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【2007年】統一地方選挙【亥年】

1片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/01/17(水) 15:59:15
一大政治決戦が予想されるため、地方選挙・地方政治から抜き出し。

1054片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 01:03:35
統一地方選後半戦 投開票
2007年04月23日 朝日岐阜
http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000000704230001

 統一地方選後半戦の市町村長選と市町村議選が22日、投開票された。現職が引退表明して、新顔による三つどもえの選挙戦となった多治見市長選は、古川雅典氏(54)がほかの2氏を引き離して当選を決めた。瑞穂市長選は堀孝正氏(65)が現職の松野幸信氏(73)を接戦の末に破り、初当選を果たした。新顔同士の一騎打ちとなった土岐市長選は、大野信彦氏(62)が初当選。ほかにも、5町村の首長と、9市7町村の新しい議員の顔ぶれが次々と決まった。


◆多治見市長に古川氏
 新しい多治見市長に古川雅典氏が就くことになった。同市でのトップ交代は12年ぶり。午後10時すぎ、同市光ケ丘5丁目の選挙事務所に姿を見せた古川氏は多くの支援者に「おめでとう」と声をかけられた。古川氏は「今回からマニフェストという武器をいただいた。そこに掲げた約束を一つひとつ実行していく」と決意を述べた。
 古川氏は、西寺雅也市長(63)が4選不出馬を明らかにした昨秋、民主党県議からの転身を表明。党を離れて無所属で戦った。連合岐阜の推薦を受けたほか、市議3期、県議2期で地元に培った人脈を駆使し、幅広い層の支持を得た。
 選挙戦では候補者で最年少の50歳代の若さもアピール。「元気な多治見をつくる」と精力的に街頭などに立ち、西寺市政の先進的な市政運営の継承と新産業の誘致など7項目の基本政策をまとめたマニフェストを示し、浸透を図った。
 中道育夫氏(62)は、いち早く具体的な政策をまとめてインターネット上で公開。地元の新興住宅地をはじめ、政策に共鳴する経済人らからの支援も得たが、大きなうねりにつなげられなかった。
 水野忠勝氏(62)は「投票に迷う党員の受け皿になる」と2月末に自民党推薦での立候補を表明。だが出遅れが響いて自民の組織をうまく回転させることができず、保守層をまとめ切れなかった。


◆瑞穂市長、堀氏当選
 合併前の旧町の町長経験者同士の一騎打ちとなった瑞穂市長選は、元市議の堀孝正氏が、現職の松野幸信氏を破り、初当選を果たした。
 同市野田新田の選挙事務所に堀氏が姿を見せると、集まった支持者らから大きな拍手が起きた。あいさつで堀氏は「マニフェストの内容を実行したい。今までは議会が機能していない状態だったが、これからはみんなで話し合っていきたい。松野市政の総点検をしたい」と興奮した表情で喜びを語った。
 選挙戦で堀氏は、旧穂積町長を期の途中まで務めた松野氏の母の友さんから続く長期政権を批判。市政の「マンネリ打破」を訴え、無党派層の支持を集めた。
 一方、現職としての実績をアピールしたが及ばなかった松野氏は「街を思う情熱に支えられながら一生懸命努めてきたが、至らないところが多々あり、申し訳ない」と支持者を前に話した。

1055片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 01:05:28
◆御嵩町長、渡辺氏が初当選
 柳川喜郎町長(74)の引退表明を受け、3人の新顔による選挙戦が展開された御嵩町長選は、元町議の渡辺公夫氏(53)が初当選を果たした。
 渡辺氏は、町内で計画されている産業廃棄物処分場の建設に「完全反対」の立場を明確に打ち出し、柳川町長の支援を受けた。出身会派の町議など柳川町長の支持者が中心となって選挙戦を進め、ともに元町議の植松康祐氏(66)と谷口鈴男氏(61)を抑えた。
 渡辺氏は95年の町長選で柳川町長を擁立した一人。同年の町議選で初当選し、3期途中まで町議を務めた。産廃処分場計画には反対の姿勢を貫いてきた。
 選挙期間中の個人演説会には、柳川町長が応援に駆けつけ、「彼は『ぶれない』のが最大の特徴」と紹介して渡辺氏への支持を訴えてきた。
 政策面では、水道料金の値下げ、子どもの医療費を中学卒業まで無料にするなど、実施年度を盛り込んだマニフェストを用意した。地元の中地区を固めた上、柳川町長を支持する住民らからも支持を得た。
 植松、谷口両氏は、柳川町政で「町の発展が遅れた」などと批判。産業振興などを重点に訴えたが、及ばなかった。


◆坂祝町長、元町議の南山氏、初当選
 無所属新顔による三つどもえの選挙戦となった坂祝町長選は、地元の経済界や労働組合などの幅広い支持を得た元町議長の南山宗之氏(51)が、元町議長の黒田一光氏(72)、施設管理会社役員の和田雅彦氏(47)を破り、初当選した。選挙戦で南山氏は「商工業の発展で税収を上げ、福祉や教育面に力を注ぐ。安全、安心な町づくりを目指す」などと訴えた。


◆輪之内町長、渋谷氏初当選
 無所属新顔の三つどもえの戦いとなった輪之内町長選は、元助役の渋谷桂一氏(66)が、元県職員の木野隆之氏(60)と元町議会議長の小寺強氏(60)を抑え、初当選。渋谷氏と木野氏とはわずか85票差だった。
 渋谷氏は40年余、役場に勤務した経験を強調。「自立した元気な町」と町長給与の1割カットも打ち出した。木野氏は小寺氏と地盤が競合した。


◆垂井町長、現職中川氏 再選果たす
 垂井町長選は、「住民の意向が反映される行政運営」を唱えた現職の中川満也氏(52)が、新顔で元町議の富田栄次氏(58)を破って再選を果たした。
 選挙戦で中川氏は、少子高齢化や災害への対応、企業誘致などを課題に挙げ、支持を訴えた。富田氏は、関ケ原町との合併で「不破市」の実現を訴えたが有権者の共感を得られなかった。


◆白川村長、景観改善訴え谷口氏が3選
 世界文化遺産の合掌集落を抱える村の観光活性化策などが争点となった白川村長選は、無所属現職の谷口尚氏(64)が、無所属新顔で元村議長の板谷克雪氏(57)を破って3選を果たした。選挙戦で谷口氏は、休耕田活用による農村風景の景観改善や情報通信網の整備などを訴えてきた。

1056片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:20:05
東洋町長選挙 核処分場反対・沢山さん当選
2007年04月23日 朝日高知
http://mytown.asahi.com/kochi/news.php?k_id=40000000704230001

 「自然に恵まれたふるさとを守り続けたい」。そんな人々の思いが、高レベル放射性廃棄物最終処分場の立地調査に「ノー」を突きつけた。調査実施の是非が問われた東洋町の出直し町長選は22日、調査地への応募の白紙撤回を公約にした前室戸市議で新顔の沢山保太郎さん(63)=無所属=が、調査実施で得られる交付金を活用した町づくりを訴えた前町長の田嶋裕起さん(64)=同=を破り初当選した。当日有権者数は2934人。投票率は89・26%だった。


■女性・高齢者ら支援


 人口約3400人の町の人たちが下した大きな判断だった。町は過疎化、高齢化が進み、財政難も深刻だ。それでも処分場の候補地選定へ向けた立地調査で得られる交付金での町づくりより、これまでどおりの「自然に恵まれた、静かな町」を選択した。


 当選を決めた沢山さんは東洋町野根の事務所で、支持者らと喜び合った。あいさつで「核反対という町民の選択がはっきりと示され、決着がついた。直ちに国と原環機構(原子力発電環境整備機構)には、応募撤回の通知を送りたい」と述べた。住民の間にしこりが残ることへの懸念については「火種が無くなれば時間が解消していくと思う。応募に賛成した町議にも町政への協力を呼びかけたい」と述べた。


 沢山さんの陣営は、黄色のジャンパーをトレードマークに、草の根の活動を展開した。室戸市の出身で町内での知名度が低い沢山さんを、支援者らが紹介する形で町内のあいさつ回りを重ね、夜には町内のほぼ全域で集会を開いて知名度向上を図った。
 告示後は法定ビラ2種類を用意し、各戸に配布。選挙カーで町内の各地を入念に回って地域の要所でマイクを握り、高レベル放射性廃棄物最終処分場の危険性や、交付金に頼らない町づくりの可能性を訴えた。


 支援の中心になったのは、「子や孫に故郷の自然を残したい」と立ち上がった女性や高齢者ら。これまでは町政に関心の薄かった人も少なくなかった。町外からも、調査候補地への応募に反対する署名を集めたサーファーや、東洋町と同じように処分場問題に揺れた津野町の人たちなどが駆けつけ、運動を支えた。


 原環機構は5月にも文献調査の開始を予定している。そんな中で繰り広げられた今回の選挙戦は、賛成、反対の両派が激しく対立した一方で、「早く元の静かな町に戻って欲しい」と話す町民も少なくなかった。近い将来、どこかで必ず最終処分をしなくてはならない高レベル放射性廃棄物。その判断を巡って揺れた代償は大きい。

1057片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:20:33
町民が反発、訴え届かず 田嶋さん落選
2007年04月23日 朝日高知
http://mytown.asahi.com/kochi/news.php?k_id=40000000704230002

 「逆風」の中、財政難に苦しむ町の再生へ向けた未来像を描いた田嶋さんの懸命の訴えは、町民に届かなかった。


 文献調査への応募を巡り、これまでの支援者の一部が陣営を離れて迎えた選挙戦。統一地方選の後半戦に組み込まれたことで、準備の遅れも目立ったが、若い支援者が水色のジャンパー姿で、田嶋さんと町内を回り運動を支えた。


 「応募に至った思いを多くの町民に知ってほしい」と、田嶋さんは毎日20回ほど、地域の各所でマイクを握った。「交付金を活用した町づくりで、住民支援や南海地震対策を進めたい」と訴えたが、演説を見守る人の姿はまばら。独断と見られた応募への町民の反発は強く、支持が広がらなかった。

1058片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:29:14
釘宮・大分市長、低投票率に対して困惑
2007年04月24日 朝日大分
http://mytown.asahi.com/oita/news.php?k_id=45000000704240005

 22日に投開票された大分市長選で再選を果たした釘宮磐氏(59)が23日、同市内で記者会見を開いた。8万4千票余りの得票があった一方で、投票率は今回の統一選で全国最低のうえ、県内のすべての選挙でも過去最低となる25・02%に落ち込む記録的な選挙になった。有権者の4分の3が棄権したが、釘宮氏は「投票率が低いのを私のせいにされても困る」などと話し、一定の信任は得たとの考えを強調した。


 市長選が低調に終わったことについて、釘宮氏は「市政に関心を持ってもらえるよう、日ごろの情報発信が大事」などと前向きの発言もあったが、「『民主主義は一票を行使することから始まる』と訴えた。様々な要因があるだろうが、民主主義の危機を強く感じた」と複雑な表情で話した。


 市議会の自民、共産の各会派は、告示前、「現職は一定の評価ができる」などとして、相次いで擁立を見送った。しかし、これが、結果的に無投票当選を阻む狙いもあった相手候補の出馬を誘い、具体的な争点や論戦のない選挙戦となって、有権者をシラケさせたとの批判もある。


 それでも、選挙戦までの経緯を振り返って、「一定の評価を得たのであれば、選挙がないに越したことはない、というのが率直な思いだった」と語った。


 知名度がないうえに、ポスターを掲示せず、序盤は選挙運動もしなかった相手候補に5千票余りを許したことを聞かれると、「どんな人でも100%の支持を得るのは不可能。だが、主張もわからない候補に入れた人がこれだけいることも念頭に置き、市政運営にあたりたい」。


 8日に投開票された知事選で再選を果たした広瀬勝貞氏は、当日有権者に対する得票率(絶対得票率)で57%を得ている。一方、釘宮氏の絶対得票率はわずか23%。「存在感に欠け、訴えも浸透しなかったのでは」と問われた時は、「知事選は伯仲した県議選と同時に投票された。ここは市議選もなかったからだ」と語気を荒らげる場面もあった。


 2期目の抱負については「各世代が『大分に住んでよかった』と思える施策が必要」などと言い、具体的にはJR大分駅南の複合文化施設の建設や中心市街地の活性化、市民の健康づくりなどを挙げた。

1059片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:31:27
佐世保市長に朝長氏
2007年04月23日 朝日長崎
http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000000704230002

 「市政刷新」訴え初当選


 佐世保市長選では、3期12年続いた光武顕市長の政策の「刷新」を訴えた朝長氏が、初当選を果たした。
 当選が決まった後、佐世保市島瀬町の事務所に、妻の多加子さんとともに現れた朝長氏は、支援者らと握手を交わし、「ありがとうございました」と繰り返した。
 「市民第一主義を掲げて選挙戦を戦ってきたことが理解されたと思う。行財政改革と産業振興に力を入れ、新しい佐世保を作りあげていきたい」と抱負を語った。
 元自民県議の朝長氏は昨年7月、市長選への立候補を表明した。市議に当選して以来20年にわたって培った後援会に加え、辻昌宏・佐世保商工会議所副会頭ら経済界の支援を背景に約2千の企業・団体から推薦状を集めた。県議時代の人脈を生かし、自民、公明の推薦も受けるなど、盤石の態勢を整えた。
 だが、昨年12月、県医師連盟佐世保支部が野口氏を推薦し、朝長氏の有力支持層である医療関係者が動揺。年明けには連合長崎、佐世保地区労など労働団体が野口氏の推薦に回った。12年前に光武市長が勝利した「保革相乗り」の戦術で、野口陣営が朝長氏の支持基盤を侵食し始めた。
 選挙の行方を楽観していた朝長陣営を引き締めたのは、自民退潮に終わった県議選だった。
 朝長氏を推薦する自民は、佐世保市区で公認した5人のうち、現職、新顔の2人が落選した。一方で、佐世保地区労が推す社民現職が議席を守り、連合長崎が支える民主新顔2人が当選を決めた。
 自民市議の一部に野口氏支援の動きが出たことから、自民県連は職域支部を通して朝長陣営のてこ入れを図り、合併した旧4町を地盤としていた旧北松浦郡区選出の自民県議も支援に走った。4年前の県議選で1万9千近い票を集めた後援会もフル稼働し、野口氏を突き放した。
 選挙戦では、光武氏の後継を掲げる野口氏を、「権力の私物化」と激しく批判。不正経理問題への追及も強め、光武批判層を取り込んだ。さらに、「民間による市政の刷新」を強調し、野口氏が射程に入れていた無党派層への浸透にも成功した。
 野口氏は、光武氏の個人後援会と市役所のOB会を足がかりにミニ集会を重ね、草の根の支持を広げてきた。告示後は、市役所に勤めた39年間で培った行財政運営の手腕を前面に出したが、昨秋に発覚した不正経理問題に対する市民の不信は根強かった。
 米軍前畑弾薬庫が返還された後の跡地利用策や、子育て支援や教育の充実などの新施策も掲げたが、朝長陣営の攻撃をかわせなかった。
 前川氏は、重要課題を市民にアンケートで聞いて政策に反映させる「5択民主主義」の条例化や米軍基地撤去など、他の2氏との政策の違いを際だたせたが、浸透しなかった。

1060片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:32:17
長崎もん・田上氏に風
2007年04月23日 朝日長崎
http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000000704230001

 ■長崎市長選■


 統一地方選後半戦が22日、投開票された。長崎市長選では、市統計課長を辞めて立候補した田上富久氏(50)が、伊藤一長市長の娘婿で新顔の横尾誠氏(40)ら新顔4人を退け、初当選。新顔3人の争いとなった佐世保市長選は、元自民県議の朝長則男氏(58)が、元市助役の野口日朗氏(62)ら2人を破り、初当選した。投票率は長崎が55・28%、佐世保が66・81%だった。小値賀町長のほか、長崎、佐世保、大村の3市議、6町議も次々と決まった。


 『継承』横尾氏、波つかめず


 選挙期間中の現職市長の射殺という異常事態のなかで行われた長崎市長選を制したのは「世襲批判」を掲げて立候補した田上氏だった。
 市長選には当初、伊藤氏と新顔3人が立候補。新顔は、伊藤氏の多選批判などを展開し、市政の刷新を訴えた。だが、銃撃事件後、伊藤氏の娘婿の横尾氏が補充立候補を届け出たことで構図は一変。「世襲」の是非に争点は移った。
 田上氏は「市政は家族のものではない」「肉親の情と自治は違う」と批判。さらに、過去に4年7カ月しか長崎市で生活したことのない横尾氏を念頭に「長崎のまちは長崎もんでつくろう」と繰り返し訴えた。
 市観光振興課主幹を務めていた時に「長崎さるく博」の企画の中心になったこともアピール。行政経験のない横尾氏との違いを際立たせた。
 政治的な知名度も、地盤も全くなかった田上氏が3日足らずの選挙期間で、急速に支持層を拡大していった背景には、横尾氏の擁立に反発した自民、民主などの県議や市議、さらには商工会議所など経済界からの支援があった。
 だが、準備期間がほとんどなかったため、公約のなかに具体的な施策までは盛り込めなかった。有権者の多くは「世襲の是非」「長崎出身者かよそ者か」といった基準で投票行動を決めざるを得なかったのが実情だ。
 事件で争点から吹き飛んでしまったが、市には不正経理の再発防止、地域経済の活性化など課題が山積している。核兵器廃絶のための取り組みも求められる。有力な支持基盤を持たない田上氏にどんな市政運営ができるのか。その手腕が問われるのはこれからだ。

1061片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:33:34
現市政「良い面は継続」
2007年04月24日 朝日長崎
http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000000704240001

◇朝長・次期佐世保市長◇


 3期12年続いた光武市政の「刷新」を訴えて元佐世保市助役の野口日朗氏(62)を下した朝長氏は23日、「民間による改革」に向けた思いを語った。選挙戦では、佐世保港の軍港機能強化による経済活性化を打ち出し、地元経済界の支援を広げてきた。米軍前畑弾薬庫の返還や、同港の軍事、商業機能のすみ分けなど、光武路線からの「転換」の行方が注目される。


 「喜びや期待よりも、責任の重大さを感じています」
 当選した朝長則男氏は23日、県庁や市役所へのあいさつを済ませた後に、市内の自宅で記者会見した。当選から一夜が明け、「マニフェストをできるだけ早く実現したい」と改めて市政への抱負を語った。


 市長選への出馬を決め、準備を始めたのは昨年5月。約1年に及んだ選挙戦について、朝長氏は「長期決戦になり、途中で戦略の変更もあったが、最終的にうまくまとまった」と振り返った。
 後援会活動や選挙活動では、市政の「刷新」を強調。市役所改革やゴミ処理の無料化など生活に密着した政策を訴えてきた。「有権者が敏感に応えてくれた。まずは中学校給食の導入や行財政改革に取り組みたい」
 一方で、市営バスの高齢者無料パスの発行など、「光武市政の良かった面についてはしっかり継続したい」と説明。光武市長が進めてきた前畑弾薬庫の機能集約についても、「基本的に賛成。移転先の住民の理解を得ながら進めていく」と述べた。


 マニフェストで示した軍港機能の強化による地元経済の活性化については、「自衛隊施設の整備は遅れていると思うが、強化は国の方針次第。協力できるところはしていきたい」と言葉を選びながらの答えになった。
 また、市をほぼ二分する票差になったことについては、「できるだけしこりを残さないようにする。その努力をしたい」と述べた。


 ◆「知名度不足 響いた」/野口氏


 約1万票差で朝長氏に敗れた野口氏は23日未明、佐世保市栄町の選挙事務所で「野口という知名度、そして野口自身の能力が足りなかった」と敗因を語り、支持者に頭を下げた。3期12年続いた光武市政の「継続」はならなかったが、「朝長氏には、すばらしい佐世保をつくっていただきたい」とエールを送った。


 野口氏は昨年8月、光武顕市長から後継指名を受けて立候補を決意。半年余の短い期間で、先行する朝長氏を猛追したが、「最後まで知名度不足を挽回(ばんかい)できなかった」(陣営幹部)。
 昨年11月に発覚した市役所の不正経理問題を受け、朝長氏の陣営から元助役としての責任を追及されたことも響いた。
 今月29日で任期を終える光武市長は、「私の責任だ。もっと早く野口君に(立候補を)お願いしていれば、勝利をつかむことができた。皆様に負担とご迷惑をかけ、申し訳なかった」と話した。

1062片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:35:20
「役立つ市役所めざす」
2007年04月24日 朝日長崎
http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000000704240002

◇「街づくりの情熱継ぐ」/田上・長崎市長


 統一地方選後半戦から一夜明けた23日、長崎市長選で初当選した元市統計課長の田上富久氏(50)、佐世保市長選に初当選した元自民県議の朝長則男氏(58)はそれぞれ記者会見し、街づくりへの思いを語った。田上氏は「市民との対話の場をできるだけ早くつくりたい」、朝長氏は「生活に密着した改革を進めたい」と意欲を見せた。


 長崎市長選を制した田上氏は同市役所で記者会見した。主なやりとりは以下の通り。
 ――投開票から一夜明けた今の気持ちは
 大変身の引き締まる思いだ。
 ――何が勝因だったと考えているか
 自分たちの街を自分たちでつくろう、そしてリーダーは市民の中から選ぼうという市民の思いが表現されたのではないかと感じている。
 ――僅(きん)差の当選について、どう分析するか
 厳しい選挙になるということは、たくさんの方から言われていた。そういう意味では予想した通りの結果だった。
 ――市長として、まず力を入れたいことは
 市役所改革は早急に手をつけたい。役に立つ市役所づくりを目指し、そのために必要なことをいろいろ検討し、できるものから始めていきたい。市民と接する機会も、できるだけつくっていきたい。気楽な形で市民のみなさんとお話したいし、市役所の職員のみなさんとも、本音でいろいろな話をする機会をつくっていきたい。
 ――九州新幹線西九州ルートの建設についてはどう考えているか
 基本的には推進の方向で進んでいるが、市民に理解してもらうためには、十分な説明が必要だと思う。市長としてどうするべきか、多くの人から話を聞きながら固めていきたい。
 ――市の不正経理問題をめぐり、裏金などを返還する考えはないか
 すでに対策の段階に入っている。不正が繰り返されないようにするためにはどうしたらいいのかといった未来志向の視点でのぞみたい。
 ――伊藤前市長から引き継ぎたい課題と、自分なりに改めたい課題は
 引き継いでいくものは、長崎のまちづくりにかける情熱。その手法については、私なりに考えていきたい。
 ――被爆地・長崎の思いをどのように伝えていくか
 必要なことは国に対しても言っていく。世界への発信の仕方については、新しい方法を含め、考えていきたい。

1063片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:36:07
 ◇『新市長へ 市民から』期待・注文
  「核廃絶運動の先頭に立って」
  「新幹線建設反対なら失格だ」
  「まじめだけでなく柔軟性を」


 核廃絶、経済振興、裏金問題……。市の課長から転身した田上氏が直面する課題は多い。関係者からは期待や注文が相次いだ。


 「『市政を私物化するな』という田上さんの主張が通りやすかったのではないか」。前市長の娘婿による「世襲」を阻んだ田上氏の勝因について、長崎原爆被災者協議会事務局長の山田拓民さん(75)はこうみる。ただ、平和行政の手腕については未知数だ。「被爆都市・長崎の市長として、国際的にも核廃絶運動の先頭に立ってほしい」と願う。


 田上氏の選挙戦を支援した長崎商工会議所の上田恵三副会頭(65)は「市民の目線で、市民のために働きたいという新市長の姿勢を高く評価している」。しかし、政策の意見交換はこれから。特に、経済界が建設促進を打ち出す長崎新幹線については「もし反対なら長崎市長として失格だ」とくぎを刺した。


 市の裏金問題も選挙の争点の一つだったが、ながさき市民オンブズネットの横田賢二代表(58)は「銃撃事件と後継争いで吹っ飛んでしまった」と残念がる。前市長は「公的な物品購入などに使われた」として職員に裏金713万円の返還は求めないことで幕引き。田上氏も当選後の記者会見で同じ考えを示した。横田代表は「とんでもない話。きちんと解決してもらわなければ困る。新市長に返還を求めたい」と話した。
   ◇
 超短期戦の末に12年ぶりに交代したリーダーに対し、市民は期待と不安を語った。


 同市茂木町の会社員峯英文さん(50)は、「中間管理職から立候補した勇気に感動した。庶民だけに市民の気持ちもわかるはず。目立つことはやらなくても、じげもんとして長崎を愛していただければ、いい長崎になるのでは」と期待する。


 高平町の主婦田浦真貴さん(31)は「街中に子どもを遊ばせるところが少ない。観光客誘致も活性化につながるだろうが、住んでいる市民の生活が良くなるようにしてほしい」と話した。


 愛宕3丁目の主婦山田由美さん(55)は、「事件がなければ当選したかわからない。事務机が似合うまじめさだけでなく、柔軟性をもって市政に臨んでほしい」。


 愛宕1丁目の飲食店従業員松永寛崇さん(25)は、「トップになるには、リーダーシップ性が足りなそう」と語る。
 「選挙期間が短すぎて、公約もわからなかった。無効票も1万5千票あった。もちろん横尾さんについても何も知らない。きちんと再選挙すべきではないか」

1064片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:55:08
統一地方選後半戦 上天草市長選
2007年04月23日 朝日熊本
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000000704230002

  財政再建などを争点に無所属新顔5人による激戦となった上天草市長選は、若さと行動力を前面に押し出した元市職員の川端祐樹氏(35)が、元市議の切通英博氏(45)、衣料品販売会社専務の尾上一久氏(50)、元龍ケ岳町長の辻本両造氏(62)、土産品販売会社員の田中銑之助氏(60)を破り、初当選した。


  04年3月の旧4町合併後、無投票で初代市長となった何川一幸氏(60)が「県議として市の発展に努力したい」と任期途中で辞任し、県議選に立候補したため、急きょ選挙が実施された。


  大矢野地区から川端氏と田中氏、切通氏、龍ケ岳地区から辻本氏と尾上氏が立ち、候補が出なかった松島、姫戸両地区を中心に激戦を展開した。


  5人の中で最初に立候補表明した川端氏は「もうける行政、企業誘致推進」を主張。「再生と自立」をキーワードに所得や就業機会、教育水準、健康水準、出生数など暮らしにかかわる指標を10年間で10%向上させるという「1010プログラム」を掲げるなどして支持を集めた。


  争点となった財政再建では、切通氏は「行政にも経営感覚の導入を」と主張。尾上氏は「市民の目線で市政を変える」と呼びかけた。辻本氏が「旧4町の均衡ある発展」を掲げ、田中氏は「この4年間で市の道筋をつける」と訴えたが、及ばなかった。

1065片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:55:42
統一地方選後半戦
2007年04月23日 朝日熊本
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000000704230001

  統一地方選後半戦の市町村選挙は22日投開票され、人吉市長選は田中信孝氏(59)、上天草市長選は川端祐樹氏(35)がそれぞれ初当選。熊本、人吉、荒尾、水俣、合志の5市議、8町村長、12町村議などの新しい顔ぶれも続々と決まった。5市議選は今回から定数削減や在任特例の終了などで各地で混戦となり、8町村長選は現職3人が落選する波乱が起きた。2市長選と5市議選の投票率は次の通り(かっこ内は前回)。人吉市長選79.87%(84.98%)、上天草市長選81.96%(無投票)、熊本市議選47.10%(53.37%)、人吉市議選79.86%(84.97%)、荒尾市議選67.27%(72.83%)、水俣市議選77.17%(81.58%)、合志市議選68.34%(合併後初改選)


  41年目を迎えた川辺川ダム計画で推進派のリーダー的存在だった福永浩介市長(67)の引退表明と収賄容疑での逮捕・起訴を受け、無所属新顔5人による激戦となった人吉市長選は、99年、03年と次点に泣いた田中信孝氏(59)が初当選した。


  田中氏は、ダム問題では「国との対立は得策ではない」として「中立」の立場。今後、国土交通省はダム計画を含む球磨川水系の新整備計画を策定する段階で、知事を通じて地元自治体の意見を聞く。その際、田中氏の対応が注目される。


  選挙戦では、元葬祭会社役員として「必ず人吉は観光で生きてゆける」と民間の経営感覚を生かした市政運営と地域振興を掲げた。商工団体などの支持を受けて組織戦を展開し、選挙運動を優位に進めてきた。


  元市議長で唯一のダム推進派だった別府靖彦氏(54)は、保守層の票をまとめ切れなかった。


  主要なダム反対派団体の支援を受けた元市議の上原義武氏(72)は、ダム問題を第一の争点に据え、反対派の票をまとめた。しかし、有権者の関心は混迷するダム問題よりも観光や農林業の再興に移り、幅広い支持を得られなかった。


  元市議の家城正博氏(58)は自転車遊説で草の根運動に徹し、温泉宿泊会社長の高瀬清春氏(60)は自らの経営体験を前面に観光推進を訴えたが、及ばなかった。

1066片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 02:56:58
統一地方選まとめ 新市長 に聞く
2007年04月24日 朝日熊本
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000000704240002

  現職市長の逮捕を受け、市政刷新や川辺川ダム問題への対応などが注目される人吉市は、田中信孝氏(59)が3度目の挑戦で初当選。財政再建などの課題を抱える上天草市は、川端祐樹氏(35)が混戦を制し、九州最年少の市長となった。喜びから一夜明けた23日、新たなかじ取り役に抱負を聞いた。


  人吉・田中信孝氏(59)


  ――次点に5千票近い大差で勝利した


  新顔5人が立候補した中での9466票は、皆さんの信頼の証し。負託に応えられるよう、しっかり歩んでいきたい。


  ――まず取り組みたいことは


  公約通り、市長報酬を2割削減する条例案を6月市議会に提出したい。トップが率先しなければ誰もついてこない。企業の経営理念にあたる「市政理念」というものを根付かせたい。


  ――入札改革は


  条件付き一般競争入札の08年度導入に向け、審議会を設けたい。半数は専門知識がある人とし、残る半数は公募したい。市民の市政参加で風通しを良くするため、窓を開く必要がある。また「市が何でもやってくれる」というのではなく、市民の自立も訴えたい。


  ――業者との癒着をどう断ち切るか


  私は個人、企業から献金を受け取らないことにしている。入札改革では、建設業者も時代の変化に沿う必要がある。


  ――ダム問題では「中立」の立場だが


  推進や反対のほか、「よく分からない」という人も多い。こうした意見を大切に、説明責任を果たすよう努め、国にも求めたい。球磨川水系の新整備計画の策定で、国土交通省に意見を求められれば、私自身の提案をお伝えするつもりだ。


  ――相良村が離脱を表明した農林水産省の利水事業への対応は


  水は長年の大計。引ける場所には引くべきだ。国営が一番だが、安全で安い水が豊富に提供できるならば、事業形態にはこだわらない。


  上天草・川端祐樹氏(35)   


  ――初当選から一夜明けての感想と勝因は


  市民の期待の大きさに重責を感じている。勝因は、正々堂々と王道を歩いたこと。市内を歩き、市民の声を聴いた。そして草の根選挙。同級生、婦人グループが動いてくれた。時代の追い風だろう。閉塞(へい・そく)感が蔓延(まん・えん)し、新しさを求める動き、「若手に代えたらどうか」という声が強かった。


  ――理解を得られたと思われる政策は


  中長期の政策も訴えてきたが、政策というよりも、市の将来を考えていることへの評価ではないか、と推測している。


  ――所得など市民生活の指標を10年間で10%上げることをマニフェストで掲げた。3期は続けるということか。1期目で実現できそうなことは


  行政運営は少なくとも10年単位で考えるべきだと思う。まず財政再建をしっかり果たす。経常収支比率、実質公債費比率などの数字を改善する。3年後には財政の不安はいりませんよ、という状況にしたい。


  ――松島庁舎建設は


  財政再建とは二律背反の問題。この2、3年は市民生活によほどの支障がない限り庁舎は今の状態でいくことになろう。


  ――副市長に意中の人はいるか。人事異動は


  副市長は、必要となれば置くが、今は検討課題。議会提案するとしても6月議会くらい。人事異動など、過激なことを当面するつもりはない。

1067片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 03:58:44
伊藤さん、3度目の正直
豊郷町長選「町政に透明性を」 京都N滋賀
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007042300020&genre=A2&area=S20

 滋賀県豊郷町長選で伊藤定勉さん(59)=無所属新人=が22日に初当選し、3度目の立候補を実らせた。午後10時10分すぎ、当選の知らせが入った同町八町の公民館は、この瞬間を待っていた大勢の支援者から「やった!」「これで豊郷が変わる」などの声があがり、拍手が繰り返された。

 握手攻めにあった伊藤さんは座り込んで何度も礼を述べた。「みなさんに支えられたおかげ。住民が意見を言える普通のまちにしたい」と抱負を語り、駆けつけた滋賀県の嘉田由紀子知事らと一緒に万歳した。このあと「町政を変えたいという強い思いがようやく実った」と話した。

 20年前、町議に初当選した。その後2度、立候補した町長選では、いずれも大野和三郎さん(51)に敗れた。しかし、町議4選を重ね、一貫して「透明性のある開かれた町政」を主張してきた。

 4年前、町を二分した豊郷小の旧校舎問題は今回、争点にならず、伊藤さんは「相手の政治姿勢が見えず戦いづらかった」と話していた。連日の個人演説会で住民に根気よく思いを伝え続けた。

 一方、敗れた前田広幸さん(35)=無所属新人=は同町吉田の事務所で「これだけ得票できたことに感謝したい」と支援者に礼を述べた。

1068片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 04:22:19
2007年4月23日(月)

市町村長・議員選
「市政の大転換」 富士吉田市
堀内さん、競り勝ち笑顔 山梨日日
http://www.sannichi.co.jp/chihosen/news/2007/04/23/19.html

 元県議の堀内茂氏と前県議の渡辺正志氏の一騎打ちとなった富士吉田市長選は、市内二大政治勢力の蓬莱、堀内磤両派の「解消」を掲げ、派閥の枠組みにとらわれない姿勢を前面に出した堀内氏が接戦の末に初当選。繰り返された政争に対する有権者の嫌悪感を追い風に、派閥対立の歴史に風穴を開けた。

 堀内氏の支持者は同市上吉田二丁目のショッピングセンター駐車場跡地に集結。開票速報でしばらく同数の発表が続いた後、午後十一時十分ごろ、当選確実の一報が入ると会場は歓声と拍手に包まれた。堀内氏とまゆみ夫人が到着すると興奮は最高潮に。イメージカラーの黄色の小旗を手にした支持者からは「歴史を変えた」「市政の大転換だ」などの声が上がり、涙を浮かべて喜ぶ女性スタッフの姿も見られた。

 堀内氏は「(相手陣営は)二つの派閥がくっついたので内心は心配だったが、市民の『吉田を良くしよう』という強い力が寄せられた」と高らかに勝利宣言。「大変な荒波が待ち受けているが、皆さんが与えてくれた勇気を受け止め、誇れる吉田をつくりたい」と抱負を語った。

 敗れた渡辺氏は蓬莱、堀内磤両派の主流勢力が相乗りし、従来の派閥を横断する布陣を敷いたが、無党派層などを巻き込
んだ堀内陣営の攻勢を受け、思うように票が伸びなかった。

 渡辺氏の事務所では、落選が決まると選対幹部らが肩を落とした。「勝てる」と確信していた支持者も多かっただけに、事務所周辺は沈痛な雰囲気に包まれた。

 渡辺氏は「市民に派閥への抵抗感があり、私でも派閥が解消できるということを訴えきれなかった。市民の皆さんの選択は素直に受け入れる」と敗戦の弁。涙ぐむ支持者には「俺には不屈の闘志があるから大丈夫だ」などと声を掛け、労をねぎらっていた。

1069片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 04:23:00
2007年4月23日(月)

市町村長・議員選
南アルプス市 旧町長対決、25票差で明暗 
今沢さん歓喜の転身 山梨日日
http://www.sannichi.co.jp/chihosen/news/2007/04/23/18.html

 旧町村長対決となった南アルプス市長選は、旧甲西町長で前県議の今沢忠文氏が、大激戦を制して初当選を果たした。次点の旧白根町長で前市助役の小池通義氏との差はわずか二十五票だった。石川豊初代市長の後任を選ぶ同市長選には、旧首長ら四人が立候補。それぞれ「地元から市長を」とアピール、地域対抗戦のムードも広がったが、甲西地区を中心に市南部の票を手堅くまとめた上、横内正明知事とのパイプの太さを訴え、「県市一体」を強調した今沢氏が競り勝った。

 南アルプス市西南湖の今沢氏の事務所には午後八時すぎから支持者が続々と詰め掛け、同九時から始まった開票の行方を見守った。中間発表は小池氏と同数で始まり、「開票率98・51%」まで横一線の異例の展開。事務所内は張り詰めた空気が漂った。同十時十分ごろ、今沢氏当選の知らせが入ると支持者は喜びを爆発させ、互いに抱き合うなどして勝利を分かち合った。

 事務所に現れた今沢氏は支持者とがっちり握手。「本当にわずかな差の戦いだった。心を寄せ合い、知恵を出し合いながら市を発展させていきたい」とあいさつし、繰り返される万歳三唱に手を挙げて応えた。取材に対しては、「横内県政と市政の直結を訴えたことが有権者に浸透した」と勝因を挙げた。

 祝福に駆け付けた石川市長は「南アルプスが誕生してまだ四年。これまでの経験を生かし、市をより発展させてほしい」と激励した。

 一方、同市飯野の小池氏の事務所でも支持者が勝利を信じて開票を待った。今沢氏の当選が決まり、二十五票差の僅差(きんさ)だったことが伝わると、支持者は「まさか」「あと一息だったのに」などと驚きの声を上げ、ぼうぜんとした表情を浮かべた。すすり泣く女性支持者の姿も見られた。

 小池氏は「民主主義の世界なので結果は真摯(しんし)に受け止めなければならない。この小差は私自身の責任と思う」と敗戦の弁を述べた。

 旧八田村長の斎藤公夫氏の事務所では、開票作業の序盤から票差が開き支持者の間に重苦しい空気が流れた。前回に続く落選に、斎藤氏は「地元票の差が出た。自分の政策が理解されなかったことも残念だ」と無念さをにじませた。
 タクシー会社社長の清水元春氏は「自分が訴えた施策への有権者の関心が薄かったのだろう」と語った。

 今沢氏は二月上旬に出馬を表明、他候補に出遅れる形となったが、県議としての知名度や知事選で支持した横内知事との「距離」の近さを強調し、地元の甲西地区を中心に幅広く浸透。小池氏は最も有権者が多い白根地区をバックに支持拡大を図ったが、隣接の八田地区を地盤とする斎藤氏の切り崩しもあって票が思うように伸びなかった。

 選挙期間中、市内には地元を中心に各候補ののぼり旗が林立し、さながら「陣取り合戦」の光景が見られた。また特定の候補や陣営を中傷するビラも飛び交い、過熱ぶりを印象付けた。

1070片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 04:51:32
娘婿が補充立候補
  後継めぐり思惑交錯 長崎
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/itouzyugeki/kikaku1/02.html

 大本命とされた伊藤一長市長が突然の凶弾に倒れ、大混乱に陥った長崎市長選は、十九日夕の補充立候補届け出締め切りまでに新たに二人が名乗り出て一転、新人五人の混戦模様となった。伊藤氏の死去からわずか二日の間に、新たな候補者選定をめぐり伊藤後援会、政党、議員、経済界それぞれの思惑が交錯した。

 十九日昼すぎ、伊藤氏の告別式。伊藤氏の棺を乗せた霊きゅう車の前で、伊藤氏の娘婿の横尾誠氏(40)が遺族を代表してマイクを握った。「長崎市のために土を耕し、種をまき、花を咲かそうとしていたのに、こんなことになるとは…残された私たちが伊藤一長の志を受け継いでいきたい」。横尾氏はこの日、朝一番で立候補の届けをし、第一声を終えていた。黒いスーツの足元はウオーキングシューズ。臨戦態勢の中で、伊藤氏の後継候補を市民に強く印象づけた。

 同じころ、長崎市役所では、市統計課長の田上富久氏(50)立候補のうわさが駆け巡っていた。ある市議のところに経済界の人物から電話が入った。「田上氏はどんな人物? 会いたいのだが」。経済界の一部には「身内から出すのはおかしい。長崎に縁がない人物に、県都のトップを任せていいのか」との不満がくすぶっていた。長崎商工会議所の政治団体は、田上氏との面会から約二時間後、会員を招集して支援を決定した。

 この動きには伏線があった。

 伊藤氏に近い長崎市議の間で、伊藤氏の後継者探しは十八日朝から始まった。内田進博副市長に出馬を要請したが、内田氏は固辞。説得に見通しがつかないまま「後援会の意思を尊重する」との結論に落ち着いた。

 一方、伊藤氏と距離のある自民党県連と一部経済界は、倉成正和元衆院議員の擁立に動いていた。久間章生防衛相の長崎入りを待って、決めるつもりだった。

 昼すぎに到着した久間氏は、そのまま伊藤氏の自宅を弔問。その席で後援会幹部に、横尾氏の出馬を知らされた。「遺族が後を継いで市長になることが、世間にどう受け止められるか考えた方がいい」と久間氏は言ったが、その流れを止めるすべはなかった。

 実のところ、後援会は、伊藤氏が心肺停止状態に陥った十七日深夜の時点で、横尾氏の擁立を模索していた。「伊藤市長は後継者をつくりたがっていた。その思いをかなえたかった」。後援会長の田川安浩氏は言う。

 後継者擁立をめぐる各勢力の思惑が、どう影響するか予断を許さない。
2007年4月20日長崎新聞掲載

1071片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 04:53:09
「弔い合戦」色濃く
  政策より世襲が焦点に 長崎
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/itouzyugeki/kikaku1/03.html

 十九日夜、長崎市中心部であった市議選候補者の個人演説会。この日市長選に補充立候補したばかりの新聞記者、横尾誠氏(40)と、元市職員の田上富久氏(50)が隣同士に座っていた。

 市議選の候補者が、伊藤一長・長崎市長の突然の死去で、実質わずか三日間の選挙戦となった二人に政策や人柄をアピールする機会を与えた。「どちらがいいのか、と支持者に聞かれるが、自分自身も分からない。直接見て判断してもらおうと思った」と市議は言う。

 横尾氏は伊藤一長氏の長女優子さん(36)の夫。壇上にあがり「非力ですが、伊藤一長が皆さんに約束したまちづくりを進めたい」と訴える。隣には優子さんが付き添い、伊藤氏の後継を印象付けた。

 続いて田上氏も会場に呼び掛ける。「長崎に深い思いを持ち、まちの課題を把握し、すぐに対策を打てること。今はそれが必要だ」。暗に「世襲」を批判し、長崎を知る行政マンとしての自負をのぞかせた。

 今回の選挙は、政策論争よりも、世襲の是非を軸とした、伊藤氏の身内と市職員による「弔い合戦」(田上氏)の色彩が強くなっている。世襲か、職場のつながりか、との違いはあるが、両候補とも伊藤氏の実績を認め、その後継を目指す立場に変わりはない。

 伊藤氏が亡くなるまで、別の新人二人は市の裏金問題を突き、伊藤氏をけん制していた。

 大学非常勤講師の前川智子氏(59)は弔意を示しつつも、「裏金のない仕組みづくり」の主張は変えていない。だが陣営幹部は「裏金はかすみがち。政策論争に戻したいのだが」と頭を悩ませる。元共産市議の山本誠一氏(71)も裏金の返還を要求し続けているが、選対幹部は「争点がかみ合わなくなるのを心配している」と言う。

 主婦の前川悦子氏(57)は「岡本太郎の壁画誘致しか考えていない」と独自路線を行く。

 争点がかすむ中、候補者の外見から受ける印象が投票行動に影響しそう、との指摘がある。ある市議は「テレビカメラの前での話し方や表情は極めて重要」とメディア戦略の必要性を挙げる。一方で、別の市議は「候補者がどういう人か分からず、棄権するかもしれないという人も多い」と言う。

 公職選挙法の改正で初めて首長選でローカルマニフェスト(公約集)の配布が認められるようになり、政策本位の選挙戦が期待された長崎市長選。伊藤氏の死去でそれは吹っ飛び、票の流れも混沌(こんとん)としてきた。“超”短期決戦はあと一日を残すのみだ。(長崎市長選取材班)

2007年4月21日長崎新聞掲載

1072片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 05:10:03
佐藤静雄氏が政界引退表明(04/23 03:58)北海道
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/election/22149.html?_nva=39

 【小樽】小樽市長選に立候補して落選した元自民党衆院議員の佐藤静雄氏(65)は二十二日、「政治の世界は引退したい」と表明した。佐藤氏は道議三期、衆院議員を四期務め、国土交通副大臣や自民党道連会長などを歴任。二○○三、○五年の衆院選に同党公認で道4区から立候補したが、ともに落選した。

1073片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 05:12:16
函館市長選 圧勝の西尾さん、「改革大きなうねり」(04/23 04:08)北海道
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/election/22146.html?_nva=39

 【函館】函館市長選に初当選した西尾正範さん(58)は二十二日午後九時四十分ごろ、函館市中島町の選挙事務所に姿を現した。支持者約三百人の大歓声と拍手の嵐に両手を挙げて応え、「みんなありがとう。函館を変えてみせます」と顔をほころばせた。

 昨春から地元情報誌の批判記事にさらされて、昨年末、「現職=井上博司市長(70)=と情報誌が癒着している」と指摘し、三十三年務めた函館市役所を去った。福祉施設建設計画の許認可をめぐる現職の新たな「疑惑」を告発するとともに、対立候補擁立を目指したが失敗。妻の仁美さん(58)に「函館を離れ、静かに暮らそうか」と弱音を吐くこともあったが、出身校の同級生に推される形で出馬を決意した。悩み抜いた、激動の一年だった。

 現職有利の見方もあったが、ふたを開ければ三万五千票以上の差で圧勝。西尾さんは「『この指とまれ』と改革を訴えてきたが、こんなに大きなうねりになるとは」と言葉を詰まらせた。

 三選を果たせなかった井上さんは市内松風町の事務所で「私の力不足。今後は政治から引退するつもりだ」と話した。


函館の西尾さん「皆と歩む市長に」 圧勝の理由は地域の閉塞感(04/23 12:41)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/election/22212.html?_nva=39

 【函館】「みんなと一緒に歩む市長になる。偉い市長にはならない」。函館市長選で初当選を果たした前助役の西尾正範さん(58)=無所属=は開票から一夜明けた二十三日朝、決意を新たにした。記者会見では、子育て支援や教育の充実などの公約実現へ意欲を語った。

 同市中島町の西尾さん宅では、早朝からお祝いの電話が鳴りっぱなし。西尾さんは対応に追われ「何も考えられず、(当選の)実感がわかない」と苦笑いを浮かべた。

 自宅そばの事務所で午前九時から開いた記者会見では、各政党が支援した現職に圧勝した理由を「人口減少など地域に閉塞(へいそく)感があった」とした上で、「多様な人が集まって、掌握できないほどの支持になった」と分析。

 小学校の校長に自由に使える予算を配分する「知恵の予算」の導入などに早急に取り組む意向も示した。現職批判を繰り返してきたことで懸念される経済界などとの「しこり」については、「私にはないし、なくしていきたい」と話した。

 当選証書を受け取りに訪れた函館市役所で、同市議選当選者と「ともに函館を良くしましょう」と語り合う場面もあった。

1074片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 08:25:50
一夜明けた国立市長選、関口氏「市民の力」 産経東京
http://www.sankei.co.jp/chiho/tokyo/070424/tky070424001.htm

 22日投開票された国立市長選は、新人3氏の争いとなり、上原公子市長(57)が後継者とした関口博氏(53)=共、社推薦=が、嶋津隆文氏(59)=自、公推薦=と山下容子氏(48)の2氏を退けて初当選した。国立市民が上原市政の“継承”を支持した結果となった今回の選挙戦。投開票から一夜明けた23日、各候補の思いを聞いた。

 関口氏は同日午前11時ごろ、選挙事務所に姿を見せ、「国立の市民の力がすごいと、改めて感じた」と笑顔を見せた。7時に支援者からの電話で起きたという関口氏は、「最後の2日間は、市内で手を振ってくれる人が増えるなど反応が変わったのを感じた。開票結果は約1000票の僅差(きんさ)だったが、自分たちが街をつくっていると実感できた」と7日間の選挙戦を振り返った。

 今後の市政運営については、「対話の時間を増やすなど議会対策をしっかりしていきたい。上原市政をベースに住基ネット切断の継続、木造のJR国立駅舎復元を起点にした街作りを進めていきたい」などと抱負を語った。

 午後2時には市役所を訪れ、当選証書を受け取った。

 一方、1006票差で敗れた嶋津氏は、選挙事務所の整理や支援者へのあいさつ回りに追われながら、「さっぱりしたという気持ちが半分、悔しいという思いが半分」と率直な心境を語った。

 嶋津氏は、選挙期間中あまり強調しなかった国立駅舎復元について、「約30億円かかるとされる土地代をどのように捻出(ねんしゅつ)するか、ゼネコンや商工会に諮り、具体的な試算をするなど真剣に考えていた」。携帯ストラップについた駅舎のミニチュアを胸元にしまいながら、「今の財政の状況で、どう具体的に進めていくのか見守っていきたい」と話した。

 今後は、松蔭大学(神奈川県厚木市)で教壇に立つなど後進の教育に努めるという。 

 山下氏は23日夕方まで選挙事務所に姿を見せなかった。選対関係者は「支持基盤がないなりにやれることをやった。支援してくださった方には感謝している」と話した。

(2007/04/24 03:27)

1075片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 08:27:55
神奈川自民の松沢いじめの結果が返ってしまった感じ。

市長選分析(大和市) 「多選禁止」の流れ加速 産経神奈川
http://www.sankei.co.jp/chiho/kanagawa/070424/kng070424003.htm

 「多選という問題について、市民が感じてくれるところがあった」。大和市長選で初当選を果たした大木哲氏(58)は当選翌日の23日、勝因の1つとして、多選の問題を挙げた。

 4選を目指す現職の土屋侯保氏(61)との一騎打ちとなった市長選。大木氏は争点を「多選」と位置づけ、「4期16年は長すぎる」と多選の弊害を訴え続けた。

 県内の首長選挙では、「多選阻止」の流れが加速している。最近でも、1月の厚木市長選で、多選阻止を旗印に掲げた小林常良氏(57)が4選を目指した現職候補を破って当選している。県議会では昨年12月、知事の松沢成文氏(49)が、知事の任期を3期12年までとする「多選禁止条例案」を提案し否決されたが、その後の知事選で松沢氏は、多選禁止条例の制定を盛り込んだマニフェストを掲げて圧倒的な得票差で再選を果たした。

 今月18日、大和市内で開かれた大木氏の演説会に、松沢氏の姿があった。「どんな人でも4期、5期やったら大変危険な状況に陥る。そういう観点でこの選挙をとらえていただきたい」。松沢氏の言葉通り、「多選」は市長選の争点となった。大和市選出の2県議の応援を受けたとはいえ、大木氏はもともと、横浜市青葉区選出の県議。「多選」というワンフレーズを繰り返すことで、選挙の争点を明確にしなければ、現職である土屋氏の壁を崩すことは困難だったに違いない。

 当選から一夜明けた23日、大木氏は多選を制限する条例の制定について、「必ずやります」と言い切った。相次いで現職候補が敗れることになった「多選」への有権者のアレルギー反応は、県内政界の地図を塗り替える力を持ちはじめてきている。
(2007/04/24 03:29)

1076片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 08:28:55
選挙後分析、相模原市長選 現職後継 予想外の批判票 産経神奈川
http://www.sankei.co.jp/chiho/kanagawa/070424/kng070424002.htm

 相模原市長選での加山俊夫氏(62)の初当選は、3月に辞任(その後死去)した小川勇夫前市長の「後継指名」が最大要因といえる。事実、この「後継指名」が明らかになると、それまで市長選出馬に意欲を燃やしていた同市選出の県議が「勝ち目はない」と早々と出馬を断念している。

 しかし、このままでは無投票当選になりかねないと不明朗な「後継指名」を「密室の談合政治」と批判して、役所では加山氏より1年先輩の元市収入役の大谷直敏氏(63)が出馬、市を二分する選挙戦が繰り広げられた。

 加山陣営は、商工、医師会などの業界団体gこぞって支援を表明。連合や公明に加え、自民系、民主系の市議候補も大半が後押しする形で支援の輪を広げた。現職の商工会議所会頭を選対本部長に据えるなど徹底した組織選挙を展開した。終盤には同市の政令市移行を進める松沢成文知事も応援に駆けつけた。助役を辞めて出馬表明してから投票まで1カ月足らず。ふってわいた市長選で態勢づくりは遅れがちだった。

 これに対し、前回(平成17年)に続き2度目の市長選出馬となった大谷氏は、業界団体、政党関係の支援はほとんどなく、2年前の落選直後からこつこつと行ってきた戸別訪問による底辺からの草の根活動選挙活動で地道な票の掘り起こしを進めてきた。

 当初は、こうした大量の組織票で加山氏の圧勝とみられていたがフタを開けてみるとほぼ互角。津久井地域の一部では大谷氏の票が加山氏を上回り、一時は「大谷氏有利」の局面も。最終的には加山氏13万票、大谷氏11万票と約1万8000票差という、予想よりもわずかな差で加山氏が当選、「後継」の面目を保った。

 一説には、原則自由投票だった公明が、夏の参院選に自民に恩を売る形で自民系の加山氏に投票し、これが当選への決め手となったとの見方もある。だが、大谷氏に投じられた票は、加山氏と後継指名した前市長の市政運営への痛烈な批判票でもある。豪腕とされる加山新市長がマニフェスト(選挙公約)に示した政令市実現にどんな道筋をつけるか、その手腕が問われる。

(2007/04/24 03:29)

1077片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 08:32:40
「躍進会」が解散 富士吉田市長選 渡辺氏支持母体 産経山梨
http://www.sankei.co.jp/chiho/yamanashi/070420/ymn070420002.htm

 富士吉田市長選に立候補している渡辺正志候補の支持母体だった「躍進会」が19日、解散した。佐藤幸三会長は「政策集団としての派閥は悪いことではないが、古い選挙概念を取り除くため」と説明した。

 躍進会は、市内2大政治派閥のうち「堀内派」の市長選対策組織として約30年前に結成された。今回は、堀内茂候補が「派閥政治が弊害を生んでいる」と主張し支持を得ている。

 佐藤会長は躍進会による市政への弊害を否定しながらも「派閥主流の市政に問題があるとの堀内氏の考えには同感」と派閥イメージを払拭(ふっしょく)する狙いがありそうだ。

(2007/04/20 03:37)

1078片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 09:00:44
取手は現職破り藤井氏
2007年4月23日 茨城
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20070423/CK2007042302010903.html

 水戸市長選は、自民、民主、公明、社民各党の推薦を受け、市街地再開発を強調する現職の加藤浩一氏(64)が幅広い支持を集めて、福祉政策の充実を掲げる共産党推薦で新人の岩清水理氏(60)を破り、約六万二千票の大差で再選を決めた。

 常総市長選では、新人で元県議の杉田光良氏(70)と、四選を目指す遠藤利氏(78)が、合併の評価をめぐり激しい選挙戦を展開。杉田氏がわずか三十七票差で接戦を制した。取手市長選は、前回選挙にも出馬した新人の藤井信吾氏(47)が草の根運動を徹底し、再選を目指した現職の塚本光男氏(54)を破って初当選を決めた。

 日立市長選では、すでに現職の樫村千秋氏(63)が無投票で三選を決めており、現職と新人二人ずつ、計四人の新市長が出そろった。

 議員選は、水戸市、日立市、土浦市、古河市、石岡市、龍ケ崎市、常総市、牛久市、鹿嶋市、筑西市、行方市、五霞町、利根町で新議員が決まった。結城市議選は二十一人が無投票当選を果たしている。

『市民報われる市政に』
 過去最多の五人が乱戦を展開した前回とは一変し、一騎打ちの激しい選挙戦となった取手市長選は、新人の藤井信吾氏が現職の塚本光男氏の再選を阻んで初当選を果たした。

 藤井氏は、市議の一部や民主党元衆議院議員の支援、市民団体やボランティア中心の草の根選挙を展開。前回に続いて連合茨城の組織内候補として、大部分の市議、農・商業団体や公明党の推薦、自民党衆議院議員の全面支援を受ける塚本氏を振り切った。

 当選の連絡を受けた藤井氏が同市新町の選挙事務所に姿を見せると、選対スタッフから祝福の声が浴びせられた。支持者を前に藤井氏は「マニフェストを実行し、市民が報われる市政を実現したい」と述べた。

1079片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 09:03:09
栃木市長に日向野氏再選 ソフト重視の実績に支持
2007年4月23日 栃木
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20070423/CK2007042302010926.html

 統一地方選後半戦は二十二日、栃木市長選など四市町長選と、宇都宮市など十二市町議選の投票が行われた。即日開票の結果、栃木市長選で無所属現職の日向野義幸氏(48)=自民、公明推薦=が、無所属新人で元県議の大島和郎氏(75)を破って再選。三町長選はすべて現職と新人の対決となったが、芳賀町で無所属新人の豊田征夫氏(62)が三選を目指した現職に圧勝し初当選。上三川町は無所属現職の猪瀬成男氏(65)=公明推薦=、野木町は無所属現職の永田元一氏(71)=自民推薦=がそれぞれ当選した。各市町議選も即日開票され、今後四年間の暮らしを担う新議員が続々決まっている。

 「感無量です。皆さまの良識と子どもの未来を思う気持ちが勝利につながった」と日向野氏は再選の喜びをかみしめた。選挙事務所前に詰めかけた多数の支援者らと何度も万歳を繰り返した。

 選挙戦は徹底した組織選挙を展開。医師会や建設業界など百以上の推薦団体が後押しし、前回はなかった公明党の推薦も大きかった。同氏をひぼうするビラが多数出回ったが、中傷合戦に乗らず、マニフェスト選挙に徹した戦術も功を奏した。

 全国に先駆けた障害者・高齢者の相談・支援窓口一元化の「福祉トータルサポートシステム」導入や、庁内シンクタンク「教育研究所」設置など四年間の実績をアピール、現職の強みも生かした。

 「住みやすさ日本一」をスローガンに生活者重視を政策の柱に据えた。箱モノ優先だった長年の栃木市政を教育・福祉などソフト重視に転換した一期目を振り返り、「時間の歯車を戻さないで」と市政継続の重要性を説き、多くの支持を得た。

 争点となった合併問題は「住民の一体感を重視し、段階的に進める」という日向野氏持論の手法が支持されたかたちだ。

大島氏 現職の壁崩せず
 県議時代からの後援会組織や大学、記者時代の人脈をフル活用して草の根で挑んだ大島氏。午後十一時ごろ、選挙事務所前で「栃木市政のモラルと品格をとりもどす願いが届かなかった」と敗戦の弁を述べた。

 マニフェストに大合併の時期を明記して現市政との対決姿勢を鮮明化。地元経済の活性化を掲げた選挙戦を展開したが現職の壁を崩せなかった。

<解説>保守対決 選択決め手欠く
 栃木市民はこの先四年間の市政運営を日向野氏に託した。これまでの四年間で新規の公共施設建設を控え、将来をにらんで財政再建に力を注ぐとともに、高齢者と障害者福祉の「トータルサポートシステム」導入や「生きる力を育(はぐく)む(GDVI)教育」などソフト面で先進的な政策を次々と実践してきた若い市長の手腕に期待したと受け止められる。

 ただ、県内最初のマニフェスト選挙として注目を集めたが、有権者にとっては選択の決め手に欠ける選挙だった。

 県議出身の保守系候補同士の対決で公約には類似点が多く、最大の争点だった合併問題でさえ「推進」で一致していた。日向野氏を中傷するビラ数万枚が乱れ飛んだことで政策論争は一層かすみ、市民の関心を遠ざけた。中傷ビラを手にした多くの市民が不快感を抱いたはずだ。

 人口減や高齢化が進み、蔵の街は今、活力が失われつつある。閉塞(へいそく)感打開を求める市民の期待は大きい。日向野市長は襟を正して二期目に向かってほしい。 (梅村武史)

1080片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 09:07:26
桐生市長に新人・亀山氏 『市民の夢実現へ、まず4年』
2007年4月23日 群馬
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20070423/CK2007042302010919.html

 「平成の大合併」後初の統一地方選となった高崎、桐生両市長選と四町村長選、八市議選、十二町村議選は二十二日、一斉に投票が行われた。即日開票の結果、二十三日未明までに、六首長と、二十市町村議会の四百八議席が次々と決まった。桐生市長選は新人の亀山豊文氏(56)が、四選を目指した現職の大沢善隆氏(65)らを大差で下し、市長交代を決めた。三つどもえとなった高崎市長選は、現職の松浦幸雄氏(77)が六選を果たした。前橋市との合併が争点となった富士見村長選は、推進派の新人が慎重派の現職を破って初当選した。

 現新五人の激戦となった桐生市長選は、元県議の亀山豊文氏が現職の大沢善隆氏ら四人を破って初当選を果たした。宮本町の選挙事務所に当選確実の一報が入ると、亀山氏は「これから桐生は一つ。皆さんの希望と夢を実現するため、四年間頑張る」と喜びを語った。投票率は69・98%(前回73・44%)だった。

 亀山氏は「飛び地合併は駄目」などと現職批判を展開。石原条みどり市長との連携をPRした。長らく大沢氏支持だった有力企業も亀山氏支持に回り、産業界の全面支援を受け市政刷新を強調。反現職票の受け皿となり、支持を広めた。

 大沢氏は国・県との連携や行革の実績を強調。桐生特有の「反笹川感情」も利用し、市政継続を訴えたが、合併問題への対応や政治手法への批判をはね返せなかった。大沢氏は、小曽根町の選挙事務所で「市民に訴えが届かず残念。私の力不足」と支持者に深々と頭を下げた。 

  (藤原哲也)

<解説>早期合併に課題山積み
解説 旧二村との飛び地合併や行財政改革の成果など通算三期の大沢市政の評価が問われた今回の市長選。産業界の全面支援を背景に、現職批判票を結集させた亀山氏が、浮動票まで取り込んで大沢氏らを寄せ付けなかった。

 亀山氏は、みどり市との早期合併を掲げて石原市長と連携しつつ、合併以外の公約メニューを充実させるため、細かく実施期限を設けたマニフェストを発表。若さを武器に市政刷新を訴える戦略で支持拡大につなげた。

 一方の大沢氏は、政敵に当たる笹川尭衆院議員のファミリー企業が運営する競艇事業を取り上げ「みどり市との合併は競艇と合併すること」と警戒。前回選挙を制した原動力だった反笹川感情を巧みに利用し、飛び地合併の批判をかわす戦略だったが、前回同様の政争を仕掛けたことへの反感から大沢離れが加速。支持者の高齢化もあり、組織を固めきれなかった。

 「早期合併」といっても課題は山積みだ。亀山氏は合併時期を明言しておらず、競艇事業への対応も結局先送り状態。一年以内に市民参加の協議会設置を公約したが、具体策には乏しい印象だ。

 前哨戦で目立った中傷ビラや公開討論会の不人気ぶりなど、期待された政策論争は低調だった。投票率にも表れている。まずは刷新を掲げた亀山氏が率先して桐生特有の政治風土を改める必要がある。 (藤原哲也)

1081片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 09:11:56
江南市長に堀さん再選 保守分裂にも揺るがず終始優位
2007年4月23日 中日愛知
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20070423/CK2007042302010887.html

 保守層がねじれた構図で戦われた江南市長選は、現職の堀元(もとし)さん(61)=自民、民主推薦=が、元市議の江口雅明さん(48)ら新人二人を破り、再選を果たした。

 江崎鉄磨衆院議員や近隣市町の首長らが駆け付ける中、当選の報が入ると、同市高屋町の選挙事務所は歓声と拍手でわいた。満面の笑みの堀さんは「構造改革を推進し、よりよい江南市に向かって頑張っていきたいと思います」と抱負を語った。

 合併協議の不調を経て「自立できる自治体」を目指し、堀さんが進めてきた構造改革の是非を問う選挙。商工関係者の議員定数半減運動から保守層が分裂する中、堀さんは現職の強みを生かして終始優位に戦った。

 自民現職の奥村悠二県議と商工関係者の支援を受けた江口さんは及ばず、選挙での保守層のねじれは、今後も尾を引きそうだ。

1082片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 09:12:38
瀬戸市長に増岡さん3選 現職“冷や汗”の勝利
2007年4月23日 中日愛知
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20070423/CK2007042302010886.html

 愛知万博後のまちづくりを掲げた二氏の争いとなった瀬戸市長選は、自民、民主、公明三党の推薦を得た無所属現職の増岡錦也さん(71)が、無所属新人で環境NPO理事の水野昇さん(55)を退け三選を果たした。有効投票数の57%にとどまっただけに、増岡さんにとっては「冷や汗の勝利」(陣営幹部)となった。

 同市共栄通の選挙事務所には開票前から支持者ら約百五十人が集まった。増岡さんは市内の各種団体から推薦を受けるなど選挙戦を優位に進め、当初は開票早々に当選が決まると見られていたが、一報が入ったのは開票から約二時間後。

 支持者らの拍手の中、「遅くなりました」と姿を見せた増岡さんは「大変厳しい選挙だった。私の不徳の致すところだが、皆さん一人一人の助けで何とか勝ちを得た」と硬い表情。花束を贈られ、ようやく笑顔を見せた。

 前回より約一万票少ないなど予想外の得票に「(市政批判を繰り広げた)相手候補の戦術に負けた。政策では負けていない。マニフェストの実現に全力を尽くす」と力を込めた。

1083片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 09:20:33
統一地方選、中学統合に「ノー」 草の根の戦い結実
2007年4月23日 中日福井
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20070423/CK2007042302010856.html

 平成の大合併後初となる統一地方選後半戦のあわら市長選とおおい町長選、五市町議選は二十二日に投票、即日開票され、同日夜から二十三日未明にかけて当選者が決まっていった。

 おおい町の出直し町長選は、無所属元職の時岡忍さん(69)=本郷=が、無所属新人で旧大飯町助役の松宮利近さん(68)=長井=を破り、再選を果たした。当日有権者数は七千百六十人で投票率は89・43%だった。

 あわら市長選は無所属新人の橋本達也さん(52)=田中々=が接戦の末に元職を退け初当選。投票率は79・15%。当日有権者数は二万五千六十六人。

 福井、敦賀、小浜の三市議選とおおい、高浜の二町議選も激戦となり、当確の報を受けた候補者たちは喜びを爆発させた。

 (統一選取材班)

◆あわら市長選 橋本さん「市民の審判下った」
 「選挙という形となったが、今回は事実上の中学校問題に対する住民投票だった。その結果、二校存続という市民の審判が下った」

 中学校統合問題をめぐる出直しあわら市長選を制した二校存続派の無所属新人で元市議、橋本達也さん(52)は高らかに勝利宣言した。

 「当確」の知らせが、同市大溝二丁目の選挙事務所に入ると、詰め掛けた支持者からは大きな拍手と歓声が上がった。支持者らとともに、開票状況をテレビで見守った橋本さんは、その瞬間、ガッツポーズ。草の根選挙で勝ち取った勝利の喜びを分かち合った。

 市長だった松木幹夫さん(59)の突然の辞職で、市民グループ「二校を守る会」に擁立されて出馬を正式表明したのは今月五日。投開票日までわずか三週間足らずでのスタートだった。辞職表明前から着々と準備を進めた松木さんを追う厳しい展開。それでも、小中学生の子どもを持つ母親らを支持者に地道に思いを伝え、父母・祖父母世代の票をまとめ上げた。

 今後の市政運営について橋本さんは「大事なことは行政がやりたいことを、市民に分かりやすく説明することだ」と表情を引き締めた。市議会では統合賛成派が多数を占めるが、「議会は市民の代表。市民の判断を十分に理解してほしい」と語った。

 (小島香子)

◆落選の松木さん「私の力不足」
 落選した無所属元職、松木幹夫さん(59)は、同市春宮二丁目の選挙事務所で「私の力不足で、主張が受け入れられず残念。心からおわびしたい」と集まった支持者に頭を下げた。

 統合反対派の市民グループによるリコール運動の動きを受け、「学校問題に対する市民の信を問いたい」と辞職して挑んだ選挙。

 敗戦の弁を述べる松木さんに対して支持者からは「松木さんの主張は間違っていない」との声が飛んだ。

 選挙運動では連日、四、五カ所で個人演説会を開催。多い場所では二百人近い聴衆を集め、今後十年間で北陸新幹線整備などの大事業が控えていることに触れ、市の財政が逼迫(ひっぱく)していることを強調したが、市民の中学校二校存続への思いは予想以上に大きかった。

1084片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 09:22:25
おおい町長・時岡氏初登庁 「重みのある証書」
2007年4月24日 中日福井
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20070424/CK2007042402011072.html

 おおい町長選で当選を果たした時岡忍氏は二十三日、初登庁した。時岡氏にとっては旧大飯町時代を含め町長選で四回目の当選となる。任期は二〇一〇年四月一日まで。約百人の職員を前に「これだけ重みのある証書を当選四回目にしていただいたのは大きな喜び。新しく生まれ変わった気持ちで住民の負託に応えたい」と訓示した。

 午前十一時に登庁し、女性職員から大きな花束を手渡された時岡氏は、列をなした職員に拍手で迎えられた。

 訓示の中で「今まで進めてきた政策をこれから強力に進めるためには、国や県、皆さんの力を発揮してもらわないといけない」と呼び掛けた。

 (白山泉)

◇「住民、議会の意見取り入れ」と抱負語る
 おおい町長に再選された時岡忍氏に、今後の抱負などを聞いた。 (白山泉)

 ―圧勝の要因は

 もっと競るだろうと思っていた。名田庄地域から大きな支持を頂いた。反対の票も二千余りあった。そういう人に対しても丁寧に政策を進めないといけない。

 ―同時に行われた町議選で新しくなった議員の顔触れをどうみるか

 今までの議会に薬味を入れる意味で、共産党の猿橋巧さんが当選したことは大きい。(ほかの候補者が)地縁血縁で票を集める中で、猿橋さんはつじつじに立って訴えていた。住民の「しっかりせい」という意思の表れではないか。

 ―どういった町づくりを進めていくのか

 新町建設計画、合併協議会の決定事項を基本として実現することが第一。刻々と変わる時流に乗り遅れないようにして、住民の意見や議会の意見を入れてより良いものにしたい。

 ―議会でもめることの多かった、海洋型レジャー施設「うみんぴあ大飯」は、どう運営するのか

 少しでも住民に財政負担が掛からないようにしないといけない。限られた財源を有効に活用したい。

 ―溝ができた議会との今後の接し方は

 確かにあつれきがあってこういうこと(自らの辞職と出直し町長選)になったが、一番の原因は町づくりに対する政策の方向がめちゃくちゃになってしまったこと。議会が変わっただけでは持たないと思った。(議会と)話し合いができず、パイプが詰まってしまった。ただ、何から何まで議会に説明しなければいけないのではないと思う。

 ―パイプを詰まらせないために、どういう対話を進めていくのか

 今までどおりやれば、パイプが詰まることはないと思う。

1085片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 09:23:28
あわら・橋本市政が始動 市民の融和を訴え
2007年4月24日 中日福井
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20070424/CK2007042402011073.html

 激戦の末に初当選を果たしたあわら市の橋本達也市長が二十三日、初登庁し、橋本市政がスタートした。橋本市長は初訓示で、中学校二校存続への方向転換と市民の融和を訴え、職員の協力を呼び掛けた。

 橋本市長は午前九時すぎ、市役所玄関前で約百五十人の職員が待ち受ける中、初登庁。秘書広報課の西正真琴さん(30)から花束を受け取ると高々と掲げて出迎えに応え、職員の拍手を受けながら庁舎に入った。

 正庁で行われた就任式の初訓示では、職員を前に「中学校については、最終的に市民の審判を受けたととらえ(二校存続に)リセットされたと認識してほしい」と述べ、争点となった中学校問題について、行政として仕切り直す方針をあらためて示した。

 その上で「統合で進んできた経緯があり、気持ちの切り替えは難しいと思うが、市民の理解が得られるよう協力をお願いしたい。市民の要望があれば、実現できるように知恵を絞ることを公務員の誇りとしてほしい」と話し、選挙による市民の混乱や不安の一掃に向けての協力を求めた。

 また、当選証書付与式は午後一時三十分から正庁で行われ、市選管の土屋芳樹委員長から橋本市長に証書が手渡された。

 (本田優子)

◇橋本新市長に聞く
 中学校統合問題をめぐる出直し市長選で初当選した橋本達也あわら市長(52)は二十三日、市役所で就任会見に臨んだ。中学校の二校存続に強い意欲を示す一方で、そのほかの施策はこれまでと「極端には変えない」との考えを示した。主なやり取りを紹介する。 (尾嶋隆宏)

 −選挙戦での勝因は。

 「二つの中学校を残してほしいという市民の割合が大きかったことに尽きる。(票差が)わずかだったことは、財政に対する不安感を持つ人が多かったのかなと思う」

 −二校存続に伴う財政負担をどう説明する。

 「さらなる歳出削減はしないといけない。一方、税金や公共料金引き上げなどは原則として抑制していく」

 −老朽化した芦原中はいつ建て替える。

 「(約三十億円とされる)建設費は、設計変更してでも二十三億−二十七億円ぐらいに圧縮する。建設時期は可能な限り早く。だが教育委員会や議会への手続きがあるので、それぞれの理解をいただく必要がある」

 −金津中は耐震調査に入るのか。

 「芦原中改築と、どちらが先でも良い。これも議会の理解がないと予算執行できない」

 −公約の中で市長報酬40%カットを掲げた。

 「(金津中改築に向けて)財政改革を進めていかないといけない。その覚悟を示す意味で報酬カットを出した」

 −中学校問題以外の政策への考え方は。

 「これまで行政が進めてきたことを極端には変えない。職員には安心してもらいたい。行政を進める上での数値目標は作っていきたい」

 −北陸新幹線の県内延伸とJR芦原温泉駅前整備にどう対処する。

 「従来の計画に沿って進めるべきだ」

1086片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 16:30:09
選挙:知事選 「政策の説明が必要」 石原陣営の佐々淳行選対本部長に聞く /東京
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tokyo/news/20070425ddlk13010350000c.html

 石原慎太郎知事の3期目の任期が23日、スタートした。「都政の私物化」批判を、低姿勢と2期8年の実績強調でかわし、大差で3選を果たした今回知事選。選対本部長を務めた元内閣安全保障室長の佐々淳行さん(76)に勝因や3期目に望むことを聞いた。【北村和巳】

 −−知事選を一言で振り返ると。

 孫がお父さんを頼ろうと思ったら、お父さんが頼りなくて、おじいさんを頼った。本来なら団塊の世代が昭和1けた(生まれ)を乗り越えていかないといけない。浅野(史郎)さんは、その典型だった。慎太郎は2期でやめるつもりだったが、やり残したことがあると言い出して出馬した。

 −−選挙戦はソフト路線で臨んだ。

 知事交際費、海外出張、四男問題への批判に対し、「違法性はない」では説明にならない。四男問題の「余人をもって代えがたい」は言い過ぎもいいとこ。「2期8年やると、どうしてもおごりが出た。まずかったと謝れ」と忠告した。「ニコニコしてろ、怒るなよ」と彼に言い続けた。2期8年の実績を丁寧に説明しろとも意見した。

 −−支援者らに異論はなかったか。

 慎太郎らしさを奪い支持票を失うと相当言われた。だが、今回は歌舞伎の「勧進帳」。前回選挙で慎太郎を支持した300万の有権者が、「態度がごうまん、ふそんだ」と離れつつある。戻すには弁慶が義経をひっぱたくしかなかった。慎太郎は素直に反省した。勝因と言われれば、これ。

 −−公約で「安心・安全な東京の実現」を最重点課題の一つとした。

 都民の身体、生命、財産を守ることが知事の仕事。安心と安全を都民が求めている。僕は、最大の社会福祉は良好な治安と確信している。それができるのは、経験もあり強いリーダーシップを持つ慎太郎しかいない。

 −−3期目に臨むにあたっての助言は。

 選挙後、慎太郎節が戻ったと言われるが、許容範囲。都民に安心、安全を守るって約束したんだから、犯罪取り締まりを強化し、災害対策訓練を大がかりにやるべきだ。スポークスマンに、きちんとやったことを説明させなきゃいけない。

 −−石原知事は副知事を民間から登用する方針を示した。

 誰か選ばなきゃいけないとは言っているが、なかなか難しい。

毎日新聞 2007年4月25日

1087片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/25(水) 18:50:58
がめ煮っ記:映像 /福岡
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/news/20070425ddlk40070221000c.html

 「テレビで見た、あの表情がね」。投票日5日前に現職市長が銃撃された長崎市長選で、投票した有権者の一人が話していた。

 あの表情とは、元市職員に敗れた市長の娘婿の出馬会見でのこと。「悲しんでいるように見えなかった。自分の周囲にも同意見の人がいた」と話す。

 私はその出馬会見に出席したが、そんな感じを受けなかった。義理の父の突然の死に立ち会い、出馬を決心するまでの経緯を努めて冷静に話していた。感情をあらわにはしなかったが、話しぶりからその悲しみは十分伝わってきた。なのに。

 有権者の考えは違った。テレビでは、微妙な感情の動きやニュアンスは伝わらなかったのだろうか。娘婿と当選した候補の票差はわずか953票。ほんの少しテレビの印象が異なっていれば結果はどうなっていたか分からない。

 「テレビ政治」と言われる時代。映像から有権者が何を感じるのか、考えさせられた。【船木敬太】

〔福岡都市圏版〕

毎日新聞 2007年4月25日

1088片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/26(木) 08:25:38
現職町長落選の斐川町 部長級以上全員辞職へ
今月末で 副町長「選挙結果、けじめ」 讀賣島根

 統一地方選後半戦で現職町長が新人に敗れた斐川町で、副町長と3人しかいない部長級の参事全員、それに町教育長が4月末でそろって辞職することが25日わかった。部長級以上の幹部全員が不在となる異常事態で、残された職員らに不安が広がっている。

 25日までに辞表を出したのは、伊藤繁満・副町長(60)、古川君和・教育長(62)、才木薫・総務担当参事(54)、遠藤泰夫・事業担当参事(59)、山根信夫・厚生担当参事(58)の5人。伊藤副町長の任期は今年6月26日まで、古川教育長は来年9月30日までで、24日に臨時で開かれた町教育委員会で同意された。

 伊藤副町長は「今回の選挙は町民が現町政を批判した結果。責任は町長だけでなく私にもあり、けじめをつけたい」とし、古川教育長も「本田町長とずっと同じ考えでやってきた。今回の選挙結果は現在の行政に対する不満の現れで、自分にも責任がある」と説明。才木参事は「もともと体調も思わしくなく、町長も代わるので、いい区切りと思っただけ。新町長に何か思いがあるというわけではない」と話している。

 現在の本田恭一町長の任期は5月7日までで、それまで副町長は空白、教育長は同教委学校教育課長が職務代理を務める。3人の参事の代わりに、それぞれの部下の課長らが5月1日付で参事に昇格する。残る課長級職員は13人。

 総務担当参事(デザイン課長事務取扱)となる高田茂明・総務課長は「町幹部が総退陣してしまった。落ち着くまで時間がかかると思うが、町民に迷惑がかからないよう、事務の停滞がないように進めていきたい」と困惑顔で話していた。

 突然の事態に職員の間にも動揺が広がっており、若手女性職員は「責任ある人たちが皆やめてしまって、これから町はどうなるのでしょう」と不安そうな表情を見せ、中堅の男性職員も「自分たちもこのまま勤め続けられるのか、心配になってきた」と話していた。

(2007年4月26日 読売新聞)

1089片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/27(金) 10:58:37
貝原前知事も反論 震災対応への石原発言
2007/04/27  兵庫神戸N
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000315565.shtml

 石原慎太郎東京都知事が、阪神・淡路大震災時の首長の判断が遅かったため自衛隊の派遣要請が遅れ、犠牲者が二千人増えた-などと発言したことに対し、当時、兵庫県知事だった貝原俊民氏が二十六日、「首長の判断が遅かったからではない」と反論する手記を公表した。

 手記はA5判十二ページ。貝原氏は石原発言を「とんでもない見当違いに唖然(あぜん)とした」と書き出した。

 自衛隊は災害に備えて常時待機しているわけではなく、出動には一定の時間が必要と指摘。発生直後、午前八時十分に初めて自衛隊と交信できたが、その後途絶えたため午前十時の要請になった。警察や消防からは「全容不明」という断片的な情報しか入らなかったと振り返った。

 また、消防など公的機関が救助したのは全体の5%足らずとのデータを紹介。救助活動の多くは家族や隣人によるもので、自衛隊など公的機関の救助力を誇張し過ぎれば住民の自助共助が軽視されるとくぎを刺した。

 一方、貝原氏は「多くの犠牲を出してしまった心の痛みはいまも消えることはない。備えが十分でなかったことを深く反省している」と悔い、震災の教訓を生かした対策を東京で展開するよう求めた。

 石原都知事は、今月八日の知事選当選後の会見で発言。井戸敏三兵庫県知事も「犠牲者の大半は圧死。(犠牲者の数と)自衛隊の派遣要請は直接関係ない」と批判した。

1090片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/27(金) 21:06:47
石原都知事:阪神大震災発言をトーンダウン 責任転嫁も
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070428k0000m040111000c.html

 石原慎太郎東京都知事が「阪神大震災では首長の判断が遅くて2000人が死んだ」と発言し、当時の兵庫県知事の貝原俊民氏が「見当違い」などと反論した問題で、石原知事は27日の定例会見で「ちょっと数字は違ったかもしれない」とこれまでの発言をトーンダウンさせた。さらに、「佐々(淳行)さんの受け売りなので、彼に聞いてほしい」と知事選の選対本部長も務めた佐々淳行・元内閣安全保障室長の名前を挙げ、責任転嫁ともとれる発言に終始した。

 石原知事は、倒壊した住宅の下敷きになった人たちが火事の延焼で死亡したことに触れ、「自衛隊の出動が早ければいろんな形での救済ができたかもしれない」と述べた。さらに「これは当時の内閣官房にも責任がある。もうこれ以上言わない。あなたがたジャーナリストが調べなさい」とけむに巻いた。

 貝原氏は26日、「判断が遅かったから自衛隊の活動開始が遅れたということではない」などとする文書を報道機関に公表。情報不足と通信網の途絶で、自衛隊への正式な派遣要請が午前10時ごろになったが、自衛隊は発生約2時間後の午前8時前から、一部で救助活動を始めていた事実にも触れ、石原知事の発言に反論していた。【中村牧生】

毎日新聞 2007年4月27日 20時59分

1091片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/27(金) 21:13:33
自衛隊出動要請「遅れた」 大震災で石原知事再び
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2007042701000651_National.html

 東京都の石原慎太郎知事は27日の定例記者会見で、阪神大震災発生時の兵庫県知事の対応について「自衛隊の出動がもう少し早ければ、いろんな形での(被災者の)救済はできたと思う。内閣官房にも責任はあるが、知事の(出動)要請は遅れました」と述べた。

 石原知事は当選後の今月8日の会見で「首長の判断が遅かったから2000人余計な人が死んだ」と発言したが、この部分は「ちょっと数字が違うかもしれない」と釈明。知事選で選対本部長となった「佐々淳行さん(元内閣安全保障室長)の受け売り。詳しくは佐々さんに聞いてください」と述べた。

 その上で「崩れた現場で結局火が迫ってきて、それを持ち上げる重機がないまま人がむざむざ死んだ。だから法改正で自衛隊の判断で出動できるとなったのです」などと話した。

1092片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/27(金) 22:45:01
北脇氏、政界引退へ
2007年04月27日 朝日静岡
http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000000704270003

 今月限りで退任する浜松市の北脇保之市長(55)は26日、記者会見し「今後は政治の一線から退き、新しい道で自分を生かしたい」と述べ、政界からの引退を表明した。北脇氏は自治省を経て、96年に新進党公認で衆院議員に初当選、その後、民主党に移り、鈴木修・スズキ社長(当時)ら地元経済界に推され、99年、無所属で浜松市長に初当選。03年に再選され、約12年間、政界に身を置いてきた。自らを市長に推した鈴木氏ら地元経済界と対立したまま、政界を退く。


 北脇市長は「今後は白紙」としながらも「地方自治の経験を生かす仕事があればと願っている」と述べ、「選択肢の一つ」として挙げた研究者などとして、政治にかかわる意思はあるという。


 北脇市長は市長としての2期8年を「短いようで長い、充実した日々だった」と振り返った。05年7月の12市町村合併や今年4月の政令指定都市移行を「やった仕事の中でも大きい。市民のご協力のたまものだった」と自ら評した。


 だが、誕生したばかりの指定市を軌道に乗せることや、中心市街地の抱える問題の解決を担当できなくなったことを「残念」などと述べ、悔しさをにじませた。


 また、地元経済界の支援を受けて当選した鈴木康友・新市長に対しては「どういう市政でも公平公正は大事。行政問題への対応を公開しながらやっていくことが必要だ」と求めた。(福田直之)

1093片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/27(金) 23:22:34
『安心・安全 男の約束』 石原都政への期待と課題 ―佐々淳行氏に聞く
2007年4月26日 東京新聞東京
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20070426/CK2007042602011711.html

 石原慎太郎知事の3期目が始まった。石原氏の選挙対策本部長を務め、「目に余ったら再び諌言(かんげん)する」と公言してはばからない元内閣安全保障室長佐々淳行氏(76)に、今後の石原都政への期待と課題を聞いた。 (石川修巳)

 ――三期目にはどんなアドバイスを。

 一つは「反省しろよ慎太郎」というのはまだ続いているよ、と。それから、都民の安心と安全を守るという男の約束を守ること。僕は「良好な治安こそ最高の社会福祉」と言っている。次に災害、地震の対策訓練を早くやらないといけない。実動訓練が都民を安心させる。もうひとつ進言したのは下北沢で演説をやったけれど、まずは電柱を埋めることをやりなよと。

 ――今後の都政運営の危機管理は。

 本人はずいぶん反省している。本質的には純情で照れ屋で、昭和一けた的な男の美学が好き。男は黙って酒を飲むとか男の背中を見ろとか。それはダメだよ、説明責任を果たせと。「長期政権にいるとおごりが出るのかな」と言っていたよ。

 だから早く謝れと言ったら、謝るのは嫌だと言う。「違法行為はない」って。「当か不当かの問題で、反省すべきところはあると思うよ」と言ったら、「うん、反省ならいい」と。それでキャッチフレーズでやった。

 ――強気の“石原節”は健在だ。

 (開票日の)八日晩の記者会見から始まっていて、支援者や選対の人も「元に戻っちゃったあ」って。「先生、ひとこと言ってくれませんか」と言うんだよ。聞いた限りではまだ許容範囲じゃないの。必要なのはスポークスマン、それから「あなたには諌言をする人がいるね」と言った。周りを見渡すといない。機嫌が悪くなるようなことを言わない。あれが裸の王様をつくってしまう。

 ――どんな人材を。

 秘書はいても、政策提言や助言をする秘書役がいない。だから僕が選対本部長に出てくる騒ぎになる。しっかりした副知事を探しなさいよと。国と交渉できる人、都庁の職員ではだめ。適任者はいるけど、その人はうんと言わないだろう。老巧な人を探して人事を固めないといけない。

 ――三期目は「過激に急いで」と言う。

 僕は浪人道を歩いているから、必要なら諌言もするし助太刀もする。こっちから電話をする。「おい、ちょっとまたまずいぞ」って。

1094片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/28(土) 08:32:38
北脇浜松市長政界引退へ 本紙インタビュー「やることはやった」 讀賣静岡

 浜松市の北脇保之市長(55)は4月末での退任を前に26日、読売新聞社の単独インタビューに応じた。北脇市長は今後の進路について、「選挙には出ない」と述べ、政界から引退する考えを示した。

 旧12市町村合併については「『編入方式で』という浜松市側の提案に対し浜北市が新設方式を強く主張、『実質的には対等合併』ということで説得した」などと苦心を語った。

 一方、中心市街地の再開発ビル「ザザシティ浜松中央館」の債務処理問題について、「唯一といってもいい大きな頓挫」とした。公的支援案が2004年に市議会で否決されたが、「風評被害の懸念もあり、内部で十分な検討後に提案したが、唐突感を持たれた。まず現状を明らかにし、オープンに論じるべきだった」と反省した。

 鈴木修スズキ会長ら経済界の有力者との対立については、「ザザの問題や合併、区役所新設など、一つ一つの事柄で意見の食い違いが積み重なり、溝が広がった」と振り返った。

鈴木新市長には「公正公平望む」

 北脇保之市長は26日、市役所で最後の定例記者会見を開いた。5月1日に新市長に就任する鈴木康友氏(49)に望むことを問われ、「どういう市政であっても、公正公平ということは大事。いろいろな問題点や対応をオープンに公開することでこれらを担保し、問題の克服に当たってほしい」と述べた。

 ――退任後の予定は。

 選挙には出ない。国政も含め政治の第一線に12年間いてやることはやった。要請があっても変わらない。

 ――合併実現の苦労は何だったか。

 合併特例債の適用でも、浜松は一歩引き周辺市町村を尊重するようにした。人口や財政規模が大きいからと、その分主張するのではなく、譲るところは譲った。それでまとまれた。

 ――政令市実現にあたって国とのパイプをどう生かしたか。

 総務省の局長級も(旧自治官僚だった)自分の同期。信頼関係は強かった。

 ――合併・政令市に次ぐ実績は。

 予算使い切りの悪習を排する予算編成など、市政運営を刷新したこと。

 ――政策面の反省点は。

 ザザの債務処理問題。市長としての解決策がなくても、現状をどうしましょうという投げかけがあった方が、かえって良かったかなという反省はある。

 ――行財政改革推進審議会会長に鈴木会長を任命したことに後悔はないか。

 全くない。「土光臨調的なものを」ということで、地元経済界リーダーの鈴木さんにお願いした。それまでも意見の食い違いはあったが、公開の場で論じることで、市民に判断し理解してもらいたかった。行革審のお陰で、人件費削減も非常にスピーディーに進められた。鈴木会長には感謝している、と何度も言ってきた。ただ直接会う機会が乏しく、コミュニケーションが足りなかった。

 ――工場移転に関し、「国際化などによる時の流れ」との発言が経済界から反発を呼んだ。

 企業経営者の考えを代弁しているというか、経営戦略としてやっていることをとどめることは出来ないと言ったつもり。立場が逆みたいな話だったが……

 ――8年間で最も楽しかった時は。

 国体、花博と大イベントが相次ぎ、皇族の方々をお迎えし、案内役をさせて頂いたり、食事する機会を頂いたりしたこと。水窪の峠の綱引きで圧勝し“領土”を押し戻し、くい打ちしたのも楽しい思い出だ。

 ――心がけたことは。

 会議や大会あいさつで、書かれたものは読まない。一日10ぐらいあいさつがあったりして大変ではあったが、一貫して続けた。

(2007年4月27日 読売新聞)

1095片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/30(月) 20:23:04
西海評論:“ブーム”の陰で /長崎
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/nagasaki/news/20070430ddlk42070214000c.html

 「日本一の市役所を作りましょう」。25日に初登庁した田上富久・長崎市長(50)が議場を使って職員に語り掛けた。じっと聞き入る市長より年上の幹部たち。涙ぐむ女性職員もいた。

 長崎では今、ちょっとした「田上ブーム」だ。どこに行っても引っ張りだこ。先日、私も参加した異業種交流グループの夜の例会にも突然、田上市長が登場し、会場を沸かせた。

 田上市長が金子原二郎知事を表敬した時も「東国原知事のようだね」と持ち上げられた。観光客誘致のトップセールスマンとして大いに期待したい。

 4月も終わろうとしているが、市民にとっても激動の月だった。4月17日夜に伊藤一長・前市長が暴力団幹部に銃撃されて不慮の死を遂げ、多くの人の人生が変わり始めた。特に市長の座を目指していた人にとっては決断の時となった。

 「弔い合戦で対抗馬にはなれない」とあきらめた人もいた。その中で2人が補充立候補し、明暗を分けた。

 一般市民もこれまでにない体験をした。投票日3日前に立った候補者の考えなど分からぬまま本番を迎えた。遺族への同情か、地元出身者かの選択となり、市役所職員だった田上さんが小差で選ばれた。

 これまでのところ、田上市長は新鮮なイメージを市民に与えている。特に市役所の中での評判はすこぶる良い。

 一方では、市民の大半は新市長の政策を知らない。全く違う政策を望む市民が一緒に田上市長を応援したのも事実だ。例えば、市の大きな課題の長崎新幹線への姿勢だ。

 「市の方針を覆すのではなく、市民に十分に理解してもらえるようにしたい」。田上市長は当選翌日の記者会見で推進の立場を表明した。

 毎日新聞社が長崎市長選投票日に15投票所付近で実施したアンケートに長崎新幹線に関する設問を加えた。956人が回答し、必要39%▽不要44%▽分からない17%。

 県議選長崎市区では「新幹線は、いらない」を前面に出した候補が短期間の選挙戦で善戦した。新幹線開通で「最終駅効果」があるといわれる長崎市民の中でさえ不要論は根強い。

 市長は県や特定の団体だけでなく、一般市民の声にもじっくり耳を傾けてもらいたい。推進、反対両派の市民に市長も加わって公開討論会を開いたらいかがだろうか。<長崎支局長・松田幸三>

毎日新聞 2007年4月30日

1096片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/04/30(月) 20:25:28
だれやみ評論:名前の不思議 /宮崎
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/miyazaki/news/20070430ddlk45070036000c.html

 伊藤一長市長が射殺された直後の長崎市長選の報道で、私が最も胸を打たれたのは、24日の2面に載った写真だった。開票されたばかりの投票用紙の1枚で、候補者の氏名を書く欄に「伊藤一長市長 今までありがとうございました」とある。

 合併前の長崎市内の投票総数17万8759票中、故伊藤市長の名前など「候補者ではない氏名」を書いた無効票が7463票、「今までありがとうございました」など氏名以外の内容を書いた無効票が1095票、白票が4558票もあった。

 「無効」を承知のうえで、これだけ多くの人が投票所にわざわざ出向き、あえて立候補者以外の名前を書いたのである。私たちは学校の授業で、投票行動の戦後民主主義的な意義を教わった。だが今回のような現象は、日本人の心の底に流れる古代からの呪術性を感じさせるのである。

 奥富敬之著「日本人の名前の歴史」(新人物往来社刊)によると、古代人は「実名には神秘的な生命力が宿る」と信じていた。聖徳太子の時代の蘇我氏三代の実名、馬子(うまこ)(ウマ)、蝦夷(えみし)(エビ)、入鹿(いるか)(イルカ)は、動物の生命力にあやかっている。「実名を他人に知られると神秘的な力を失う」として、極力実名を隠した。女性が実名を教えることは、相手の愛を受け入れることを意味した。紫式部も清少納言も朝廷での官職名であり、実名はいまだに不明だ。

 それほど大切な実名だから、主従関係を結んだ従者が、実名を書いた名簿を主人に献上するという儀式が平安時代には行われた。これには自身の人格を主人にささげるという意味があった。実名にはその人の人格や精神が宿るという感覚は「名をあげる」「名を汚す」「名を残す」などの言葉に残っている。

 ともあれ、人の名前の背景には、こうした重い歴史が横たわる。投票用紙に故人の名前を書き「今までありがとうございました」と「あの世」へ呼びかける行為は、名前の生命力への信仰のかすかな名残を感じさせる。

 この投票者にとって、故伊藤市長は単なる功利的な政治家ではなく、人格同士の一体感を伴う古代祭司のような側面があったのだろう。「政治」や「政治家」と言えば、虚栄心や欲望が渦巻く卑俗な世界を連想しがちだ。しかし神を祭る「まつりごと」として始まった政治が、ひょんなことから古代の顔をのぞかせることもある。<宮崎市局長・大島透>

毎日新聞 2007年4月30日

1097片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/05/03(木) 08:08:01
県議 存在感薄く  埼大 統一選さいたま市世論調査(上)
身近な市議と対照 有権者選択戸惑う 讀賣埼玉

 選挙の際、有権者は何を基準に、どの段階で投票する人を決めたのか――。埼玉大経済学部の松本正生研究室が、読売新聞さいたま支局と協力して実施した統一地方選前半戦(県議選、さいたま市議選)の世論調査で、有権者が「身近な市議」と「存在感の薄い県議」というイメージを抱いている傾向が裏付けられた。

   ◆人物知らずに

 調査は投票日直後の4月12日に、さいたま市在住の男女1500人を対象に質問を郵送して実施。5月2日までに780人が回答した(有効回収率52%)。

 選挙で投票した人に、投票した候補者名をいつから知っていたかを聞いたところ、市議選、県議選とも6割強の人が「選挙前から知っていた」と回答。しかし、市議選の26・6%、県議選の31・3%が「選挙まで知らなかった」と答えた。

 さらに、候補者の人柄や考え方をいつの段階で知ったかという問いには、「ふだんからある程度知っていた」としたのが、市議選45・8%、県議選39・4%。「良く知らなかった」は、市議選27・4%だったのに対して、県議選は37・2%だった。

 これら候補者の知名度に関する項目について、松本正生教授は「県議選は市議選に比べ、候補者の人柄を知らないまま、政党名などから判断して投票する傾向が高いようだ」と分析。県議、市議の知名度の違いは投票先を決める時期にも影響したと指摘している。

 実際、「だれに投票するかをいつ決めたか」との問いに対して、市議選は36・4%が告示前に決めていたとし、県議選の25・6%を約10ポイント上回った。逆に「投票日当日」と答えたのは県議選が22・1%、市議選は15・9%だった。

   ◆「中二階」

 国の方向性を決める国会議員や、地域に根ざした問題を扱う市町村議員に比べて、県議の活動は見えにくいと指摘されることが多く、「中二階」と揶揄(やゆ)される。

 今回の調査でも、国・地方合わせて6種類の選挙の中で「1番関心のある選挙」を聞いたところ、最高は衆院選の40・7%。以下、市長選12・4%、市議選10・4%と続き、知事選8・4%、参院選4・1%で、県議選は最も低い3・3%しかなかった。

 ただ、今回の統一地方選への関心の有無では、関心を持ったとする人が約7割に上っている。

   ◆白票2・6倍

 何を理由に候補者に投票したかを聞いたところ、市議選では「支持する政党の候補者」が19・7%で最も多く、「掲げている政策や公約に賛成」(19・3%)、「これまでの経歴や実績」(18・1%)、「人柄が良さそう」(15・3%)と続いた。県議選は「支持する政党」が21・2%でトップ、「経歴・実績」(19・4%)、「政策・公約」(16・1%)などの順だった。

 松本教授は「今回の調査で、県議の存在感の薄さと、県議会自体の存在感が希薄だということが改めてわかった。選挙で有権者が何を頼りに選べばいいか、判断基準がなく、困惑している姿が浮かび上がっている」とし、「実際に今回の投票で、市議選の白票が4049票だったのに対し、(さいたま市内分の)県議選の白票が1万519票と約2・6倍もあったのは、そうしたことの表れ」と分析している。

(2007年5月3日 読売新聞)

1098片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/05/04(金) 10:28:01
埼大 統一選さいたま市世論調査(下)
自民 得票6割が支持層  民主 無党派なども6割 讀賣埼玉

 埼玉大学経済学部の松本正生研究室が読売新聞さいたま支局と協力し、統一地方選前半戦(県議選、さいたま市議選)に関して、さいたま市民を対象に行った世論調査で、選挙で大勝した民主党の明確な支持層は回答者の3割程度にとどまり、無党派層などに支えられていることが浮き彫りとなった。

  ◆支持の固さ

 今回の調査に回答した人のうち、県議選で投票したと答えたのは約7割。だれに投票したかを聞いたところ、自民候補と答えたのが37・5%と最も多く、民主候補20・2%、公明候補4・4%などだった。

 実際に投票した人の支持政党をみると、自民候補に投票した人の約6割は自民支持層、残りは無党派層または他党支持層だった。民主候補の場合は約4割が民主支持層で、無党派層や他党支持層の方が2割以上も多かった。

 強固な地盤を支えとする自民候補に対して、民主候補は固定的な支持者が少ないため、無党派層などへの支持の広がりが勝敗の鍵を握っていることが裏付けられた。また、創価学会という支持団体を持つ公明候補に投票した人の約6割が公明支持層だった。

  ◆そのつど支持

 支持する政党の有無について、「支持する政党がある」と答えたのは37・7%、「ない」は56・7%に上った。支持政党がないとした、いわゆる無党派層に「あえて選ぶとしたらどの政党か」と問うと、7割の人がいずれかの政党をあげた。二つの質問とも「ない」と答えた“完全”無党派層は全体の13%いた。

 「支持する」「あえて言えば支持する」を合わせた各党の支持率は自民約38%、民主約30%、公明約6%、共産約5%などとなった。各党ごとの支持者の内訳を見比べると、民主が「あえて言えば支持」が6割に達するのに対し、自民はほぼ半々、公明は「支持」が7割を占めるなど違いが出た=グラフ。

 松本正生教授は、無党派層のうち、あえて聞けば支持政党をあげる人たちを、「そのつど支持層」と名付け、「特定の政党への強い好意や親近感は持たないが、政治に関心はある」と位置づけている。

 こうした傾向を持つ層は若者だけではなく、幅広い世代に広がっているとし、「夏の参院選で、自民、民主両党がどれだけ『そのつど支持層』をひきつけられるかが、勝敗を左右するだろう」との見方を示している。

(2007年5月4日 読売新聞)

1099片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/05/06(日) 04:14:22
宮城・加美町長選再選挙 農繁期戦術真っ二つ
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2007/05/20070503t11034.htm

 東北で初めて実施される宮城県加美町長選の再選挙に向け、再出馬を予定している各陣営が、町の全世帯のほぼ3分の1を占める農家対策で、戦術の違いを見せ始めている。町内は現在、農繁期の真っただ中。大型連休明けに再び本格化する前哨戦では、精力的に農家の支持拡大を狙う積極型と、やや抑え気味に活動する配慮型に分かれそうだ。

 再選挙には、先月22日投票の町長選に出た無所属新人5人のうち4人が再出馬を予定。残る1人は現在、対応を検討している。各陣営とも連休中は春祭りの顔見せ程度で済ませ、連休明けから本格始動する。

 加美町では先月28日ごろに田おこしが始まり、農作業が本格化。田植えの最盛期は12―20日の見通しで、そのころまで農繁期が続く。
 農家戦略で積極策を検討しているのが、元県職員猪股洋文氏(55)と元町議伊藤淳氏(53)の陣営。

 猪股氏陣営はミニ集会を開き、再び草の根戦術を展開する。陣営幹部は「うち(の支持者)は息子に田んぼを任せた自由の利く高齢者が多い。ここをチャンスと思っている」と気合を入れる。

 伊藤氏陣営は中新田地区の商店街に支持者が多いといい、農繁期も特に影響はないとみている。街宣車での活動を検討しており、「田んぼで政策を訴えたい」と農村部への浸透を狙う。

 一方、元町議佐藤澄男氏(59)と元県議高橋浩一氏(60)の陣営は農家配慮型の戦略。

 佐藤氏陣営はあいさつ回りは行うが、街頭演説やミニ集会には消極的。「農作業の後にまた集会では反感を買いかねない」と指摘。農家の立場を考えながら戦術を練るという。

 高橋氏陣営も「あいさつに行っても、『農作業を手伝って』と言われるのが関の山。田植え中に行っても支持など得られない」と分析。農家の感情を考慮しながら支持者回りを行う。

 農家の反応はさまざまで、「田植えを早く終わらせ、応援に駆けつける」と話す熱心な支持者もあれば、「(農繁期で)義理人情の選挙から逃げる口実ができた」と打ち明ける有権者もいた。
 5人のうち葬祭業今野耕治氏(57)は、7日に態度を明らかにする考えを示した。

1100片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/05/09(水) 08:56:01
「原告と被告が一致」訴訟勝部町長ら訴え取り下げ 讀賣島根

 当選前の勝部勝明・斐川町長らが前町長を相手取り、町が行った土地の無償譲渡は違法として損害賠償を求めた訴訟について、原告団は8日、訴訟を取り下げたと発表した。町長が交代しても訴訟は引き継げるが、原告と被告が一致するという異例の事態を避けるため。

 同町は2002年、幼稚園誘致を目指し、町有地を町議会の議決なしに学校法人に無償譲渡。勝部町長らは05年に本田恭一前町長に約1億2000万円の損害賠償を求め、提訴した。この日、勝部町長と原告団代理人の錦織正二弁護士が記者会見し、錦織弁護士は「勝部町長が被告になると、前町長の主張を引き継がねばならず、自己矛盾に陥る」などと説明した。

 勝部町長は「町長の立場ですべての資料が見られるようになった。住民への情報公開も進める」として、町長として問題を明らかにする意向を示した。ただ、違法性などが明らかになった場合の対応については、勝部町長は明確な態度を示さず、錦織弁護士が「前町長を相手取った訴訟が可能かどうかも含め検討する」と述べるにとどまった。

(2007年5月9日 読売新聞)

1101片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/06/09(土) 09:55:36
「再々選挙」高まる不安 宮城・加美町長選再選挙 河北宮城
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2007/06/20070608t11032.htm

 4人が再出馬を予定している宮城県加美町長選の再選挙(12日告示、17日投票)は、新たな候補者が現れて再々選挙の可能性をはらむ構図になるかどうかも、関係者の関心を集めている。2月に前哨戦が始まり、2度目の町長選が目前に迫った4陣営とも疲れはピーク。第5の候補者の登場にはどの陣営も否定的だが、告示締め切りまでは不安な日々が続きそうだ。

 市町村長選の再選挙は、公選法の現行制度が施行された1952年以降に全国で3回実施。いずれも候補者が4人以下に絞られ、再々選挙の可能性のない構図で争われた。

 加美町でも、4月22日投票の町長選で得票最下位だった候補者が「再々選挙の可能性を残すことで町民に迷惑をかけたくない」と不出馬を表明。一時、元知事や現職町議の名前も取りざたされたが、「最近は全く聞かない」(選挙関係者)といい、4人の争いになるとの見方が支配的だ。

 ただ、万が一、再々選挙という事態にでもなれば、町政停滞への影響は計り知れない。加美町のトップ不在は、先月17日の町長退任から最短でもお盆前後まで、約2カ月にわたり続くことになる。

 ある町職員は「町外からみれば面白いかもしれないが当事者は大変。何とか次で決まってほしい」とうんざり顔。ある立候補予定者は「再選挙決定後、体重が5キロ減った。再々選挙など考えたくもない」と一蹴(いっしゅう)する。「今回で決着してほしい」というのが、多くの関係者の偽らざる心境のようだ。

 加美町長選の再選挙には、いずれも無所属新人の元町議伊藤淳(53)、元県職員猪股洋文(55)、元町議佐藤澄男(59)、元県議高橋浩一(60)の4氏が立候補を予定している。

2007年06月08日金曜日

1102片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/06/18(月) 09:05:56
加美町長選 当選の佐藤さん、「夢のよう」
6票差 再選挙も大激戦 讀賣宮城

 17日投開票された加美町長選の再選挙は、6票差で明暗が分かれた。無所属新人4人による激戦の末、初当選した元町議の佐藤澄男さん(59)は、「夢のようだ」と接戦を制した喜びを語った。一方、次点となった元県職員の猪股洋文さん(55)の陣営は、「もう一歩だったのに」と、落胆に包まれた。投票率は75・79%(前回75・88%)だった。

 法定得票数割れに伴う再選挙は全国の首長選で4例目。5月17日に星明朗町長が任期満了を迎えて退任。約1か月にわたって町政のトップ不在が続いていたが、新たな町政のかじ取り役がようやく決まった。

 佐藤さんの事務所では、当選の知らせが入ると、集まった支持者が喜びを爆発させた。4月22日投開票の統一地方選では、4127票の最多得票ながら法定得票数(4181票)に54票足らず、涙をのんだだけに、「やったぞ」「町の歴史に残る選挙だった」と歓声がわいた。佐藤さんは満面の笑顔で、何度も万歳を繰り返し、「勝つか負けるか内心穏やかではなかった。投票した町民のうち、3割の票しか獲得できなかったので、今後、町民の理解を得て町政運営を行う必要がある」と抱負を語った。

 一方、猪股さんは町政刷新をアピールしたが、惜しくも敗れた。元県議の高橋浩一さん(60)は即戦力を訴え、元町議の伊藤淳さん(53)は行動力を前面に押し出したが、支持を広げることができなかった。

 前回選挙は無所属新人5人の激戦で票が分散。候補者全員が法定得票数に届かず、公職選挙法の規定で再選挙となった。このうち、前回の最低得票者が「再々選挙の可能性を残すことで、町民に迷惑をかけたくない」と立候補を辞退した。

(2007年6月18日 読売新聞)

1103片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/08/08(水) 11:58:52
知事選落選杉野氏 COOに起用へ
シャトレーゼ 讀賣神奈川

 菓子製造販売会社「シャトレーゼ」(甲府市)は7日、知事選に立候補して落選した杉野正さん(49)を最高執行責任者(COO)に起用すると発表した。就任は9月1日。シャトレーゼは「会社を成長させるため、杉野さんの強いリーダーシップに期待した」としている。

 杉野さんは、経営難に陥っていたしなの鉄道(長野県)や埼玉高速鉄道(埼玉県)の社長を歴任し、再建させた。

(2007年8月8日 読売新聞)


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