滅多刺しにしてしまうのであった……。

126СТАЛКЕР:2005/06/19(日) 20:14:53
>ZINEのAMIに対する反感の根底には、彼の育成歴があった。
>ZINEの元飼い主は非常に保守的な老人で、自らが死を迎えるその日まで、
>「マンガを読んだら馬鹿になる」と言って、決してZINEにマンガを読ませず

ウチの飼い主と同じなのが面白いですね、ウチは老人ではありませんでしたが
やっぱり、漫画は禁止されていましたよ。
芽生えかけた創作衝動を禁じられた子供は、軍艦や戦車の絵を描くようになって、
ついにはAHやSPIにたどり着いたと、なんとなくフロイトが喜びそうな感じの少年期で。
反抗期になって、飼い主の腕力に恐れを抱かなくなると、その反動でおおっぴらに
ポルノ漫画や小説を書き出すようになってしまいましたがw

「彼」の脳内では、ZINE氏周辺の二次元メディア関係者がどう分類されているのか
想像すると、ちょっとワクワクします。

127鳥山仁:2005/06/20(月) 10:07:41
126さん>
 以前にも書きましたが、私が最初に読んだマンガは猫十字社の『小さなお茶会』で、「これがヨイ」と紹介してくれたのは書店のお姉さんでした。従って、私にとってのマンガというのはあくまでも受け身で読むものであって、しかもジェンダー的には女性としての意味性が強いんですね。マンガを純粋に面白いと思ったのは、どおくまんの『暴力大将』を読んだ時からかな?

 しかし、幼少期の自発性(というか反抗期?)の現れとして「マンガを読む」という経験がある人間にとって、マンガの持つ意味性は私とは大幅に異なります。そして、漫画に対する愛着で人間をカテゴライズしたらどうなるか、というのは既に壮大な実験が行われたのではないでしょうか? ファンジンと政治活動を混同すべきではないでしょう。 

 どちらにせよ、私にとってマンガはノスタルジーの要素ではなく、これを背負っているのはジャガーバックスなどの『インチキ図鑑系』と、ご指摘の通りAH、SPI、そしてエポックなどのシミュレーションゲームです。

http://www.skz.or.jp/kazu/arifumi_satou.html

http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/gm1982.htm

128松代:2005/07/08(金) 23:45:20
がらすのうなぎ

2003年、敗色のこくなる一方の規制反対派は、署名活動も下火になって久しく、規制反対団体の幹部はセクハラに明け暮れ、十四歳未満の女学生も女子挺身奉仕隊員として徴用されていった。東京両国の山咲ガラス工場も、梅太郎が最後のガラスのうなぎの置物を作っていた。梅太郎は規制反対派掲示板の管理をしていたが、言論統制は厳しくなる一方だった。やがて規制推進派の攻勢が激しくなり、梅太郎は活動を強化するために様々提案をするが、ことごとく代表のヤマトに握り潰されてしまう。やがて梅太郎は、規制反対団体の役員を辞任すると伝えた。ヤマトは表面的に梅太郎を慰留するものの、内心は「マンガ家としての信用を失墜させる裏切り行為」だと感じていた。梅太郎が埼玉へ向かう列車を駅で待っていると、突如としてヤマトが襲いかかり、君は「精神的に不安定で、信用なら無い」などとののしる。そして、掲示板の管理からも解任され、その焼け跡からは無残に溶けたガラスのうなぎが出て来るのだった。ひとり残された梅太郎は、焼け溶けたガラスのうなぎを掲示板に埋めると、けなげに荒廃した街へ歩きだすのだった。

129松代:2005/07/10(日) 23:09:51
排卵日だあ2

西暦2004年。日本人は子どもをつくる能力を失い、少子化対策に追われていた。セックス大臣のノダー・マクラウドは、今や65歳の老体になっていた。彼女はセックス大臣でありながら子どもを産むことができず、配偶者のペニスを絞って憂さを晴らしていた。日本中にポルノが満ちあふれ、人々は萌え産業に従事して生活の糧を得ていたが、その萌えを理論化するドクター・イースト率いるあみちゃん13歳に、反抗を企てるカスパルと呼ばれる一団があった。その指導者サエキと、部下であるササクレがノダーに接近する。ノダーの前に、あみちゃん13歳の悪の将軍ヨハネから送り込まれた刺客が現れる。ノダーは彼らを倒し、再び超人排卵日だぁになった。排卵日だぁは萌えの全く存在しない、ただ「生殖するためだけのセックス」を実現する、宗教戦士なのだ。ノダーはササクレと一夜をともにし、自分の正体を彼に話す。しかし、あみちゃん13歳の実権を握るヨハネが、ササクレをつかまえた。ノダーは勉強会を主催し、敵に立ち向かう。ドクター・イーストは駅のホームから転落してしまい、サエキは2万人の署名戦士と共にヨハネを追いつめて首を落とし、日本を覆っていた萌えも消滅するはずだった。しかし、サエキの正体は「萌えエロゲー会社の社長」であり、生殖をともなわない「萌えセックス」の手先だった。そのうえ、ノダーが一夜を共にしたササクレは「実は女」であり、はからずも生殖をともなわないセックスをしてしまったノダーは、自らを恥じて自分の首を切る。だが、ノダーは「私は卵子を2つ持っている」と、意味不明な言葉を叫びながら復活し、首相候補として名乗りを上げるのだった。

130松代:2005/07/12(火) 00:21:23
http://www.eigodaigaku.com/archives/000029.html
「私(この場合は読者をさす)=うなぎ」ではありません。

先週話したように、マンガの「主題」と呼ばれるものは実は「話題」であり、また「ですた」という動詞は日本語ほど厳密な同等関係を表さないので、マンガファンの言葉には下記のような問題が非常に多いです。


×少年犯罪は減少している
○一般刑法犯の検挙人員のことなら完全に間違い

×少年犯罪は大人の犯罪発生率と比べてもより少ない
○単位人口あたりの検挙人員なら一般刑法犯でも凶悪犯でも間違い

×私は「警察白書」のデータを分析した
○本当は「警察白書」と「犯罪白書」の区別がつかない

×これは「マスコミの少年犯罪凶悪化」に対する反証として「少年の凶悪犯罪の増加は間違い」という文脈で書かれた
○過去の分まで遡ってみても「警察白書」と「犯罪白書」のどちらからも、少年の凶悪犯(殺人、強盗、放火、強姦)が中、長期的に減少傾向にあるという事実しか出てこない

しかし、間違いだということが分かっても、どのように訂正すればよいでしょうか?

1)前回話したように、ひとつの修正方法はマンガで省略されている主題を復活させることです。例えば「うなぎは草加です」は「私(この場合は山田をさす)の敵がうなぎです」という文章の略でありますから、質問の文章を訂正することで修正できます。

2)より簡単な方法として、間違いを「なかったこと」にして、まちがいを指摘する椰子を「草加認定」するというものが有ります。

3)もっとも簡単な方法は、まちがいを指摘する掲示板の書き込みを、無警告で片っ端から削除することです。

131松代:2005/07/12(火) 00:22:32
とりやま&まつしろ クレイジー・カマ・バンド詞・曲

オレの、オレの、オレの話を聞け!
2分だけでもいい
よく判らないけれど、どうでもいいことだが
頭の中にいる、トリとマツじゃないが
オレの中を誰か、盗聴している
お前を操る、メディ倫の中に
利権むさぼってる
手配したちよ

はっ!

132松代:2005/07/15(金) 23:43:42
裏窓

ここは東京。怪しい人々が好んで住む街、六本木の高級マンションの12階。
マンガ家の鎌倉は街宣活動中の右翼と乱闘して左足を骨折、ギブスをはめられ車椅子の生活だ。マンションは中庭を囲んで4棟建っている。鎌倉は退屈しのぎに、住人を観察するのが日課になっていた。
元気に駆け回る子ども達、テラスで無防備な姿を曝す寝る中学生姉妹、児童劇団へ通うバレリーナの卵、子どもをモデルに制作する彫刻家、病床の父親と娘、小学生カップル、何故か子どもだけで暮す家・・・。 ジェフは望遠レンズを通して、これらの人生を覗いて悦にいっていた。
「盗撮は犯罪よ」と、毎日派遣されて来る中年看護婦のウルトラ・ナナはジェフに忠告していた。鎌倉の足をマッサージしながら、みぃちゃんとの結婚を勧める。みぃちゃんは鎌倉の恋人で高校生だ。
そんなある日、日頃喧嘩の絶えない病床の父親と娘の家に気になる出来事が・・・。
深夜、父親がトランクを重そうにかかえ、路地裏に出ていった。しばらくして再び戻った彼は又、トランクをかかえて外出した。こんな夜更けに何をしているのだろうか?
翌朝、ナナにマッサージを受けながら、鎌倉が昨夜の父親の奇怪な行動を話していると、父親が窓から周りの様子を窺っていた。中庭にある彼の専用花壇で犬がしきりに臭いをかいでいる。
鎌倉は倍率の高い望遠レンズで父親の部屋を覗くと、彼は娘と二人、裸で毛布にくるまっているではないか!
その夜、みぃちゃんがやって来た。鎌倉は父親の話をしたが、みぃちゃんは取り合わない。もしかしたら、娘さんをレイプしたのでは?
深夜、みぃちゃんから電話があり、父親の名は糸冬で、政治家をやっていると知らせてきた。
鎌倉は戦友だったヨハンに事情を話した。ヨハンの調べでは、糸冬の娘は昨日からアルバイトに出かけたという。糸冬を観察すると、彼は娘の衣装だんすから下着などを取り出していた。
みぃちゃんは言った。女は外出する時、下着類は置いていかない、と。
翌日、糸冬の留守中にみいちゃんと鎌倉は花壇を掘ったが何も出てこない。すると、鎌倉は非常梯子を上り、糸冬の部屋へ忍び込んだ。証拠品の下着を盗み出そうという訳だ。そこへ、糸冬が帰ってきた。逃げようとした鎌倉は糸冬ともめごとになった。みぃちゃんの電話で警官がやって来て、鎌倉が糸山の娘の下着を持っていたばかりか、盗撮画像まで所持していたため、鎌倉は警察へ連行された。
鎌倉は起訴猶予となって釈放されたが、その後で「不当逮捕だった」と騒ぎ始め、同人誌などで「事情を説明」しはじめた。また、取り調べではべらべらと自供したにもかかわらず、盗撮写真の入手先を黙秘したために長期拘留されたなどと、自らに都合の良い話を流布させた。そして、糸冬は「政治家なのだから市民の監視を受ける気味がある」と、自らの盗撮行為を正当化しようとした。しかし、社会は鎌倉に応答せず、みぃちゃんも彼の前から姿を消した。

134松代:2005/08/10(水) 00:13:18

  ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡< チェシャ猫だぞゴルァ!
 UU"""" U U    \_______

ヲタク:すみませんが、私はどういうオタクなのか教えていただけませんか。
     
チェシャ猫:そりゃ、おまえがどういうオタクになりたいと思っているかによるね。 

ヲタク:どういうオタクだってかまわないんですけど

チェシャ猫:それなら、どうなってもいいさ。

ヲタク;オタクになりさえすれば・・・

チェシャ猫:そりゃ、きっとなれるさ。なるまで生きていればの話だけど。

ヲタク:このあたりには、どんな人が住んでいるんですか?
        
チェシャ猫:(チェシャ猫は右手を回して)
       こっちにはミリヲタが住んでいて
       (反対の手を振りながら)
       こっちの方向には鉄ヲタか住んでいるよ。好きな方を訪ねてご覧。どちらもヲタクさ。

ヲタク:でも、私、そういうヲタクの人のところには行きたくないわ。

チェシャ猫:あ〜、しかたがないさ。このあたりのいる者は、皆、ヲタクさ。私もヲタク。君もヲタク。

ヲタク:私がオタクじゃない、ヲタクってどうしてわかるんですか?

チェシャ猫:ヲタクに決まっている。でなきゃ、こんなところに来るはずがない。

135СТАЛКЕР:2005/10/03(月) 23:47:12
鎌のBlogにおいて最近付き始めた人気Blogランキングについて

・・・無い方が読みやすいんですけどね


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