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麻原は東京拘置所で薬漬け。真相暴露を恐れるオウムの黒幕が口封じ。
225
:
自分は名無しであります
:2009/07/03(金) 00:49:52 ID:FowZK1/6
(ダライラマも結局 金かよ?)
http://www.news.janjan.jp/living/0812/0812213891/1.php?action=tree
#bbs
――ダライ=ラマ法王には何故、会えたのですか?
上祐:元代表(麻原)は法皇に1986年に最初に会ってから、たびたび謁見しています。背景には膨大なお布施があります。法皇側に1億円くらいお布施したといいます。
地下鉄サリン事件の1ヶ月後に麻原が関与を明言
――1994年に日本に一時帰国した時に、元代表から薬物イニシエーションを受けられ、帰依を深められたそうですね。
上祐:自分の肉体の感覚がなくなってしまい、広大な空間にとけ込んじゃったような体験でした。至高体験ですね。不思議な世界をいくつも見ることができました。超常体験をして、導いてくれた元代表への信仰心はいっそう深まりました。
――地下鉄サリン事件が起きた時に上祐さんはロシアにいましたが、元代表から電話で呼び戻されましたね。
上祐:電話では「広報活動を行って欲しい」という要件だけが伝えられました。当時、オウムは電話が盗聴されていると思っていたので、それ以上は言わなかったのですね。帰国して直接、話した時、強制捜査に備えて隠れ家を作っていて元代表はそこにいました。壁を通して「いま俺は隠れているから、広報関係をやってくれ」といいました。
サリン事件を教団がやったと私が知ったのは、帰国して1ヶ月後です。(オウム幹部の)村井秀夫氏が刺殺され、元代表が「サリン事件は教団が悪いことをやった。今回は社会が悪いことをやった」といったのです。ただ、それまでに教団の関与を疑えるような話が周りにありました。事件後すぐに教団施設内から、サリン散布に使われたのと同種のビニール袋が警察に押収されました。(オウム幹部の)早川紀代秀氏が村井氏を「きちんと片付けていなかったのではないか」と叱り、村井氏は「片付けたはずだ」と答えました。
――教団はどの時点で武装化を計画したのですか。
上祐:88年末に「ヨハネ黙示録」を解読した終末思想にまつわる「滅亡の日」という本を元代表は出しました。予言の中で「武力を通して良い社会をつくる」という解釈がなされました。原点はここにあります。
ただ、1990年総選挙に出馬して落選し、1991年に国土法違反で強制捜査されるなどして、武装化の話どころではなくなります。93年に入ると武装化が再開します。同年初めには炭疽菌の製造が研究され、11月にはサリン生成にも成功します。そして、1994年6月に松本サリン事件を起こすのです。
新教団「ひかりの輪」の行方
――ひかりの輪は一連の事件被害者への賠償をどのように進めていきますか。
上祐:ひかりの輪は今年通算で600万円賠償し、10月までにはその額は800万円になる予定です。賠償は今後も続けていくつもりです。
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