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賎のおだまき・武家の時代の男色

67名無しさん:2009/11/06(金) 21:30:04
丁稚の後門を犯す
 天保十五年(1844)一月のこと。
 小伝馬町一丁目に、島屋という呉服屋があった。
 番頭の徳兵衛は三十一歳で、男色が好きだった。十四歳になる丁稚小僧の竹次郎に迫り、後ろから犯した。
 肛門が切れて、竹次郎がその痛みに泣き出したため、ちょっとした騒ぎとなった。
 息子が犯されてけがをしたと聞き、父親が乗り出してきたが、交渉の末、徳兵衛が詫び金を払って、内済(示談)となった。
 島屋では外聞をはばかり、内密にしていたのだが、こういう噂はすぐに世間に広がる。
 また、なまじ島屋が口をつぐんでいるだけに、勝手な憶測がひとり歩きし、風評も尾鰭がついて流布する。
「竹次郎は肛門が四方に裂けて死んだ」
「竹次郎はその痛みに悶絶し、駕籠で実家に送り返された」
「父親が島屋に怒鳴り込んで、二十両の慰謝料を取った」
 とかいう話も喧伝された。
 また、
「番頭の徳兵衛は上州(群馬県)者で、島屋を首になったあと、吉原の妓楼に住み込みで働いていたが、火事でその見世が丸焼けになった」
 という説もあった。

 実際は、竹次郎の肛門の傷はたいしたことはなかったようで、その後も島屋で奉公を続けていた。
 また、番頭の徳兵衛は京都生まれで、もともと陰間遊びが好きだったようだ。事件のあと、近所に住む職人などがおもしろがって、ことさらに声高に吹聴するため、徳兵衛もさすがに島屋には居づらくなった。みずから暇を取り、いったん国もとに帰った。その後、ふたたび江戸に出てきて、高砂町あたりの町医者のもとに転がり込んだという。
 ttp://homepage3.nifty.com/motokiyama/nagai4/nagai4-43.html


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