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医者にもクスリにもユダヤにも頼らないスレ③
88
:
manacuba
:2023/07/22(土) 19:41:41 ID:nbVgnINk0
私はつい最近まで分裂症がどのような病気か知りませんでした。自分の病気がどのようなものかわかっていなかったのです。そして処方されている薬、リスパダールがどのようなものかもわかっていませんでした。
いったい二十年以上にわたって、いくら精神科とはいえ自分が何の病気か、どのような症状があるのかすらわからないことなどありえるでしょうか。私は一度一人目の主治医 (今井淳子)から、あなたは疲れやすいとして聞いていません。
思えば私は幼少より生きていくことが非常に困難でした。他の子供たちができる日常生活の行為ができないのです。私は18歳になって親元から離れて学生寮の入るまで、朝起きたら顔を洗わなければならないということすら知りませんでした。今思えば私は「ネグレクト」にされた子供であり「発達障害」だったのでしょう。
私は一昨年、2019年には非常に精神的に不安定になっていました。自分の病気と人生に対する不安は恐怖にまで移行していました。それと同時に能力的な回復を自覚していました。若い頃諦めてしまった大学受験に挑もうと思ったのです。
私がまず取り組んだのはファスティングと生涯に及ぶ断酒でした。効果ははっきり現れ不安は穏やかになり、体調は整っていきました。ネットでファスティングを調べていた時、精神医学に意を唱え、向精神薬の危険を訴える本と出会いました。その本には断薬のことが書かれていました。私は半信半疑でしたが、断薬に挑みました。
その年の春から主治医には秘密で徐々に薬を減らしていき秋には全く飲んでいませんでした。その時は自分が発達障害ではないかという自覚がありました。ですから自己治療のため、主に勉強を通して精神的なトレーニングをしていきました。結果は完治です。
薬をやめて、最終的にネグレクトの両親を赦そうと内面で大きな変化があった翌日、毎朝の日課である英語の音読をしている時、自分の喋っている言葉がいつもと違うと気づいたのです。言語上の障害が綺麗になくなっているのです。これは私が発達障害(自閉症)であることの根拠でもあります。両親にも確認を取りました。言葉が流暢に淀みなく出てくるのです。私は病気が(一体何の病気かはよくわからないが)治ったのだと確信しました。
私は次の日赤の診察に一週間遅れていきました。もう精神科の治療が私には馬鹿馬鹿しくなっていました。病気をよくするための薬をやめることにより、逆に病気がよくなるとは、笑い話か悪い冗談でしかありません。
主治医の横山は呆然としていました。診察は一ヶ月に一度から二ヶ月に一度になりました。私ははっきりと完治を確信しました。ここから私はおかしなトラブルというか、断薬による治癒の事実と治験の存在そのものの揉み消しのための口封じの犯罪に巻き込まれていくことになります。つまりそれが今回、週刊金曜日様に告発したい内容になります。
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