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70年の伝統!・陸軍幼年学校の夜

8名無しさん:2009/11/04(水) 21:40:39
幼年学校時代の「稚児」はプラトニックな思慕の感情に留まっていたが、心身が成熟する士官学校の「ショーネン」になると、それだけでは済まない場合があった。村上氏自身、野外演習中に眠っていた親友が無意識に身をすり寄せてきた際、思わず相手の下腹部に手を伸ばして欲望を解放させてしまった顛末を淡々と記している。村上氏の筆致には、自己抑制を失い友の信頼を裏切ったことへの自己嫌悪は感じられるが、背徳感は希薄で性愛それ自体は当然の生理現象とみなしているかのようである。
 士官学校卒業後も美形趣味を続ける将校はいて、部下をショーネンで固めて自慢する参謀や、少尉に任官した村上氏をつけまわす少佐もいたという。はては新兵へのセクハラを繰り返す連隊長に抗議した少尉が、口論の挙句に軍刀を抜き合わせる騒ぎまであったという(この少尉は村上氏に犯された親友である。よほど嫌だったんだろうなあ)。
 以前に書いた古代ギリシアの神聖部隊のように、戦士集団には少なからず男色が発達する。運命を共にする戦友の絆は一般的な友情よりも濃密で、それが忠誠や友情を越えた愛情に発展することは多い。同性愛傾向が戦士集団の結束を固めるため奨励されることも珍しいことではない。
 氏家幹人氏の『武士道とエロス』(講談社現代新書)によると、日本でも戦国から近世前期にかけて男色が盛行していて、男色しない息子に説教する父親までいたというから推して知るべしである。名高い武士道書『葉隠』で説かれている主君への絶対の忠誠にも、同性愛的な感情の発露が垣間見える。平和が続き武士が戦うことのなくなった十八世紀以降、武士階級の男色文化は次第に衰えていったのだが、辺地の薩摩藩には少年愛の風習が色濃く残っていたという。
 維新後の明治政府にとって、キリスト教文明が罪とみなしてきた同性愛は、欧米に習った近代化の観点からは否定されるべき蛮習のはずで、ただでさえ衰退していた男色はここで一掃されてもおかしくなかった。ところが新政府の中核にいた薩摩武士によって、少年愛の習俗が近代化の最先端を担う軍隊や学校に持ち込まれたようなのだ。
 明治時代の書生の間では少年愛趣味が大っぴらだったし、大正時代以降も一部の学校にはその慣習が遺された。旧制高等学校の生徒だった父によると、大戦末期の旧制高校でも美貌の新入生を愛でる慣習があったという。
 戦後になってこの種の美少年趣味は急速に廃れたが、それは民主化と女性の社会進出に関係があるようだ。
 士官学校や旧制高校における美少年趣味は、一般市民社会とは切り離された場所で寝食を共にする若者の間で形成された。しかもその生徒であることが、今日では比較対象すらないほどの高い社会的ステータスとなる若者集団である。だから特権的な男の花園で育まれる思慕の関係は、「選ばれた自分」であることを確認する自己愛の匂いがしないでもない。それはカーキの詰襟や白線黒帽のマント姿だからこそ許された、特権的な少年愛だと言えるだろう。そして戦士の友愛を起源とするこの慣習は、本質的に男性優越主義の産物なのである。
 だから現代社会で同性愛が今より開放的になったとしても、こういう独特な少年愛の慣習が復活することはないだろう。
 どっちにしても小生の趣味では全然ないのですがね。
   ttp://www4.plala.or.jp/kaseiken/links/tea.htm


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