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【44衆】東北

639片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/05/27(火) 13:33:44
及川氏に改革本部入り要請 自民県連

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 自民党県連(菊池勲会長)は26日、盛岡選挙区の県議及川あつし氏(無所属)に県連改革本部への参加と県議会会派の自民クラブ入りなどを要請した。次期衆院選岩手1区(定数1)をにらみ、同選挙区の基盤強化を図ることが狙い。及川氏は「県連がどこまで改革するつもりか見極めたい。後援会役員らと協議する」と即答を避け、30日までに回答する意向を示した。

 盛岡市内丸の県議会議員会館で菊池県連会長、千葉伝幹事長らが及川氏と約30分会談。県連は31日に設置する改革本部への参加、自民クラブ入り、党籍復帰を要請した。

 会談後、及川氏は「2002年に作成に携わった県連再生計画が進んでいない上、その総括もない点に不満を感じている」などと保留の理由を説明した。

 千葉幹事長は「1区では1人でも多くの県議の支援を受けることが勝つための条件。引き受けてもらえると思っている」と述べた。

 及川氏は盛岡市議、県議を経て衆院選岩手1区の自民党公認として03、05年の2度出馬。07年の統一地方選で県議に返り咲いた。

(2008/05/27)
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20080527_6
岩手

640片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/06/16(月) 21:43:18
野呂田芳成衆院議員に聞く(上)
郵政選挙 信念通す
 今年1月に政界引退を表明した野呂田芳成衆院議員(78)(秋田2区)が読売新聞のインタビューに応じ、秋田への思いを語った。

――政界に入ったきっかけは



インタビューに応じる野呂田衆院議員(能代市の事務所で) 政界は予想していなかった世界だった。1953年に建設省(現国土交通省)に入省、20数人いた同期の中で、27歳で課長になり出世はトップクラス。36歳だった66年に出向した茨城県では、筑波研究学園都市(つくば市)や鹿島臨海工業地域(鹿嶋市)の建設にあたり、仕事に燃えていた。

 77年に転機が訪れた。秋田県の自民党県議から、この年に行われた参議院選挙への出馬を要請された。仕事が楽しかったから、建設省を辞める気にならなくて、ずっと断っていた。

 しかし、自民党幹事長だった大平正芳さん(元首相)が入院していたとき、病室に呼ばれて言われた。「(大蔵官僚だった)私も役人を辞めたくなかったが、国会議員も働きがいがある」と。直接、そう口説かれて立候補を決めた。

――苦労も多かったのでは

 初めての立候補は参院選まで90日ほどしかなかった。当然、知名度はゼロ。県南で行った演説会の会場には、男性1人しか来なかった。だが、その男性に1時間以上、秋田の将来について熱弁を振るった。同じ場所で行った2回目の演説では、その男性が大勢の人を連れてきてくれた。自分の思いを有権者に直接ぶつければ、必ず通じると実感した。

 83年には衆院にくら替えして、衆院議員を8期務め、農林水産大臣や防衛庁長官なども経験し、政治家としての信念を貫いてきた。

――一番厳しかった選挙は

 2005年に郵政関連法案に反対して自民党から除名処分を受けた。一番、思い出に残るのは、その年の衆院選だ。初めて無所属で選挙に臨んだ。

 郵政民営化したら、採算の取れない地方の小さい郵便局が淘汰(とうた)されていくに決まっている。将来のことを考えず、地方選出の議員まで法案に賛成していくのが許せなかった。私は自分の信念を通した。

 仲間もついてきてくれた。自分の後援会からは、自民党県連会長を務める津谷永光君ら大勢の県議や首長らの人材が育っている。このときほど、仲間の大切さを感じたことはなかった。

(聞き手・松本貴裕)

(2008年6月13日 読売新聞)秋田
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20080612-OYT8T01019.htm

641片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/06/16(月) 21:44:05
野呂田芳成衆院議員に聞く(下)
道路網生かし活路を
――国会議員として力を入れたことは



政界引退を表明する野呂田衆院議員(1月6日、秋田市内のホテルで) 全国と比べて様々な面で遅れていた秋田のために、特に陸海空の基盤整備に取り組んだ。

 精力を傾けたのは道路網の整備。道路の経済効果を高めるため、高速道路で太平洋側と日本海側を縦断。さらに所々で横につなげて「はしご状」にするよう尽力した。東北自動車道とつながる秋田自動車道は、二ツ井白神インターチェンジ(能代市)まで延伸した。その先はまだ完成していないが、開通のめどはついている。空の玄関としては、10年前に大館能代空港ができた。能代港の整備にも力を注ぎ、リサイクル関連産業が集積する「リサイクルポート」の指定を受けて資源循環型社会の拠点になっている。

――政界引退を決断した理由は

 78歳になって体力にはまだ自信があるが、最近は選挙期間の終盤になると選挙カーの乗り降りも大変になってきていた。もう、自分が働ける範囲では、頑張ってきたという思いもある。今の国会議員は「やめろ」と言われてもやめない人が多いが、男として自分の出処進退は、自分で決断したかった。

 今年1月の引退表明は、後継者に指名した金田勝年君への配慮もある。次の衆院選は2009年だと考えているから、金田君が選挙に勝つために、1年以上の準備期間を作らないといけないと思った。

――引退にあたり、心残りはないか

 自殺率が高い秋田で、自殺対策には力が及ばなかったなと感じている。また、農業の衰退が加速している。今は飼料が高騰しており、休耕田で飼料用の米を作るなど色々なアプローチが必要ではないか。そのほか、自然が豊かな秋田ではバイオテクノロジーは新たな産業として育てていけると思うが、道路網を生かして活路を見いだすことができると思う。(聞き手・松本貴裕)

(2008年6月14日 読売新聞)秋田
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20080614-OYT8T00146.htm

642片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/07/26(土) 07:48:05
#せめてもの罪滅ぼしby秀直

村岡氏次男のパーティーに大物続々 波乱の秋田3区
7月25日20時58分配信 産経新聞

 日本歯科医師連盟のヤミ献金事件で有罪が確定した自民党の村岡兼造元官房長官の次男、敏英氏が25日、都内で開いた政治資金パーティーに中川秀直元幹事長や青木幹雄前参院議員会長、額賀福志郎財務相らが出席。村岡氏の地元・秋田3区は御法川信英衆院議員が出馬の意向を固めており、調整は難航しそうだ。
 敏英氏は前回総選挙で、御法川氏に公認争いで敗れ、自民党離党し出馬・落選したが、昨年の参院選直前に党執行部に「次期総選挙で処遇する」と説得され、自民党候補を応援した経緯がある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080725-00000983-san-pol


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