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賎のおだまき・武家の時代の男色

88名無しさん:2009/11/19(木) 21:54:56
薩摩藩には厳しい藩士教育(郷中制度・兵児二才制度)の伝統があったのはよく知られている。特に「兵児二才」(へこにせ)と呼ばれた青年たちの若者組(兵児組)の男色は有名であろう。名門の美少年(美童)を「稚児様」と称し奉り、集会や合宿、また「山野遠遊」(「遠足」)を行ない、戦さには稚児様を先頭に青年戦士団として戦場へ赴いた(天草の乱などでの記録がある)。

年上の者達が美童の家に押しかけてその“操”を要求した事件もあったということですが・・・明治までその風潮は残っていて、東京まで人の移動とともに伝わったと言われたそうです。 ...
 ttp://www.kyushu01.com/01/0709/0709-159.html
 ttp://blog.livedoor.jp/egoist777/archives/50676313.html
昔時此風の盛んなるや、美少年を呼ぶに稚児様を以てし、その出る時は或いは美しき振袖を着し数多の兵児ニ才之を保護し傍よりは傘をさし掛け、夜は其門に立て寝ずの番を為す者あるに至る。(『薩摩見聞記』)
 ttp://blueswallow.fc2web.com/w/satumaki.html
「稚児様は…… 郷中の名門の嫡男で12〜13歳の特に美貌の少年2名を選んで美服を着せ薄化粧させ、この稚児様を集会の中心として尊敬し、それに奉仕することをもって各種行事の中心とした。」


 三品彰英氏の研究によると、この民俗が最も残っていたのが国分と出水(いずみ)であった。

 ttp://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-51.html
 ttp://www.k5.dion.ne.jp/~coppe/page015.html
 
「江戸の兵児組 女禁制」(製作=阪東妻三郎プロダクション 配給=新興キネマ)
1934.08.30 電気館/新宿帝国館/麻布新興館/新富座
  ttp://www.jmdb.ne.jp/1934/bj002870.htm


参考文献 
(参 考)
礫川全次編『男色の民俗学』(2003年批評社刊)、
司馬遼太郎「南方古俗と西郷の乱」日本書籍株式会社1979
『日本庶民生活資料集成』第12巻(三一書房刊)薩摩見聞記
氏家幹人「風俗と流行」(『日本通史』第13巻近世3 1994年岩波書店刊)
白洲正子「両性具有の美」
 嵐山光三郎『悪党芭蕉』(2006年新潮社刊)
佐藤喜一「幕末史研究 36」・「田村銀之助をめぐる男色考−脱走軍美少年秘録
−」        (東京日野市立図書館蔵)


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