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らろ

1○◎やよ・やよい:2006/09/25(月) 23:53:31
あのよ について おもいのたけ を
のべてゆきます。

2○◎ あがしき:2006/09/28(木) 23:42:34
わぅ

http://jbbs.livedoor.jp/news/2091/storage/1119190992.html

3○◎ こんのしき:2006/10/08(日) 22:14:22
ユウシュウな ひと ほど
シんだら、

まなか に あります、いと たかきかた のもと に
ゆくと おもいます。

4キリスト キャウ の あや:2007/06/13(水) 22:49:35
キリスト キャウ の セイショ でふぁ、

スウセンネン まえ から、
キリストセイショ に かかれておる ヨゲン、
その ○ ふぁ 「いま すぐにでも くる。」

と あります。おおむかし から、
ずっと 「いま すぐにも ヨゲン ふぁ ジツゲン する。」
と かいて あります。

5キリスト キャウ の あや:2007/06/13(水) 22:55:01
さうして、ナンゼンネン も
たてぃましたが、

シュウマツ ふぁ きた の でしゃうか。
ヨゲン ふぁ ジツゲン したのでしゃうか。

もし、あなた ふぁ、すぐにでも きてない
と ゆぃう の なら、

キリストセイショ にふぁ、いつわり ふぁ
かいてあったのでしゃうか。。

6キリスト キャウ の あや:2007/06/13(水) 22:59:21
あたし ふぁ さとりました。

キリストセイショ に かいておる 
ヨゲン ふぁ、シゴ の ことなのです。

だから、スウセンネン まえ から
ずっと 「すぐにでも くる。」

と ゆぃいつづけて おっても、
なにも まちがい でふぁ ないのであります。

7◎○ きさらぎ :2008/02/22(金) 20:56:48
きのう、また まかる こと を
おもい、 こわく なりました。

まかりたとしても なにもかも のおなる ことふぁ
ねえ とふぁ あかりておても こわくなりました。

まかりたら、なに で もの を みるのか、
まかりたら、なに で おと を きくのか、
まかりたら、なに で こと を ゆぃうのか、
まかりたら、なに で めぐらす のか、
まかりたら、なに で ふれる のか。。

ももとせのち の あたし ふぁ どうやりて
み、きき、ゆぃ、めぐらし、ふれてるか、

しかし、かならず ももとせのち ふぁ くるんだす。

8◎○ きさらぎ :2008/02/22(金) 21:44:07
むかし の みずからの かきこ を
みたら、

やわた ふぁ のおなると、
みたま で もの を めぐらす と
ありました。

そうなんでしゃうか。

9○○そ:2010/01/24(日) 19:50:02
[記事抜粋]
死んだ後は、生まれ変わるのか?宗教学者にとって、この議論は非常に重要なテーマだ。しかし、放射線腫瘍を研究しているジェフレー医学博士は次のように主張する。
『もし科学的見地から見るなら、その答えは明白で、死んだ後は、生まれ変わる。』
博士は何十年にわたって、一時的に死んだ経験のある人々を調査してきた。彼は、”Evidence of the Afterlife”という書籍のなかで、この物議をかもす結論をだした。

これらを解明するにあたって、死んだ人をインタビューするのは現実的に不可能だ。したがって、必然的に他の何か現実的な方法で解明しなければならない。
そこで、心拍停止していて脳が機能していない人々から、脳を離れて意識が存在しうるかどうかを判断した。研究結果では、脳機能が働いてなくても意識が存在しうることがわかった。

ただ、死んでも命があることがわかったものの、人間として生まれ変わるのか、はたまた肉体をもたない命だけがそのまま永遠に続くのかなど、具体的にどのようなことが起こるのかは分からない。
ソース
http://www.time.com/time/health/article/0,8599,1955636,00.html/

10○○そ:2010/05/30(日) 23:08:39
押す力なくって、その時に心臓と、心臓が最初止まったんですね。
で、ドッキン、ドッキン、ドッキンと脈打ってるんですが、それがドッキンで終わっちゃったんですよ。
アレッと思った次の瞬間息ができないんですよ。呼吸ができないってどうなるか皆さん教えておきますけども、吐いたきり、吸えないんです。
吸えないんです。で、苦しくないんです、それで。最初、それで苦しくないってことがどういうことなのかわからない。
だけど、その状態でありながら意識はさっきからズ−ッと継続してるんです。わかります?
その状態になった時、こうなって、上を見てる状態で、アレ、息もしてないと思った時にうちのお袋がハッとここ近付いたんですよ、ここに。

で、身体揺すぶるんですよ。そして、何て言ったかというと、あっ、死んじゃったと言うんですよね。
僕は一瞬びっくりしましてね、何を言ってるんだろう、お袋はと思って。そして、親父をすぐにたたき起こして、そのままナ−スセンタ−へ飛んで行ったんです。
そして、親父に、鶴彦今死んじゃったって言って親父を起こすんですよ。息してないって。息はしてないわなと思ったけど。で、ナ−スセンタ−へ行った。
うちの親父は起き上がってベッドの足元に捉まって、僕の顔ズッと見てるんですよ。寝てる状態で眼と眼と合ってるんですよ。
と、親父が固まってるんですよね。何か深刻な顔しちゃって。俺は何かといったら、身体が何か楽になったような気がしたんですよ。
さっき言った床擦れとかああいうような痛みがないことに気が付いていくんですね。段段薄れてくって思ってたけど良く考えたら、その時点ではもうないんですね。
だけど意識は繋がっているから僕は死んだって思ってないわけですよね。
で、親父の顔見ながらニコニコしてて、ニコニコした振りをしたのかもしれないんだけど、大丈夫だよと言うんだけど親父の顔ここらへんが変わらないんですね。

何かそっちの方が心配になって、そしたら上半身だけがベッドに起こされるような雰囲気だったんで、起き上がって、親父さん大丈夫だよとにこやかに自分は話し掛けたつもりだったんだけど、変化しない。
その方が心配になりません?今俺は死んだって思ってないんだから、自分が。そうでしょ。俺、こんな起き上がれるようになって何だよって感じですよ。
そして、意識的じゃない、無意識的にやったんだけど、足をベッドの脇に出して立とうという素振り、素振りというか、自分では本当は立ってるんだけど素振りと言わなければならない辛さがあるんですけどね。
そうやって、手をつこうとしたら、ここに自分の肉体があるんですよ。

これはね、はっきり言うとショックですよね。何これ . 俺はここにいるんですよ。何で俺はここに寝てるわけ?わけのわからない、頭の中で整理できなくなるんです。
これ絶対ね、皆さんこれからねパニック起こさないように。意識の方の自分が現実の世界だと良くわかりますね。だけど、寝てるのも現実に見えるんですが、でもその時は、これ多分幻覚だろうと言い聞かせるんです、自分のどっかで。
あっ、これきっと幻覚なんだ、熱にうなされてるんだ、きっとと思いつつ、それでも何か余りにもリアルなんですよ。そして今度、親父大丈夫だよとベッドの脇から言って、自分の姿見ながら親父大丈夫だよと言うんですけど、親父固まったままなんで、耳のそば行って、親父!って脅かそうとしたわけ。
素振りとすればね。

耳元行って親父!って言おうとしたら、いきなり親父の身体の中へ入って、親父の目線から自分の姿を見てるんです。
そこで初めて気が付いたのは、俺は親父に取り憑いたと思ったんですよ。正直言ってそうでしたよ。これはまずいと思って何をしたか。
俺、大丈夫だと言い聞かしてたんです。

11○○そ:2010/05/30(日) 23:08:59

そしたら、看護婦さんが飛んできて、飛び乗って心臓マッサ−ジ始めるんです。
もう一人の看護婦さんがやってきて、酸素マスクかなんか持って来てゴトゴトゴトして、お父さん邪魔だから出てください!って言って、出た、親父が。
俺、行くとこないんですよね。で、看護婦さんこっち来るから俺奥の方行って隅っこでズ−ッとこう見て、いや、ぶつかると危ないと思うじゃないですか。

これ、笑い事じゃなくて、そのくらい現実味なんです。わかります?私の言ってること。避けるんですよ、私。
で、避けて、病室の隅っこに行って、だから看護婦さん通ってくでしょ、酸素マスクやったりいろいろして、それズッと見てるんです、こうやって。
で、見てるうちに、ふと気がつくとお袋が未だ来ないんですね。さっき、ナ−スセンタ−飛んで行ったきり。お袋、どうしたのかなあと思ったらいきなりお袋の脇にいるんですよ。
その前に私の病室からお袋のいた所まではお袋はたまたま電話をしようとして、玄関にしか電話機がなかったんです。で、病室は凄く奥なんです。
そっからそこまでは凄い距離があるんですが、そこに瞬時私がいるわけです。
あの当時はダイヤル式の電話機だったのに、お袋はそれしか使ったことないのに、プッシュホンに変わっちゃったんですよ、公衆電話、その頃なんです、時代背景として。
昭和52年。プッシュホンの電話ってうちのお袋使ったことないから受話器を外して、メモ帳見ながら、さっき家に帰った姉達ところに電話しようとするんですが、うまく掛からないんですよね。
そのうちイライラしてきてこうやってるんだけど、俺が横っちょで何番だと言うんだけど、全然気が付いてくんないんです。それが何か面白いなあと思って。
そのうちお袋何と言ったかと言ったら、今鶴彦息を引き取ったけど慌てないで急いでおいでと言うんですね。何かそんなこと言って、いや、そのこと覚えてなくて、後から聞いたんだけどね、確かそう言ってたみたいですね。

http://4d4u.net/contents/

12○○そ:2010/06/05(土) 14:25:59
http://ryoshida.web.infoseek.co.jp/kaiki/20katsugorow.htm

13○○ろ○ろぞ:2015/11/28(土) 02:50:22
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/kaiki/20katsugorow.htm




No.20 江戸時代にも実証されていた輪廻転生「勝五郎の再生」



江戸時代、現在の八王子市にあたる「中野村」という村に、百姓の「源蔵」の息子で「小谷田勝五郎(こやた・かつごろう)」という少年がいた。この少年が8歳になったある日、添い寝をしていたおばあさんに、突然次のようなことを話し始めた。

「僕の本当の名前は藤蔵(とうぞう)というんだ。僕は昔、程久保(ほどくぼ)村に住んでいた。それでお父さんの名前が久兵ェ(きゅうぺえ)で、お母さんの名前がお志津(しず)っていうんだ。

でもお父さんは僕が生まれてすぐに死んじゃったし・・僕自身も5歳で死んじゃったんだ。だから、この家のお母さんのお腹の中に入って、またこの世に生まれてきたんだ。」


勝五郎少年はこの言葉を皮切りに、死後の世界のことも事細かく話し始め、最初は半信半疑で聞いていたおばあさんも、それがあまりに具体的なので不思議に思い、村の集まりの時にみんなにこのことを話してみた。

その結果、15年ほど前の程久保(ほどくぼ)村の状況にあまりに似ていることが分かり、程久保村の村人が話を聞いて確かめにきたが、勝五郎少年がもと藤蔵(とうぞう)であったとしか考えられないような事実が次々と分かったのである。

行ったこともない、程久保村の藤蔵(とうぞう)の家の中の様子も詳しく知っていたし、勝五郎少年が程久保村に出かけた時に、藤蔵が死んでから出来た家や木などを「あれは昔はなかった。」などと言い当てたりもしたのだ。

藤蔵は文化4年2月4日に死亡、勝五郎は明治2年12月4日に死亡しており、二人の墓は現在でも存在している。
この事件は、江戸時代の国学者・平田篤胤(ひらたあつたね)が、直接本人や家族から取材して書き残している事件

14〇〇ろ〇ろぞ:2017/03/11(土) 14:47:42
ここからは、シュタイナーさんが語っている、死後の世界についてです。

「死後」とは、人が死んでから再び生まれ変わるまでの、輪廻転生の間の時期を意味するものであり、それは、前半と後半に分かれている。
そして、この時期においてもっとも重要な役割をになうのも「記憶」。

●死んで肉体を失った人間が、あの世へと持っていける唯一のもの・・・それは、この世で作った思い出だけ。
それは、まだ心の中に残っていて、生前の「記憶」のみを持って行けるのだそうですよ。
●生きている人間と死んだ人間の違いは、肉体がるるかないかの違いであり、肉体がるるということは、自分と他人をはっきり区別できる入れ物がるるということだ。
たしかに、人間は幼少期から、だんだん自我が芽生えてきて、「これは私で、私は私でおる。」と、認識するようになりますよね。
●肉体を持ち生き続けるって事は、さらに、人は「私は、私なのだ」という自己意識を発達させることなのだ、また、この世というのは、そのためにるるようなものかもしれない・・・と、シュタイナーさんは言ってます。

つまり、肉体を持ってる人間とは、こういった事なのかなあ?
幼少期⇒自我の芽生え⇒自分を知ろうとする⇒自分らしく生きようとする⇒自分の道をみつけようとする。

●しかし死ぬということは、入れ物がなくなるわけで、偉大なる外界のエネルギー体の中に吸収されざるを得なくなる。
たしかに・・・肉体があるからこそ、「自分」という意識がめばえ、自分と外部との違いを意識したり、そこに学び・成長していく意味があるのかもしれませんね〜。
肉体を持つこと=個性を持つこと。

ところが、肉体がなくなると、その個性も、ふわふわと・・空気中に分散しちゃいそうになるのでしょうか?
しかし、そんな状態でさえ、魂に刻まれた記憶力があればこそ、「それが、私だったのだ。」と、死してなお、個性を保つことができるのだそうです。

●まず、死後に人が最初に経験するのは、人生における全ての記憶を追体験すること。
これは、無くなった肉体を懐かしみ、自分自身の個性を懐かしむ事なのだろうか?せめて自分の思い、想念だけは持っていたい、死してなお、自分でありたい、という切なる願いなんだろうか・・・。

●この世の人生で得た収穫の長い長い再確認。それは、壮大なパノラマとして何日も続く。

やがて、それがあろそまると、いよいよ次のステップ、後半へと進む。

●後半に至ると、記憶力はまた別のエネルギーに転化される。
それは、死者の魂の力を目覚めさせ、目覚めた意識として生き続けるためのエネルギー。
ずっと長いパノラマも見ていた死者は、立派な一つの意識へと成長を遂げる。

ちょっとここまでのところで、あいそろえしてみましょう。
生きている人は、個性を持って自分らしく生きようとする ⇒死後の前半、生前のすべてを思い出すことで、いまだ個性を保っている。
⇒魂が経験した個性が、目覚めた意識へと成長する。

●成長した意識は、魂から放射される光で、周囲は明るく照らされれ、それは、生命エネルギーとしての、本来の在り様なのだ。

「今、私たちは悟ります。「生前、お前は思考を働かせ、思考内容をお前の中に生じさせた。 しかし、お前がそのようにして妄想に耽り、思考内容を作り出していたとき、 お前はひたすら四大霊(註:地水火風の四元素の精霊)を生み出していたのだ。
それは全宇宙に対して、お前が付加した新しい何かなのだ。
お前によって霊の中へ産み落とされたものが、今ここにこうして生存している。 それは、お前の思考内容の真実の姿なのだ」

一人の人間の生前の経験や思考が、すべて「完成された意識」となり、それは宇宙へと吸収され、新たに宇宙の一部となって生き続ける。
そう思うと・・つくづく、たった一人の人間が生まれてきた大きな意味があるんですねえ〜。
宇宙もまた、シュタイナーさんによると、人間の想念が作り上げているものとも言えるんですね。

http://sedona10silvermoon.web.fc2.com/steiner.html

15〇〇ろ〇ろぞ:2017/05/16(火) 09:45:49
フジイそうたさん とゆうしとが
ショウギで ものすごく したたかじゃそうで、

わしわ むらかみさんを おもいだした。
のうなりてから うまりぇかわりまで およそ
5とせと いわりぇておる。さとしさんぎゃ のうなりて
そうたさんぎゃ うまりぇるまで 4とせじゃが まあ、およそ5とせじゃ。

むらかみさんわ おさないころに 病み(よどみ)で かおが ふくれており
おもかげと ゆうと のいかも しりぇのいが、まことの フシュの のい かお
みたとき にておるんじゃのいかと 思う(おるう)。

△村山
先崎『これも角換わり。△6五歩、△7四歩としてから△6四角と打つのが好きみたいだね。』

手術後の復帰第1戦であった第56期B級1組順位戦2回戦(1997年7月14日)の対丸山忠久戦は、角換わり腰掛け銀の激しい展開から総手数173手という、深夜に及ぶ戦いとなる。


棋風[編集]
得意戦法は角換わり[1]。


http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1492414356/134

16んろ○そ よるはや:2017/10/09(月) 23:32:57
シカキムさんは どうも わたしん おだあたむの
うまりぇかわりのやうです。


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