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賎のおだまき・武家の時代の男色

78名無しさん:2009/11/17(火) 20:23:13
たまにテレビでも紹介されますが、「郷中制度」は薩摩ではよく知らない人たちによって、今でもいいことずくめでこのように「優れた組織」として賞賛されるのですが、《稚児・二才の男色》つまり今で言う《児童虐待》により固く結ばれた武士による男色の制度(少年教育制度)で、まさに「賎のおだまき」そのままということをわすれてはならないだろう。 ...


鹿児島県に「兵児二才」(へこにせ)という青年団組織がある。士族の若者の集会で、薄化粧した「稚児様」と呼ばれる少年を中心に青年達が学習をしたり剣術を習ったりした男だけの世界である。
残念ながらこのような習慣は西南戦争以降廃れてしまったが、イギリスでベーデンパウエルが主唱したボーイスカウト運動が創設されたときも、この兵児二才制度(健児之社)を参考にしたという。(検証によると関係ないという。)
ttp://geocities.yahoo.co.jp/gl/numades/view/200702
(参考)
三品彰英「薩摩の兵児二才制度」(「三品彰英論文集」第6巻所収)(平凡社1974)
上野 篤「健児之社」(中文館書店 昭12) ソメ2-60(国会図書館。浜松町、三庚図書館蔵)

「兵児(へこ)」とは青少年のことで、六歳から十四歳の八月までを「兵児山」と呼び、それより二十歳の八月までを「兵児二才(へこにせ)」、三十歳までを「中老」と三つに分けていました。このため郷中教育は「兵児山」、「兵児二才」を対象に行われました。
   ttp://www1.bbiq.jp/hukobekki/okite/okite.html


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