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安倍ちゃん総理の苦悩
1
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/10/06(金) 00:11:47
政策・戦略っていうより、安倍晋三さん個人について
777
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/09/21(金) 20:16:48
自民党総裁選 福田・麻生両候補、公開討論会で地方組織の中堅党員らに支持訴え
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20070921/20070921-00000619-fnn-pol.html
自民党総裁選を23日に控え、福田康夫元官房長官と麻生太郎幹事長は、党の青年局が主催する公開討論会に出席し、地方組織の中堅党員らに支持を訴えている。
座って落ち着いた話しぶりの福田元官房長官に比べ、麻生幹事長は身ぶり手ぶりを交えて話すなど、対称的な演説となった。
福田元官房長官は「今や、自民党はですね、後ろがないんだと、背水の陣だと、これくらいの気構えを持って、臨まなければいけない。非常に緊張したときであるというふうに思います」、「政権を場合によっては失うかもしれない。そのぐらいの覚悟を持って、これからの政治をリードしていかなければいけない」などと述べた。
麻生幹事長は「最近は、若い人がえらく関心を持つようになってきた。これは、僕はいいことだと思いますが、同時にどうしてそんなに急に関心が持たれるようになったかといえば、何となく大丈夫かということに関して、皆さんが不安を覚え始めたんだと思って、そう理解しております。不安は不満と違って、エネルギーになりません」と述べた。
一方、選挙情勢は、党内で麻生派以外のすべての派閥から支持を得た福田元官房長官の優位は動かないが、劣勢の麻生幹事長も、まだ態度を表明していない議員への働きかけを強めている。
また、麻生陣営は地方票獲得に向けて、県連などへの働きかけを強めている。
福田陣営も、地方の有権者に電話で支持を訴えるなど、票固めを急いでおり、双方とも終盤戦に向け、動きを活発化している。
また、体調不良で都内の病院に入院している安倍晋三首相は、総裁選には出席せず、不在者投票を行う見通しになった。
22日にも、臼井 日出男選挙管理委員長が病院に出向いたうえで、投票を行うものとみられる。
778
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/09/21(金) 21:03:13
安倍首相:総辞職の閣議欠席へ
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20070922k0000m010089000c.html
安倍晋三首相が、内閣総辞職を決定する25日の閣議を欠席する方向になった。閣議を閣僚懇談会に切り替え、全閣僚が閣議書に署名した後、首相が入院先の病院で決裁し、総辞職する。臨時代理を置いていない首相が総辞職の閣議を欠席するのは初めて。
首相の閣議出席について、与謝野馨官房長官は21日の記者会見で「来られるか、来られないか、現時点では二つの答えを同時に申し上げるしかない」と述べるにとどめた。しかし、首相周辺は「医師は医学的に難しいとみている」と語り、首相が欠席するとの見通しを示している。
内閣総務官室によると、首相が閣議に出ない場合の総辞職の手続きについて法的な定めはないが、総辞職も閣議案件であることから「持ち回り閣議」の形で対応可能と判断した。内閣改造時のような全閣僚の辞任取りまとめは、総辞職の際には行われない。
00年4月に小渕恵三首相(当時)が脳梗塞(こうそく)で入院した際には、青木幹雄官房長官(同)が首相臨時代理を務め、同月4日に臨時閣議を開いて小渕内閣は総辞職した。今回は臨時代理を置かなかったため首相が25日まで退院しなければ、首相官邸は13日間「主不在」となるが、与謝野氏は「危機管理上の問題はない」と強調している。【中田卓二】
毎日新聞 2007年9月21日 20時24分
779
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/09/24(月) 22:13:05
謀略説を否定した安倍首相の「真意」
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070924/shs070924007.htm
東京・信濃町の慶応病院総合科学研究棟1階の会議室。12日ぶりに公の場に姿を現した首相、安倍晋三に保守派論客として鳴らした絶頂期の面影は消えていた。
「所信表明直後という最悪のタイミングに辞意表明したことを深くおわび申し上げます。辞任を決意した最大の要因である体調の変化を触れず非常に申し訳なかった…」
髪を整え、濃紺のスーツに身を包んでいたが、やせたためにワイシャツの首元は緩み、言葉は途切れがちだった。
安倍がこれほどやつれた姿をカメラにさらしたのは、25日の国会の首相指名を前に国民に「おわび」したかったことが最大の理由だが、実はもう1つあった。
総裁選中に流された前幹事長の麻生太郎、官房長官の与謝野馨に向けられた「謀略情報」を否定するためだった。
「麻生は安倍を続投させ、次期総裁への足場を築こうとした」「安倍は辞任直前に『麻生にだまされた』と漏らした」−。
このような情報は新総裁の福田康夫が出馬を決めた13日夜に突然流れ始めた。これを知った麻生は当初、「誰がそんなくだらないウソを…」と取り合わなかったが、情報の出所を知り、耳を疑った。安倍と親しい町村派幹部だったからだ。
麻生は14日午後、総裁選の報告をかねて、安倍の見舞いに病院を訪れた。自らの窮状を訴えたい思いもあったが、やつれ果てた安倍の姿を見て言葉を飲み込んだ。「おれは首相がこれほどの病を我慢して頑張ってきたことに気づかなかったのか。本当に申し訳ないことをした」。謀略情報で麻生が反撃すれば、安倍を傷付けることにもなりかねない。こう考えた麻生は一切のデマに口をつぐむようになった。
謀略情報は与謝野にも及んだ。「麻生と与謝野は安倍をカヤの外に置き、勝手な人事を推し進めた」。温厚な与謝野もこれには激高した。
18日午前、首相不在で開かれた閣僚懇談会後、与謝野は外相の町村信孝を呼び止めた。
与謝野「町村派がとんでもないウソを流している。知ってて止めないならばあなたも同罪だ!」
町村「誰のことを言っているんだ」
与謝野「言われなくても分かるだろう」
入院後、1週間は点滴だけで栄養をとっていた安倍だが、次第に容体は安定し、総裁選の情報もジワジワと耳に入るようになってきた。「麻生さんに申し訳ないことをした」。安倍は周囲にこう漏らしたという。
記者会見の最後に、「麻生・与謝野謀略説」を問われた安倍はきっぱりとこう言った。
「そういう事実はまったくありません。麻生氏も与謝野氏も本当によくやっていただいた。感謝しています」
その厳しい目つきには、病に倒れたがゆえに自らの政治路線を自民党に否定された無念さがにじみ出ていた。
780
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/09/24(月) 22:14:49
× × ×
「チーム自民党が一丸となって、この難局を乗り切りたい」
安倍首相の会見に先立つ24日正午。自民党本部6階で開かれた臨時総務会では、総務ら約30人に総立ちで迎えられた新総裁の福田康夫がにこやかにこう切り出した。
福田に指名された新幹事長の伊吹文明は、満面の笑みで「『チーム安倍』ではなく『チーム自民党』です」と安倍政権を皮肉った。
福田は、党則を変え、「党三役」を「党四役」にし、選対総局長に代わる選対委員長に古賀誠が就任することを説明。古賀の笑顔に対し、再任された総務会長の二階俊博は最後まで仏頂面を崩さなかった。
「党の重要な仕事をやっていただきたい」
福田が、伊吹や二階らに電話で新役員への就任要請したのは、23日午後11時ごろ。福田はポストまでは明言しなかったが、念頭にあったのは二階が選対総局長、古賀が総務会長だった。
ところが、24日午前、4人が党本部4階の総裁室に入って約1時間半の間に古賀、二階の人事はひっくり返った。二階の仏頂面の理由はここにある。総裁室から出た古賀は、「自分で言うのもおかしいが、『選挙は自分が一番適任だ』と総裁に申し上げた。まあ私の希望だ」と語った。
福田擁立の立役者であり、福田周辺から幹事長職を打診されていた古賀にとって、総務会長は納得できる役職ではなかった。総務会は自民党の最高意思決定機関だが、日常業務で実権は少ない。党務にたけた古賀はそれを熟知しており、「かつての総務会は全会一致だったが、最近は多数決になったから総務会長も飾りみたいなものだ」と周囲に明言していた。次期衆院選に向け、党務全般を取り仕切る幹事長に比べ、総務会長は「飾り」に映ったのかもしれない。
その点、選対総局長は格落ちだが、選挙対策の実務を取り仕切る仕事だ。古賀は「名より実」を選んだわけである。
福田は古賀の要望を全面的に受け入れ、総裁直属機関の選対委員長として格上げした。党四役入りするため、警護官(SP)もつくことになる。
この決定を聞いた閣僚経験者は「総裁直属機関ということは幹事長の意向も無視できる。しかもゴネ得を許してしまった。各派領袖はますますゴネ出すぞ。福田は就任早々大変なミスをしてしまった」とつぶやいた。
古賀は総務会後、伊吹や二階らに「選挙はみんなでやることだから協力をお願いします」と頭を下げたが、この言葉に1人は「さっそく命令する気か」と憤慨した。政権のきしみは早くも始まっている。(敬称略)
(2007/09/24 21:20)
781
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/09/25(火) 07:53:16
退陣会見との矛盾指摘 野党、首相の説明に
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2007092401000407_Politics.html
野党各党は24日、安倍晋三首相が記者会見で退陣の最大の理由として健康問題を挙げたことに関し、体調不良への理解を示した上で、先の退陣表明会見との矛盾を厳しく指摘した。
民主党の鳩山由紀夫幹事長は、首相が小沢一郎民主党代表への会談申し込みの前に辞任の決意を固めていたと発言したことに「(党首会談が実現しないことを理由とした)退陣会見は何だったのか。健康問題があっても、うそをついてはいけない。民主党に迷惑が掛かっている」と批判。「記者会見を見て精神的に参っているとの印象だ。危機管理上、臨時首相代理を置くべきだった」と強調した。
共産党の穀田恵二国対委員長は、首相が退陣会見でインド洋での給油活動継続のために辞任して局面転換を図ると説明していたことに触れ「本当の理由をごまかしたということになる」と指摘。社民党の福島瑞穂党首も「首相の発言が矛盾している。正直に国民に語っているとは思えず、がっかりした。辞任の時期と辞め方を間違った」との認識を示した。いずれも共同通信の取材に答えた。
782
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/09/25(火) 07:57:32
安倍首相:姿弱々しく会見 危機管理に明確な説明なし
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20070925k0000m010129000c.html
記者会見を終えた安倍首相=東京・信濃町の慶応大病院で24日午後5時21分(代表撮影) ものものしい警備と対照的に、記者会見場に現れた安倍晋三首相は弱々しい姿だった。辞任表明の際、その最大の理由が体調だったことを伏せたが、24日の記者会見では「率直に話すべきだった」と反省の弁を口にした。容体が悪かったにもかかわらず臨時代理を置かなかった安倍首相。大災害やテロがあった時、きちんと指揮を取れたのか。最後まで明確な説明はなく、専門家からは批判の声が上がっている。【日下部聡】
「時間は約10分」「会見場に入れるのは1報道機関あたり2人」。安倍首相が入院する慶応大学大学病院(東京都新宿区)で開かれた会見は、厳しい条件付きだった。チェックを受けた記者は、SPや官邸職員に囲まれて会見場に移動。通りかかった看護師らが驚いたような視線を向けた。
「在職中に自らの体調について述べるべきでないと思っておりましたので、あえて言及しませんでした」「結果として国民の皆さんに私の真意が正確に伝わらず、非常に申し訳なく思っております」
手元のノートに書かれた原稿に目を落としながら言葉を継ぐ。辞任表明の時期については「所信表明の直後で、最悪のタイミングになってしまった」と謝罪を重ねた。
臨時代理について、与謝野馨官房長官はこれまで、「どうしても首相官邸に戻らなければならない危機が起きた場合には、(病院との)距離は5分ぐらい」と説明してきた。この日、会見場の隅のいすに座った与謝野長官は、眉間にしわをよせて視線を落としたまま、微動だにしなかった。
臨時代理の不在を問われた安倍首相の答えは「法律にのっとって、職務の上で支障を来すかどうかという判断の上に、今回は臨時代理を置かなかったということになりました」。だが自身の主体的な判断だったのかどうか、何を判断基準にしたのかについては言及しなかった。
「だんだん食事もできるようになりましたので、1日も早く退院できるようにと思っております」。今後について問われ、第一に挙げたのは健康回復だった。
毎日新聞 2007年9月25日 1時51分 (最終更新時間 9月25日 2時00分)
783
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/09/25(火) 08:18:45
安倍内閣、25日に総辞職 「改革」「保守」悩み続け
2007年09月25日03時07分
http://www.asahi.com/politics/update/0925/TKY200709240200.html
安倍内閣は25日、総辞職して1年間の幕を閉じる。小泉純一郎前首相によって自民党幹事長や官房長官に抜擢(ばってき)され、事実上の後継指名を受けて首相の座についた安倍晋三氏。強烈な個性で世論の喝采をうけ、構造改革を掲げて官邸主導を確立した小泉氏と比べれば、期待された「選挙の顔」にもなれず、独自色を出し切ることもできず、「小泉改革」の負の遺産に押しつぶされた。
安倍氏は「小泉改革の継承者」との立場を、最後まで崩さなかった。辞意を表明する2日前の所信表明演説でも「改革を止めてはならない。この一心で続投を決意した」と強調したほどだ。
ただ、安倍氏と小泉氏にはもともと政策の優先順位や路線に大きな違いがあった。
小泉氏は郵政民営化に象徴される構造改革を長年唱え続け、「小さな政府」の実現など新自由主義的な政策に重きを置いた。これに対し、安倍氏は伝統や文化、国家の役割を重んじる「保守主義者」を自認。構造改革より、憲法改正や教育改革といった理念系の政策実現にこだわりがあった。
安倍氏は二つの路線のどちらに軸足を置くかに、終始悩まされた。
郵政民営化に反対した議員の自民党復党は、その典型だった。
「小泉後継」だったはずの安倍氏が、小泉氏が切り捨てた反対議員の復党を容認する――。この構図に世論は戸惑い、内閣支持率は大幅に下がった。つまずきの始まりだった。
逆に、構造改革路線の象徴のひとつである道路特定財源問題では、小泉氏が進めた一般財源化を強く主張し、与党から強い反発を受けた。
通常国会では、憲法改正の手続きを定める国民投票法を成立させるなど「安倍カラー」が強く出た時期もあった。支持率も持ち直しの兆しを見せた。一方、構造改革にも絡む国家公務員法改正に強くこだわった結果、中央省庁は反発し、与党との足並みも乱れることになった。
7月の参院選では、小泉改革の「負の遺産」と言われた格差問題に有効な手を打てず、地方の1人区を中心に惨敗。内閣改造では、小泉改革を推進した「中川秀直幹事長―塩崎恭久官房長官」から、「麻生太郎幹事長―与謝野馨官房長官」のラインに変え、路線転換を図ったが、時すでに遅かった。
安倍氏の路線をめぐる迷走は、特に小泉政権を支えた若い世代の離反を招いた。政権発足当初の20代の支持率は67%。世代別で最も高かったが、参院選後の8月には25%まで落ち込んでいた。
■官邸主導も挫折
先輩を立てて、義理がたく、仲間を大切にする――。自民党議員の共通した「安倍評」だ。孤独や摩擦を恐れない小泉氏より、むしろ融和を大切にする「調整型」の森喜朗元首相にタイプが近い。安倍氏自身、小泉氏を「副作用を伴う劇薬」、自分を「漢方薬」と説明したことがある。
この違いは、そのまま首相としての政治手法の差となって表れた。小泉氏が成功した「官邸主導」は、強烈な個性と世論の支持に裏打ちされたものだった。安倍氏は個性ではなく新たな組織づくりによって「官邸主導」を目指したが、結果的に挫折した。
安倍氏が試みたのは、米ホワイトハウスを参考にした官邸機能の強化だった。塩崎恭久前官房長官ら親しい仲間を官邸に集め、首相補佐官を規定いっぱいの5人に増やして「チーム安倍」と言われる体制を作った。自らかかわる形で、安全保障や教育再生などの会議をいくつも立ち上げた。
ところが、官邸の補佐官や各種会議と、霞が関の省庁との間で、役割分担の線引きがうまくいかずにあつれきが起きた。「チーム安倍」のメンバー内でもしばしば主導権争いが起こり、「お友達内閣」「少年官邸団」などと批判を浴びた。
一方、小泉流にならおうとして失敗した点もある。
小泉氏は組閣時に派閥に一切相談せず、「サプライズ人事」を繰り出すことで求心力を高めた。歴代首相になかったスタイルを安倍氏もまねたものの、小泉官邸が厳しく行った「身体検査」を徹底できず、「政治とカネ」の問題を巡る閣僚の辞任が相次ぎ、「任命責任」の批判を一身に浴びることになった。
8月末の内閣改造で、塩崎氏ら「チーム安倍」の大半を交代させ、補佐官も5人から2人に減らした。安倍流の「官邸主導」の失敗を印象づけた人事からわずか16日後、安倍氏は辞意を表明し、表舞台を去った。
784
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/09/29(土) 00:24:15
福田首相、昨年の総裁選秘話を披露…安倍氏との会話も
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070928ia22.htm
福田首相は28日の都内での講演で、昨年の自民党総裁選に出馬しなかった理由に関して「靖国問題を中心とした歴史認識問題を総裁選の争点にしようという風潮があり、まずいなと思っていた。歴史認識問題を争点にしないため、出ないと言わなければならないと思った」と語った。
首相は昨年7月、総裁選への不出馬を表明し、その際は高齢を理由に挙げていた。
しかし、首相は講演で「最後は年齢を理由にしたが、いろいろな理由があった。安倍(前首相)さんとは親子三代でつきあいもあり、戦う気は最初から全然なかった」と説明。さらに、「『若いあなたがやると言ったら、私が邪魔することはないよ』と安倍さんに言ったこともある」と、事前に安倍氏に不出馬を伝えていたエピソードも紹介した。
(2007年9月28日22時57分 読売新聞)
785
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/10/02(火) 16:57:03
特集ワイド:安倍政権の最後 与謝野馨・前官房長官に聞く
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071002dde012010011000c.html
福田康夫首相が1日、所信表明演説を行い、国会がようやく動き出した。しかし、参院選終了からのこの2カ月は、日本にとって何だったのか。改造内閣最後の日々を安倍晋三前首相の最も近くで過ごした与謝野馨前官房長官(69)に聞いてみた。【松田喬和、太田阿利佐、坂巻士朗】
◇クーデター「ばかな話」
◇大衆迎合に陥った運営
−−1カ月足らずの官房長官在任だったが、心残りは。
私は職人的にやっていましたから特にそういうものはありません。けれどおそらく安倍さんは、自分では口には出さない無念さを抱えて総理の座を去られたと思います。結局、政策的な挫折ではなく、健康的なものだったと思います。
−−辞意にまったく気が付かなかったのか。
変だなとは思っていましたよ。安倍さんは9月9日、テロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動の継続問題について、「職を賭していく」と発言された。そのためこちらは新法の準備をしていて、月曜日(同10日)に総理に報告に行きました。「何とかいけます」と報告したんですが、最後にぽつりと「官房長官はそう言われるけど、状況はもっと厳しいんですよねえ」と言うんです。
「あれっ」と思ったけれど、辞めるという前提で聞いてないから意味が分からない。おれの説明が悪かったかな、と思いました。翌日再び説明にうかがい、私としては断固として新法は通しますと申し上げた。ところが安倍さんは「与謝野さんも大きな病気から立ち直って……」とか何とか、なんだか妙に湿っぽい話をなさる。こちらは「新法を通すぞ」と意気込んでいるのにです。一緒にいた秘書官に、何か変だぞと言っていたんですが。
◇敗北が曲がり角
−−国会での代表質問の開始直前で、辞任のタイミングとしては極めて問題があった。
後から考えればいろいろと言えるんでしょうが、一つの曲がり角は参院選で敗北した時だったと思います。
−−参院選の当日、中川秀直自民党幹事長(当時)が公邸に行ったら、すでに麻生太郎外相(当時)が安倍前首相と会った後で、続投が決まっていたと報道されている。
つじつまが合わないのではないでしょうか。「参院選の結果は政権の行方には関係ない」と言い出したのは、そもそも党執行部です。「参院選は政権選択の選挙ではない」などとばかなことも言っていた。安倍さんにしたら、辞めるに辞められなくなった部分もあったと思っています。いまさら党執行部が、安倍続投を麻生さんの責任にするのはおかしいと思います。
−−麻生さん(前自民党幹事長)と与謝野さんによるクーデター説は、何だったのか。
クーデターは、その人を倒したら自分が得する状態で起こすもの。私がクーデターなんてばかじゃないかという話です。安倍さんを倒したら、損するのは与謝野馨なんですから。人がやったやったと言って、クーデターを起こした人が他にいるんでしょう。政局になると、頭が悪いなと思っていた人たちが急に頭を回転させて、思いもかけない行動に出たりする。そういう方たちを見ると頭の良さというのもいろいろ種類があるんだなと思います。
786
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/10/02(火) 16:57:46
◇政策にバイアス
−−安倍政権が短命に終わった理由は?
安倍さんにとって残念だったのは、閣僚の失言などが相次ぎ、それが政権のイメージを壊していったこと。最大のものは松岡利勝農相(当時)の自殺でした。日本人の美徳として、死者をむち打つことはしないものですが、閣僚が閣僚の地位のまま自ら命を絶つほど政治家として無責任なことはないと思っています。
−−後任の赤城徳彦元農相の更迭も参院選の後だった。なぜ安倍さんは適時に更迭できなかったのか。
母性愛があったんでしょう。結局、愛情をもって人事をやると間違ってしまう。冷徹と言えば冷徹でないと。
もう一つ、安倍政権はマスコミへの対応を間違えていたと思います。テレビ取材時の視線がどうだとかいう枝葉末節なこと、つまり、短期間の人気取りではなくて、本格志向でマスコミと堂々とフェアに付き合っていくべきでした。一時的なパフォーマンスを薦めた人がいますが、そんなものはすぐにめっきがはげてしまうんです。
−−官邸主導と言いながら、本当に必要なアドバイスを首相にする人材を欠いていた?
去年、安倍政権を誕生させた人たちは、長期政権を作ろうという夢を見ていた。彼らは、政権や政党の支持率にマイナスになることは一切避けて通ろうという精神でした。けれども自民党は、どんな時にも責任を回避しない、責任政党であるということが唯一の売りなんですよ。
安倍政権の演出者たちはそこを全部はがして、ポピュリズム(大衆迎合)で政権運営をしようとした。例えば、安倍政権発足前から私は日本の財政の窮乏を正直に国民に話さなければいけないと主張してきました。そうすれば自然に税制改革の話になる。しかし、経済成長で解決しますなんて幻想を振りまいた、いわゆる上げ潮路線グループがいた。長期政権を目指したがゆえに、政策的にひとつのバイアス(偏った考え)をつくり上げた。財政や税制について、避け難き現実を直視しない。それは政権内部にあった大きな欠陥だったと思います。
◇進む政党の同質化
−−福田新首相には何を期待するか。
日本の経済成長に過剰な幻想を抱かないことです。インフレ率を高く見積もって日本の税収を予想することは決してやってはならない。インフレは弱者に厳しいもので、国民が最も嫌うものがインフレ。ミャンマーのデモも引き金はそれでしょう。物価が上がらず、100円ショップで何でも買えるのはいい話なんですよ。さっき私も買ってきたんですが、このハンドタオル、2枚で99円ですよ。いいでしょう。
−−総選挙が近いとの見方があるが、自民党は民主党とどう戦えばいいと考えるか。
ここ10年、政党の同質化が進み、政策で決定的な対立軸は見いだせなくなっています。イデオロギーが喪失した今の時代に、対立軸を見つけることはほとんど不可能です。例えばテロ特措法でも、小沢一郎・民主党代表は国連決議があればいいと言っている。こうなると、選挙が近づくほど、人気を取れる政策を競うことになる。
民主党は、自民党と対決するのが唯一の違いになっている。その違いを捨てるほど小沢さんは愚かではないと思いますから、総選挙前に大連立はありえないと思います。しかし次の総選挙後には、やはり政党同士が話し合わないと国政が進まないと、みんなが自覚するのではないでしょうか。
==============
◇「夕刊とっておき」へご意見、ご感想を
t.yukan@mbx.mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
毎日新聞 2007年10月2日 東京夕刊
787
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/10/03(水) 17:15:34
政権放棄の余波…親安倍経済人の今後“逆風木枯らし”
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_10/t2007100217_all.html
政権をほうり投げた安倍前首相。親安倍経済人の今後が心配だ
福田康夫首相が誕生して1週間。経済界で話題になっているのが、安倍晋三前首相(53)に近いとされる経済人の「今後」だ。筆頭はウシオ電機の牛尾治朗会長(76)とJR東海の葛西敬之会長(66)。無責任な政権投げ出しで失脚しただけに、親安倍経済人にも逆風が吹くことが予想される。
「経済に弱い」とされる安倍前首相の“指南役”を任じていたのが、牛尾氏だ。2人が知り合ったのは、安倍氏が神戸製鋼所を退職し、外相などを歴任した父・晋太郎氏の秘書官になったころ。牛尾氏の長女・幸子さんが晋三氏の兄・寛信氏に嫁ぎ、家族ぐるみの付き合いとなった。
「牛尾氏は、あまりに近すぎるから前面に出ることはないと言っていたが、じっとしていられなかったようだ。新聞の首相動向の欄には、牛尾氏の名前がひんぱんに出てきた」(財界関係者)
2006年9月の安倍政権の発足早々、政府税制調査会の本間正明会長(当時、大阪大大学院教授)が公務員宿舎に知人女性を入居させていた問題で辞任。後任の会長選びが難航する中、安倍前首相に香西泰・日本経済研究センター特別顧問の起用をアドバイスしたのが牛尾氏だった。
「いろいろ口出ししてきた牛尾氏に対する政財界の反発は意外と強い」(同)という。
ウシオ電機・牛尾会長(左)JR東海・葛西会長(右)
一方、安倍氏の後ろ盾となった経済人の集まりといえば、2000年に発足した「四季の会」。JR東海の葛西会長が代表を務め、年4回会合を開いてきた。
葛西氏が東大で同級生だった与謝野馨前官房長官に「若い政治家の話を聞きたい」と提案。安倍氏は与謝野氏に誘われて会に出るようになった。葛西氏は、安倍政権の目玉だった教育再生会議のメンバーにもなった。
四季の会のメンバーは葛西氏のほか、三菱重工の西岡喬会長(71)、トヨタ自動車の張富士夫会長(70)、東京電力の勝俣恒久社長(67)、新日鉄の三村明夫社長(66)、東芝の岡村正会長(69)、野村ホールディングスの氏家純一会長(61)、みずほコーポレート銀行の斎藤宏頭取(63)、三菱商事の小島順彦社長(65)ら約20人。重厚長大産業を代表するそうそうたるメンバーである。
「財界本流は永田町に不安を抱いていたが、安倍氏が伝統的な基幹産業のトップと定期的会合をもつようになり、安倍政権に期待するようになっていった」と財界関係者は指摘する。そして四季の会の発言力が強まる。
今年6月、NHKの最高意思決定機関である経営委員会の新委員長に起用された古森重隆・富士フイルムホールディングス社長(68)は四季の会のメンバー。安倍人脈による官邸主導の人事だが、「四季の会が主導した人事」(放送関係者)といわれた。
日本経団連の御手洗冨士夫会長(72歳、キヤノン会長)も、安倍失脚でミソをつけた口だ。経済財政諮問会議の民間議員として安倍前首相を支え、首相外遊の際には3度にわたり大規模の経済使節団を編成し同行した。
「ビジネス一筋できた御手洗氏は、政界とのパイプは細い。そのため個人的パイプをつくろうとしたのだろうが、安倍首相への入れ込みは尋常ではなかった。死に体になっても支えようとした。あれだけ安倍内閣に傾斜した御手洗経団連では、民主党と関係を構築するのは難しいのでないか」(財界関係者)と危惧する声も挙がっている。
親安倍経済人は何かと苦労をしそうだ。
ZAKZAK 2007/10/02
788
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/10/06(土) 22:59:44
安倍退陣「心配、全部当てはまった」…森元首相が講演で
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071006i413.htm
自民党の森元首相は6日、青森県弘前市で講演し、安倍前首相の突然の退陣について、「心配していたことがすべて当てはまった」と振り返った。
森氏は、安倍氏の昨年の総裁選出馬の際、「心配したことがいくつかあった」と語り、その一つに健康問題を挙げた。「前から良く知っているが、安倍さんは腸が丈夫ではなかった。私は安倍さんの体調を非常に心配し、完全に体を治してから(総理・総裁を)やるのでも遅くないと思っていた」と語った。
さらに、安倍氏が総裁選出馬の決意を森氏に示した際、「私は世論の支持を一番受けている」と強調していたとして、「安倍晋太郎・元外相の子息として一目置かれて育ってきたが、本当の苦労をまだまだ体験していなかった」と指摘。
安倍氏の首相就任は人気先行で、準備が不十分だとの懸念を当初から抱いていたことを明かした。
また、自民党内の空気についても、昨年の総裁選では「安倍さんが『広告塔』に良さそうだと判断し、支持の流れが出来た」とし、「付和雷同型」議員が多かったと論評。先の総裁選でも福田首相支持に雪崩を打ったため、「今も危険な兆候がある」と懸念を示した。
(2007年10月6日22時31分 読売新聞)
789
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/10/17(水) 01:20:28
「安倍路線」身内も否定 政府・自民から発言相次ぐ
2007年10月16日23時18分
http://www.asahi.com/politics/update/1016/TKY200710160423.html
「民意とずれた」「違和感を覚えた」――安倍前首相が掲げた「戦後レジームの脱却」など「安倍路線」を否定するような発言が、今国会で政府・自民党から相次いでいる。7月の参院選で惨敗し、早期の解散・総選挙もささやかれるだけに、テレビ中継される首相出席の国会論議の場で、有権者への「反省」「変身」をアピールする狙いがあるとみられる。
「どういう経緯でそうなったのか……」
16日の参院予算委員会。舛添厚生労働相は、安倍前首相が決断した社会保険庁の「解体・6分割」とのキャッチフレーズに、こんな疑問を呈した。「解体感」を出そうと、安倍氏が社保庁の分割数を多めに強調したもので、安倍氏は1月の通常国会で「6分割を断行」と言い切った。
だが、舛添厚労相は「ちょっと不正確だ。その反省から『解体・2分割』と呼ぼうと私が決めた」と方向転換した。
自民党の参院幹部からはさらにストレートな「脱安倍」発言も繰り出される。自民党の山崎正昭参院幹事長は4日の参院本会議の代表質問でこう述べた。
「『美しい国』『戦後レジームからの脱却』との訴えが民意とずれた」
山崎氏は、安倍氏がかつて籍を置いた町村派に属し、関係は深い。それでも、惨敗した参院を代表する立場だけに、「あえて質問は安倍氏に厳しめにした」(党参院幹部)という。
同じ参院の椎名一保国対副委員長も5日の代表質問で、参院選のポスターで、安倍氏の顔に添えられた「成長を実感に」というキャッチフレーズについて「有権者が違和感を覚えた」と断じた。
こうした発言について、幹事長経験者の一人は「解散もにらんで、国会の場を使って自民党の『変身』ぶりをアピールしようとしているのだろう」とみる。
福田首相は16日の参院予算委で、安倍内閣の閣僚の大半を引き継いだことに関して民主党議員から「なぜ閣僚が代わっていないのか」と問われ、答えた。
「全然代わってないと言うのは違いましてねえ。私が(安倍前首相に)代わり、総理大臣になって、随分様子は変わったと思います」
790
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/10/19(金) 00:13:47
小池元防衛相:次官解任の舞台裏「女子の本懐」出版へ
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071019k0000m010119000c.html
小池百合子元防衛相が、守屋武昌前防衛次官の「解任騒動」の舞台裏などを詳細に明かした「女子の本懐 市ケ谷の55日」(文春新書)を出版する。
タイトルは、小池氏が「国家存立の基本にかかる崇高な任を務めることができたことは誠に光栄であり、まさに女子の本懐」と語った防衛省での離任訓示から取った。
著書の中では、次官人事を巡る首相官邸での安倍晋三前首相とのやり取りを初めて明かした。
小池氏が内定した後任次官人事が報道されたことについて、安倍氏は「人事案が漏れたのは問題だよね」と難色を示した。これに対して、小池氏は「筆書きで用意した進退伺」を目の前に置き、人事案に同意するよう首を懸けて決断を迫ったという。
「悲しそうな顔」をした安倍氏は「辞めるなんて言わないでください。お願いだから」と語った。しかしその後、何の指示も出さなかったため、官邸で官僚人事を仕切る塩崎恭久元官房長官らによって小池案は覆されたという。【古本陽荘】
毎日新聞 2007年10月18日 22時51分
791
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/10/19(金) 21:25:18
小池・元防衛相が「暴露本」 守屋氏との暗闘、赤裸々に
2007年10月19日19時01分
http://www.asahi.com/politics/update/1019/TKY200710190387.html
自民党の小池百合子元防衛相が、人事をめぐる守屋武昌・前防衛事務次官との確執の内幕を記した「女子の本懐〜市ケ谷の55日」(文春新書)を出版した。「女性初の防衛閣僚の奮闘記を残したかった」(小池氏)。守屋氏について「官邸を自由に泳ぎ回り、私の人事案阻止を訴えていた」と記し、「これでは『ひとり二・二六』」と厳しく批判している。
著作の中で小池氏は、守屋氏に次官を退いて同省顧問に就くよう勧めた際、「顧問では生活できない」と拒否されたことも紹介。「女性の新参大臣は赤子の手をひねるようなものだと考えたのだろうか」と振り返った。
安倍前首相や塩崎恭久元官房長官とのやりとりも描いた。小池氏が辞表を示して人事案を決定するよう迫ると、安倍氏は「悲しそうな顔」をして「辞めるなんて言わないでください。お願いだから」と慰留したという。
安倍氏の辞任劇については「参院選惨敗後も続く不祥事、四方八方から矢が飛んでくる上、私まで安倍総理に心配をかけてしまったかと思うと申し訳なく思う」と反省をつづった。
792
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/11/01(木) 21:29:24
安倍前首相の病名「うつ病」と和田秀樹が断定
11月1日20時3分配信 J-CASTニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071101-00000006-jct-soci
福田内閣の発足から1ヶ月以上経つが、すっかり忘れ去られている格好なのが安倍前首相だ。首相辞任時には「機能性胃腸障害」と診断されていたが、「安倍氏はうつ病に当てはまる」との精神科医の見方が新聞に掲載されたのだ。
■うつ病と診断される9つの基準のうち6、7個は満たす
安倍氏が2007年9月12日に辞任、直後に「機能性胃腸障害」だと診断され、入院。現在は「自宅療養中」だとされる。その間、福田首相の首班指名の時以外は特に公に姿に表すこともなく、すっかり忘れ去られた形になっている。
そんな中、2007年11月1日の朝日新聞朝刊の寄稿欄に、精神科医の和田秀樹氏による
「中高年のうつ病 もはや隠す必要ない病だ」
という記事が掲載されたのだ。見出しから安倍氏との関係を読み取るのは困難だが、ここで指す「中高年」とは、安倍氏のことだ。寄稿によると、
「安倍氏について報道された報道をアメリカ精神医学会による診断基準をあてはめると、安倍氏はうつ病にあてあまる」
と断じている。その根拠は、以下のようなものなのだという。
「興味や喜びの減退、疲労感、体重減少、不眠、気力や判断力の低下、精神運動性の制止(頭の働きが悪くなることで、私はこれが原因で代表質問直前に辞意を表明したと考えている)など、これが2週間続けばうつ病と診断される同学会の9つの基準のうち6、7個は満たしているからだ」
この基準を読むと、少なくとも「うつ状態」にあったのは間違いないようだ。
■「心が弱い」「リーダーに向かない」は偏見
もっとも、首相退陣の経緯を「苦労知らずのお坊ちゃまだから」と、決めつけられている向きについては批判的だ。続いて、うつ病は誰でもかかりうる病気で、治療次第で直ることを強調。「心が弱い」「リーダーに向かない」といった偏見が世間に広がることを懸念している。寄稿では、世界のうつ病患者の統計を紹介しつつ、正確な知識を広めることの重要性を指摘。このように結んでいる。
「安倍氏が心の病かも知れぬ、という点に配慮のない報道によって、精神医療への敷居が高いものになってはならないということを訴えたい」
この指摘を、安倍氏側はどのように受け止めているのだろうか。安倍氏の現在の病状や病名について安倍事務所に取材を試みたが、回答を得ることは出来なかった。
なお、安倍氏の動向をめぐっては、一貫して安倍氏に批判的だった「日刊ゲンダイ」が、07年10月31日、「全日本アーチェリー連盟」の会長にヒッソリ復帰した、と報じている。同紙では
「首相の重圧から解放されて、体はピンピンしているようだ。だったら、『早く国会に出てこい!』である」
と非難しているが、確かに、安倍氏の病状は国民の関心事である。
793
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/11/11(日) 07:26:08
安倍前首相来月7日地元入り
後援会調整中 讀賣山口
安倍晋三前首相の地元後援会の拡大代表者会議が10日、下関市で開かれ、安倍前首相の12月7日の山口入りで調整していることが報告された。首相就任前以来1年3か月ぶりの地元入りで、県庁にあいさつ後、JR下関駅前での街頭演説などを計画している。
後援会幹部ら約400人を前に、伊藤昭男会長が日程を示し、「代議士は原点に戻り、国のため、郷土のために頑張る決意。再び日本や世界をリードする日が来る」と支援を呼びかけた。会議に出席し、安倍前首相の現状を報告した昭恵夫人は会議後、「皆さんに励まされ、大変ありがたい」と話した。
(2007年11月11日 読売新聞)
794
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/11/12(月) 21:29:13
新テロ法案採決、本会議出席へ=「はってでも出たい」−安倍前首相
11月12日21時1分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071112-00000171-jij-pol
安倍晋三前首相が、新テロ対策特別措置法案の採決が行われる13日午後の衆院本会議に出席することが12日、分かった。安倍氏の国会出席は福田康夫首相の指名選挙が行われた9月25日以来。安倍氏は首相在任中、海上自衛隊の給油活動継続に強い意欲を示していた経緯があり、周辺には「この法案の採決にははってでも出たい」と語っているという。
795
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/11/14(水) 01:26:06
安倍氏再始動 体調回復 国会に 9月25日以来
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/20071114/20071114_002.shtml
安倍晋三前首相は13日、新テロ対策特別措置法案を採決した衆院本会議に出席し=写真、政治活動を再開した。安倍氏が国会に姿を見せるのは、福田康夫首相の指名選挙が行われた9月25日の衆院本会議以来。
安倍氏は本会議終了後、対テロ新法案の衆院通過について「国際社会から期待されている日本の大切な活動だ。本当に良かったと安心している」と記者団に述べ、退陣のきっかけにもなった給油活動の再開に期待を表明。
同時に「国民の皆さまに大変ご迷惑をお掛けした。体調は本会議に出席できるように回復した」と強調。今後について「本会議にはなるべく出席したい」と述べた。
福田首相は13日夕、記者団に「(安倍氏は)元気だったね」と述べた。退陣の最大要因とされた体調は順調に回復した様子で、安倍氏は本会議での採決後、首相や公明党の太田昭宏代表の席に歩み寄り握手していた。
=2007/11/14付 西日本新聞朝刊=
796
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/07(金) 20:44:32
安倍前首相、昭恵夫人とともに首相辞任後初めて地元・山口県入り 首相再登板を否定
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20071207/20071207-00000252-fnn-pol.html
7日、首相辞任後初めて、昭恵夫人とともに地元・山口県に入った安倍晋三前首相が、地元記者の「首相への再チャレンジは?」との質問に対して、今の思いを語った。
7日、首相官邸で、福田首相と自民党の参議院1年生議員との昼食会が行われた。
自民党の丸川珠代議員は「(きょうのメニューは?)カレーでした。とっても上品な味のカレーでした」と話した。
新人議員からは、気になる国会の再延長問題や衆議院の解散についての質問も出たという。
丸川議員は「(福田首相が)『僕がここで何か言うと、また夕刊に載ってしまうから、やっぱりやめておこう』とおっしゃってました」と語った。
福田首相は、その胸の内を仲間の議員にも明かさなかったという。
一方で、昼食会に出席した丸山和也議員に対し、福田首相は「言いたいことが言える人はいいなぁ」と話したという。
丸山議員は「(福田首相は)『総理大臣になってから、どこにも行けなくて、運動もできなくて困っている』と。『だから、この官邸内を早足で歩くように務めている』と言ってましたよ」と語った。
一方、首相を辞め、その重圧から解放された安倍前首相が7日、首相辞任後、初めて地元・山口県に昭恵夫人とともに帰り、県庁職員らの歓迎を受けた。
安倍前首相は「おかげさまですっかり体重も戻り、元(の体重)を少し超えるくらいになりました」と述べた。
安倍前首相は、辞任の原因となった体調はすっかり回復し、先週は、東京の高尾山に登ったことも明らかにした。
続いて行われた会見で、地元記者から「再び首相を目指すことは?」と質問された安倍前首相は「もうすでに、わたしも全力で十分に取り組んできたと思っているので、今はそのことはまったく...」と首相再登板を否定した。
「一議員として再スタートをしたい」と述べた安倍前首相は、地元関係者にあいさつ回りを行った。
地元県議は「ああいう辞め方をされましたので、確かに今度の選挙には影響があると思います」と語った。
首相時代に自らが掲げたキャッチフレーズ「再チャレンジ」に、自ら臨むことになった安倍前首相。
8日は、墓参りなどをするという。
797
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/07(金) 20:45:17
安倍前首相、1年3ヶ月ぶりにお国入り
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20071207/20071207-00000051-jnn-pol.html
今年9月に突然辞任した安倍前総理大臣が、1年3ヶ月ぶりに地元・山口県にお国入りしました。
安倍前総理のお国入りは内閣官房長官だった去年9月以来、1年3ヶ月ぶりです。県庁を訪問した安倍前総理を、職員らおよそ500人が出迎えました。現職総理さながらです。
この後の会見では、突然の辞任について改めて謝罪し、「今後は一国会議員として、初心に戻って地域の発展のため、また新しい国づくりのために、全力を尽くしていきたいと思っております」と述べました。
次の総選挙について安倍前総理は、「比例区単独での出馬はあり得ない。山口4区から出馬したい」と述べ、体調も回復したとしています。(07日17:57)
798
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/07(金) 20:46:21
前総理快気祝いで「チーム安倍」に久々の笑顔
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20071206/20071206-00000045-ann-pol.html
胃腸の機能障害で入院し、退院後も自宅で療養を続けていた安倍前総理大臣の快気祝いをするため、「元チーム安倍」の面々が久々に集まりました。
国会近くのホテルで行われた快気祝いには、塩崎元官房長官や下村博文前副官房長官、また、世耕前総理補佐官ら、「チーム安倍」と呼ばれた当時の官邸メンバーが集まりました。出席者によると、安倍前総理は体調も回復し、元気そうで、「マスコミにかなりたたかれたけど、いろいろと法案を通せて良かった」と語るなど、思い出話に花が咲いたということです。安倍氏は7日、総理大臣の時に帰ることができなかった地元、山口県に入り、支持者に対して、辞任に至った経緯を説明することにしています。
799
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/07(金) 23:34:28
安倍氏に再起求めるエール '07/12/8
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200712080045.html
安倍晋三前首相が「お国入り」して辞任の経緯を説明した7日、地元の支援者や政界関係者からは安堵(あんど)の声や再起へのエールが相次いだ。ただ、体調を崩して途中で政権を投げ出す形の辞任だっただけに、複雑な表情の支援者もいた。
山口県庁では、約500人の職員らが安倍氏を出迎えた。山口市内での囲む会には県内の首長や議員ら約170人が出席。二井関成知事は「まだ53歳の若さがある」と持ち上げ、島田明県議会議長も「体調はよくなった。次に向かってまい進を」と促した。安倍氏は笑顔で握手して回り、記念撮影に応じた。萩市の野村興児市長は「1年間、大変な経験をされた。5、6年すれば政治状況が変わり、再び総理になることもある」と期待。
一方、後援会のある男性は「1年前と違い、声が小さかった。迫力が足りない」と不安を口にした。下関市に入り、複合商業施設シーモール下関前に到着。大勢の市民から握手攻めに遭うなど歓迎ムード一色に、あいさつで安倍氏は「感激で胸が詰まる思い」と涙を浮かべた。
【写真説明】シーモール下関前で市民らの歓迎を受ける安倍前首相(中央)
800
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/08(土) 16:00:46
安倍前首相:里帰り会見 「県民に迷惑かけた」 依然“美しい国づくり”強調 /山口
http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20071208ddlk35010443000c.html
安倍晋三前首相が7日帰郷した。「山口が生んだ8人目の宰相」と沸きに沸いたあの日から1年3カ月ぶり。唐突な辞任劇から約3カ月。この日、前首相は県庁で記者会見。地元・下関では出迎えた支持者たちにもみくちゃになり、囲む会などで笑顔を振りまいた。辞任理由や健康状態、次期衆院選への意欲……。県民への説明責任は果たされたのか−−。会見は約20分にわたった。【長谷川隆、阿部義正、新里啓一】
◆今日、私は約1年3カ月ぶりに山口県に帰って参りました。県庁におきましては職員の皆様をはじめ、多くの県民の皆様に大変温かいお出迎えをいただきまして本当に感激をいたしました。
まずは私は1年間、全力疾走してきたわけでありますが、体調を崩し結果として突然の辞任という形となり、国民の皆様、県民の皆様に本当にご迷惑をおかけし、ご心配をいただきましたことに対し心からおわび申し上げたいと思います。
今後は一国会議員として初心に戻って地域の発展のため、また新しい国づくりのために全力を尽くしていきたいと思っております。昨年の9月、地元の皆様の力強いご支援によりまして総理に就任したわけでございまして、そしてその後、美しい国づくりを掲げて全力で取り組んでまいりました。まだ国づくりは道半ばではございますが、礎をつくることはできたのではないかとこのように思っているところでございます。
今後とも議員として日本を昨日より今日、そして今日より明日がもっと良くなっていくという希望に満ちた美しい国にしていくために努力をしていきたいと、このように考えているところでございます。
−−今後の政治活動方針は。
◆私の立場としては福田政権を全力で支援をしていきます。
−−再び総理を目指すのか。
◆もう既に私は全力で十分に取り組んできたと思っています。今は全く考えておりません。
−−健康状態は?
◆体重も大体総理の就任時に戻った。先週、東京の高尾山に登ったんですが頂上まで登れましたから体力は回復したかなと思います。
−−安倍政権の366日間を今振り返ってどう評価するか。
◆一日一日全力を尽くしてきたつもりでございます。防衛庁の省昇格や地方分権を推進するための法律、教育基本法改正と教育3法、国民投票法などが成立したわけで総裁選で掲げたことの多くは成し遂げることができたと思いますが、国民の皆様にご評価をいただくもの、歴史が評価することになると思います。
−−あくまで山口4区で今後も立候補するという意思か。
◆私が比例区でやるということはありえません。
−−選挙区でと。
◆もちろん。
−−山口県の課題というのはどのような所と考えているか。
◆一つの課題としては山陰と山陽の格差があると思いますね。山陰は山陰の魅力を生かして発展できるインフラをつくっていかなければならないと思いますね。
−−二井知事が週明けにも来夏の知事選への出馬を表明しそうだ。自民党本部は4選を目指す候補は公認しないと方針を打ち出しているが山口県連も拘束されるのか。
◆県連の判断として尊重すると。党としての決定はなされていて福岡では麻生知事は党としては推薦していないと思いますが、県連は推薦した。二井知事は大きな実績を残しておられる。知事選について私は自民党の県連に任せております。
−−総理在任中に在日米軍再編推進法が成立したが、岩国基地への空母艦載機部隊の移転で地元は混迷している。
◆岩国には地元のみなさんの負担、新しい負担をお願いをしています。ただ一方、沖合に滑走路を移転することで騒音による被害をできるだけ最小限にするための努力はしていかなければならないことは当然。国全体の安全のための負担を負っていただいている所には振興、産業の振興に国が努力をしていくことは当然と思います。
−−先日、福田総理と小沢代表との間で大連立構想が持ち上がったが。
◆政策を前に進めていくために政治はあらゆる努力をしなければいけない。さまざまな選択肢について考慮しながら時に決断するというのは当然のこと。大連立もその選択肢の一つであるべきだと思っています。
〔山口版〕
毎日新聞 2007年12月8日
801
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/08(土) 16:01:33
安倍前首相:帰郷 地元で笑顔、人気回復どこまで /山口
http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20071208ddlk35010509000c.html
安倍晋三前首相がこの時期に地元入りした最大の目的は、有権者に元気な姿をアピールし、早晩実施されるであろう衆院選に向けて布石を打つためだ。
健康問題で一時は引退説もささやかれた安倍氏。だが、辞任表明から12日後の会見で「地元の理解をいただき政治家を続けたい」と意欲を示した。その後、自民党の林芳正参院議員=3期=が衆院選挙区、安倍氏は比例に回るといった憶測も出始めていたが、安倍氏は7日の会見で「衆院山口4区で出る」と一蹴(いっしゅう)した。
後援会幹部によると、安倍氏は首相辞任直後からお国入りを希望していたという。地元からの要望も強く、調整していた。伊藤昭男会長(71)は「体つきもふっくらし、表情も明るくなった。これで支持者の士気も上がる」と安堵(あんど)した様子だった。
安倍氏は前回選挙で対立候補に10万票以上の差をつけるなど圧倒的な強さを見せつけた。問題の次期衆院選だが、民主はいまだ対抗馬を出せず、社民も白紙。共産は見送る方針だ。だから安倍氏は安泰かというとそうとも言い難い。
自民県連幹部は「辞任のタイミングは最悪で汚名は一生ついて回る」と言い、民主県連も「首相まで極めた後は、下り坂」と指摘する。往時の人気はどこまで回復できるのか。関係者の多くが図りかねている。
◇分刻みで懇談や会合に
安倍前首相は7日正午ごろ山口入り。二井関成知事や島田明・県議会議長らとの懇談をはじめ、各種会合に出席するなど分刻みのスケジュールをこなした。
午前11時50分ごろ、山口宇部空港に到着。昭恵夫人とともに空港ロビーから出ると、外で待ち構えていた後援会幹部らとあいさつを交わした。
2人を乗せた車が空港正面玄関に差し掛かると、駆けつけた主婦ら約50人が一斉に手を振り、前首相も車窓を開け、笑顔で応えていた。
午後1時前、県庁正面玄関に姿を見せると、職員ら約500人が拍手で出迎えた。二井知事との懇談では「今日はたくさんの県民の皆さんに温かく迎えてもらった」と笑顔を見せた。
自民県議団と懇談後に会見。その後、ホテルに移り、二井知事や市町長、県議ら主催の「安倍晋三前首相を囲む会」に出席。「体調不良で断腸の思いで辞任した」とおわびした。【長谷川隆】
毎日新聞 2007年12月8日
802
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/08(土) 21:36:51
安倍前総理 墓前にいろいろ報告 1年3カ月ぶり帰郷
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20071208/20071208-00000008-ann-pol.html
1年3カ月ぶりに地元、山口県に帰った安倍前総理大臣は、8日は在任中にはかなわなかった父・晋太郎氏の墓を訪れ、再チャレンジを誓いました。
安倍前総理大臣:「総理に就任して初めての墓参ですので、去年、総理に就任したことを報告して、この1年間、全力で頑張ってきたことを報告しました」
皮肉にも、辞任してからの父への総理就任報告となった安倍氏は、8日も選挙区内をおわび行脚し、支援者に辞任に至った経緯を説明して回っています。安倍氏は、「国づくりは道半ばだが、礎はできた」と在任1年間の成果を強調し、一議員からの再起を目指す考えです。
803
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/22(土) 04:38:48
ひろしま男子駅伝応援で安倍前首相来広
http://news.rcc.jp/?i=NDY0OA==&
#a
山口県人会が来年の「ひろしま男子駅伝」で地元チームを応援しようと、20日広島市で開いた集会に、安倍前首相が駆けつけました。
同じ山口県出身者を前にした安倍前首相は、こうあいさつしました。
「山口県人が総理を務めている期間というのは約30%」「私がもう少し長くやれば、もうちょっとパーセンテージが上がってたんですが…」「私も美しい国をつくっていくと宣言をいたしまして、その礎はできたのではないかと、こう自負をいたしておりますが、突然の辞任ということで、みなさまにはご迷惑ご心配をおかけしたのではないか、こう思います」(安倍晋三前首相)
今月初め、1年3か月ぶりに地元に帰った安倍氏ですが、1月20日の都道府県対抗男子駅伝大会での地元チームの活躍に期待を寄せました。
「私も朝青龍じゃありませんけど、やっぱり自分のくにはいいなと…」「山口県ここにありという勢いを、来年の駅伝でぜひ示していただきたいなと」(安倍晋三前首相)
(12/21 12:14)
804
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/24(月) 21:45:06
安倍前首相インタビュー 政界混乱を謝罪 年明け活動再開 (1/5ページ)
2007.12.24 21:01
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071224/stt0712242102003-n1.htm
9月12日に辞任を表明し、療養生活を続けていた安倍晋三前首相(53)が24日までに産経新聞のインタビューに応じ、7月の参院選の自民党大敗で続投を決意した理由や、辞任するまでの苦悩や経緯を打ち明けた。
安倍氏は、年金問題への批判や参院選大敗について「責任はすべて私にある。(続投し)どんなに泥をかぶっても国民の不安を解消しないといけないと思った」と説明。「政権放(ほう)り投げ」との批判には「そう映って当然だと思う。断腸の思いだったが、私が首相に留まればますます国政は停滞してしまうと思った」と辞意を固めるまでの心境を吐露。その後の政界の混迷について「大変申し訳ない」と深謝した。
衆参ねじれ国会については「(与野党が)国民の視点に立って知恵を絞っていくことが大切だ」と述べた上で、福田康夫首相が模索した自民、民主両党の大連立構想については「選択肢の一つだと思う」と評価した。
安倍氏は年明けから政治活動を再開する考えを表明。「一議員として良質な保守基盤をさらに広げていきたい」と抱負を語った。
◇
みなさんの大きなご期待をいただいて自民党総裁、そして首相に就任して1年間、「美しい国」づくりに向けて全力疾走してきました。老練さに欠けていた面もあるかもしれませんが、教育基本法改正や防衛庁の省昇格、国民投票法制定などを実現し、「戦後レジームからの脱却」に向けてやっと礎ができつつあると思っていた矢先に突然辞任することになってしまいました。
辞任により、多くの国民のみなさんを失望させてしまいました。年金問題なども私の内閣で何とか解決したかったのですが、みなさんの不安、不信はまだ解消されておりません。大変申し訳なく思っています。
だからこそ、私が辞任を決断するまでの経緯をきちんと説明しなければならないと思い、インタビューに応じました。
■体調不良で辞意
ご承知の通り、私が辞意を固めた理由は体調不良にありました。正直に申し上げれば、7月の参院選で無理を重ねたこともあり、8月のインドなどを歴訪後、急激に体調が悪化しておりました。
参院選で自民党が大敗した責任は私にあります。反省点は多々あります。年金や「政治とカネ」問題などで対応が後手に回ってしまったこと。1年間に成しえたこと、これからしようとすることも国民に十分説明することができなかった。優秀な同僚を数多く失ったことも痛恨の極みです。衆参が大きくねじれたことは福田康夫首相に大変な重しとなってしまったと思っています。
参院選後、自民党内からも私の辞任を求める声が相次ぎました。しかし私は責任を痛感するがゆえに首相の座にとどまり、どんなに泥をかぶっても年金問題などへの不安を解消しなければならない。海上自衛隊によるインド洋での「テロとの闘い」も国際社会の一員として何としても継続の筋道をつける必要があると思っていました。
■断腸の思い
ですから「職を賭す」思いで9月10日の所信表明演説を行ったのですが、体調はますます悪化し、これ以上首相の任に堪えることができるか厳しい状態になってきました。いろいろ悩みましたが、「このまま私が首相に留まればますます国政は停滞してしまう」と9月11日夜に最終的に辞任の意思を固めたのです。
突然の辞任でしたので政権を無責任に放り投げたという批判もありました。確かに辞任の経緯を見れば、そう映って当然でしょう。私も9月12日の辞任会見で体調について触れようかどうか悩みました。しかし首相は自衛隊の最高指揮官でもある。在任中に体調の話題に触れるべきではない。いかなる批判を浴びようと次の首相にバトンタッチするまでは説明すべきでないと考えたのです。
政治家は首相にならなければ実現できない政策を実現するために首相になるわけですから、これを簡単に手放すはずはない。私自身も8月末に内閣改造も終え、「さあこれから」という場面で辞任せざるを得なかったことに断腸の思いです。
■横田夫妻らにおわび
たったの1年間でしたが、私なりに手応えを感じていました。外交面では麻生太郎外相(当時)の力もあり、初めて日本外交が戦略性を持ち、「受動的な外交」から理念を持った「主張する外交」に一歩踏み出したと自負していました。
内政面でも、年金や社会保障、教育再生などの改革への足場を固めた矢先でした。構造改革や公務員制度改革により、国家の統治機構に生じたサビも落とさねばなりません。日本版NSC(国家安全保障会議)構想もやっと青写真ができたところでした。
805
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/12/24(月) 21:45:54
拉致問題も道半ばです。実は18日に横田滋、早紀江夫妻ら拉致家族のみなさんにお会いしましてね。「期待を裏切ってしまい申し訳ありません」とおわびしました。横田夫妻らは「これからも拉致問題の解決に向け、ぜひ協力していただきたい」とおっしゃって…。もちろん拉致問題は今後も政治生命をかけて取り組む所存です。
私が入院中に行われた総裁選でも私を支えてくれた方々に多大な迷惑をかけてしまったようです。一部で麻生氏や与謝野馨前官房長官によるクーデター説が流されたようですが、根も葉もない話です。麻生氏らは苦しい状況の中で最後までよく支えてくれたと心から感謝しています。
■与野党の共同責任
参院選により、衆院は自民、公明両党がマジョリティーを占めるが、参院では民主党など野党がマジョリティーとなる「ねじれ」が生じてしまいました。かつて経験したことのない難しい局面であり、福田首相や伊吹文明幹事長、大島理森国対委員長らには多大なご苦労をおかけすることになってしまった。そんな中で新テロ対策特別措置法案の成立に向け、努力されている与党執行部のみなさんには心から感謝しています。
このような状況では、与野党がお互いに共同責任を持っているという姿勢が大切であり、国民の視点に立って知恵を絞っていくことが必要です。
福田首相の大連立構想もその一環なのでしょうね。政治家は国民のためにあらゆる努力をしなければならない。福田首相は大連立をその選択肢の一つと判断されたのだと思います。私が辞任表明直前に民主党の小沢一郎代表に党首会談を申し入れたのも、国民の生命、財産にかかわる重要課題は与野党トップが胸襟を開いて話し合う必要があると考えたからです。
■私の使命は…
療養中に考えたのですが、自民党が半世紀にわたり政権の座にあったのは、結党以来の理念を貫いてきたからではないでしょうか。昭和30年の保守合同で結党した自民党の使命は2つありました。1つは米ソ冷戦下で自由主義陣営の一員であることを明確にし、国を安定させ、経済を発展させること。もう1つは憲法改正を中心とした占領体制からの脱却でした。
この2本立てだったからこそ、自民党は「理念ある政党」として生き残ってきたのだと思います。私は理念先行型といわれてきましたが、先送りにされてきた2つ目の使命を失ってしまえば、自民党が自民党たるゆえんを失ってしまうのではないでしょうか。
おかげさまで体調はほぼ元の状態に回復してきました。来年からは自民党の一議員として徐々に活動を再開していきたい。ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていくことが私の使命だと思っています。「美しい国」づくりはまだ始まったばかりですから…。(聞き手 石橋文登)
806
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/08(火) 04:15:03
【正論】新しい年へ 国学院大学教授・大原康男 保守への“逆風”凌ぐには…
2008.1.8 03:25
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080108/stt0801080325001-n1.htm
■この10年の成果踏まえ立て直しを
≪「亡国の危機」からの出発≫
昭和から平成へと時代が移って早くも20年目という節目の年を迎えた。この御代替りが内外にわたる波乱に満ちたものであったことは、いまさら多言を弄するまでもあるまい。
もちろん、大政奉還・戊辰戦争から廃藩置県・征韓論に至る激動の明治、大正政変・シーメンス事件そして第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)と続く大正、内に金融・経済恐慌と政党政治の腐敗、外に山東出兵・張作霖爆殺事件と動乱の時代の予兆がかすかに見え始めた昭和−と歴史を回顧すれば、近代日本三代の御代替りも期せずして国家的危機に直面していたことが分かるが、平成のそれもこれらと勝るとも劣らぬ大変な時期に当たっていた。
対外的には中国の天安門事件に始まり、ソ連東欧圏の解体による冷戦の終結、湾岸戦争の勃発、台湾海峡と朝鮮半島の緊迫、国内的にはバブル経済の崩壊と景気の長期低迷、55年体制の終焉(しゅうえん)と連立政権の迷走、社会のあらゆる場面に顕在化した国家意識の喪失と倫理崩壊(モラルハザード)−この難局に有効に対処できない国家としてのとどまるところを知らぬ溶融化(メルトダウン)現象を前にして、少なからぬ人々が「亡国の危機」を実感したに違いない。
その基調音は、天安門事件による孤立化から脱却するための方策として中国から最大限に利用された天皇ご訪中から始まって、いわゆる「従軍慰安婦」の「強制連行」を認めた河野談話、細川首相の「侵略発言」、偏向した歴史展示をもくろむ平和祈念館の建設、天皇陛下のアリゾナ記念館ご訪問計画、一方的な戦争謝罪の国会決議とそれを上回る自虐的な村山談話などなど、平成3年末から8年初頭に至る宮沢内閣から村山内閣までのリベラル政権時代に政治の食卓に供せられた一連のアラカルトの味付けを見れば、一目瞭然(りょうぜん)であろう。
≪安倍政権がみせた方向性≫
この4年間、保守派はこれらの攻勢に対する防御戦に専念することを余儀なくされた。幸い阻止できたものもあったが、一時的な封止にとどまったものもあり、総じて前向きの積極的な活動は制約され、当時の私の表現を用いるならば、後ろ向きの“モグラ叩き”に追われた保守派にとっての“逆風の時代”であったといえよう。
それが平成10年を境にして状況が大きく変わった。その象徴的な出来事が映画「プライド−運命の瞬間(とき)」の大ヒット、西尾幹二『国民の歴史』と小林よしのり『戦争論』のベストセラー化であるが、長年の懸案である国旗国歌法の制定、国会の憲法調査会設置と各種改憲草案の続出、首相の靖国神社参拝の再開、北朝鮮拉致問題の公認、「昭和の日」の制定と続き、「戦後レジームからの脱却」を訴える安倍内閣の出現によって、憲法改正に不可欠な国民投票法の成立、防衛庁の「省」昇格、集団的自衛権の見直しの着手、教育基本法の全面改正といった画期的な政策が相次いで実現した。
たしかに、外国人への地方参政権の付与、人権擁護法案、“A級戦犯”分祀、国立戦没者追悼施設の建設などを阻止すべく、後ろ向きの闘いを一方でやむなく展開しつつも、戦後体制を清算するためのこのような積極的な成果が積み重ねられ、いよいよ正念場を迎えようとの思いが膨らんだ矢先に、あの参議院選の大敗と安倍首相の突然の退陣、そして福田内閣の成立という予想外の事態が到来したのは周知の通り。
≪戦後レジーム守旧派に抗す≫
期待が大きかっただけに保守派が受けた衝撃と失望・落胆は大きく、その後遺症はまだ癒(い)えていない。さらに、安倍政権とは対照的なリベラル色の濃い福田政権の下で、沖縄戦集団自決をめぐる教科書再検定問題が急遽(きゅうきょ)浮上し、一旦は封じ込めたはずの外国人参政権や人権擁護法案がまたぞろ顔を出し始めたことが追い打ちとなりつつある。
しかし、ここが踏ん張りどころであろう。かつて「失われた10年」ということがしきりに喧伝(けんでん)されたが、保守派にとってのこの10年は「獲得された10年」であるとも言い得る。そして、その10年はあの逆風の4年を耐え凌(しの)いできたからこそ手にしたのではなかったか。
しばらくは“逆風の時代”が続くものと覚悟せねばなるまい。また、「戦後レジーム」に執着しようとする守旧派の勢力は依然として侮り難いものがあることをあらためて銘肝する必要がある。前途は決して容易ではないが、いたずらに悲観・消極的になることなくこれまでの実績を堅持し、できるだけ早急に戦線を再構築すれば、必ずや新たな展望が切開できるものと信じる。(おおはら やすお)
807
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/10(木) 00:29:10
町村氏、安倍氏を落として福田首相をヨイショ?
2008.1.9 18:55
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080109/plc0801091855008-n1.htm
町村信孝官房長官は9日の記者会見で、福田康夫首相と民主党の小沢一郎代表による初めての党首討論について、「登場人物が代わり、非常に大人の落ち着いた雰囲気の討論だったとの印象を持った」と感想を述べた。
小沢氏は昨年5月までに安倍晋三前首相と4回党首討論を行っているが、今回交代した登場人物は安倍氏のみ。町村氏は安倍氏と比較することで福田首相を持ち上げたかった?
808
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/11(金) 15:33:49
「原稿読み飛ばし」が決定的要因 退陣めぐり安倍前首相
2008年1月11日 朝刊
安倍晋三前首相は10日発売の月刊誌「文芸春秋」に手記を寄稿、昨年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白した。
安倍氏は17歳当時から「かいよう性大腸炎」の持病を抱えていることも初めて公表。最近数年は発症していなかったが、昨年8月5日に胃腸に痛みを感じ食欲が全くなくなる「最初の異変」が起きたという。このときの診断は「機能性胃腸障害」で、同月下旬のアジア訪問で悪化、帰国後に「辞める考えが初めて頭に浮かんだ」としている。
また、退陣前に民主党の小沢一郎代表に呼び掛けた党首会談は、福田康夫首相と小沢氏が大連立構想について協議した会談とは「一切関係ない」と強調。今後については「本格的な保守政治を根づかせるための捨て石となって粉骨砕身していく」と意欲を示した。
http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008011102078550.html
809
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/11(金) 19:53:58
給油継続法案、衆院で再可決・成立
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20080111/20080111-00000051-jnn-pol.html
57年ぶり2度目という異例の手続きを経ての法案成立です。今の国会で与野党の最大の争点だった給油継続法案が、参議院で否決された後、衆議院で3分の2以上の多数を得て再可決され、成立しました。
「3分の2以上の多数をもって、再び可決いたしました」(衆院本会議、午後2時すぎ)
給油継続法案は、野党が多数を占める午前中の参議院本会議では否決されましたが、午後開かれた衆議院本会議では、3分の2を超える与党の賛成多数で再可決され、成立しました。
参議院で否決された法律が衆議院での再可決で成立するのは、1951年以来、57年ぶり2回目という異例のことです。
インド洋での自衛隊によるアメリカ軍艦船などへの給油を再開するためのこの法案、福田総理は成立を受けて談話を発表し、「わが国がテロとの闘いに再び参加できることは誠に意義深いこと」と述べています。
ところで、民主党の小沢代表が11日、本会議を途中で退席し、投票を棄権しました。理由は大阪府知事選の応援に向かうためということです。
「一番大切な日になぜ棄権された、意思表示を放棄されたのかなと。本当は賛成なんじゃないかって言う人もいるんですが、どうなんでしょう」(自民党、安倍晋三前首相)
「国会議員の最低限の責務を果たしておられないのではないか。情けない思いをいたしました」(町村信孝官房長官)
「野党第一党の党首として無責任であり、本当に国民に説明がつかない行動だ。いったいどういうことかと思いますね」(共産党、志位和夫委員長)
「(大阪に)公務として向かったわけであります。日程的にギリギリのところまではおりましたが、採決のところまではおることができなかったために、退席をした」(民主党、鳩山由紀夫幹事長)
民主党の鳩山幹事長はこう弁明しましたが、小沢代表が国会よりも選挙応援を優先したことは、党の内外に大きな波紋を広げています。(11日16:50)
810
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/11(金) 19:55:15
新テロ対策特措法、衆院本会議で再可決・成立 民主・小沢代表は投票を棄権
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20080111/20080111-00000148-fnn-pol.html
今国会最大の焦点である新テロ対策特措法は11日午後、衆議院本会議で、与党の3分の2以上の賛成で再可決され、成立した。再可決による法案の成立は、57年ぶりとなる。こうした中、民主党の小沢一郎代表が、投票を棄権していたことがわかった。
「ねじれ国会」の見せ場をつくった民主党だが、肝心の再議決のシーンでは、「小沢がいないぞ! 小沢どうした!?」といったやじが聞かれた。
野党の先頭に立って戦っていたはずの小沢代表が投票を棄権していた。
その小沢代表は、再議決の暴挙を大阪府民に訴えるとのことで、大阪府知事選の応援に行っていた。
これには、野党もぼう然としており、共産党の志位和夫委員長は「歴史的暴挙を与党がはたらこうとしているときに、それに優先する仕事などはあろうはずはないと思います。はっきり言って驚きました」と述べた。
一方、新テロ対策特措法の成立に「職を賭して」と語りながらも、途中で政権を投げ出した安倍晋三前首相も「その一番大切な日に、なぜ棄権された意思表示を放棄されたのかなと。『本当は賛成なんじゃないか』という人もいるんですが、どうなんでしょうか」と述べた。
811
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/16(水) 13:47:01
安倍氏“お友達”と会食で活動再開足がかり
渡辺行革担当相や塩崎元官房長官らと
安倍晋三前首相=写真= は14日夜、渡辺喜美行革担当相、塩崎恭久元官房長官、菅義偉自民党選対副委員長と都内で会食し、福田内閣を支えながら、改革を進めていくべきだとの考えで一致した。政治活動再開の足がかりは、やはり“お友達”なのか。
会食は安倍氏の全快祝いと新年会を兼ねて行われた。安倍氏は新テロ対策特別措置法の成立を「良かった」と歓迎したというが、同法成立が難航したのは、安倍氏が首相だった昨夏の参院選で自民党が惨敗したことが最大の原因。そんなことは気にする様子もなく、同法が成立した11日には、再議決を欠席した民主党の小沢一郎代表を「一番大切な日になぜ棄権し、意思表示を放棄したのか」と批判するなど、すでに意気盛んなようだ。
ZAKZAK 2008/01/15
http://www.zakzak.co.jp/top/2008_01/t2008011505_all.html
812
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/20(日) 11:58:18
安倍前首相 そろり再始動 『早すぎる』の声も
2008年1月20日 朝刊
安倍晋三前首相(53)が年明けから、政治活動の機会を徐々に増やしている。病気で昨年九月に退陣した後、表立った言動を控えてきたが、再始動した格好だ。ただ、辞任劇で国政の混乱を招いたこともあり、当面は「一議員の立場」で保守勢力の下支えに力を注ぐとみられる。
安倍氏は元日に合わせ、自らのホームページにあいさつ文を掲載。「昨年は大変なご迷惑とご心配をおかけいたしました」と重ねて陳謝した上で「良質な保守基盤を広めていくことが私の使命だ」と決意を表明した。
安倍氏は退陣後、都内の自宅で療養を続けていた。回復途上の昨年十一月十三日、強くこだわっていた新テロ対策特別措置法案(給油新法案)を採決した衆院本会議に出席。十二月には一年三カ月ぶりとなる地元の山口県入りを果たし、復調を印象付けた。
年が明けると、活動の幅を拡大。十四日に塩崎恭久元官房長官、渡辺喜美行革担当相、自民党の菅義偉選対副委員長の元「チーム安倍」のメンバーと会食した。
十六日には、都内で開かれた自民党議員のパーティーに出席。「辞任以来、晴れがましい席は遠慮してきたが、年も替わったので」とあいさつし、意欲をにじませた。
安倍氏は保守の政治理念を共有する盟友の麻生太郎前幹事長、中川昭一元政調会長らと連携し、憲法改正の機運を再び盛り上げることなどに尽力するとみられる。
ただ、安倍氏に批判的な党内勢力からは「復帰は早すぎる」(ベテラン)との声も出ており、存在感が高まるようだと、あつれきが生じる可能性もある。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2008012002080890.html
813
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/27(日) 01:26:15
2008/01/26-13:23 暫定税率「混乱起こすな」=安倍前首相
自民党の安倍晋三前首相は26日午前、山口県下関市で開かれた後援会の会合で、民主党が揮発油(ガソリン)税の暫定税率撤廃を主張していることについて「3月31日で切れるのはガソリン税の暫定税率だけでなく、ものによっては(税金が)上がったり下がったりする。そうした混乱を起こしてはならない」と強調した。
その上で「今のように経済が微妙な時期には、与野党の区別なく国民生活を守る、大切な経済をしっかりしていくという思いで議論し、互いに協力すべき点は協力していかないといけない」と述べた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008012600203
2008/01/26-16:19 解散、今年中にある=安倍前首相
自民党の安倍晋三前首相は26日午後、山口県長門市での後援会会合であいさつし、衆院解散・総選挙について「今年は恐らく衆院選があると言われている。大変厳しい戦いになると思う」と述べた。
株価下落に関しては「福田康夫首相を中心に成長政策を進めていくことが大切だ。今、経済が減速しては元も子もなくなる」と語り、成長路線の強化が必要との認識を示した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008012600264
814
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/27(日) 05:34:34
「お国入り」の事情 安倍前首相
安倍晋三前首相が26日、地元の山口県下関市で開かれた後援会主催のパーティーで、大勢の支援者に元気な姿を見せた。会場の支援者らは「再び総理大臣に」と期待を込めたあいさつをするなど温かく迎えたが、微妙な空気も感じた。
「日本全体は景気回復してきた。減速させてはならない。成長戦略を前進させないといけない」‐。突然の首相辞任をわびた後、在職時代と同じ主張を展開した安倍氏。「地方の活力を引き出すため全力を尽くす」と最後に付け加えたものの、景気回復どころか大都市との格差が広がっていることへの地方の怒りが昨年7月の参院選惨敗につながっただけに、支援者は地方にもっと目を向けた安倍氏の言葉を聞きたかったのではないか。
1月4日の南風泊市場(下関市)でのフグ初競りでは、こんな一幕もあった。「今年は北京五輪がある。日本に来る多くの客にもフグを味わっていただきたい」とあいさつする安倍氏に、業者らは「五輪は夏。冬の味覚が食べられるわけない。やはり地元にいないから分からないんだろう」と冷たい視線を送った。
有権者が感じつつある安倍氏との距離感は地元政界にもあるようで、安倍氏の比例代表中国ブロック転出や、同じ地元の林芳正参院議員の衆院くら替え待望論にもつながっている。安倍氏が昨年12月に1年3カ月ぶりに地元入りした後、頻繁に戻るのも危機感の表れかもしれない。
安倍氏には地元だけでなく、永田町でも厳しい視線が注がれている。1月中旬に都内で開かれた自民党国会議員のパーティーで「参院では過半数を失ったが、与党として責任を果たさないといけない」とあいさつ。ある党三役経験者は「誰のおかげで、こんなにみんな死ぬ思いをしてると思っているのか」と怒った。
安倍氏の後見人を自認する与党幹部は、2月3日に告示される米空母艦載機移転を争点にした山口県岩国市の出直し市長選で尽力するよう促し、「最後までやらないといけない、と(安倍氏に)伝えた。やれば認めるという意味だ」と語る。
一昨年4月の前回市長選で安倍氏は官房長官として現職に挑む党推薦の新人を支援、大敗している。「闘う政治家」の動向に注目したい。 (北九州支社・渡辺晋作)
=2008/01/27付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/20080127/20080127_002.shtml
815
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/27(日) 15:21:39
前首相 野党は年度内に結論を
http://www3.nhk.or.jp/news/2008/01/27/k20080127000059.html
自民党の安倍前総理大臣は山口県下関市であいさつし、ガソリン税などの暫定税率を維持する税制関連法案をめぐる与野党の攻防で、国民生活が混乱することを避けるため、野党側は年度内に結論が出るよう対応すべきだという考えを示しました。
この中で、安倍前総理大臣は、税制関連法案について「地方の道路を造るために大切な法案だ。都市部の道路は大体整備されているが、地方はまだまだこれからだ」と述べました。そのうえで、安倍氏は「民主党も『責任政党だ』と言うなら、しっかりと現実を見てもらいたい。国民の生活を守るため、与野党が垣根を越えて政策を進め、経済成長を目指さなければならない」と述べ、暫定税率の期限が切れて国民生活が混乱することを避けるため、野党側は年度内に結論が出るよう対応すべきだという考えを示しました。また、安倍氏は今後の政治活動について「体調も回復したので、さらに心身の鍛錬を重ね、政策を磨かなければならない。『闘う政治家』として再び全力を尽くしていく」と述べました。
816
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/01/27(日) 17:10:24
安倍前首相:「戦う政治家として再び全力を尽くす」 下関、長門で新春の集い /山口
1月27日16時0分配信 毎日新聞
安倍晋三前首相が26日、地元・下関市の豊浦町と長門市で新春の集いを開いた。前首相は多くの後援会員を前に「再び戦う政治家として、この地選出の政治家として新たな思いで全力を尽くす」とあいさつした。
豊浦町の川棚グランドホテルお多福では、山口選出の林芳正、岸信夫両参院議員のほか、後援会員約600人が出席した。
前首相は開会中の通常国会に触れ「国民生活を守るという観点から与野党が協力することも必要」と主張。また、祖父の岸信介元首相の故事を引き「(戦犯として収容されていた)60年前、刑務所を釈放されて政治活動を再開したのがネズミ年だった。今年は同じえと。私も政治家として新たな歩みを始める」と述べた。【取違剛】
〔下関版〕
1月27日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080127-00000253-mailo-l35
817
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/02/28(木) 11:11:20
世論調査総合スレッド70
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/giin/1203097992/
548 名前:無党派さん[] 投稿日:2008/02/27(水) 22:12:02 ID:9XI5gOaY
週刊文春2008年2月21日号
「朝鮮総連とも仲良し」だって安倍前首相「地元のナイショ話」
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/
以下、一部抜粋
安倍発言
「俺は一言も3月までに支払いますなんて言ってないんだぜ」
「長妻に言われたとき嫌な予感がしたんだけど、役人が大丈夫というからそう答えちゃったw」
「ちなみに朝鮮総連の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしねw
いろいろ子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」
818
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/03/04(火) 00:49:28
安倍前首相が町村派復帰へ
安倍晋三前首相が町村派に復帰することが3日、分かった。首相辞任の原因となった健康状態が回復したことから、6日の同派総会に出席し、正式に表明する見通し。同派の相談役に就任する方向で調整している。
安倍氏は2006年9月、首相就任に伴って町村派の前身の森派を離れた。昨年9月の首相辞任後は派閥に所属しなかったが、町村派最高顧問の森喜朗元首相らが復帰を促していた。(20:23)
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080303AT3S0300N03032008.html
819
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/03/04(火) 00:51:46
安倍前首相:町村派に復帰の見通し 「相談役」か
自民党の安倍晋三前首相が6日の町村派総会に出席し、同派に復帰する見通しとなった。同派幹部が3日、明らかにした。安倍氏は党総裁に選出直後の06年9月、森派(現町村派)を離脱。昨年9月の首相辞任後も無派閥を通し、独自の人脈で積極的に会合などを重ね、旺盛な活動ぶりが注目されていた。
同派は森喜朗元首相を最高顧問に、町村信孝官房長官と中川秀直元幹事長、谷川秀善参院議員の3人が代表世話人を務める。安倍氏の処遇は、衛藤征士郎元防衛庁長官らが就いている「相談役」となる見通しだ。
福田康夫首相も同派出身だが、安倍氏は首相と距離を置く中川昭一元政調会長らの勉強会「真・保守政策研究会」に出席。これにまゆをひそめた森氏らが、安倍氏に派閥への復帰を促していた。このため、「安倍氏の動きを封じたい狙いがあるのではないか」(同派中堅)との見方もある。【葛西大博】
毎日新聞 2008年3月3日 21時03分
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080304k0000m010091000c.html
820
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/03/06(木) 00:11:23
安倍氏、再チャレンジ始動? 「美しい星」勉強会座長に
2008年03月05日21時51分
安倍前首相は5日、地球温暖化対策をテーマにした新たな勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、自民党本部で初会合を開いた。首相時代に打ち出した政府戦略「美しい星(クールアース)50」を名称に掲げ、自ら座長に就任。昨年末に地元・山口で活動再開を宣言してからも表立った動きは控えてきたが、積み残した課題に意欲を見せた形だ。
勉強会には、塩崎恭久元官房長官や世耕弘成元首相補佐官ら安倍政権を支えた面々が参加。安倍氏は会合で「座長を引き受けるのがいいのかどうか考えたが、(7月の)北海道洞爺湖サミットを成功させるのは私の責任でもある」とあいさつした。
今後は有識者を招いた意見交換などを行い、サミット前後に提言の取りまとめをめざす。参加した閣僚経験者の一人は「(憲法改正など)理念派としての『安倍再始動』よりも、まずは環境問題から手をつけた」と解説した。
http://www.asahi.com/politics/update/0305/TKY200803050320.html
821
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/05/10(土) 00:32:13
2008/05/09-19:24 文春記事に抗議=安倍前首相
衆院山口2区補欠選挙に関する「週刊文春」の記事で名誉を傷つけられたとして、自民党の安倍晋三前首相の事務所は9日、発行元の文芸春秋に対し、謝罪文掲載などを求める抗議文を送った。
5月8日発売の同誌は、安倍氏が補選の街頭演説で、山口県光市の母子殺害事件の遺族本村洋さんに触れ「お嬢さんを無残に殺された本村さん。そのお嬢さんの遺影を持ってわたしのところにやってきた」と発言、本村さんを「政治利用」したとする記事を掲載した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008050900927
822
:
片言丸
:2008/06/19(木) 01:51:06
安倍氏「山崎氏は百害あって利権あり」 北制裁解除めぐり
2008.6.18 19:59
自民党の安倍晋三前首相は18日、都内のホテルで講演し、超党派の「日朝国交正常化推進議員連盟」(会長・山崎拓元自民党副総裁)が北朝鮮への制裁解除と対話路線への転換を主張していることについて、「国会議員が、交渉を行っている政府よりも甘いことを言ってしまったのでは、政府の外交交渉能力を大きく損なう。百害あって一利なしだ」と述べた。
また、山崎氏が安倍氏の発言を「幼稚な考え」と述べたことに対しては「(山崎氏は)日本語能力がないのではないか」とこき下ろした上で「百害あって利権ありと言いたくなる。国会議員は国益を考えて行動すべきだ」と強く批判した。
日朝実務者協議で北朝鮮が日本人拉致問題の再調査を表明したことに関しては「北朝鮮には何度もだまされてきた。今回はそうならないよう気を引き締めて対応する必要がある」と警鐘を鳴らすとともに、米国による北朝鮮のテロ支援国家指定解除に向けた動きついて「拉致問題に取り組むためのテコを失うことになる」と牽制(けんせい)した。
自民党の中川昭一元政調会長も同日の講演で実務者協議について「前進でも何でもない。実際に物事が動かないと、まただまされることになりかねない」と語った。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080618/plc0806181958012-n1.htm
823
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/06/21(土) 09:02:08
「安倍VS.山崎」…党役員連絡会に飛び火
6月21日8時1分配信 産経新聞
対北朝鮮外交をめぐる安倍晋三前首相と山崎拓元副総裁の応酬が20日、自民党役員連絡会に飛び火した。
口火を切ったのは山崎派の田野瀬良太郎衆院議員。安倍氏が対北融和路線の山崎氏を「百害あって利権あり」と批判したことを取り上げ、「言葉が過ぎるのではないか」と抗議。これに対し、菅義偉選対副委員長が「政策議論の発言は自由だ。役員連絡会で取り上げるのはいかがなものか」と安倍氏を擁護。最終的に伊吹氏が、「私から安倍氏に話しておく」と議論を引き取った。
伊吹氏はその後の記者会見で、「議員としての品性、節度、矜持(きょうじ)、使っている言葉によってその人が評価される。お互い言いたいことを我慢する修練を積んでいるのだから自己抑制をしてほしい」と安倍、山崎両氏に苦言を呈した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080621-00000067-san-pol
824
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/06/21(土) 09:02:39
山崎氏は学習を=安倍氏、謝罪要求を拒否
6月20日17時1分配信 時事通信
自民党の安倍晋三前首相は20日午後、日朝関係をめぐる自身の講演での発言に対し同党の山崎拓前副総裁が謝罪や撤回を求めていることに関し、「講演の全体をよく見ていただきたい。(対話路線で拉致問題が進展しなかったことを)学習してもらいたい」と述べ、応じる考えのないことを強調した。衆院本会議後、国会内で記者団に語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080620-00000111-jij-pol
825
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2008/06/22(日) 00:39:41
安倍、山崎氏の泥仕合続く=対北外交で対立
6月21日19時0分配信 時事通信
対北朝鮮外交をめぐり、「圧力」を重視する自民党の安倍晋三前首相と、「対話」を求める山崎拓前副総裁の間で非難の応酬が続いている。山崎氏は21日、地元・福岡市内での講演で「朝鮮半島の非核化がいま一歩でできるところまできている。そこが自民党の政治家で分かっていない(人がいる)。拉致問題を完全解決しない限り、あとはどうでもいいという感覚があり過ぎる」と、安倍氏の姿勢を暗に批判した。
両氏の口論は、山崎氏ら超党派議員が訪朝を検討していることに対し、安倍氏が12日、「百害あって一利なし」と批判したことが発端。山崎氏が「幼稚な考えだ」と反撃すると、安倍氏は「『百害あって利権あり』と言いたい」と追い打ち。これに怒った山崎氏が発言の取り消しと謝罪を求めたが、安倍氏は拒否した。
伊吹文明幹事長は2人に自制を求めているが、山崎派の所属議員が「安倍氏を名誉棄損で告発すべきだ」と反発するなど、波紋は広がるばかり。有力議員の「泥仕合」に党内でも顔をしかめる向きが多い。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080621-00000071-jij-pol
826
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2009/03/14(土) 10:27:36
安倍元首相が再登板に意欲「選挙の洗礼受けて」
自民党の安倍元首相は13日、テレビ東京の番組収録で、自身の首相再登板について、「(首相を)辞職した後、国民の審判を受けていないから、選挙の洗礼を受けないといけない。まずは信頼回復に全力を尽くしたい」と述べ、次期衆院選後の再挑戦に意欲をにじませた。
衆院解散・総選挙については、「麻生首相のもとでやるべきだ。2009年度補正予算案を国民に見せ、成立させるかどうかを含めて首相が決断する」と語った。
(2009年3月13日19時49分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090313-OYT1T00886.htm
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