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■麻薬とユダヤ人・朝鮮人
491
:
万人斬り
◆i4JDdWrCdU
:2011/12/12(月) 18:38:57 ID:W/pHRny20
九龍城砦探検記1 地底の迷路を歩く より〜
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/kyuryu/kyuryu1.html
>城砦の通路には1つ1つ名前がついていました。龍津路、老人街、大井街など・・・。ここはかつてアヘンやヘロインを売る屋台が並んでいたという「伝説」もある光明街。
「城砦福利会」とは城砦内部の町内会です。よく見るとアヘン商人から大財閥にのし上がったジャーディン・マセソン商会のマークが付いていました。町内会のスポンサーだったのかな?
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/kyuryu/k106.jpeg
いやぁー興味深いですね。
九龍城砦と言いますと、飛び地中の飛び地で、興味のある方は調べていただければわかりますが
90年代初頭までは、イギリス統治下でありながら、中国の管轄であるの状態で、イギリスの息のかかったいわゆる警察が
介入できないところであったところであります。
いわゆる無法地帯と化していて、非常に危険とされていたようですが、九龍城砦では、自警団を組み独自に
治安維持を行っていたとのことです。
実際問題として、どうだったかに関しては、もう少し調べてみたい所です。
さて、上記にあります光明街とは、説明がありますように、アヘンやヘロインを売る屋台が並んでいたという「伝説」もある
所に、ジャーディン・マセソン商会のマークが付いていたことは、なかなか面白いとおもいます。
ついでに某サイトからのコピペ↓
>トーマス・グラバーは、1859年に英国から上海に渡り
「ジャーディン・マセソン商会」に入社。その後、開港後
まもない長崎に移り、2年後に「ジャーディン・マセソン商会」の
長崎代理店として「グラバー商会」を設立。貿易業を営みながら、
薩摩、長州、土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売した。
幕末維新期の日本では、多くの外国人貿易商が諸藩への洋銃売り渡し
に関わっていたが、その中でも英商グラバーの販売量は突出していた。
彼はのちに「三菱財閥」の岩崎家の後ろ盾となり、キリンビールや
長崎造船所を作った。日本初の蒸気機関車の試走、高島炭鉱の
開発など、彼が日本の近代化に果たした役割は大きかった。
1908年、グラバーは「勲二等旭日重光章」という勲章を
明治天皇から授けられ、この3年後(1911年)に
亡くなった。墓は長崎市内にあり、邸宅跡が
「グラバー園」として公開され、長崎の
観光名所になっている。
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