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賎のおだまき・武家の時代の男色

64名無しさん:2009/11/06(金) 21:26:27
二才は稚児を指導する(高名な示現流は、二才が稚児に教えた)他、保護監督する役目も担っており、女子はもちろん、他所の二才と交際するのを禁じた。そのような状況の中で、二才と稚児が男色関係になるのは、むしろ自然な成り行きと言えるだろう。西郷隆盛と大久保利通は3歳違いの幼なじみであったと言われるが、果たしてそれだけの"関係"だったのだろうか
それはともかく、この薩摩での男色熱が東京の学生達に伝わった事は、先の里見が、自分を「ちごさん」と、志賀を「にせさん」と呼んでいる点から確実と思われる。しかし、薩摩伝来の男色熱は、少々過熱しすぎたかもしれない。当時9歳の谷崎潤一郎は、薩摩の出と思われる将校に誘拐されそうになった。
ttp://www1.ocn.ne.jp/~yasumi/sub26/sub27/ensyu3-2.htm


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